つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

エリザベート11/5 S回ログ

時系列順で書けば言い忘れなく全部出せるのでは?と思いました。時間経過と短期記憶の揮発バトルになりました。

 

オーバーチュア

序章の佐藤フランツ、顔を上げてないときは瞳の光がぼやっとしてるのも膝を折ってく動きが柔らかいのも眠っているみたいだなと思う。眠ってたとこを無理矢理叩き起こされてんだもんなルキーニに。

香寿ゾフィーの踊りさあ、トート閣下の操り糸が通ってないときに綿の入ったぬいぐるみとか死後硬直のとけた死体(死んでから更に時間が経つと筋がゆるむんすよ)みたいなくたっと軟らかい動きをしててさあ、し、死んでから時間が経ってるよう……(好きです)やだあ……(好きです)(それが見たくて観に行ってます)
知ってたけど、知ってたけど香寿さんお歌だけじゃなくて踊りもうまいんすね……。やだよう死体だよう……いやまさにその死体の感触が好きで序章を毎度抜いてるんだけど……(嫌だの駄目だの心が死ぬだのは饅頭怖いと類似の意味の、治安悪い沼にいるオタクスラングです、念のため)毎回序章の話してるのはオーバーチュアが大好きだからです。

山崎トートがご降臨するときのお声を聴くとこのトートの「人外の美」はこの歌声なんだろうなって毎回思う 後光が差すみたいに劇場中に広がるもんな。

シシィ登場とか謁見の間とか

少女愛希シシィ、歳相応に大人ではあるのね?パパの膝に嬉しそうに座って、でも親戚の集まりへのやだなーってうんざり感は歳相応の我慢……じゃないんだけど、行かなきゃいけないのはある程度弁えてての愚痴みたいに話すね くるっとおてんばな顔するからそうねおてんばね可愛いねとなる

上山ルキーニ今日は大司教にべろべろべーしてなかった でもわりと呆れと軽蔑の目だと思う 謁見の間、初めの合唱でゾフィーが下パート取るあそこが好きなんですよね、香寿ゾフィーは低い音もつやつやだから聴いててテンションが上がる

謁見の間の香寿ゾフィー様、自分の笑顔の(牽制する武器としての)使い方をよくご存知でいらっしゃって、好……。口元はたおやかにそっと笑みを刻んでいらっしゃるけど眼差しは冷静で涼やかで滅多にしっかり笑わないからここぞのときに一押しとなるのかっこよでしょ

逃げるシシィと忍び寄る者(の曲だと思ってる)

2幕でシシィがウィーンから逃げ続けてる曲のところ、シシィのお付きたちのパートの後ろにずーっと「パサパサパサ」って鳥の羽撃きを模したような音がしてるんだけど!?楽器かSEか知らんけど、それこそ1幕でルキーニが飛ばせる小鳥ちゃんみたいなプラ羽みたいな軽くて薄く固いものがぶつかるような。
私は根性が悪いのもあって、あの音は悠々と空を舞う鳥というより羽が地面を叩いているような音に聞こえるんですけども。自由に飛びたいけど重石がついてるなり翼や羽根を傷めてるなりで地面を叩くしかできない鳥の翼にさ。気流に乗った鳥はあんなばたばた翼を動かして空気を流れを作る必要はないし、むしろ逆らったら落ちるはずで、あのテンポなら必死に羽ばたいて飛んでいるか必死でのたうってるかのどっちかだよ。
シシィのお付きパートのパタパタ音、はじめは譜めくりの音が入り込んじゃったのかと思ったんですが、シシィお付きたちが歌ってるパートの2回とも頭から終わりまできっちり入ってぴたっと止まるから、そういう音を入れてるんだと思う。安住できる家のない旅鳥みたいに放浪する、当てのない彼女の旅路のようだなと思いました。

ところでこのパートの佐藤フランツの声が18年後でぐっと老け込むので、ほとんど動きの姿勢が変わってなくても歳月がわかるの技量豊かな力業だなって思う。エリザベート、そういう技術の粋を観に行く節が(も)あるよね。

この旅路のときはあんなにやっとこいたお付きが、28年ともっと(ルドルフの葬儀を境にとかな気もするが……)の歳月を経て、スターレンだけを供に残した身軽で寂しい形に落ち着いたのかな……と思うとしみじみしちゃう。スターレンはいいぞ、おれは精神病院での後半で彼女を抜くのが好きだ。

精神病院慰問でのスターレンの話をしても?

精神病院のスターレン、シシィが困惑したりちょっと怯んだり程度なら主と一緒に戸惑ったり、手を出して止めようとして躊躇ったり後ろで責任者を叱ったりしてるだけだったんですよ。それなのに患者(『皇后さま』)の振り回したカーテンにシシィが目をつむり腕を上げて身を庇って、「強い皇后」の振舞いの仮面が外れかけた瞬間に割って入って一喝するめちゃくちゃカッコいいでしょ。
それでも気を取り直したシシィが止めるとすっと引き下がるし。シシィの口から「(あなたの方が)自由」を聞いた途端に目を見開いて、痛ましそうに手を伸ばしかけるけど主が振り返るとすぐさま私心を引っ込めて臣下の礼をする。
シシィに見えないところで己の無力を噛み締める様がさ、切なくてさ……。シシィいい人を供にしたね……。

フランツがシシィの求める自由が(彼女は生きている限り「オーストリア皇后」の軛から逃れられないから)この世のどこにもないと気づいたのはいつだろうと思うけど、スターレンはこのときにはもう気がついてるんだよな、と思った。シシィが焦がれている自由は決して彼女には手に入らないこと。自分(常に付き従う侍従)もその枷のひとつだってことにも。
彼女が演じ纏う「強い皇后」の鎧の下にあるものを思い、シシィに見えないところでシシィのために涙を流してくれる侍従なんて得難い旅の供が、彼女の孤独の旅に最期の瞬間まで寄り添ってくれたという事実、(シシィはどう思っていたかはわからんが)ささやかな慰めだと思う。

民の中にも皇后の心を案じてくれる人のいる救い

精神病院といえば病院職員の中で章平さん(メイン役は革命家)の職員がちょこっとシシィの心を思うてくれてるのに私は一抹の救いを見ています。「跪くのはあなたよ」にうんうんってしたり、シシィが一瞥すると一斉に姿勢を正して礼をする彼らにならって礼をしながらもそっと彼女を窺って心配そうにしたり。
患者さんを誘導したり止めたりしてるときも振り向いて、嘆いてるシシィのことちょっと心配してくれるんですよね、職員in章平さん。

彼らのようにシシィの心を思ってくれる人たちが口にしたらシシィの孤独は癒えたろうかとふっと思うこともあるけど、……まあそれは、皇帝陛下を見てる限りたぶん“ない”のだろうなと思ったり。

皇帝の「愛」は重いんだよな、彼が唯一自分にゆるした自由がそれだから。

皇帝陛下、シシィの心を思ってはいるけど根っこのところがずれてる(「自由」である状態がわからない、唯一のそれがシシィを想うことだからシシィのそれとは噛み合わない)から一生分かり合えない、し、それでも伝えようとする彼の愛と想いは御覧の通りの重荷になってしまう。いやあれは重いよ。皇帝も憐れだがシシィも憐れ。

あなたがいればそれだけで私は幸せだ、というのは「一緒に達成した色々」とか「それらを振り返る」とか諸々コミであって存在が隣にあることだけを心の慰めにされるのはそれは大抵の人間にとって重荷なのよ。ただの人間に人ひとりの幸福なんてものを丸々負わせるんじゃないよ(好きなところです)

2幕ゾフィーとサロンの仲間たち

ゾフィーのサロン、1幕では正対する意見だった侯爵と伯爵がゾフィーの後ろでツーカーで連携取ってるのに年月を感じるんですよね 1幕でちょっと浮いてた軍人貴族が役人貴族以外にはうまく丸めて史実出してるのも どっちが侯爵だったかわからんくなるんだけど1幕の感じ役人が侯爵(身分が上)であってる?

2幕の香寿ゾフィー、1幕より感情がもろもろ出てて老いと劣勢を感じますね……。「紳士の社交場で」を聞いたときの1/3くらい嫌悪でヒいてるような顔で、なんなら体はちょっとヒきながら「皆さま、行ったことがお有りで」が出てきたの面白かった。大司教の返事でやっと胸をしゃんと張るいつもの皇太后の姿を見せる。
「陛下とて男、ですから」「彼女は綺麗」にかなり悔しそうにする香寿ゾフィー、現在の状況に対してなのか息子がそういう風に言われる(皇帝の評判がそれである)ことについてなのかわくわくしちゃうな……。後者ではなさそうか、そうだったら美人局でひっかけにはいかないもんな。
香寿ゾフィー、「我らの!」で昔みたいな表情で拳をぐっと高く上げるのが可愛いだよと毎回思っています。ときめいちゃう。

ところで母との絆(たぶん)、皇后教育、どちらも皇家に捧げるものと信じきっていたのがゾフィーなわけですが、つまり今のハプスブルク家はその贄を食ってないんだよな。だから「義務を忘れたら滅んでしまうのよ」が出てくるのかなと思うと代々続いてきた皇族の鎖と軛を思ってしまい、冬。
2幕の香寿ゾフィー(ラスト)、やっぱり胸の痛みで丸めた身体を息子が振り向き終わる前にで背筋をしゃんとして胸を張ってる。息子にも弱った人間ではなく強い皇太后の姿しか見せない。そんな人が正対したら佐藤フランツも怒りの抗議いったとて姿勢を(ちょっと)正すわな、と思った。

このときの佐藤フランツが軍人の礼(たぶん)で深めの一礼をして、きっちり礼儀と敬意があるからこそ決別なんだなと思う。そっからはもう振り返らないもんね。最後立ち去る前にほんの一度だけ苦いような切ないような顔で、横目にちらりと目を向けるけれども。

商品を魅せる娼館ルキーニと商品に魅せられる男たち

マダムヴォルフのコレクション、上山ルキーニの触り方ががっつりに見せて触れてなかったり(尻を叩くのとか、よく見ると衣装のひらひらをぱんっとやってるだけだったり触れるか触れないかのところで動かしてたりする、)マダムへの触り方も手をぺったりくっつけるときは手の甲側だったり。客を煽る、見せるための触りをするけど女の子たちを消費はしないの、仕事人だなと思う。その一方で、序盤でマダムにばしん!とされたお尻を軍人貴族が来て話しかけるまで痛えって顔でさすってて、好色なのかなとも思うときもある。実際彼はどうなんだろ、全部ふざけてるだけとかもありそう。
マデレーネ相手には百点満点エスコートしてるときと揶揄うようににいと笑いながら後ろから絡む振りしてる(やっぱりこの時も触ってはない)ときがある。男たちにアピールしてるのを後ろから抱くようにされて邪魔されたマデレーネは、客に向ける用の蠱惑的な笑顔を引っ込めて、鋭い目でルキーニを咎めるのよね。ルキーニが離せばまた仕事をする。この辺りになるほど「仕事熱心」だなって感があるなと思う。
彼女を隠していたカーテンが開くまではヴォルフのコレクションと遊んでいた男らが、マデレーネが落としに行く前からふらふら近寄ってくるんだよね。このあたりも彼女が姿を見せたときに虜になっているのが見ただけでわかる「スペシャル」なんだろう。

ところで軍人貴族が自分も!自分にもやって!と胸つきだして手をぱたぱたしてたり、マデレーネが胸元から触れるか触れないかのところでつつーっと指先を下ろしてふわっと手を離したら前屈みになったりいや両手で何を隠してるんだよ 何ってナニをだな 爆笑しちゃったよさすが軍人殿お元気だな
密告者か家庭教師か(グレーの上着のほう)が「ぼんぼーん!」に合わせて手でぼんぼーん!してたの見つけたときも大爆笑したけど君ら紳士の社交場でめっちゃ弾けるじゃん……。そういう場だからこその社交場で金さえ払えば何でも、なんだろうな。

闇広。この日はウィーン版コンサートの放送が重なってたそうですね。

闇が広がるの原語歌詞は「影が長く伸びていく」らしくて、まさに黄昏時、ウィーンの落日じゃん……と感激してしまうなどした。あのシーンは黄昏時の誘惑だから、曲初めのライトにはオレンジと赤が入るんです……!?落日……!?
いやあしかし「闇が広がる、人は誰も知らない」で誰そ彼時を表現するのイケコ氏の訳詞センスつよ……と思いました。
歌詞がつよつよという話をするなら闇広後の貸切カフェもすごいよねと思ってる。ハプスブルクを救いたい一心の闇広を見せつけてからの、「父上を説得することができなかった」を聞いた革命家たちの第一声が「皇帝と皇太子が決裂した」だぞ。彼らは想いを同じくした同志なんかじゃない。よく考えると利害の一致もしていない、ルドルフを利用するために迎えているだけ。

闇広に戻ろう。山崎トートがルドルフに俯かせないのでつよ……と思いました。閣下から目を離して俯こうが構わず距離を詰めるから、慌てて顔を上げて距離を取って、閣下から目を逸らせなくなる。目を離したときに何があるか分からないと思わせる力。
あとサビのハモり、はじめだけ閣下が上パート取ってましたね。このパート取り、山崎トートは標準でこうなのかな。古川トートもこう歌ってる?(なんかずっと下パートしてるイメージあるんだけど) 甲斐ルドルフのときも山崎トートが上パート取ってる瞬間があったから、1番はトートが上なのかなあ。彼が示した軌跡そっくりに「立ち上が」った皇太子がなぞる。自分の意思だと思い込んで。
上パートの煌びやかもだけど下パートの力強さも未熟なルドルフを支える(逃げられないよう立たせ続ける)ようでハオだよと思いました。
闇広導入の山崎トート、差し出した銃をすっと手元に引き戻して流し目をくれてやるとことか好きです。山崎トート閣下、破滅に近いところにいるヒト属に寄り添うふりをしているとき不思議な色香があるよね。この人なら、と頼れる気がしてしまう不思議な力強さ。

「ママ、どこなの」で頑張ってヒトの子に寄りそうふりをしてる山崎トートが、ルドルフの意識が彼から外れてから少し頭を下げて(顎を引いてるのかも)下から覗き込むように少年ルドルフをじいっと見てるんですよね。初子を亡くしたシシィを見てたときと同じように、少しおっきく開いた目で。
ハンガリー凱旋のときは子を奪うという見せしめをしてシシィがどう出るかを見ている(自分の眼差しに気がついて恭順するかを)みたいな感じに見えて閣下つよじゃんと思ったりした。この曲の山崎閣下、最後に少しの間だけルドルフに振り返るんだよね「ひとりにしないで」に応えたみたいに。

蟄居後のルドルフとシシィ。ルドルフがわるいよあれは。

(彼女が逃げ出した宮廷と同じように)こうであってほしい姿をシシィにぐいぐい押しつけてくる息子を「わからないわ」と留めつつも彼に目を向けて話を聞いてやろうとしている愛希シシィが、「ママは昔ハンガリー助けた」からすっと顔をそむけて「政治の話ね」と呟くので溝は深いなと思う。そしてその溝はシシィにしか見えてないんだろうな、とも。
ルドルフくんもさー、頼み事が「僕」を助けてとかひとりにしないでとかだったらシシィだってちょっとは聞き入れて、まあずっとはいないだろうけど(ぜったい皇帝が飛んでくるし……)たまに足を向けたり旅先に連れてってくれたりしたかもしれないのにね。ルドルフが欲しいと自認してるのはハプスブルクを救う手立てだからそんなifはないんですが。
立石ルドルフ、こう、普段の虚無の反面に、高台の上とか“同志”に肩たたかれ囲まれてるときとかのむふーって根拠なく自信に満ちてる感じが、軽佻浮薄というか短慮軽率というかな空気になるんだろうな。パパの逆鱗に触れたときのおっいける!する感じとかも。
周りにとって価値のあるのは、見られているのはルドルフ自身ではなく。自分の父がいる地位と自分の母が為した功績なんだけど。そのあたりがわかってないのか、親の七光と自分の区別がついてないのか、区別をつけると自分が何もないのを自覚してしまうからの防衛機制なのか。わからんなあ、私は他の部分から情報拾えてないので(ただただ虚無だな……と思う)なのだが。ルドルフが何を考えてるのかしれない、あるいはそこには何もないのかも。

乱戦ラストの山崎トート、ルドルフの進路を遮るでもなく彼を見ているでもなくただそこに立っていて、こっちだ、と誘導していたさっきまでとは全く異なる静けさや気配の薄さに、この場(乱戦)から姿が見えなくなったみたいだなと思いました。

そういやさ、蟄居を命じた佐藤フランツ、声は冷酷に怒りを見せてる感じだなと思ったけど表情抜いてみたらぎゅっと皺を寄せてて不甲斐なさとか悲しみとかけっこう隠せてなかったな……と思った いや全てが強火の幻覚なので何もわからんが。
ルドルフと陛下の確執、佐藤フランツは「黙れ!」で強く感情的になるし「お前に何がわかる」をこんな湿っぽい声で言うんだ……となるよ。強く厳格な皇帝陛下の唯一の逆鱗がシシィなんだなって。
それはそれとして「ハンガリー問題」で新聞握り潰すのまあまあな激おこだなと思いました。
まあね、経緯も複雑な二重帝国の不安定を、かつて鎹として貢献したシシィが政治に関わろうとしない今、よりによって皇太子に引っ掻き回されたらそら「皇帝」は怒る。それはそう。
佐藤フランツは民衆に甘すぎると責められても動揺はするが持ち堪えるから、ルドルフは身内相手のそれなんだなって思う。しらんけども。

コルフ島シシィとエリザの筆記具の話。

愛希さんペンの持ち方すごい綺麗だな……。人差し指を伸ばしてやわかくペンに添わせてるの、お手本みたいな持ち方なさるのねと思った。万年筆のほうは客席側にくんと向けられた頭に燦然とホワイトスターがありモンブラン確定でよさそう、マイスターシュテックなのかな……でも直線的に見えるんよな……。
ミュージカルエリザの筆記具でいうと謁見の間の羽ペンがガチのほうの羽ペンで大興奮した話していい?ペン先まで真っ白なんだよあの個体、鉄ニブ括り付けんじゃなくて、羽根の軸に切れ目入れてインクを掬うガチのやつだ。或いはその羽ペンを模すために塗っているのか。たぶんエルバンのこれかなと思う。

私は小物の時代間の把握はあんまりだけどあの時代、金属のニブ自体は発明されてはいたはずなので(カッパー体とか金属じゃなきゃ無理っしょ、)国のトップの皇帝陛下があんな扱い難い素材のニブでサインしてるのは伝統と格式以外の何物でもないんですよ。不便で扱いずらい昔ながらの筆記具が、しきたりを重んじ個人の感情を殺すあの宮廷に似合っており推せる。
ところで佐藤さんもしかしてあのペンの書き味をご自身で試してみたりしたことがおありで……?佐藤フランツがペンを扱うときの、ペン先をちょっと傾け掬ったインクをペン軸に通してからインク壷で余分のインクを切る動作、あの羽ペンには必要だがそれ以外のあらゆる筆記具で不要な動きじゃない?ってこう……いいですよね……。すみません筆記具オタクが。

あとは思い出す限りぺちぺちした。

愛希シシィと山崎トートの「私が踊る時」、「愛し(はじめるの「憎みはじめるさ人生を」が両者めちゃくちゃ強くて闘争……となるなどした。優雅を装った下での冷戦からバッチバチの火花が飛ぶぶつかり合いになり、トートが前のめりに主張してもシシィは美しい皇后を崩さないの(5日Sの話)
信念をぶつけ合う闘争だし、ここではシシィが勝利を収めているんだなこの闘いにな……という感じがあった

「あなたが側にいれば」の佐藤フランツ、段の上のやり取りでシシィがわかってないのをわかっている笑い方するじゃん……(「義務の多さに夢さえ消える」「ささやかな幸せも掴めない」に返されるところ)と思って情緒が限界になったりした 翳りがあるとはちょっと違うのかな、しょうがないなって感じの。
結婚式でシシィを促すときはちょっとこう、痛ましそうな感じでそっと促すのに初夜明けてや2年目であの硬直した感じなの、母上の支配が堅固(結婚式退場のときいなくなってるよね母上?)


上山ルキーニ、閣下から刃物を受け取ったときからそれまでとちょっと雰囲気違うじゃないですか。他の方がおっしゃってた『無敵の人』っぽさというか。不敵さから愉快の色がなくなって、余裕のなさ(失敗しても失うものはない)からくる自棄みたいな感じで。
シシィを刺す前は、刺した後も俯きがちに、足早に立ち去る彼がふと足を止めてうしろを振り向いて、そこにいたトート閣下と目が合って。ばちん!と回路が切り替わったみたいに気配が変わり、3時間見てきたいつもの「ルキーニ」が“un grande amore!”と快哉を叫ぶ。情動の乾いた、光のない目をした男はもうどこにもいない。
閣下と”目が合って”、”見つけて”しまったんだなあ……と思った。思わずぅゎ……って言っちゃったよね……(声にはぎり出てないと思う)