つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

カム・フロム・アウェイ感想そのに。

だいたいホンの話しかしません。なお個人の感想であり、あらゆる個人団体宗教思想に賛意も翻意もないからそれはよろしくな。
めたくそ長いので小見出しつけるね。だいたいほめてるよ。人類には絶望してるけど。

全体っていうか雑枠

えーっと、フィクションドキュメンタリー(私はモキュメンタリーという言葉が嫌い)だとかついこないだ全世界配信で黄色人種への見えない差別(ないものとして扱うという差別)を剥き出しにしたあの国で初演したんだなとかを勘定に入れて喋るとその話しかしなくなるので、まずは(原語版の)役者の人種とか人物の組み合わせ方とか抜きで創作物としてだけ扱ってで言いますね……。今回えーっと言ってばっかだな……いやあの脚本家が頑張って時代を変えようとしているのはいっぱいえら(偉)だなと思っているんですよ本当に。

演目内容そのものも嫌いじゃないんですよ、事前印象「8000円なら人に勧めてもいいかもだけど」から「1万なら人に勧めたかもだけど」にはなっているので。その印象差分が脚本と演出によるものなのはまあなんていうかごめん*1ですけど。

曲と音楽もどれも好き……だったんだけどなんだろう、私はミュージカルの特長のひとつを作品内時間と現実の時間感覚の両方を自由に調整できること、言い換えれば音楽が持つ情動に直アクセスできる特性を利用して集中を切らせないでゴールまで引っ張る力だと思っているので……そこはちょっと物足りなかったかな……。
乱立和製ミュージカル(権利&翻訳ハードルの篩に掛けられていないだけなんですが)はだいたいこの物足りなさがあるので、まあ輸入までされてくるミュージカルでそんな感じなの珍しいなってだけなんですけども。それはそれで形態としてアリだと思うけど私はそういうのを音楽付き朗読劇とか音楽劇とかみたいだったなと受け取るので…………。朗読劇?ごめん某スペクタクルリーディングが商業演劇が提供する朗読劇の基準になってしまってるんだけどあれは微妙にちがうな?あれストプレとも違うと思うんだけどなんてジャンルになるやつ?


Q.内容の話 A.はい。

内容

言いたいことギュッ!とするとこんな感じ。良くも悪くもではあるけれどね、心理的な安全圏が確保できない状況で、異なる価値観を直視するだの変わるだのなんてできませんので。
ちなみにこの強者は「ラテン文字を使う言語の」とか「コーカソイドの」とか「キリスト教信仰が日常に溶けこみきった文化圏を”故郷”とする」とかを想定してます。


良いなと思ったとこから話しますね、いいなというか脚本家腹据えて頑張ったんだなと思ったところというか。私はこの作品のここがあったから拍手したよというか。いやよっぽど抗議の気持ちがなきゃカテコで拍手しないはしない*2けどさ……。私はあれを基本的に今見せてもらったパフォーマンスはあなた方の積んだ数十年があってのものですので、その研鑽に敬意を表してこの程度の欲しがりにはお付き合いしますよ*3の気持ちでやっています。そのぶん、演目中にあっすごーい!と思ったら双眼鏡下ろして場面かまわずその演者に無音の拍手をするとかはする*4けど……腹のあたりでちょこっと手を動かすだけでも向こうからは見えてることが多いのを某ぐるぐる劇場で学んだので……。

ぐだりすぎじゃん。話を戻します。

この作品で脚本家腹据えてるな……えらじゃん……と思ったところ、女性機長トイレ掃除共感で「理解る」ことへの拒絶の3つです。新しい価値観の提示と見えない差別の可視化と言い換えてもいい。

これらを”自然”と思わせるためには理由(というか補足というか)をつけないといけないんだな、というやるせなさとセットではあるけれども、それでもだよ。納得させるための理由付きだとしても、これが今の普通だよ(そうあるべきだろ?)と提示したことそのものに価値があると思うなあ。

なおそれらの人物が好みだったかどうかという話はしてないのでよろしくな。キャラ萌えするには躊躇われるほど説話じみた劇だったよ。説話が嫌いなわけではないし、これはそういうのにありがちなうわついた説教くささ(いつもホン書いた人間のドヤ顔と言ってるやつ)の臭いもないけども。その丸太*5は残してるの気づいてないの後者だと安心できる仕込みがほしいよと思う箇所もあったけど……。

女性機長

女性機長、私は彼女が説明やタメなしでさらっと出てきているところが一番の脚本・演出すばらしいねポイントだと思っているので、彼女(登場人物のほう)の具体的なあれこれについてはあまり触らないことにします。彼女を何らかの前置きなく(主役の重さでも悲劇のヒロインでもなく)一人物としてぽんっと出したことそのものに価値があるし意味があるじゃん……?

彼女が”当たり前にいる”ことに意味があるってのは、この機長が(登場キャラクターとして)好みかどうかとは無関係です。好みかと言われたらいや別にそこまででは……おれは架空存在だからこそ愛でられる性癖(本来の字義のほう)のいきものがすき……ではあるけどそういう話はしていない。めちゃめちゃはっきり声飛んでくるじゃんすっげえなとはもちろん思ったけどそれは濱めぐさんへの感想であって作品への感想ではないし。

機長のことは健全な自尊心と人一倍の克己心、恵まれた者の無神経および生存バイアスを相応に持ち合わせている人物だなと思っています。もっと掘り下げてヘキに刺さる(架空の)女について私の趣味嗜好のアレさを露呈してもいいんですがそういうターンではないので……。おれの(架空存在の)シュミは悪いよ強くて脆い愛の女(ただし架空存在に限る)の少女性が琴線ど真ん中な人間が品の良いヘキしてるわけないでしょ……。俺は好みの女がいっぱいでてくる'19メタマクの円盤化待ってますからね5枚くらい買ってこの女のこと絶対好きだからってオタクに見せて回りたいんだ。
脱線しました。戻ります。

女性の機長という概念に説明なんていらないよね?(これは現代の話だもんね?)を暗黙の了解のごとくお出しされたことに、これが新しい価値観ですよの啓蒙……っていうか、それよりもうちょっと強い圧のようなものがあったように見え、それに脚本家のひとがんばったんだなーを覚えたという話。えらたんだよ。

偏見が過去のものとなっている状態とは、そのバイアスに反する存在に違和感を覚えないことじゃないかなと個人的に思っているので。かつてはそうではなかったのだという情報を知識としてのみ残しているっていうか。残念ながら現実はそうではないからこそ、フィクションのなかで理想を普通の状態として描くことに価値と主張が出る……と思っています。わからんけどね、当該部分における作者の解説読んだわけではないし。


彼女の登場、そして物語内での役割にその”新しい時代の啓蒙”の印象があったぶんだけ、後半の独白長台詞にしょんもりはしました。人一倍克己心があったから女でも機長という責任ある立場になれたのだ、という理由説明を感じてしまって(たぶんそういう意図ではなかろうもんけど。と、信じることにしている。)

役者の演技はすごいなーと思ったけども、裏腹にそういう型に収めちゃうんだなーのがっかり感がね。ありました。女性機長という存在がここにいていいのはこういう背景があるからだ、という既得権益者の理屈。まあこの見方は私のジェンダーバイアスが投影されているだけかもとも思うけど。

でもさあ、衝動的でヒステリックな人物像を女性と性的マイノリティに偏って(これは後で掘るつもりだけど)持たせてる作品であの独白シーンが目玉として来ると、彼女は人一倍強くて努力家な行動力のある人だから(女性ながら)社会的に地位の高い職務についている、の答え合わせをされている、答え合わせしなければいけないほど不自然な存在なのだと言われているようで若干のしょんもりはしました。

まあね、事実として現代でもケア的な職種/業種でない女性ワーカーはこのジェンダーバイアス役割差別を食らうし、ジェンダーバイアスに殴られ続ける社会での成功者である彼女に人生を語らせるとしたらこういう偏見を向けられてきた(けど私は負けなかった!)が一番、彼女という人間の強さ、魅力になるだろうってこともわかるんだけど。わかるんだけどさあ。それは見た目を変えただけのマッチョイズムだよ。

強いから、諦めないから、そういう”男みたいな“特別があれば“女でも”一人前として扱ってもらえる。この21世紀においても女性という記号はそういう意味を持つんだなあというがっかり感はさ、あったよ。これは肉体の暴力性と既得権益による阻害に正当性を錯覚してしまう愚かな人類へのしょんもりです。

まあこの作品で女性に持たされてるステレオタイプに関しては、暴力的な人種差別を向ける人物像をすべて男性に持たせているのもそうじゃんというのも御尤もなので女性差別をそのままにしてるという気はないんですが。どっちかというと性役割を強化するステレオタイプ全般に「あれれー?(コ○ン君ボイスでご再生ください)」のフォローがないのが残念だった、が的確な言い方かもしらん。

トイレ掃除メン

トイレ掃除メン、これも同種のいっぱい拍手したいポイントです。
女性の住民が女性避難者にだけ協力を呼び掛ける歪さ、既存の性役割(掃除や事務などマイナスをゼロに戻す維持の仕事は女性の役割である)でできた場景を古い古い!と蹴り飛ばし、己のジェンダー観に気づいて居心地悪くなった人がいたとしてもコミカルさと勢いで流して飲み込ませるパワームーブ。男性が、社会的地位の高い職業の人間が掃除なんて変? 何言ってんだ現代だぞ! のパワーがあった。ありませんでした?

ばりっとした白衣にラバーカップ装備した男性陣が戦隊ものがごとく堂々ポーズ決めてる絵面の前にはなんかもう無意識の偏見に気づいたバツの悪さはどうでもよくなるでしょ。衛生、大事だもんな!と素直になれちゃうでしょあんなの。

避難所準備のとこでもトイレ清掃ボラ呼びかけでも当たり前として描かれる性役割に私はじりじりした嫌厭を覚えていたので、あーこの試みがしたかったのかなーの認識をした、が正しいのかもだけど。個人的にはゲイカップルや女性機長の出し方みたいな“当たり前にある存在”として扱うやり方のが総ストレス量少なくて好きではあるけど(私は茶番適性が低いためマッチポンプ感動作劇に「わざわざ嫌な思いをさせられた」という認識しか残らない)(有効かつ定番な作劇手法なのはわかってます、だから量産1クールドラマで頻出するんだろうし)、まあ、意識下にないジェンダーバイアスを視野の範囲に引っ張り出すには日常にあるこういうの→は古いよ!の段階が必要だよねは思いました。
外圧をかけられてはじめて己の思想や価値観に意識が向く*6ものですので、バイアスを意識させるためにはそこを刺激しなきゃいけないよなーと。

この場面は全体的に新しい価値観を受け手が呑み込みやすい形で描いたんだなーという印象なんですが、それと同時に、「衛生観念には人一倍気をつかう医者だから、彼らは男性なのに積極的に掃除をするのだ」の理由付けがないと男性がボランティアで掃除をすることが(お話として)自然には見えないという判断(あるいは脚本家自身のバイアス)があったんかなという気持ちも発生しました。まあでもこれもさっきと同じ、現状はそうだろう?と言われればそうですねとしか言えないやつです。

衛生観念がしっかりしてる医師だからの理由がなければ、ホワイトカラーの白人男性(、かどうかはわからないんですけどね日本版だとね)が積極的に清掃奉仕をするのは不自然に見える、そういう判断をされたんだなと思ったし、まあ、世界の認識として強ちずれてもないんでしょうね。そんな世界ぽいずんだぜ。

ところでこの作品とは全く関係ないんですが怪人と探偵*7の病院謎場面ダンスはたぶんこの白衣戦隊みたいなエンタメ性が出したかったんだろうなと数年越しに頭をよぎるなどしました。新しい価値観だよね!をするからゲラって見られるんであって、昭和の時代の偏見ステレオタイプを滑稽の色で呑ませようとされたと思ったからあれに強い不快感を覚えたんだなと。余談終わり。

この白衣戦隊のセンターにいたのが確か吉原さんだったと思うんですが(違ったらすみません)、そのことにこのホンは演者へのヘイト管理がじょうずだなあ(あるいは、よく気を遣って組まれているんだなあ)と思ったりはしましたね。吉原さんにあてられた人物で印象が大きいの、奉仕する善きユダヤ人とあともう1人、「英語で話せよ!」のレイシストだったので。私は。
レイシストと言ったけどたーぶんあの人物そのものはそんな完全悪なんかではなく、どこにでもいる普通の人して描かれている印象があった。どこにでもいる普通のヨーロッパ人、「公衆の場」では英語で話すのが当然のマナーで気遣いだって傲慢な勘違いが、自分でも気づいていない意識の底のほうに転がっているありふれた人間。そんだけにヘイト感情が向きやすい、こいつが愚かなのであり自分はそうではないという転嫁の矛先になりやすそうだなと感じたので、ヒーローの役割もやらせるの配分がじょうずだなあって思ったんですよね。

被差別側なのに差別する集団にも愛(キリスト教的な。)を失わないユダヤ人。見えない差別をなんなく蹴飛ばす、おれらに相応しい(≒自分はこちら側だと共感・感情移入がしやすい)ヒーロー。差別する者とされる(されていた)者、差別の前提を壊す者。この3つを1人の役者に宛てがうの、視野が広くてバランスの取れた役当てだなと思いました。

異教徒迫害シーン

迫害って言っちゃった。でもあれは迫害だよ。
私は勝手にあの人物の役割は悪意のない差別の可視化だと思っているけどそれは後でやる。今は害意のある差別の話をします。

共感でわかることへの拒絶。拒絶というか否定というか。私これ後半~終盤の「あなたにはわからない」を指して言ってます。
最初に言っとくね私の西欧中心主義およびキリスト信徒への鬱屈が詰まってるよ。

この作品への印象が観客を騙し討ちしない娯楽に収まる範囲で新しい価値観を啓蒙しようとする試みを感じるVS都合悪いものを存在ごと見ないで済ませられる西欧の傲慢……でぐらぐらしてたところ、この脚本家を信頼したいへ針が大きく振れたのがここで。
「あなた達にはわからない」の拒絶がなかったら印象ややマイナスどまり、新しい多様性の時代を啓蒙しようとする気持ちは感じるけど旧態依然のステレオタイプがそのままで強者の傲慢が強かったよね、で終わりにしてたと思う。
同調、理解、共感、色は何でもいいけども。傍観者(真に全くの傍観者なのか傍観者気取りの消極的加害者なのかはともかく)が宣うあなたの辛さをわかってあげるというお慈悲を、迫害された被害者には拒む権利がある*8と提示したの、しかもキリスト圏での上演を前提にした作品で、提示の行為そのものが「キリスト教圏でこれやったの……!?すごいね!?脚本家いっぱいえらじゃん……」となりました。対比によって見えない差別を可視化したのもえらじゃんなんだけどそれはまた後で。

ちょっと話が逸れまして。日本のプロテスタント教会だけの傾向だったら大変すみませんなんだけどさ、キリスト信徒って他教徒の存在を“許容”してるよって言いたいときに「見た目の形が違うだけで私たちと同じ神を信仰しているから」って理屈を使いがちなんすよね。地域と宗派*9の違う複数の教会の牧師さんが同じこと言ったので、私の聞いたそれがひどく尖った(偏った、でもいい)見解ってわけではないと思ってる……んだけど、日本のプロテスタント独自文化だよだったらおしえてください。
良く言えば*10共感による受容理解であり、悪く言えば他者の信仰を自分らのそれの亜流として”(正しい方法じゃなくとも)志は同じだと認めてあげる”おこないであり。(演目も作品もエジプト人の彼も関係なく)私個人の所感としては、俺の信仰心を自分の宗教の正当化と教化の材料に使うな西洋中心主義も大概にしろよと思っている傾向なんですけど。
まあそんなこんなで、私はキリスト者の言う「異文化理解」とか「異なる価値観の受容」を基本的に形は違うけど同じだよね、わかるよ!だから仲間にしてあげる、だと認識しております。ここまで前提です。……いちおう言っとくけど別に嫌いじゃないよキリスト教のこと。キリスト信仰やその価値観を正しい進んだものとして“未熟で”“野蛮な”非キリスト者に押し付けてくる(きた)信徒の言動傾向にうんざりするだけで。(もちろんそうでないマンもいるが、教会内職場内の自分らが多数派の環境でそうならないよう律せているマンは日本ですら少なく、況やキリスト教圏ではだと思うよ私は。)

キリスト教信仰が当たり前の国でこれを書き、山場のひとつとして真正面から突きつけたのほんとすごい胆力だと思う。屈辱だろうとか辛かろうとか恥だ怒りだの共感理解に逃げるのさえ許さない、あれ日本でやるのも消費カロリー高そうなのに同じ神を信じているから同じ人間として扱う(そう扱わないと、神の愛を受ける権利があるものを蔑ろに扱ったことになる)、が人倫規範の土台になってるような宗教国でやるのすごない……?
私はラストシーンでの彼の描写*11に若干のもにょりはあるんだけど、ここまでやったらヘイト管理のフォローとして必要なんだろうねともなりました。あんな酷い目に遭わせられた、迫害と言っても過言じゃないぐらいのことをされた彼が我々をゆるしてくれている、のに、私は自分のプライドを守るために彼を忌避するのか、の逃げ道かつ他を塞ぐ背水を用意されてないと受け入れがたいんじゃないか……?

その人物を投影された演者を守る*12のにも、(迫害さえも赦してくれる)底抜けに優しく友好的なままの無害で“愛せる”異教徒*13として〆るしかないんだろうなとは思いました。強者の傲慢だと思うけどそこに是非を言う気はないです。強者に媚びて阿らないと問題提起すらできない現状がぽいずんなんだよ。

あのこれ念を入れて言っておきたいんですけど、私がこのホンのここに強く関心を持ったことと登場人物がヘキに刺さるかどうかとは別の話ですからね。女性機長のときも言いましたけども。
電話場面でのニュアンスの伝え方にあっすっげー!てはしゃいだけどそれは田代さんへの感想であってエジプト人の彼への感想ではないですし。……この呼び方が人種でひとを見る物言いの典型だよなの自己嫌悪はあるんですけどごめん名前を聞き取れなくて……。正しくは聞き取ってはいたんだけど咄嗟に綴りかスペリングが浮かばないと固有名詞を短期記憶にしまって持って帰ることができないマンで……私が……。

その一方で、というか、ここまでちゃんとやったからこそというか、女性機長のときと同じ不服はね、あります。作者も演者も作品もなにもわるくなく、あえて言うならこんな世界の現状がポイズンだよということなんですが。
彼が白人の国家にも個人にも有益で友好的な社会的地位もある忍耐強い男性だったから、……先にごめんするけど本当に差別的な言い方するから、初演の主な客層だろうホワイトカラー*14西欧人にとって人種と信教以外に一切の”瑕疵がない”人物だから、あのささやかな抵抗を(私の内面をあなたが物知り顔で理解ることはできないという最後の尊厳を守る拒絶を)物語の一滴としてゆるされたんだろうなという妥協ラインの質感が……どこまでも“白人に都合がよい切り貼り”をやさしい世界だと描くそれがおれはきらいだよ……。
言ったぞ!言ったかんな差別的な言い方をするって!俺があの彼の人種と信仰を瑕疵だと思っているわけじゃないですそんなわけないだろ俺も黄色人種で非キリスト者だよ。自分のルーツと信仰を瑕疵と思うような洗脳は受けてきていない。いや私の話はいいんですよ。

所謂”良きムスリム”だから人格があることを受け入れるし迫害されてたら同情される(そしてそれを拒む権利をそうだよねと受け止められる)“やさしい世界”、一見美談のように聞こえるが、裏を返せば(善良で無害で利をもたらす、強者にとって都合の)良いムスリムでなければ受け入れなくていいと言っているのとおんなじだ。そんなの現代の文明国家でする人間の扱いじゃないよ。どんなげすやろうでも保障されなれけばならず、剥奪されそうなら周りも全力で抗議しなければならないものが現代国家における基本的人権の考え方じゃないのかね。
だいじょうぶ?これ私の言いたいこと伝わるやつ?……いやなもしものたとえ話をしましょうか。

ケビンくんいたじゃないですか。……2人いたな。エジプト人の彼と同じ演者がやるほうのケビンくんです。もし、あの迫害を受けたのがケビンのような性嗜好や社会的地位や立ち振舞いの人物だったなら、同じように受け取られたと思います?*15
私はね、絶対にあってはならないことだけど、でもそうは受け取られなかったと思います。
繰り返すけど人種・信仰の差別が容認されるかどうかが被差別者の行動や印象や社会的地位に左右されるなんて 絶 対 に あってはならないですよ。でもそうなると思う。

……弁解しますけど私はめめケビン*16のことを一歩を譲る余裕が削げている状態の、普段は他者への礼儀も恋人への愛情も持ち合わせている普通の人*17だと思っているし人物として特に嫌いでもないですからね。
嫌いでもないっていうか、LNDラウルやSOMLトーマスのナーバスさ(相手を想う気持ちはあるのに傷つけず振る舞える余裕がない)やスリルミ彼の傷つけ支配する甘えに大はしゃぎするのにめめケビンのそれが口に合わないことあるわけないじゃないすか……。人物として好きではないがヘキ*18にはまあまあまあ刺さるよ……趣味嗜好の悪さ大開陳するのであんま言いたくないけど……。
話を戻します。

国際的な調理責任者という社会的地位のある、どんなに酷いことをされても白人に対して(個人にも集団にも社会にも)誠実で友好的な姿勢であり続けた、それなのに。

その条件がつかないと問題提起としての描写そのものができない、それが現実そうなのか作者が警戒しすぎなのかはともかくとして、この人物は我らにとって絶対的に安全で無害な存在である*19とここまで線を引かなければ、観客は彼の受けた迫害を謂れのないひどいことだと直視することができない。そう判断したからその脚本なんだろうと思っているんですが。私はここ(される側にしか見えない差別の可視化)に関してはこの脚本家を信頼すると決めたので。

その話をしてるんだけど話がずれるんだけど別の話していい?するね。
私ねえ、あの迫害に対しての「仕方なかったとはいえ」みたいな見解きらーい。嫌いっていうか、ファクトフィクションの(完全創作であっても)現代劇で提示された今もある差別に言及するのにちょっと脳直で喋りすぎじゃない?と思う。
別室検査の担当から異性を外す、ベテランでもない記録係1人入れ替えるだけで彼の(最低限の)尊厳は守られたんだぞ。仕方がないなんてあるもんか。
その申し出を言わせなかったか伝えられたのにないことにしたか、どっちかが起こらなきゃあの事態にはならないんだよ。どちらでも迫害だからあんまり変わんないんだけどさ。強いて言うなら前者が人種差別で後者が宗教差別かなとは思うけども。
SSSSに回されたとか降りるときにも検査させられ陸の孤島(失礼)で1週間過ごしてた後に何か出るわけないとかは差別の現状として2024年なうでもせやろな実在するやろうなでしょうけど、これが山場にされてるのはそこが理由じゃないと思うけど。
言葉が通じて無抵抗な一個人を、心*20と意思のある人間として扱う気がなかった。から、あれは迫害たるんじゃないの。

見えない差別の可視化

分けましたの先です。
エジプト人の彼(彼の名前は「アリ」だと教えてもらったので以後それで。)の、彼にライトが当たってるとき持たされている役割は、差別してる側にそのつもりのない差別の可視化なんだろうなーっていうのは思っていて。
なので、私はアリやその周りの描写に対し、脚本家が意識している差別や偏見と、彼らでも意識に上らなかった(あるいは娯楽の体を取るのなら“今のアメリカやカナダでは”描写できない)それらなんじゃないかと認識しています。

正しく言えば女性機長にもトイレ掃除メンにも似た認識なんですけど、アリまわりの描写に関しては迫害シーンとそこ以外の差別/偏見を一緒くたにすると話がぶれるので……。
私はあの場面に関してだけは、アリが社会的地位ある良きムスリムでなければ客が受けとめられもしないからあの設定と決着なのだと信じることにしたんですよ。僅かな瑕疵もない人物として描かなければ、演者と、もしかすると民族や人種全体に“なんとなく好きになれなかった”の薄くて致命的な*21反感が向くというのが、ホンと曲をつくった彼らの肌感覚なんだろうと。

話を戻します。見えない差別の可視化でしたね。
入国審査の対比や電話待ちの場面(こっちは明示的だったけども)で”(差別者には)見えない差別”を可視化したの脚本がいっぱい頑張ったなと思います。特に前者のシーン。
禅さん演じるイギリス人(ニック)の入国審査に直後にエジプト人のそれを置いて、話を全部観た後で振り返れば気づける仕込みを作ってるのよね。その瞬間では確定できない逃げでもあったわけだけども。
ニックは機内での心情語りとダイアンへの言い訳で、見た目の情報を抜いても「国を跨ぐ出張が多い」「社内・社外ともに能力評価は高そう(引っ張りだこ&機内でも仕事に忙殺)」までわかってるんだよね。
一方のアリは、ここで初めて国籍がわかる程度の情報しかない。アリの人間性はもちろんだし、社会的地位も渡航経験(よく知らんけどパスポート見れば過去の旅行歴わかるんですよね?)もニックと同じくらいにあり、人種以外の違いがないことはまだわからないんですよ。
だから、渡航理由「仕事」の後にやたらそれを強調する不自然さや受付の態度の悪さや疑念が、アリの旅行の不慣れさによるものか積み重ねた経験によるものか(それとも彼が犯人だからか!)は、客席からはまだ判断できない。
アリという人間が失わない底無しの友好と許容を十分見せてからじゃないと、“我々(ではないが。日本版では。)西欧人”のこの仕打ちが見た目と国籍だけによるものだと突きつけらんないと思ったんだろうなと思っています。

変でしょだって。テロ発生直後の高緊張下で、他の便にも関係者が乗ってる可能性が高いと思われてる最大厳戒態勢だったろう着陸時よりもさ。そこでの検査を通過して不時着さながらに辺鄙な町で過ごして、そこでも無害なヒューマンだった1週間後の搭乗時のほうが念入りな身体検査されてるの。人種差別で両方SSSSに回されたとしたって、検査の厳重さは普通は逆じゃない?
……これ、初登場で(客の)アリへの好感度が足りないから描写が入れられなかっただけで、着陸時は同じかもっと酷いことされてた可能性もあるんですが、というか順当に考えればその可能性のが高いんですが、この脚本は全体的に見ようとしなければ見えてこない差別に色んな種類と形で意識を向けさせているわけだし、……それを直視すると地獄耐性高めのおれも心がちょっと折れるので今は目を逸らしていいかな……。
避難者のなかでも落ち着いてて町の人にも他の避難者にも格段に大人な対応をしているアリの1週間は何時間も閉じ込められた極限状態であれより酷い仕打ちを受けた後にはじまってますと言われたらどうすりゃいいんだよ。*22そんなこと言われたらヒトの心薄めのおれだってホモサピの惨たらしさに思いを馳せて泣いちまうぞ。

アリが(嫌な言い方するけど)何をされても譲歩寄りのアサーティブを貫き加害をしてこない“良きムスリム”であるのしつこいぐらいの描写がなければ、不当に信仰*23を踏み躙られる彼を瑕疵のない全くの被害者として受け取らせられないと思ったんじゃないかなあ、とはさっきの小見出しでも言ったけども。
これほど可哀想な、この言い方するのは迫害という事象を感情論にすり替えるやり口じみててかなりヤな気持ちもあるんだけどそれは一旦おいといて、あのシーンからそんなに間がなく“彼はそんな目に遭ってよいような人物ではない”の空気が一番強いときだから駄目押しになる対比の最後のカードを見せてよい(キャラクター、ひいては国籍や人種や信仰への忌避感を残さず終われる)と判断されたんじゃないかとは、……ちょっとだけ思ってるよ……。
駄目押しっていうのは、見た目と国籍を考えないならアメリカで家庭を持ってて*24車を使う*25アリのほうがニックより社会的な信頼度は高いまであるってことです。
家に帰りついた人々の小独白、覚えてます?私は時間経っちゃってて台詞の細かいとこはあれなんだけどさ。アリのそれは確か「(学校に送っていった)娘が入りたがらない」「中に入るのがこわいって言うんだ」「(娘に)どう言えばいい!」なんだよね。車を使うし娘がいるしその子とも良好な関係を築いているんだよ。ハンナと彼だけ事件と地続きの日々が続くんだなと思ったので大凡これと離れてはない……はず。
話がずれたな……いやそういう話をしたいからずれてはないんだけどex.提示ばっかで進んでないな……。

奇しくもオスカー賞?(アカデミー賞?ごめんヨーロッパの映画番付以上の認識がなくて。)で男女受賞者ともがアジア人アンバサダーをボーイがごとく扱い、意志ある構成員のひとりだと無自覚差別をした上に、そっからの握手フォトで差別そのものを揉み消そうとするダメ押し*26をしてみせましたけれども。あの劇を観た後にあれを見たことで、アンバサダーが白人だったら同じことが起きただろうか(おそらく、あり得なかっただろう)とはじめて意識に乗った人もいるんじゃないかなーと思う。
もし、演劇を作る側でも観る側でも、そういう人がひとりでも増えたならば。ある意味では成功だったんじゃないかな、あの作品は、と思うのだ。
(これから偏見を強める側面もあるよねこの作品ねという話をしようとしているのにずいぶん面の皮が厚いことだよとは自分でも思う。)

 

 

*1:……ごめんけどだってけっこうな数の人が手に余ってる瞬間あった(1つか2つかの人物を把握して組み上げる、メインキャストのやる普段とは違うスキルを要求されてるだろうのでしょうがないのだが。)ように見えたよ……。

*2:双眼鏡は構えたままだがそれはゆるせよレンズ通して光量調節しなきゃ見えないんだよ眼球がだめで。

*3:前はもうちょっと感情をこめていたんですが、某アナスタシアの退場アナウンス流したんだけどあなた方の熱意に応えてもう一回出しますねの茶番に疲れ果ててしまって気持ちを入れるのを止めました。劇場指示に従わなければいいことがあるを繰り返し学習させられる時間に何らかの気持ちをもつの疲れて……。

*4:だいたいアンサンブルさんかバンドの方にですが。メインキャストには客席からのファンサちょーだい!がいっぱい飛んできてると思うし、私はあっすごーい!おにーさん/おねーさんのこと、名前存じ上げないけど今のすごかった!すき!を自己満で発散したいだけだし。

*5:マタイによる福音書7:1-5

*6:己の持ってるバイアスを四六時中意識しようとしてたら早晩発狂すると思う。処理する情報量を減らすためのフレームワークがバイアスなので。

*7:幕間で「帰ろうかな……」を真剣に悩んだ、そして休憩終わって着席したら1幕より視界が開けていた(婉曲表現)唯一のミュージカル作品

*8:彼はエジプト人だとか異教徒とかの属性以前に人格と感情をもつ一個人で、同情で満足するために消費される謂れはない

*9:カトリックから分かれ出でたもの(のうち聖書と使徒信条と三位一体を共有するもの)をすべてプロテスタントと呼んでいるので中は色々あります。ってバプテスト派の牧師さんが言ってた。

*10:私はこれを良いとも善いとも感じないが、社会性動物にとって自然で容易な概念受容の形式のひとつではあると理解はしているつもりです。あなたもわたしと同じだよね、”だから”あなたも仲間だね。共感という同調衝動のことをひとは社会性と呼ぶ。

*11:避難所での最中も別れた後もあんなひどい仕打ちを受けたのに、水に流して「よくしてくれたこと」だけをあの日々の思い出のように扱い好意を表してくれる。

*12:暗に自分も責められているようでモヤっとしたとして、その鬱屈があったと言うことすら憚られる(自覚してない偏見や差別心が自分の中にもあったと宣言することになるので)状況で感情に始末をつけるには、「された側にも責任がある」か「俺はこいつ嫌い」に転ぶのが最も平易ですので。

*13:心情としてはこの6文字に「にえのこやぎ」のルビを振りたいぐらいですが流石にね、自重はね、します。

*14:white-collar、流石にこの単語を知らない大人はいないと思いますが、肉体労働でない職に就いている者のことです。肉体労働者をブルーカラーと呼び差別するのをオコするニュアンスで出てきた認識があるけど違ったらごめんね。

*15:幾つもの国で力を発揮する優れた職業人ではない(secretaryが劣った職と言ってはないです。念のため)、ヒステリックでナーバスを隠さない、他人にも身内にも穏和で友好的とは言い難い人物だったら、見えない迫害をした側と同じ人種の観客はその迫害を同じ重さで受け取っただろうかという意味です。

*16:めめケビン、勝手に言ってるこの呼称もまあまあ差別的なんだけど、でもあの人物はその役割を持たせられてると思う。

*17:強いストレス下において無害な刺激で気を紛らわすより少しでも刺激を遮断するほうが楽になれるタイプの彼が、好んでいない(らしい)し行きたくもないどんちゃん騒ぎに彼氏が僕と一緒に参加したがってるってだけの理由で「……1時間だけだからね!」を選択したの、そして参加してる最中は(内心はともかく)楽しんでいますの立ち振る舞いで場の人々と会話してたの、私はパートナーへの愛情と町の人々への礼節を持ち合わせたいきものの言動だなと思いました。メンタル削れやすく、またダメージ受けても譲歩できるだけの安心の土壌も少ないからナーバスな面が見えやすいんだなと思う。

*18:行為の罪はそいつの責だが他の選択肢が見えないとこまで追い詰めた環境と状況までそいつの罪と責めるのか?

*19:余談ですが。無害であるというのと無力であるというのはひどく似ていると思う。自分に害をなしてこないと見くびっても安全な相手を、もしくはそのように無力化したい存在をこそ、人は「可愛い」と呼び愛でるんだよ。SLAPSTICKSの感想でも言ったけども。おんなのこ(年齢概念をはらまない用法)の使うカワイーは加害性のある何なら実害もある対象からせめて心を守るための防衛機制なので因果が逆ではあるけど。

*20:私見だけど、キリスト信徒において心とは信仰心の根ざすものを指す傾向があるなと思う

*21:ある属性を持つ者をそう自覚しないで軽んじるという現在ある差別を意識させることと、“その属性を持つキャラに嫌な印象を持った”が同時に起こるの、現状に対して致命的な悪手だと思う。前者の行いって、その属性を持つ者を「子供のように未熟ではない、同じ重さの意思や判断力がある人間として知覚させる」ことに近いと思うんですよ。見えていないから差別をしてる(=軽んじている意識がなかった)人々がその属性がある人間も社会に出てりゃ自分で自分のケツが拭ける一大人だと“気づいた”最初のタイミングで、その属性の人物に「なんとなく悪印象のある存在だった記憶」を持たせることになるわけです。……私がストーリーテラーだったら状況発生そのものを避けますよ、自覚ない軽視がステレオタイプの偏見に変わるだけ、“なんとなく嫌い/苦手”を植えつけるぶん差別の助長にしかならないから……。

*22:この人物の中の人(って言い方も変だけども)は制作側のキャラ設定とか客に持たせたかった印象とかの“作る側が定義する正解”を(業界のコンサートで見る限り)相対的にあまり口になさらない役者さんなんですが、これに関しては確定設定で演者やカンパニに共有されてますとか万一にでも言われたら脚本家らの想定するヒトの残酷さ度合いに立ち直れなくなってしまうので万一よしんばそうだとしたらもし持ち出すにしても2年後とかにしてほしい。ごめんけど今このホットタイムに出されたら私のメンタルが西欧ヘイト過激派に向いてしまう。

*23:信仰、ゆるふわ多神教のくに日本だとそこまでだけど、一神教系の人と話してると特に人格の根幹とか人としての尊厳とかと同程度の重さがあることが多いと感じます。個人的にはね。

*24:“いい歳して独身”、日本より西欧のほうが半人前扱いされるぞぃ

*25:アメリカで公共交通機関を使うのは運転免許を持てず送迎を頼める相手や金もない、訳アリの人間のみなので非常に治安が悪いと何かで読みました。

*26:これに対して「私は差別主義者ではない、その証拠に黒人の友人がいる」(仮にも「友人」を肌の色でラベリングする考え方がまず差別的なんだけど当人だけが気づいていない)の焼き直しじゃん、この21世紀にとコメントしている御仁を見かけて教養だなあと思いました