つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

日本上演カム・フロム・アウェイ感想、の、いち。

感想っていうか、……まあ感想か。
これ承前でお願いしますなんですが、私これから人種差別用語をそこそこ多用する気がするんですけどわかってその語を選んで言ってますのでそれはよろしくお願いします。オール「そういうことでいいんですよね、フィクション世界の話じゃないんだぞ」です。

えーと内容じゃない観劇感想をまずよろしいです?史実モノなのでこれだけは言っときたいんですよね私ね……。
※ここにキレすぎて内容に入れませんでした。内容はこっち
 
日生1階にあった展示(他会場でも置いてるのあれ?)、ねえなんでアメリカ側から見た記録を『真実の歴史』としちゃったんです?アメリカ寄りでなくてもだ、相手国寄りでも第三者視点でもです。
国際的なテロ事件について、ひとつの切り抜き方を「真実」と軽々に言い切る意味を本当に考えました?見た瞬間に背筋が凍ったよ……。

追記補足(↑) 内容読んだのか読んでないのか「こいつはパネルの内容が間違っていると言っている」と勘違いしたマンに絡まれたので先に言い足しますが、私は提示情報の真偽なんて話はしていないです。
何を書いたかだけじゃなくて何を「書かなかったか」も思想が出るんですよ、ことニュースや記録においてはそれが暴力になりかねないってとこから復習しなきゃいけない大人もいるとは思ってなかった。

何を「あった」とするか、まして「正しい/正確だ」とするかなんてめちゃくちゃデリケートなところというか、極論言ってしまえば史実モノの当時情報や背景の共有って作品そのものより気を遣うとこでさえあるんじゃないかと思う*1んですけど、強者*2の「事実」を真実と言っちゃうのもうちょっと配慮が必要なところだったんじゃない……!?何を「事実」として紹介するかでさえ表現と内容にかなり気を遣わなきゃいけないとこだと……思うんだけど……。

私エンタメ業って物語や言葉選びが受け手に与える影響が大きいってことを他の誰よりもわかっている(だってそれを売って食っているんだから)と思っていたんだけど……買い被りでしたか……
”true history”や"the truth"を直訳しちゃったのかなと思うんだけどさ、同じくデリケート史実演目のアリージャンスではもうちょっと頑張れてたじゃないですか……。
 
いやあのね、アメリカ上演でならこのワードチョイスになっちゃうのもわかるんですよ、当事国が自分らに都合よく寄った、それを言いすぎとするなら自国から見た歴史観を「真実」と言うのは、中立ではないと思うけどまあまあわかる。それが、まあ、愛国というものだと思うし。だから自国史と世界史の両方を学ぶ必要があるんだし。
自国でのまとめは自国に都合良い切り抜きと解釈がされている(たとえ事実の集合であっても!)だからこそ相手国のそれを見て自国のそれを心を守りつつ(目を逸らさない、価値観を変えるという行為は、安全圏が確保されていないと行えない。)振り返れるわけで。
当事国でないマンは当事者2国の見解と第三者の見解を併せて見ることで多角的でより客観に近い「出来事」を知ることができる*3わけで……。

私ぶっちゃけ社長が変わってからのホリプロの好きじゃないんだけど(共有地から「収穫」するのみでその維持をする気がなく見えて。)この瞬間だけはこのあまりな無配慮がホリプロだからであってくれ業界の肌感覚ではなくあってくれと願ってしまったよね何故なら今年はこの後にWWⅡ題材ミュージカル*4が二本控えてるから。
 
国単位で言えば当事国でない、肌の色という最も目に見える人種単位でいえばアメリカで“ない”側の(そしてこの作品の解説においてはテロした奴らとより近いに加え、差別の被害者に近しい側の、のニュアンスをはらむ)人が多い日本がそれ(西欧から見たときにやさしい世界と感じる情報の切り抜きを「真実」と定義する)をやってしまう*5、しかもエンタメを売ってる企業が悪びれもせず、これが本当に恐ろしかったという話でした。
普段なら実話題材の作品を完全創作と同じノリで扱っちゃういつもの無神経かで終わりでもいいんだけどさ(言うて独自言語の島国だし……)、今の、この国際情勢でその選択をしたの、……そういう立場表明でさえないならちょっと恐すぎるよ……。
どうしよう内容に入らず2000文字いきました。でもこれ本当にあの日いちばんに恐かったところで「ホリプロ上演ミュージカル カム・フロム・アウェイ」で最も衝撃的だったところなんだよ……。

ごめん内容の話するのまた別にでねでもいい?
→書きました。途中まで。

*1:日本人、に限らずかもだけど、日本人は演者と登場人物の人間性の混同はしない傾向が強い一方で、創作としての経緯と題材事象の事実との完全同一視には陥りやすいよね。印象操作と思想誘導をしやすい性質だなと思います。蛇足だけど私が日本版および韓国版スリルミの出し方、実在事件であることは述べるが名前から何から切り離しまくって(同一視すべきでない)完結したフィクションとして扱えるようにしていることをよく考慮されていると思っているのはこのあたりです。聖書・礼拝・神の国が生活と人格に染みついていない民族には、ユダヤ人の金持ちがそうでない子どもを殺したって事件のニュアンスを肌感覚で捉えることはどうあってもできないと思うし(付け足された創作部分があのオチだし。『私』は『彼』を愛してる限り煉獄行きだけどそのニュアンスも伝わらなかろうし)、それならフィクション性を上げて殺人による不可逆な変質をだけ持ってくるほうがよっぽど配慮してあるんでは。

*2:私この「強者」についてはアメリカの、とか英語話者の、ではなくて「アルファベット言語圏の」「コーカソイドの」「キリスト教信仰が生活に溶け込んでいる地域に属する」をイメージしていたんですが、もしかしなくてもしっかり認識共有しなきゃ伝わらない箇所でしたね?

*3:ゆえに私は日本でWW1~WW2周りの演目やるの賛成じゃないんですが。日本のいまの創作、その時代ドンピシャ舞台背景でもそのあたりが綺麗に排除されてる(から、よその国の創作を見て思想が強いなと感じる)ので……。当時の自国の歴史観がないができてないのにそんなことやると、相手国への感情が強烈に悪化すると思うな私……。天秤の一方に乗っているべき自国観の錘がない。

*4:私はあれらのこと、ここ30年弱で大正〜WWⅡの国際情勢や国内の肌感覚をあらゆるエンタメから排し続けてきた(こまつ座の喜劇寄り演目でさえ思想が強く見えるってそういうことだと思うよ……)日本には演って平気なだけの土壌ができてないよと思っているけど……。「しょうがなかったと考える自国に都合の良い歴史観」を持つ情報機会さえなかったのに、相手国側のそれだけを向き合うべきものとして押し付けるの相手国への嫌悪感情を煽る悪手になりかねんと思う……。そこのフォローをするために相手国側の価値観としての作品を書き換えるのはもっと悪手だし……。

*5:題材がセンシティブなだけで提示情報はそうじゃないじゃんって思ったマンがいるっぽいので(絡まれたので)1個だけ確認したいんですけど、万が一「この世界の片隅で」で同じことが起きても同じこと言うんですか。WW2は、原爆は題材なだけって。私はそんな恐いのヤなんだけど……。