つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

M.バタフライを観てきました。

はじめに言っておきましょう。特定の個人団体宗教思想に賛同および否定する意図を持ちません。
また、受け手の感想、個人の解釈であり「制作側が意図したものを正確に掴む」ことを目的としていません。私の物語鑑賞はお出しされたものを好きなように取り出し並べて自分の見たい絵を描くものなので、予めご承知おきくださいね。
 あなたの見て考えたものがあなただけの真実です。


こう……1幕からずっとおぼえてた情動をしかしこのワードはツイッターでは流せないなと黙っていたところ限界に達してスペース開催したりしたアカウントがこちらになります。そのおかげでだいぶテンションが落ち着いたのでたぶん大丈夫です。本当か?
観劇したての新鮮な悲鳴はこっちにあります。

togetter.com


これがどういう話かとか歴史的背景とかの解説は詳しい人にお任せするとして、私は私が楽しいなー好きだなーと思ったところを話すんですが(前置き)、私がヨーロッパアメリカやキリスト教徒のこういうところが傲慢で我欲的で自覚さえないのが大っっ嫌いと思ってる*1価値観が綺麗~に詰め込まれてて大興奮しちゃった。もうあの提示される傲慢さ、傲慢なのは自分たちなのに当たり前に対等に接してくる中国の人々を「傲慢」と笑い合う『知的』で?『寛容』な?パリの白人(作中表現ママ)どもが不快で不快で不快で一周回って気持ち良くなっちゃいましたよね(賛美の表現です。)

ソンが最初に登場したシーンで「逆だったらどう?」「金髪の馬鹿な女がちびの日本人に~」と切って捨てるなど、『制作側はわかってこれを見せている』『よいもの、正しいものだと肯定しているわけではない』をはっきりお出しされていたので安心して不快さに酔えた。こないだツイッターでみかけた「安全に傷つくことができる」の話ってこういうことだよなあというか。
自分が直接脅かされることのない、安全な場所から娯楽として消費できるからこそ、そういうものが『ある』のと向き合って理解しようとできるんだよ。

この話や登場人物に何らかの性的興奮を覚えたわけではないんですがこういう、不愉快が一周回って気持ち良くなってくのを、鬱○起ってこういうのを言うんだよなと、見てるものに対する言語化した感情と体感してる情動の食い違いを味わいながら思っていました。このワードはツイッターでは出せないなと思いつつ。前後の文脈が切れるツイッターで言ったら最後、ソン・リリンの身体を使ったあの演出(複数あるうちのいずれか)に性的興奮を覚えたんだと誤解される未来しか見えない。違います……「女優ソン・リリン」の所作は美しかったけどそういう対象にはしてないです……。
私は愚かな人類が大好きなのでリリンちゃんの「私は貴方のバタフライ」にははちゃめちゃに興奮しました。「理想の女ソン・リリン」という幻想を作品として与えていたはずの彼が、己がルネに何を見せていて何を壊したかも見定められてなくなってるの、サイコーだよ……。


○ルネとソン・リリンの話をしようか。

「理想の女」と『真実の愛』の話。
さっき言った状態で1幕を過ごしたために不愉快な人間どもの不愉快さを見下ろして気持ち良くなる楽しみ方を決め込んで観ていた2幕、ソンが「理想の女」の幻想をはぎ取った後のやり取りで心が洗われました。まさかこんなものまで見せていただけるとは……えっ、いいんですか?人類の醜悪さを極上の味付けでお出ししてもらった上、デザートにこんな綺麗な偶像の崩壊まで食べさせていただいても?と目を白黒させながら浴びましたね。気分はフォアグラ用の家鴨です(賛美の表現)

あくまで一個人の感想なんですけれど、さらに二人の人間のあいだにある関係性をジャンルの枠に嵌める時点で強調や単純化をしている感想だと承知の上で聞いてほしいんですけど、私はこの二人の関係をひとつのジャンルだけに振り分けるならBoysLoveというよりDom/Subユニバースだなと思うんですね。もっとぴったりした言葉があるんだろうけど二次元沼の住人の語彙からはこれしか出てこなかった、すまない。
※性的マイノリティの恋愛観とBLを同一視すべきでないように、BDSMとDom/Subユニバースも別の物です。

ルネの中にあったぼんやりした女性像にソンが触れられる形を与えた「理想の女」、あの関係を突き詰めた先にあるのは男女の愛のひとつの形、ではなく、支配と従属だと思うんです。支配と従属も男女の間に生じる愛の形のひとつとしてないわけではないけれども、あの2人は支配と従属の関係を突き詰めた先をこそ理想の女に投影しているのが、なんだろう、歪だなって。
ああいえ男性性の歪さとか西欧の卑怯な傲慢さとか、そういう話をしたいんじゃなくて。自分の価値を自分で信じられないから、全てを肯定してくれる、けれど自分に対しては全くの無力で命さえ望んで委ねる弱者しか安心して愛せない、心を委ねられないというルネとソンのひずみの話をだね、したいんですよ。
彼らが男性の性役割を負ってたのは原因のひとつではあったかもしれないけど、たぶんそこだけに目をやるとリリンちゃん側の説明がつかなくなる気がする。

私はルネちゃんのことを無力で自分を脅かさない者しか愛せない人間だろうと思っていて。彼は己のことを同じ白人の男たちより"男気"がない劣った存在(仲間内でだけ価値を持つトロフィーを持たない)だと認識しているように見える。だから仲間たちが好き好むような、対等に意見を持ち話す女性(たとえば女学生のルネのように。)に食指が動かない……とまで言うのはあれか、積極的に欲しい、手を伸ばして掴む資格があると思えないんじゃないかな、と。
(彼がほんとうに脅かされるのを恐れている相手は持っていない彼を子どものように扱う男性で*2、だから自分の考えを持った女性を「男のよう」と感じてしまうとその女性の性的魅力が減衰したように受け取るのではないかとも思うんだけど、そこまで来ると穿ちすぎかなって気もしてる。)

たぶん、たぶんだけどルネちゃんは『自分を選んでくれて』『隣にいたいと思ってくれる』だけじゃ恋愛対象として見るのに足りないんだと思う。それに加えて、『自分なしでは生きていけない』弱さを持っていてもまだ足りない。
たとえばね。ルネが離婚を切り出したときヘルガが語ったように、彼女だってルネを選んでて、ルネがいないと生きていけないような『弱い』女なんですよ。外交官ガリマールに従順なマダムガリマールでいたり、中国での暮らしを「幸せだった」といったりするくらいには。ルネが尻に敷かれてるかのような1幕の会話だってよく聞くと、ヘルガはルネと対立する意見は出していない。子作り論争で検査に行ってくれと迫るときも、「(あなたが)子どもが欲しいならよ」なのよね。あなたにその気持ちがあるならってずるい言い方だけど、ヘルガは(ルネがどう認識していたかは知らないが)それしか切るカードがない。それで結局ルネが病院に行かなくっても、離婚しようとは言い出さない。私の望みと貴方の意思が反していても、結局は貴方に添いましょう(添うしかない)なんだよ。
ルネの、かつてのルネの劣等感ゆえの臆病な優しさが、ずけずけ物を言うようでルネの決めたことについて行くしかないヘルガの弱み*3と、ある意味バランス良くつり合っていたんだと思う。経済的・社会的な力関係を2人の間に持ち込まないルネと、自分たちがどうあるかの最後の決定権をルネに預ける気でいるヘルガで、見た目や本人たちの自覚はどうあれうまく対等にやれてたんだよ。
まあ地位ある男の強権を振りかざさないのはルネの人間的魅力というよりも、己の経済力や社会的立場が相対的に優れている、そういう武器を持つ人間だという自覚や自信がない臆病さ、およびそれが武器(強権)として作用するとあんまり解っていないことが理由だろうと思うけども。
話が逸れた。ルネとリリンの話でしたね。

「理想の女」の最後の一片、ヘルガにはなくてソンが差し出したものは何か。
「自分の誇りも命も捧げる」こと、もう一つ、「東洋人である」こと。
その2つが示すのは、絶対に、一瞬であっても、自分を脅かしたり上回ったりしない存在であり続けるということだろうと思う。
女にルネを支配する意思がないのは勿論のこと。生まれながらに質が違う、同じ人間だなんて烏滸がましい考えを持たず、劣った者としてあるべき恭順を捧げたとき、初めて心から愛される。
は〜〜〜〜〜やっぱり私あいつらのそういうところ大っ嫌いですね〜〜〜何様だよ神様のつもりかよ〜〜〜〜〜(この作品のことは好きです)

ヘルガがそんなもの持ってるわきゃないのよ、ヘルガちゃんは(「外交官の」「男」と比べたら)弱い立場にあるとはいえ真っ当な自我と自尊心を備えているし、ルネとの家庭は日常だから。命の危険に晒されることが愛の証と酔えるのなんて、相手と過ごす時間が非日常だからでしかないのよ。何より、ヘルガがルネに見せ与えているのは本心なんだからさ。
リリンが献身と自暴自棄を履き違えた見目麗しいだけの奴隷宣言をいとも容易く与えるのは、アイデンティティや自尊心には何ら影響しない、ソン・リリンという名の創作物に過ぎないからでしょう。自分の身体を使った「理想の女」という芸術作品。
他作品や症例名を挙げるのは不謹慎だからしないけども、自分の命を守る選択肢が出てこないほど自尊が削られきってる人間っていうのは大抵、身なりやボディケアに気なんか払いませんよ。価値を感じていないものに気を留めやしないでしょう。
従う者には自分自身に高い価値があると思っていてほしいが、同時にぱっとしない人間である己に対してだけ矜持を命ごと投げ出すくらいの高い価値を感じていてほしい? なるほどね?
健全な自尊心を持った人間は、(命や尊厳や意思を不当に脅かされることのない)健全な環境で過ごしてる限りそんな矛盾の極みな精神状態にならねえのよ(個人の意見です)

ちょっと過剰な、断定的な言い方をすると。ルネは自我を持っている相手は怖くて愛せないんじゃないかな、と思った。
愛せないっていうか夢中になれないっていうか、傷つけられるかもしれないって思いながら愛に没頭することができないっていうか。魅力的な存在に意思があるならきっと自分を選ばないだろうと思ってるんだろうなって感じの、学習的無力感に似た劣等感と保身がゆえの臆病が深く根を張っている。彼自身も言うてるしな、ソンのホームたる京劇の会場に行くのが「怖かった」「臆病さを乗り越えるのに4週間かかった」って。
他者との深い交わりに臆病な理由として、傷つけられるかもしれないって表現はずるいと思うんですけどね。人と交わるっていうのは己の価値観が肯定されたり否定されたり、他の人のそれを知ったりすることなので。他者と関わるというのは多かれ少なかれ自分の価値観が砕かれる衝撃(それが快感か痛みかは置いといて)を伴うことで。価値観が揺らがされるのを恐れて人を安心して愛せないというのは、意思のある人間とつながりを持つことへの全否定だと思うんですよ。
実際のところ、バタフライに囚われたルネは他者との関係を次々絶っていく。ヘルガとの離婚もそう、マルコに愛想を尽かされるのもそう。失われた過去を美化して常に想いを馳せるのは、今、目の前にいる誰かを見ていないのとそんなに変わらないんじゃないかな。

2幕後半、「私はあなたのバタフライ」の構図が美しいという話をしたいんだけどしたかったんだけど一向にたどり着かない。リリンちゃんの一番好きな台詞はそこだよ。


○小道具・小物のチョイスが好きという話をします。

・ルネをアパートに入れたときにソンが羽織っているショール

私はですね。女性が着飾るためのドレスやケープに、孔雀の雄が雌に強さをアピールするためにある飾り羽根模様があしらわれているのが最高に好きでしてですね……。
好きっていうか人類の傲慢と見境いのなさに胸の高鳴りを抑えきれなくなるっていうか、強さと生命力の象徴、セックスアピールとしての飾り羽根を女性の美しさを強調する形で使うグロテスクがとてもイイなって思うんですよ。*4

言うて孔雀の飾り羽根は映えるデザインだからか女性の衣装に取り入れられてることも多く、いつもは(生物オタクがはしゃいでるだけです流して流して)と思って見ているだけなんですよ。でもショールの背中側、2羽の雄孔雀が向かい合ってるのはそれは……それはわかってやってるでしょ…と勝手に信頼度を上げていました。
女性が纏うのもグロテスクだけど女性のフリをした男性が女性性の演出のひとつに孔雀の絵姿を纏うのもなかなかになかなかだよね。らぶだよ。

ところで脱線するんですけど、中国の「鬼」のイメージって日本人の幽霊(悪霊)に近いものらしく、マインドマップ取ると「長い髪」「女の人」「存在しない」などが出てくるそうですよ。リリンじゃん。

・「蝶々夫人」の打掛

純白の打掛、菊らしき花と鶴がいたのは覚えてるんだけどさ。あのさ、「蝶」、いました? プレビュー映像見る感じどうも、ソンが着る中国の伝統衣装(ルネが初めて京劇を見に行ったときの楽屋、ソンが着替えた服があれだった記憶)には蝶があしらわれてるっぽいんだけど。蝶々夫人の心中シーンで来てるあの打掛に蝶がいたかどうかいまいち記憶にない……。ダイジェスト映像で中の着物に牡丹が咲いてるのまでは確認できたんですが、白地に白の刺繍模様はちょっと見えなかった。
阪神戸愛知を観に行く勢、よかったら見てみてください。私は公式が打掛のお写真撮って上げてくれるのを期待することにします。
ちなみに打掛に入れる蝶の模様は「出世」「不死」の象徴らしいです。一次文献あたってないから信じるのは自己責任でお願いねだけど。

・葯を取り外された3本の白百合

2幕……2幕だっけ?ルネの愛人になったソンが過ごすアパートの花瓶に、大ぶりな白百合が3つ活けてあるんですよ。そのうち1本は茎の折れたところを、別の1本は傷んだところのないままソンの鋏で花を切り落とされて、最も大きな1本だけが残る。
あの花はルネと交わった3人の女性(うち1人は♂)を示しているんだろうと思っています。実在しない「理想の女」で蜜漬けにされたルネの価値観は妻との関係にひびを入れ、健康ではつらつとした花の健全さに不満を覚えて遠ざける。ルネの側には自覚がなくて、だから茎に鋏を入れるのも落ちた花に冷めた目を向けるのもそうなるよう仕向けたソンの側。そういう暗示なのだろうなと。

ところでですね。百合の花を生けるときは雄蕊の先にある葯を取り外すことが多いんです。葯というのは、まあ一言で表すなら花粉袋ですね。熟した葯は揺れたり触ったりすると黄色い花粉がぼろぼろ溢れます。この花粉が花びらや壁紙に付くとなかなか取れないので、熟して扱いにくくなる前に葯を外しておくんですよ。
百合の葯が3本とも綺麗に外されてるの、リリンが細部まで手を抜かないこととルネに子種がないことのどっちを示唆してるんだと思う? 私は両方だと思う。
念押しするけど頭からお尻まで強火の幻覚*5ですからね。

話はちょっと変わるんですが。
チン同志に赤子を用意させるソンが「(これで)ルネは私のもの」って言い出したあたりから、芸術家ソン・リリンの価値観が狂い始めたと思っています。「理想の女ソン・リリン」という実在しない幻想を生む芸術家だったはずの(少なくとも本人は芸術家を気取っていたはずの)ソンが、ルネの心を捕らえているのは「私だ」と取り違え始めている。
あの呟きをもらしたソンの黒い炎のような情念じみた声色の、そこだけ異質の気配がして。ぞわっと背筋を這う違和感に神秘の破滅(「私はあなたのバタフライ」「私が愛したのは(お前が投げ捨てた)嘘のほうだった」「もう古びて穢れてる」)で答え合わせをしてもらってオタクは大歓喜しました。
偶像の強度が高ければ高いほど砕け散るのは一瞬で、その崩壊のエネルギーはいつだって心を充たしてくれるんですよ……。ごめん違うね、満たされたのは私のヘキです。

理想の愛の皮をかぶった支配と従属の関係性。見せかけの支配者は嘘でできた甘い幻想とヴェールの下にある本物を取り違えて、真実の愛を手に入れたつもりになっている。従属している「愛の奴隷」は、ありのままの彼なんかちぃとも愛していないのに。
秘密が女を女にする*6とは誰が言ったことだったか。彼らの欲しがった「理想の女/超越した愛」はまさにそういうものだったな、と思う。


○ちょこちょこ色々

ソン・リリンの一番好きな瞬間は「私はあなたのバタフライ」だと言いました。ルネの一番好きな瞬間は独房でバタフライを見ているときの目の輝きです。
内野さん、黒目が潤むように輝くのはもちろんなんですけど、バタフライを『見て』いるときは黒目の下側の白目まで輝きを帯びるんですよ……。
私は人間の粘膜を見るのが大好きなのでどの役者もたいてい目玉を見るんですけど*7、泣き濡れていても喜びでいっぱいのときでもあんな輝き方をする目を見たことがない。正面から覗いていてさえどこに焦点を結んでいるのかわからないのも相まって、ガリマールが幸福で満たされているのとこいつ(ルネちゃん)とうてい正気じゃねえな……というのとがいっぺんに伝わってきてのっけからハッピーになった。最初と最後に見られます。
あのときの目つきや表情にあまりに正気を窺えないからこそ、幻想が砕かれた後に彼が見せる、気のない太々しさが際立つのもあると思う。ルネくん基本的に良く言えばおずおずと遠慮がちに、悪く言えば常にびくついてるから余計に際立つんだろうね。


ソン・リリンの化粧、中国でルネと会っていたときはエラのところに三角にシェードを入れて輪郭を女性のそれに見えるようにしていたのに、パリにいるルネを訪れたときはそのシェードがなかったんですよね。その後の展開を見てから振り返ると、端っから女のヴェールを取る気でルネのとこ行ったんだなというのが見えて無情さに震えました。
おまえを嘲笑った(嘲笑ってはいない、嘲笑してたのはソンの側である)チン同志だってそこまでしろとは言ってなかっただろうよ。
ああでも『女の元を訪れる』じゃなく『生活を共にする』だと無理なのか? 4年の農業奉仕にもかかわらずそういう生活に必須な仕事を嫌悪してたしな……。いやソンが中国からひとり、住み込みで働いてくれてどこかよそに行きたいと願ってる人間を下働きに雇えばいいだけなのでは?


存在しない「理想の女」の対比としてのチン同志が好きです。
1幕では、2幕でもかな。ソンはいわゆる女っ気がないチン同志のことを軽蔑している。観客に「あれが女ですよ」と同意(共感?)を求めたり、「男心がわかるのは」と見下した声で謳ったり。ルネとソンの蜜月()が続いてたときは黙って無視していたチンが、ルネの帰国後4年経ったソンが同じこと言ったときに「(男心が)わからない。じゃああたしが結婚してるのは何故だ」って返すの最高じゃなかったですか?「男と暮らしてるのは」とかさ。ソンが決して見せなかったヴェールの内側、ケの姿を見せて普通に暮らしている。
「理想の女」が「理想的」なのは、それを理解できるのさえ、ルネやソンみたいなごく一部の人間だけなんだよ。普遍の価値観とは程遠い。少なくとも中国においては。
(というのは、我ら西洋の白人と東洋の未開人どもは根本から別モノで、真実に『気づいた』東洋人は白人を盲目的に畏れ愛するって妄想は白人に共通のものなので。*8)あそこのやり取りに、「理想の女」がいびつなのはルネだけでなくソンもなのだろうと感じて楽しかった。
ソンちゃんはさ、「(蝶々夫人の設定が西洋と東洋)逆だったらどうでしょう」とか「東洋人は本当の男ではあり得ない(という西洋人の思想を利用した、という開示)」とかとは言うけど。「理想の女」を構築するもうひとつの価値観、『女は男に全てを委ねて隷属するものだ』を揺らがせようとはしないんだよ。
まあよく考えたらソンの中にそれがないわけないんだよな。自分をときに拒んだりおびやかしたりする強さ(これはまともな自尊心と同義である)を持つ存在を安心して愛せないだけのルネが抱いてた漠然とした「理想の女」像を、確固たる輪郭をもった偶像にまで仕立て上げたのはソンだもの。
「同じ男」だからルネの欲しいものが手を取るようにわかる。それを「男心」とまで言い切るのは、ソンにとっては疑うことすら難しいほど当たり前の価値観ってことだ。
これは(これも)個人の感想ですが、ルネよりもソンのほうが男女観の認知の歪みは強いんだろうなあって思っています。認知の歪みって言っちゃった。めっちゃくちゃ下品な偏見を言うけどソンちゃん性対象は女性なのに女にたたないタイプでしょ。自分のつくるソン・リリンより美しくて貞淑で隷属的な女にしか興奮しないでしょ。
そんな女はいねえのよ。奴隷市場じゃないんだから。

ソンを喝破したチン同志の自尊や自己有用感が主席からの評価に完全依存してるように見えてあーこれはこれで歪だなーと思ったんだけどまあそれはそれ。ほんとはそこも掘りたいんだけどねー今回はルネくん中心に追ってしまったのでチン同志のことはあんまり追えていない。この物語はルネとソンが育てた蝶の話なこともあり。蝶が西洋東洋共に魂(主に死後の魂)のメタファーとされるのすげえ良いなと思います。これは『蝶々夫人』を書いた人の目利きがすごいのかもしれない。
ちなみにところでワタクシこの演目は半分は内野さん、もう半分は占部さん目当てに取りました。ラビット・ホールのイジーちゃんがかっこよかったので……好きなんですよねああいう子ども……(ただし創作世界の人物に限る)。『子ども』をやることで鎹になっている、誰より空気と状況を把握しているケアラー。オギーと幸せになってくれ。

*1:現在進行形だよもちろん、無知で野蛮なご先祖と今の文化的な我々は違うって思い込んでる意識のなさまでひっくるめて嫌い

*2:ルネたち他のフランス外交官を「我が子のように」扱う大使のように。

*3:これが惚れた弱みなのか異国で離婚したら「文化的に」は生きていけないって実際的な弱みなのかは別の話とします。そこを掘ると長くなるので。

*4:話は逸れるんですがLNDのクリスティーヌ、何処までも高く飛べる「私の天使」に劇場ぜんぶを飾りにした青孔雀のドレスを着せるグロテスクでこのヘキの扉が開きました。

*5:オタクが作品を摂取しながら自分の見たい光景を幻視する様。二次元界隈で散見されるネットスラングで、自虐のニュアンスを孕むため第三者が形容に使うと燃えがち。

*6:“A secret makes a woman woman.”初出は名探偵コナンみたいですね。

*7:単純に、私のアンテナが少なくて目の色以外で情動の揺らぎを拾いにくいというのもある。

*8:これを見ただろう客が「自分はあいつらと違う」と疑わずに考えただろうところまでコミで無意識の差別として完成度が高いと思う。裁判長がそうだったみたいにね。