つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

カム・フロム・アウェイ感想そのに。

だいたいホンの話しかしません。なお個人の感想であり、あらゆる個人団体宗教思想に賛意も翻意もないからそれはよろしくな。
めたくそ長いので小見出しつけるね。だいたいほめてるよ。人類には絶望してるけど。

全体っていうか雑枠

えーっと、フィクションドキュメンタリー(私はモキュメンタリーという言葉が嫌い)だとかついこないだ全世界配信で黄色人種への見えない差別(ないものとして扱うという差別)を剥き出しにしたあの国で初演したんだなとかを勘定に入れて喋るとその話しかしなくなるので、まずは(原語版の)役者の人種とか人物の組み合わせ方とか抜きで創作物としてだけ扱ってで言いますね……。今回えーっと言ってばっかだな……いやあの脚本家が頑張って時代を変えようとしているのはいっぱいえら(偉)だなと思っているんですよ本当に。

演目内容そのものも嫌いじゃないんですよ、事前印象「8000円なら人に勧めてもいいかもだけど」から「1万なら人に勧めたかもだけど」にはなっているので。その印象差分が脚本と演出によるものなのはまあなんていうかごめん*1ですけど。

曲と音楽もどれも好き……だったんだけどなんだろう、私はミュージカルの特長のひとつを作品内時間と現実の時間感覚の両方を自由に調整できること、言い換えれば音楽が持つ情動に直アクセスできる特性を利用して集中を切らせないでゴールまで引っ張る力だと思っているので……そこはちょっと物足りなかったかな……。
乱立和製ミュージカル(権利&翻訳ハードルの篩に掛けられていないだけなんですが)はだいたいこの物足りなさがあるので、まあ輸入までされてくるミュージカルでそんな感じなの珍しいなってだけなんですけども。それはそれで形態としてアリだと思うけど私はそういうのを音楽付き朗読劇とか音楽劇とかみたいだったなと受け取るので…………。朗読劇?ごめん某スペクタクルリーディングが商業演劇が提供する朗読劇の基準になってしまってるんだけどあれは微妙にちがうな?あれストプレとも違うと思うんだけどなんてジャンルになるやつ?


Q.内容の話 A.はい。

内容

言いたいことギュッ!とするとこんな感じ。良くも悪くもではあるけれどね、心理的な安全圏が確保できない状況で、異なる価値観を直視するだの変わるだのなんてできませんので。
ちなみにこの強者は「ラテン文字を使う言語の」とか「コーカソイドの」とか「キリスト教信仰が日常に溶けこみきった文化圏を”故郷”とする」とかを想定してます。


良いなと思ったとこから話しますね、いいなというか脚本家腹据えて頑張ったんだなと思ったところというか。私はこの作品のここがあったから拍手したよというか。いやよっぽど抗議の気持ちがなきゃカテコで拍手しないはしない*2けどさ……。私はあれを基本的に今見せてもらったパフォーマンスはあなた方の積んだ数十年があってのものですので、その研鑽に敬意を表してこの程度の欲しがりにはお付き合いしますよ*3の気持ちでやっています。そのぶん、演目中にあっすごーい!と思ったら双眼鏡下ろして場面かまわずその演者に無音の拍手をするとかはする*4けど……腹のあたりでちょこっと手を動かすだけでも向こうからは見えてることが多いのを某ぐるぐる劇場で学んだので……。

ぐだりすぎじゃん。話を戻します。

この作品で脚本家腹据えてるな……えらじゃん……と思ったところ、女性機長トイレ掃除共感で「理解る」ことへの拒絶の3つです。新しい価値観の提示と見えない差別の可視化と言い換えてもいい。

これらを”自然”と思わせるためには理由(というか補足というか)をつけないといけないんだな、というやるせなさとセットではあるけれども、それでもだよ。納得させるための理由付きだとしても、これが今の普通だよ(そうあるべきだろ?)と提示したことそのものに価値があると思うなあ。

なおそれらの人物が好みだったかどうかという話はしてないのでよろしくな。キャラ萌えするには躊躇われるほど説話じみた劇だったよ。説話が嫌いなわけではないし、これはそういうのにありがちなうわついた説教くささ(いつもホン書いた人間のドヤ顔と言ってるやつ)の臭いもないけども。その丸太*5は残してるの気づいてないの後者だと安心できる仕込みがほしいよと思う箇所もあったけど……。

女性機長

女性機長、私は彼女が説明やタメなしでさらっと出てきているところが一番の脚本・演出すばらしいねポイントだと思っているので、彼女(登場人物のほう)の具体的なあれこれについてはあまり触らないことにします。彼女を何らかの前置きなく(主役の重さでも悲劇のヒロインでもなく)一人物としてぽんっと出したことそのものに価値があるし意味があるじゃん……?

彼女が”当たり前にいる”ことに意味があるってのは、この機長が(登場キャラクターとして)好みかどうかとは無関係です。好みかと言われたらいや別にそこまででは……おれは架空存在だからこそ愛でられる性癖(本来の字義のほう)のいきものがすき……ではあるけどそういう話はしていない。めちゃめちゃはっきり声飛んでくるじゃんすっげえなとはもちろん思ったけどそれは濱めぐさんへの感想であって作品への感想ではないし。

機長のことは健全な自尊心と人一倍の克己心、恵まれた者の無神経および生存バイアスを相応に持ち合わせている人物だなと思っています。もっと掘り下げてヘキに刺さる(架空の)女について私の趣味嗜好のアレさを露呈してもいいんですがそういうターンではないので……。おれの(架空存在の)シュミは悪いよ強くて脆い愛の女(ただし架空存在に限る)の少女性が琴線ど真ん中な人間が品の良いヘキしてるわけないでしょ……。俺は好みの女がいっぱいでてくる'19メタマクの円盤化待ってますからね5枚くらい買ってこの女のこと絶対好きだからってオタクに見せて回りたいんだ。
脱線しました。戻ります。

女性の機長という概念に説明なんていらないよね?(これは現代の話だもんね?)を暗黙の了解のごとくお出しされたことに、これが新しい価値観ですよの啓蒙……っていうか、それよりもうちょっと強い圧のようなものがあったように見え、それに脚本家のひとがんばったんだなーを覚えたという話。えらたんだよ。

偏見が過去のものとなっている状態とは、そのバイアスに反する存在に違和感を覚えないことじゃないかなと個人的に思っているので。かつてはそうではなかったのだという情報を知識としてのみ残しているっていうか。残念ながら現実はそうではないからこそ、フィクションのなかで理想を普通の状態として描くことに価値と主張が出る……と思っています。わからんけどね、当該部分における作者の解説読んだわけではないし。


彼女の登場、そして物語内での役割にその”新しい時代の啓蒙”の印象があったぶんだけ、後半の独白長台詞にしょんもりはしました。人一倍克己心があったから女でも機長という責任ある立場になれたのだ、という理由説明を感じてしまって(たぶんそういう意図ではなかろうもんけど。と、信じることにしている。)

役者の演技はすごいなーと思ったけども、裏腹にそういう型に収めちゃうんだなーのがっかり感がね。ありました。女性機長という存在がここにいていいのはこういう背景があるからだ、という既得権益者の理屈。まあこの見方は私のジェンダーバイアスが投影されているだけかもとも思うけど。

でもさあ、衝動的でヒステリックな人物像を女性と性的マイノリティに偏って(これは後で掘るつもりだけど)持たせてる作品であの独白シーンが目玉として来ると、彼女は人一倍強くて努力家な行動力のある人だから(女性ながら)社会的に地位の高い職務についている、の答え合わせをされている、答え合わせしなければいけないほど不自然な存在なのだと言われているようで若干のしょんもりはしました。

まあね、事実として現代でもケア的な職種/業種でない女性ワーカーはこのジェンダーバイアス役割差別を食らうし、ジェンダーバイアスに殴られ続ける社会での成功者である彼女に人生を語らせるとしたらこういう偏見を向けられてきた(けど私は負けなかった!)が一番、彼女という人間の強さ、魅力になるだろうってこともわかるんだけど。わかるんだけどさあ。それは見た目を変えただけのマッチョイズムだよ。

強いから、諦めないから、そういう”男みたいな“特別があれば“女でも”一人前として扱ってもらえる。この21世紀においても女性という記号はそういう意味を持つんだなあというがっかり感はさ、あったよ。これは肉体の暴力性と既得権益による阻害に正当性を錯覚してしまう愚かな人類へのしょんもりです。

まあこの作品で女性に持たされてるステレオタイプに関しては、暴力的な人種差別を向ける人物像をすべて男性に持たせているのもそうじゃんというのも御尤もなので女性差別をそのままにしてるという気はないんですが。どっちかというと性役割を強化するステレオタイプ全般に「あれれー?(コ○ン君ボイスでご再生ください)」のフォローがないのが残念だった、が的確な言い方かもしらん。

トイレ掃除メン

トイレ掃除メン、これも同種のいっぱい拍手したいポイントです。
女性の住民が女性避難者にだけ協力を呼び掛ける歪さ、既存の性役割(掃除や事務などマイナスをゼロに戻す維持の仕事は女性の役割である)でできた場景を古い古い!と蹴り飛ばし、己のジェンダー観に気づいて居心地悪くなった人がいたとしてもコミカルさと勢いで流して飲み込ませるパワームーブ。男性が、社会的地位の高い職業の人間が掃除なんて変? 何言ってんだ現代だぞ! のパワーがあった。ありませんでした?

ばりっとした白衣にラバーカップ装備した男性陣が戦隊ものがごとく堂々ポーズ決めてる絵面の前にはなんかもう無意識の偏見に気づいたバツの悪さはどうでもよくなるでしょ。衛生、大事だもんな!と素直になれちゃうでしょあんなの。

避難所準備のとこでもトイレ清掃ボラ呼びかけでも当たり前として描かれる性役割に私はじりじりした嫌厭を覚えていたので、あーこの試みがしたかったのかなーの認識をした、が正しいのかもだけど。個人的にはゲイカップルや女性機長の出し方みたいな“当たり前にある存在”として扱うやり方のが総ストレス量少なくて好きではあるけど(私は茶番適性が低いためマッチポンプ感動作劇に「わざわざ嫌な思いをさせられた」という認識しか残らない)(有効かつ定番な作劇手法なのはわかってます、だから量産1クールドラマで頻出するんだろうし)、まあ、意識下にないジェンダーバイアスを視野の範囲に引っ張り出すには日常にあるこういうの→は古いよ!の段階が必要だよねは思いました。
外圧をかけられてはじめて己の思想や価値観に意識が向く*6ものですので、バイアスを意識させるためにはそこを刺激しなきゃいけないよなーと。

この場面は全体的に新しい価値観を受け手が呑み込みやすい形で描いたんだなーという印象なんですが、それと同時に、「衛生観念には人一倍気をつかう医者だから、彼らは男性なのに積極的に掃除をするのだ」の理由付けがないと男性がボランティアで掃除をすることが(お話として)自然には見えないという判断(あるいは脚本家自身のバイアス)があったんかなという気持ちも発生しました。まあでもこれもさっきと同じ、現状はそうだろう?と言われればそうですねとしか言えないやつです。

衛生観念がしっかりしてる医師だからの理由がなければ、ホワイトカラーの白人男性(、かどうかはわからないんですけどね日本版だとね)が積極的に清掃奉仕をするのは不自然に見える、そういう判断をされたんだなと思ったし、まあ、世界の認識として強ちずれてもないんでしょうね。そんな世界ぽいずんだぜ。

ところでこの作品とは全く関係ないんですが怪人と探偵*7の病院謎場面ダンスはたぶんこの白衣戦隊みたいなエンタメ性が出したかったんだろうなと数年越しに頭をよぎるなどしました。新しい価値観だよね!をするからゲラって見られるんであって、昭和の時代の偏見ステレオタイプを滑稽の色で呑ませようとされたと思ったからあれに強い不快感を覚えたんだなと。余談終わり。

この白衣戦隊のセンターにいたのが確か吉原さんだったと思うんですが(違ったらすみません)、そのことにこのホンは演者へのヘイト管理がじょうずだなあ(あるいは、よく気を遣って組まれているんだなあ)と思ったりはしましたね。吉原さんにあてられた人物で印象が大きいの、奉仕する善きユダヤ人とあともう1人、「英語で話せよ!」のレイシストだったので。私は。
レイシストと言ったけどたーぶんあの人物そのものはそんな完全悪なんかではなく、どこにでもいる普通の人して描かれている印象があった。どこにでもいる普通のヨーロッパ人、「公衆の場」では英語で話すのが当然のマナーで気遣いだって傲慢な勘違いが、自分でも気づいていない意識の底のほうに転がっているありふれた人間。そんだけにヘイト感情が向きやすい、こいつが愚かなのであり自分はそうではないという転嫁の矛先になりやすそうだなと感じたので、ヒーローの役割もやらせるの配分がじょうずだなあって思ったんですよね。

被差別側なのに差別する集団にも愛(キリスト教的な。)を失わないユダヤ人。見えない差別をなんなく蹴飛ばす、おれらに相応しい(≒自分はこちら側だと共感・感情移入がしやすい)ヒーロー。差別する者とされる(されていた)者、差別の前提を壊す者。この3つを1人の役者に宛てがうの、視野が広くてバランスの取れた役当てだなと思いました。

異教徒迫害シーン

迫害って言っちゃった。でもあれは迫害だよ。
私は勝手にあの人物の役割は悪意のない差別の可視化だと思っているけどそれは後でやる。今は害意のある差別の話をします。

共感でわかることへの拒絶。拒絶というか否定というか。私これ後半~終盤の「あなたにはわからない」を指して言ってます。
最初に言っとくね私の西欧中心主義およびキリスト信徒への鬱屈が詰まってるよ。

この作品への印象が観客を騙し討ちしない娯楽に収まる範囲で新しい価値観を啓蒙しようとする試みを感じるVS都合悪いものを存在ごと見ないで済ませられる西欧の傲慢……でぐらぐらしてたところ、この脚本家を信頼したいへ針が大きく振れたのがここで。
「あなた達にはわからない」の拒絶がなかったら印象ややマイナスどまり、新しい多様性の時代を啓蒙しようとする気持ちは感じるけど旧態依然のステレオタイプがそのままで強者の傲慢が強かったよね、で終わりにしてたと思う。
同調、理解、共感、色は何でもいいけども。傍観者(真に全くの傍観者なのか傍観者気取りの消極的加害者なのかはともかく)が宣うあなたの辛さをわかってあげるというお慈悲を、迫害された被害者には拒む権利がある*8と提示したの、しかもキリスト圏での上演を前提にした作品で、提示の行為そのものが「キリスト教圏でこれやったの……!?すごいね!?脚本家いっぱいえらじゃん……」となりました。対比によって見えない差別を可視化したのもえらじゃんなんだけどそれはまた後で。

ちょっと話が逸れまして。日本のプロテスタント教会だけの傾向だったら大変すみませんなんだけどさ、キリスト信徒って他教徒の存在を“許容”してるよって言いたいときに「見た目の形が違うだけで私たちと同じ神を信仰しているから」って理屈を使いがちなんすよね。地域と宗派*9の違う複数の教会の牧師さんが同じこと言ったので、私の聞いたそれがひどく尖った(偏った、でもいい)見解ってわけではないと思ってる……んだけど、日本のプロテスタント独自文化だよだったらおしえてください。
良く言えば*10共感による受容理解であり、悪く言えば他者の信仰を自分らのそれの亜流として”(正しい方法じゃなくとも)志は同じだと認めてあげる”おこないであり。(演目も作品もエジプト人の彼も関係なく)私個人の所感としては、俺の信仰心を自分の宗教の正当化と教化の材料に使うな西洋中心主義も大概にしろよと思っている傾向なんですけど。
まあそんなこんなで、私はキリスト者の言う「異文化理解」とか「異なる価値観の受容」を基本的に形は違うけど同じだよね、わかるよ!だから仲間にしてあげる、だと認識しております。ここまで前提です。……いちおう言っとくけど別に嫌いじゃないよキリスト教のこと。キリスト信仰やその価値観を正しい進んだものとして“未熟で”“野蛮な”非キリスト者に押し付けてくる(きた)信徒の言動傾向にうんざりするだけで。(もちろんそうでないマンもいるが、教会内職場内の自分らが多数派の環境でそうならないよう律せているマンは日本ですら少なく、況やキリスト教圏ではだと思うよ私は。)

キリスト教信仰が当たり前の国でこれを書き、山場のひとつとして真正面から突きつけたのほんとすごい胆力だと思う。屈辱だろうとか辛かろうとか恥だ怒りだの共感理解に逃げるのさえ許さない、あれ日本でやるのも消費カロリー高そうなのに同じ神を信じているから同じ人間として扱う(そう扱わないと、神の愛を受ける権利があるものを蔑ろに扱ったことになる)、が人倫規範の土台になってるような宗教国でやるのすごない……?
私はラストシーンでの彼の描写*11に若干のもにょりはあるんだけど、ここまでやったらヘイト管理のフォローとして必要なんだろうねともなりました。あんな酷い目に遭わせられた、迫害と言っても過言じゃないぐらいのことをされた彼が我々をゆるしてくれている、のに、私は自分のプライドを守るために彼を忌避するのか、の逃げ道かつ他を塞ぐ背水を用意されてないと受け入れがたいんじゃないか……?

その人物を投影された演者を守る*12のにも、(迫害さえも赦してくれる)底抜けに優しく友好的なままの無害で“愛せる”異教徒*13として〆るしかないんだろうなとは思いました。強者の傲慢だと思うけどそこに是非を言う気はないです。強者に媚びて阿らないと問題提起すらできない現状がぽいずんなんだよ。

あのこれ念を入れて言っておきたいんですけど、私がこのホンのここに強く関心を持ったことと登場人物がヘキに刺さるかどうかとは別の話ですからね。女性機長のときも言いましたけども。
電話場面でのニュアンスの伝え方にあっすっげー!てはしゃいだけどそれは田代さんへの感想であってエジプト人の彼への感想ではないですし。……この呼び方が人種でひとを見る物言いの典型だよなの自己嫌悪はあるんですけどごめん名前を聞き取れなくて……。正しくは聞き取ってはいたんだけど咄嗟に綴りかスペリングが浮かばないと固有名詞を短期記憶にしまって持って帰ることができないマンで……私が……。

その一方で、というか、ここまでちゃんとやったからこそというか、女性機長のときと同じ不服はね、あります。作者も演者も作品もなにもわるくなく、あえて言うならこんな世界の現状がポイズンだよということなんですが。
彼が白人の国家にも個人にも有益で友好的な社会的地位もある忍耐強い男性だったから、……先にごめんするけど本当に差別的な言い方するから、初演の主な客層だろうホワイトカラー*14西欧人にとって人種と信教以外に一切の”瑕疵がない”人物だから、あのささやかな抵抗を(私の内面をあなたが物知り顔で理解ることはできないという最後の尊厳を守る拒絶を)物語の一滴としてゆるされたんだろうなという妥協ラインの質感が……どこまでも“白人に都合がよい切り貼り”をやさしい世界だと描くそれがおれはきらいだよ……。
言ったぞ!言ったかんな差別的な言い方をするって!俺があの彼の人種と信仰を瑕疵だと思っているわけじゃないですそんなわけないだろ俺も黄色人種で非キリスト者だよ。自分のルーツと信仰を瑕疵と思うような洗脳は受けてきていない。いや私の話はいいんですよ。

所謂”良きムスリム”だから人格があることを受け入れるし迫害されてたら同情される(そしてそれを拒む権利をそうだよねと受け止められる)“やさしい世界”、一見美談のように聞こえるが、裏を返せば(善良で無害で利をもたらす、強者にとって都合の)良いムスリムでなければ受け入れなくていいと言っているのとおんなじだ。そんなの現代の文明国家でする人間の扱いじゃないよ。どんなげすやろうでも保障されなれけばならず、剥奪されそうなら周りも全力で抗議しなければならないものが現代国家における基本的人権の考え方じゃないのかね。
だいじょうぶ?これ私の言いたいこと伝わるやつ?……いやなもしものたとえ話をしましょうか。

ケビンくんいたじゃないですか。……2人いたな。エジプト人の彼と同じ演者がやるほうのケビンくんです。もし、あの迫害を受けたのがケビンのような性嗜好や社会的地位や立ち振舞いの人物だったなら、同じように受け取られたと思います?*15
私はね、絶対にあってはならないことだけど、でもそうは受け取られなかったと思います。
繰り返すけど人種・信仰の差別が容認されるかどうかが被差別者の行動や印象や社会的地位に左右されるなんて 絶 対 に あってはならないですよ。でもそうなると思う。

……弁解しますけど私はめめケビン*16のことを一歩を譲る余裕が削げている状態の、普段は他者への礼儀も恋人への愛情も持ち合わせている普通の人*17だと思っているし人物として特に嫌いでもないですからね。
嫌いでもないっていうか、LNDラウルやSOMLトーマスのナーバスさ(相手を想う気持ちはあるのに傷つけず振る舞える余裕がない)やスリルミ彼の傷つけ支配する甘えに大はしゃぎするのにめめケビンのそれが口に合わないことあるわけないじゃないすか……。人物として好きではないがヘキ*18にはまあまあまあ刺さるよ……趣味嗜好の悪さ大開陳するのであんま言いたくないけど……。
話を戻します。

国際的な調理責任者という社会的地位のある、どんなに酷いことをされても白人に対して(個人にも集団にも社会にも)誠実で友好的な姿勢であり続けた、それなのに。

その条件がつかないと問題提起としての描写そのものができない、それが現実そうなのか作者が警戒しすぎなのかはともかくとして、この人物は我らにとって絶対的に安全で無害な存在である*19とここまで線を引かなければ、観客は彼の受けた迫害を謂れのないひどいことだと直視することができない。そう判断したからその脚本なんだろうと思っているんですが。私はここ(される側にしか見えない差別の可視化)に関してはこの脚本家を信頼すると決めたので。

その話をしてるんだけど話がずれるんだけど別の話していい?するね。
私ねえ、あの迫害に対しての「仕方なかったとはいえ」みたいな見解きらーい。嫌いっていうか、ファクトフィクションの(完全創作であっても)現代劇で提示された今もある差別に言及するのにちょっと脳直で喋りすぎじゃない?と思う。
別室検査の担当から異性を外す、ベテランでもない記録係1人入れ替えるだけで彼の(最低限の)尊厳は守られたんだぞ。仕方がないなんてあるもんか。
その申し出を言わせなかったか伝えられたのにないことにしたか、どっちかが起こらなきゃあの事態にはならないんだよ。どちらでも迫害だからあんまり変わんないんだけどさ。強いて言うなら前者が人種差別で後者が宗教差別かなとは思うけども。
SSSSに回されたとか降りるときにも検査させられ陸の孤島(失礼)で1週間過ごしてた後に何か出るわけないとかは差別の現状として2024年なうでもせやろな実在するやろうなでしょうけど、これが山場にされてるのはそこが理由じゃないと思うけど。
言葉が通じて無抵抗な一個人を、心*20と意思のある人間として扱う気がなかった。から、あれは迫害たるんじゃないの。

見えない差別の可視化

分けましたの先です。
エジプト人の彼(彼の名前は「アリ」だと教えてもらったので以後それで。)の、彼にライトが当たってるとき持たされている役割は、差別してる側にそのつもりのない差別の可視化なんだろうなーっていうのは思っていて。
なので、私はアリやその周りの描写に対し、脚本家が意識している差別や偏見と、彼らでも意識に上らなかった(あるいは娯楽の体を取るのなら“今のアメリカやカナダでは”描写できない)それらなんじゃないかと認識しています。

正しく言えば女性機長にもトイレ掃除メンにも似た認識なんですけど、アリまわりの描写に関しては迫害シーンとそこ以外の差別/偏見を一緒くたにすると話がぶれるので……。
私はあの場面に関してだけは、アリが社会的地位ある良きムスリムでなければ客が受けとめられもしないからあの設定と決着なのだと信じることにしたんですよ。僅かな瑕疵もない人物として描かなければ、演者と、もしかすると民族や人種全体に“なんとなく好きになれなかった”の薄くて致命的な*21反感が向くというのが、ホンと曲をつくった彼らの肌感覚なんだろうと。

話を戻します。見えない差別の可視化でしたね。
入国審査の対比や電話待ちの場面(こっちは明示的だったけども)で”(差別者には)見えない差別”を可視化したの脚本がいっぱい頑張ったなと思います。特に前者のシーン。
禅さん演じるイギリス人(ニック)の入国審査に直後にエジプト人のそれを置いて、話を全部観た後で振り返れば気づける仕込みを作ってるのよね。その瞬間では確定できない逃げでもあったわけだけども。
ニックは機内での心情語りとダイアンへの言い訳で、見た目の情報を抜いても「国を跨ぐ出張が多い」「社内・社外ともに能力評価は高そう(引っ張りだこ&機内でも仕事に忙殺)」までわかってるんだよね。
一方のアリは、ここで初めて国籍がわかる程度の情報しかない。アリの人間性はもちろんだし、社会的地位も渡航経験(よく知らんけどパスポート見れば過去の旅行歴わかるんですよね?)もニックと同じくらいにあり、人種以外の違いがないことはまだわからないんですよ。
だから、渡航理由「仕事」の後にやたらそれを強調する不自然さや受付の態度の悪さや疑念が、アリの旅行の不慣れさによるものか積み重ねた経験によるものか(それとも彼が犯人だからか!)は、客席からはまだ判断できない。
アリという人間が失わない底無しの友好と許容を十分見せてからじゃないと、“我々(ではないが。日本版では。)西欧人”のこの仕打ちが見た目と国籍だけによるものだと突きつけらんないと思ったんだろうなと思っています。

変でしょだって。テロ発生直後の高緊張下で、他の便にも関係者が乗ってる可能性が高いと思われてる最大厳戒態勢だったろう着陸時よりもさ。そこでの検査を通過して不時着さながらに辺鄙な町で過ごして、そこでも無害なヒューマンだった1週間後の搭乗時のほうが念入りな身体検査されてるの。人種差別で両方SSSSに回されたとしたって、検査の厳重さは普通は逆じゃない?
……これ、初登場で(客の)アリへの好感度が足りないから描写が入れられなかっただけで、着陸時は同じかもっと酷いことされてた可能性もあるんですが、というか順当に考えればその可能性のが高いんですが、この脚本は全体的に見ようとしなければ見えてこない差別に色んな種類と形で意識を向けさせているわけだし、……それを直視すると地獄耐性高めのおれも心がちょっと折れるので今は目を逸らしていいかな……。
避難者のなかでも落ち着いてて町の人にも他の避難者にも格段に大人な対応をしているアリの1週間は何時間も閉じ込められた極限状態であれより酷い仕打ちを受けた後にはじまってますと言われたらどうすりゃいいんだよ。*22そんなこと言われたらヒトの心薄めのおれだってホモサピの惨たらしさに思いを馳せて泣いちまうぞ。

アリが(嫌な言い方するけど)何をされても譲歩寄りのアサーティブを貫き加害をしてこない“良きムスリム”であるのしつこいぐらいの描写がなければ、不当に信仰*23を踏み躙られる彼を瑕疵のない全くの被害者として受け取らせられないと思ったんじゃないかなあ、とはさっきの小見出しでも言ったけども。
これほど可哀想な、この言い方するのは迫害という事象を感情論にすり替えるやり口じみててかなりヤな気持ちもあるんだけどそれは一旦おいといて、あのシーンからそんなに間がなく“彼はそんな目に遭ってよいような人物ではない”の空気が一番強いときだから駄目押しになる対比の最後のカードを見せてよい(キャラクター、ひいては国籍や人種や信仰への忌避感を残さず終われる)と判断されたんじゃないかとは、……ちょっとだけ思ってるよ……。
駄目押しっていうのは、見た目と国籍を考えないならアメリカで家庭を持ってて*24車を使う*25アリのほうがニックより社会的な信頼度は高いまであるってことです。
家に帰りついた人々の小独白、覚えてます?私は時間経っちゃってて台詞の細かいとこはあれなんだけどさ。アリのそれは確か「(学校に送っていった)娘が入りたがらない」「中に入るのがこわいって言うんだ」「(娘に)どう言えばいい!」なんだよね。車を使うし娘がいるしその子とも良好な関係を築いているんだよ。ハンナと彼だけ事件と地続きの日々が続くんだなと思ったので大凡これと離れてはない……はず。
話がずれたな……いやそういう話をしたいからずれてはないんだけどex.提示ばっかで進んでないな……。

奇しくもオスカー賞?(アカデミー賞?ごめんヨーロッパの映画番付以上の認識がなくて。)で男女受賞者ともがアジア人アンバサダーをボーイがごとく扱い、意志ある構成員のひとりだと無自覚差別をした上に、そっからの握手フォトで差別そのものを揉み消そうとするダメ押し*26をしてみせましたけれども。あの劇を観た後にあれを見たことで、アンバサダーが白人だったら同じことが起きただろうか(おそらく、あり得なかっただろう)とはじめて意識に乗った人もいるんじゃないかなーと思う。
もし、演劇を作る側でも観る側でも、そういう人がひとりでも増えたならば。ある意味では成功だったんじゃないかな、あの作品は、と思うのだ。
(これから偏見を強める側面もあるよねこの作品ねという話をしようとしているのにずいぶん面の皮が厚いことだよとは自分でも思う。)

 

 

*1:……ごめんけどだってけっこうな数の人が手に余ってる瞬間あった(1つか2つかの人物を把握して組み上げる、メインキャストのやる普段とは違うスキルを要求されてるだろうのでしょうがないのだが。)ように見えたよ……。

*2:双眼鏡は構えたままだがそれはゆるせよレンズ通して光量調節しなきゃ見えないんだよ眼球がだめで。

*3:前はもうちょっと感情をこめていたんですが、某アナスタシアの退場アナウンス流したんだけどあなた方の熱意に応えてもう一回出しますねの茶番に疲れ果ててしまって気持ちを入れるのを止めました。劇場指示に従わなければいいことがあるを繰り返し学習させられる時間に何らかの気持ちをもつの疲れて……。

*4:だいたいアンサンブルさんかバンドの方にですが。メインキャストには客席からのファンサちょーだい!がいっぱい飛んできてると思うし、私はあっすごーい!おにーさん/おねーさんのこと、名前存じ上げないけど今のすごかった!すき!を自己満で発散したいだけだし。

*5:マタイによる福音書7:1-5

*6:己の持ってるバイアスを四六時中意識しようとしてたら早晩発狂すると思う。処理する情報量を減らすためのフレームワークがバイアスなので。

*7:幕間で「帰ろうかな……」を真剣に悩んだ、そして休憩終わって着席したら1幕より視界が開けていた(婉曲表現)唯一のミュージカル作品

*8:彼はエジプト人だとか異教徒とかの属性以前に人格と感情をもつ一個人で、同情で満足するために消費される謂れはない

*9:カトリックから分かれ出でたもの(のうち聖書と使徒信条と三位一体を共有するもの)をすべてプロテスタントと呼んでいるので中は色々あります。ってバプテスト派の牧師さんが言ってた。

*10:私はこれを良いとも善いとも感じないが、社会性動物にとって自然で容易な概念受容の形式のひとつではあると理解はしているつもりです。あなたもわたしと同じだよね、”だから”あなたも仲間だね。共感という同調衝動のことをひとは社会性と呼ぶ。

*11:避難所での最中も別れた後もあんなひどい仕打ちを受けたのに、水に流して「よくしてくれたこと」だけをあの日々の思い出のように扱い好意を表してくれる。

*12:暗に自分も責められているようでモヤっとしたとして、その鬱屈があったと言うことすら憚られる(自覚してない偏見や差別心が自分の中にもあったと宣言することになるので)状況で感情に始末をつけるには、「された側にも責任がある」か「俺はこいつ嫌い」に転ぶのが最も平易ですので。

*13:心情としてはこの6文字に「にえのこやぎ」のルビを振りたいぐらいですが流石にね、自重はね、します。

*14:white-collar、流石にこの単語を知らない大人はいないと思いますが、肉体労働でない職に就いている者のことです。肉体労働者をブルーカラーと呼び差別するのをオコするニュアンスで出てきた認識があるけど違ったらごめんね。

*15:幾つもの国で力を発揮する優れた職業人ではない(secretaryが劣った職と言ってはないです。念のため)、ヒステリックでナーバスを隠さない、他人にも身内にも穏和で友好的とは言い難い人物だったら、見えない迫害をした側と同じ人種の観客はその迫害を同じ重さで受け取っただろうかという意味です。

*16:めめケビン、勝手に言ってるこの呼称もまあまあ差別的なんだけど、でもあの人物はその役割を持たせられてると思う。

*17:強いストレス下において無害な刺激で気を紛らわすより少しでも刺激を遮断するほうが楽になれるタイプの彼が、好んでいない(らしい)し行きたくもないどんちゃん騒ぎに彼氏が僕と一緒に参加したがってるってだけの理由で「……1時間だけだからね!」を選択したの、そして参加してる最中は(内心はともかく)楽しんでいますの立ち振る舞いで場の人々と会話してたの、私はパートナーへの愛情と町の人々への礼節を持ち合わせたいきものの言動だなと思いました。メンタル削れやすく、またダメージ受けても譲歩できるだけの安心の土壌も少ないからナーバスな面が見えやすいんだなと思う。

*18:行為の罪はそいつの責だが他の選択肢が見えないとこまで追い詰めた環境と状況までそいつの罪と責めるのか?

*19:余談ですが。無害であるというのと無力であるというのはひどく似ていると思う。自分に害をなしてこないと見くびっても安全な相手を、もしくはそのように無力化したい存在をこそ、人は「可愛い」と呼び愛でるんだよ。SLAPSTICKSの感想でも言ったけども。おんなのこ(年齢概念をはらまない用法)の使うカワイーは加害性のある何なら実害もある対象からせめて心を守るための防衛機制なので因果が逆ではあるけど。

*20:私見だけど、キリスト信徒において心とは信仰心の根ざすものを指す傾向があるなと思う

*21:ある属性を持つ者をそう自覚しないで軽んじるという現在ある差別を意識させることと、“その属性を持つキャラに嫌な印象を持った”が同時に起こるの、現状に対して致命的な悪手だと思う。前者の行いって、その属性を持つ者を「子供のように未熟ではない、同じ重さの意思や判断力がある人間として知覚させる」ことに近いと思うんですよ。見えていないから差別をしてる(=軽んじている意識がなかった)人々がその属性がある人間も社会に出てりゃ自分で自分のケツが拭ける一大人だと“気づいた”最初のタイミングで、その属性の人物に「なんとなく悪印象のある存在だった記憶」を持たせることになるわけです。……私がストーリーテラーだったら状況発生そのものを避けますよ、自覚ない軽視がステレオタイプの偏見に変わるだけ、“なんとなく嫌い/苦手”を植えつけるぶん差別の助長にしかならないから……。

*22:この人物の中の人(って言い方も変だけども)は制作側のキャラ設定とか客に持たせたかった印象とかの“作る側が定義する正解”を(業界のコンサートで見る限り)相対的にあまり口になさらない役者さんなんですが、これに関しては確定設定で演者やカンパニに共有されてますとか万一にでも言われたら脚本家らの想定するヒトの残酷さ度合いに立ち直れなくなってしまうので万一よしんばそうだとしたらもし持ち出すにしても2年後とかにしてほしい。ごめんけど今このホットタイムに出されたら私のメンタルが西欧ヘイト過激派に向いてしまう。

*23:信仰、ゆるふわ多神教のくに日本だとそこまでだけど、一神教系の人と話してると特に人格の根幹とか人としての尊厳とかと同程度の重さがあることが多いと感じます。個人的にはね。

*24:“いい歳して独身”、日本より西欧のほうが半人前扱いされるぞぃ

*25:アメリカで公共交通機関を使うのは運転免許を持てず送迎を頼める相手や金もない、訳アリの人間のみなので非常に治安が悪いと何かで読みました。

*26:これに対して「私は差別主義者ではない、その証拠に黒人の友人がいる」(仮にも「友人」を肌の色でラベリングする考え方がまず差別的なんだけど当人だけが気づいていない)の焼き直しじゃん、この21世紀にとコメントしている御仁を見かけて教養だなあと思いました

日本上演カム・フロム・アウェイ感想、の、いち。

感想っていうか、……まあ感想か。
これ承前でお願いしますなんですが、私これから人種差別用語をそこそこ多用する気がするんですけどわかってその語を選んで言ってますのでそれはよろしくお願いします。オール「そういうことでいいんですよね、フィクション世界の話じゃないんだぞ」です。

えーと内容じゃない観劇感想をまずよろしいです?史実モノなのでこれだけは言っときたいんですよね私ね……。
※ここにキレすぎて内容に入れませんでした。内容はこっち
 
日生1階にあった展示(他会場でも置いてるのあれ?)、ねえなんでアメリカ側から見た記録を『真実の歴史』としちゃったんです?アメリカ寄りでなくてもだ、相手国寄りでも第三者視点でもです。
国際的なテロ事件について、ひとつの切り抜き方を「真実」と軽々に言い切る意味を本当に考えました?見た瞬間に背筋が凍ったよ……。

追記補足(↑) 内容読んだのか読んでないのか「こいつはパネルの内容が間違っていると言っている」と勘違いしたマンに絡まれたので先に言い足しますが、私は提示情報の真偽なんて話はしていないです。
何を書いたかだけじゃなくて何を「書かなかったか」も思想が出るんですよ、ことニュースや記録においてはそれが暴力になりかねないってとこから復習しなきゃいけない大人もいるとは思ってなかった。

何を「あった」とするか、まして「正しい/正確だ」とするかなんてめちゃくちゃデリケートなところというか、極論言ってしまえば史実モノの当時情報や背景の共有って作品そのものより気を遣うとこでさえあるんじゃないかと思う*1んですけど、強者*2の「事実」を真実と言っちゃうのもうちょっと配慮が必要なところだったんじゃない……!?何を「事実」として紹介するかでさえ表現と内容にかなり気を遣わなきゃいけないとこだと……思うんだけど……。

私エンタメ業って物語や言葉選びが受け手に与える影響が大きいってことを他の誰よりもわかっている(だってそれを売って食っているんだから)と思っていたんだけど……買い被りでしたか……
”true history”や"the truth"を直訳しちゃったのかなと思うんだけどさ、同じくデリケート史実演目のアリージャンスではもうちょっと頑張れてたじゃないですか……。
 
いやあのね、アメリカ上演でならこのワードチョイスになっちゃうのもわかるんですよ、当事国が自分らに都合よく寄った、それを言いすぎとするなら自国から見た歴史観を「真実」と言うのは、中立ではないと思うけどまあまあわかる。それが、まあ、愛国というものだと思うし。だから自国史と世界史の両方を学ぶ必要があるんだし。
自国でのまとめは自国に都合良い切り抜きと解釈がされている(たとえ事実の集合であっても!)だからこそ相手国のそれを見て自国のそれを心を守りつつ(目を逸らさない、価値観を変えるという行為は、安全圏が確保されていないと行えない。)振り返れるわけで。
当事国でないマンは当事者2国の見解と第三者の見解を併せて見ることで多角的でより客観に近い「出来事」を知ることができる*3わけで……。

私ぶっちゃけ社長が変わってからのホリプロの好きじゃないんだけど(共有地から「収穫」するのみでその維持をする気がなく見えて。)この瞬間だけはこのあまりな無配慮がホリプロだからであってくれ業界の肌感覚ではなくあってくれと願ってしまったよね何故なら今年はこの後にWWⅡ題材ミュージカル*4が二本控えてるから。
 
国単位で言えば当事国でない、肌の色という最も目に見える人種単位でいえばアメリカで“ない”側の(そしてこの作品の解説においてはテロした奴らとより近いに加え、差別の被害者に近しい側の、のニュアンスをはらむ)人が多い日本がそれ(西欧から見たときにやさしい世界と感じる情報の切り抜きを「真実」と定義する)をやってしまう*5、しかもエンタメを売ってる企業が悪びれもせず、これが本当に恐ろしかったという話でした。
普段なら実話題材の作品を完全創作と同じノリで扱っちゃういつもの無神経かで終わりでもいいんだけどさ(言うて独自言語の島国だし……)、今の、この国際情勢でその選択をしたの、……そういう立場表明でさえないならちょっと恐すぎるよ……。
どうしよう内容に入らず2000文字いきました。でもこれ本当にあの日いちばんに恐かったところで「ホリプロ上演ミュージカル カム・フロム・アウェイ」で最も衝撃的だったところなんだよ……。

ごめん内容の話するのまた別にでねでもいい?
→書きました。途中まで。

*1:日本人、に限らずかもだけど、日本人は演者と登場人物の人間性の混同はしない傾向が強い一方で、創作としての経緯と題材事象の事実との完全同一視には陥りやすいよね。印象操作と思想誘導をしやすい性質だなと思います。蛇足だけど私が日本版および韓国版スリルミの出し方、実在事件であることは述べるが名前から何から切り離しまくって(同一視すべきでない)完結したフィクションとして扱えるようにしていることをよく考慮されていると思っているのはこのあたりです。聖書・礼拝・神の国が生活と人格に染みついていない民族には、ユダヤ人の金持ちがそうでない子どもを殺したって事件のニュアンスを肌感覚で捉えることはどうあってもできないと思うし(付け足された創作部分があのオチだし。『私』は『彼』を愛してる限り煉獄行きだけどそのニュアンスも伝わらなかろうし)、それならフィクション性を上げて殺人による不可逆な変質をだけ持ってくるほうがよっぽど配慮してあるんでは。

*2:私この「強者」についてはアメリカの、とか英語話者の、ではなくて「アルファベット言語圏の」「コーカソイドの」「キリスト教信仰が生活に溶け込んでいる地域に属する」をイメージしていたんですが、もしかしなくてもしっかり認識共有しなきゃ伝わらない箇所でしたね?

*3:ゆえに私は日本でWW1~WW2周りの演目やるの賛成じゃないんですが。日本のいまの創作、その時代ドンピシャ舞台背景でもそのあたりが綺麗に排除されてる(から、よその国の創作を見て思想が強いなと感じる)ので……。当時の自国の歴史観がないができてないのにそんなことやると、相手国への感情が強烈に悪化すると思うな私……。天秤の一方に乗っているべき自国観の錘がない。

*4:私はあれらのこと、ここ30年弱で大正〜WWⅡの国際情勢や国内の肌感覚をあらゆるエンタメから排し続けてきた(こまつ座の喜劇寄り演目でさえ思想が強く見えるってそういうことだと思うよ……)日本には演って平気なだけの土壌ができてないよと思っているけど……。「しょうがなかったと考える自国に都合の良い歴史観」を持つ情報機会さえなかったのに、相手国側のそれだけを向き合うべきものとして押し付けるの相手国への嫌悪感情を煽る悪手になりかねんと思う……。そこのフォローをするために相手国側の価値観としての作品を書き換えるのはもっと悪手だし……。

*5:題材がセンシティブなだけで提示情報はそうじゃないじゃんって思ったマンがいるっぽいので(絡まれたので)1個だけ確認したいんですけど、万が一「この世界の片隅で」で同じことが起きても同じこと言うんですか。WW2は、原爆は題材なだけって。私はそんな恐いのヤなんだけど……。

狂言の夕べ調布公演ログ

野村萬斎さんが解説……進行?の「狂言の夕べ」に行きました。
野村萬斎さんのことはベッジパードンでしか知らないですが、相互さんがなんかすごく好きな人とという認識です。どっかの劇場の演出担当もしてなかったでしたっけ。

最初に萬斎さんが狂言とは、と本日の演目についての解説を入れてからの実演もとい上演の形式でした。
すり足で動くから歩いても頭(肩から上?)が動かないんですよーとか、狂言で役者がすとんと座ったら「そこにはいない」のお約束ですよーとか、各演目のあらすじと見所と特徴的な単語(お手元のパンフにも単語帳があるけど)とか、一通りお話しされてたこともあり、何にも知らんで観ても困ることはありませんでした。

萬斎さん、癖なのかそういうものなのか左足に体重乗せて立ってることが多かったんですけど、体の向きを変えるときに左→両足→右と重心うごいても確かに頭の高さが変わらず、すーっと滑らかに動いていてすっげえな……と思いました。
狂言と歌舞伎や能との違い(能との違いだったかも)も話していらっしゃった……はず。狂言は「いま」「ここ」のお話なので登場人物らは「このあたりの~と申す(うろ覚え)」と言うとか、幕(なんか厚くて艶があっていい布ですねあれ……)の向こうも狂言は地繋がりの場所(能だったか歌舞伎だったかは幕が此岸と彼岸の境目になっている)とか、そういうお話だったと思います。
萬斎せんせーこの前半部分だけでもつべにアップしてくれたりしませんか、たぶん全国の中高教員(芸術鑑賞会担当になってしまった国語科教員)がよろこびますよ。


昆布売
昆布売と侍の最初の会話で祐基さんがにまっとしてたので、あっここがおもしろいところなんだろうなと思うなどしました。
天丼だ!これが天丼ですね!と昆布売と侍の「売れ」「あぶないませあぶないませ(うろ覚え)(なんか2文字でついてたんだよ尻に)」の繰り返しで思ったんですが、そういう理解(繰り返しのおもしろさ)で合ってます?
昆布売がだんだん調子に乗ってくのとか、なんかだんだんうまくなってないか侍?とか、でも2人ぴったり揃ってるのに昆布売のほうが板についているように見えるのたくみのウデマエってやつだなとか、そういう感じでした。
掘っても地獄が出てこない話の感想はこんなかんじになってしまう。演者による違いもあるんだろうけど違いも何もこれが”初”なので……わたくし……。

成上り
主従で着物の家紋?紋様?お揃いなんですね!従者のほうが紋が色鮮やかというか、上部のお花みたいな黄色が抜けずに残ってるのは、たぶんあっちの衣装のが換えてからの時間が短いんだと思います。
これも「はなせはなせ」「だめじゃだめじゃ」の繰り返しが何回かあったので、狂言はもしかして天丼が入ってるもんなのかなーと思うなど。滑稽なやり取りの繰り返し、誰でもわかるおもしろさの1つでもあるしな。1回だけだとイマイチわからなくても、繰り返されると繰り返しそのものがおもしろい要素になるし。

二人袴
親と婿を実の親子で配役したらそんなのおもしろくなるに決まってるじゃないですか。
なおこの演目の萬斎さんの解説は「親離れ・子離れができていない」だったことをここに記しておきます。この解説をしておいてからの実の親子が親子役をやるの反則級でしょ。
この演目の前後で休憩が挟まったので、本日の目玉はこれなんだなーと思いました。萬斎さん出てきたのこれだけだったしね。

「(私は)去んだと言いなさい」からの「帰らないでここにいてよお!」「いてやるから!舅殿には『帰った』と伝えなさい、いいね」(雑な訳)のくだりがすごい面白かったです。
祐基さんがまた甘えたな子どもっぽい声で言うんですよこれを。他の親子会話と比べても格段に幼い印象だったんだよなあ。甲高くて抑揚が子どもっぽく舌ったらずというか。いや舌はばっちり回っていたと思うんですけど、そうでなきゃ能を数回みたことあるだけの人間が一発で聞き取れるわけないので。
萬斎さんは顔しかめてわりとうんざりめの返し方だったので、この親は我が子に頼りにされて嬉しいとかではなくしょうがないからそうしてやってるんだろうなと思うんだけど、そこで「しょーがないな」しちゃうからその子どもはそうなんだぞの感がありました(おもしろがっています。)

「おまえに長袴を穿かせたことはなかったな」「教えてやるから覚えなさい」で長袴を着付けはじめたのに、息子が1回とんちんかんなことしたらそっから先は全部自分で着せてやっちゃうのこの親はだめだよ(演目をおもしろがっています) 
帯?紐?を絡めてぴんと引っ張り(ここまで2演目での袴を見る限りハチャメチャに間違っている)ぴっかぴかの笑顔で「こうですか!」した息子にあきれ顔で「貸しなさい」して紐を引き取ってから全部自分で着付けてやっちゃうの。何回も脱ぎ着するなかで1回も息子自身に穿かせませんでしたからね。覚えなさいはどこいった(おもしろがっています)
(この子は)なんと気の弱い、って台詞があったけど、一事が万事こうだったらそらまあ依存の高い子になるよなあとしみじみしちゃった。うまくやれてないっぽいことを、どこがどのくらいとも言われないまま後は親がやっちゃうんだもん。成功体験も正しいやり方も身につかないやつだよあれは。舞はパパと息を揃えてかわいく踊れてるあたり、色んなものを入れ込まれてないからできないだけでどんくさいからできてない子じゃなさそうなので、後ろから手を添えてやってやりゃ数回で自分で穿けるようになりそうなのになーと思うなどしました。何回も言うけどおもしろがっています。昔の時代の風刺コメディだと思って見ているので……。

袴を割いて「二つになった」と満足そうにしてるところ、さては親も暢気マンだな?似たもの親子だな?袴の後ろがないから舞のときの足元がしっかり見えるのでわたしはきゃっきゃしました。ああやって「どん!」って音立ててるんだね。

太郎冠者に酒を注がせたり盃を戻させたりするところ、舅と婿は常体の命令調で話しかけるのに親は丁寧語の依頼調で話しかけるんですよ。
婿は家の者になったからなのか、舅の真似してトンチンカンなことしてるんであって親と同様すこし丁寧に話しかけるべきなのか、どっちなのか……は知らないのであとで相互さんに聞いてみようと思いました。わすれてた。

祐基さんは舅や親より少し前のめりに立つんだなーと思って見てました。役割の違いなのか立ち方のくせなのかはわからんが(狂言みたことないので。)

 

ジョン&ジェン12/24(Dペア)、と雑多

「ようやく気づいた」の大サビ、決意をした戦士の顔で「男」になったのだなの感がありました

このペアの最後の再会と喧嘩、迫力がものすごいですねやっぱりね

田代さん高い音を出しにくそうにしてる?ファルセットはするっと行くけど地声で上がると突っかかるように声が消える(「国のため」とか再会でスーツケースに腰掛けてるときのフレーズとか)
「取ってくるね」の1音目が踏みはずすように裏返って、田代さんでも音外すことあるんだ……と思いました そりゃ人間だからあるんだろうけど

1幕クリスマス、しーっ!って言ってるけどジョンが引き続き騒いでると楽しくなって一緒にはしゃぎ始めちゃう濱めぐジェン、幼くてかわいいですね。12歳でもまだまだあどけない。
お姉ちゃんにすぐ仲直りするよと慰められて決壊したようにほたほた涙をこぼし、無言でぐずぐず泣きながら腕を引っ張られてる幼児
初見でも似たようなこと言った気がするんですがなんで幼児の解像度がそんなに高くていらっしゃって?

濱めぐジェンの相手のときだと「なんでもない」をほんとになんでもなさそうに言うんだな。
濱めぐジェン、困らせるようなこと言わないで!と怒った後にハッとして口を押さえるの、お姉ちゃんしようとはしてたんだなとなる。その後のキレ方、私は副音声に『もうあんたなんか知らない!』が聞こえてしまうんですけれども。子どもの癇癪

最後の再会で濱めぐジェンがはしゃいでぴょんこぴょんこしてるのを子どもの仕草だなあと微笑ましく眺めていたんですが、その後の「気づいてよジョン!」でも同じように飛び跳ねて地団駄踏みながら訴えてて、子どものままのジェンともう大人になったジョンを並べて見せつけられるの えぐ(好きです)

「後ろ向いて後ろ」
「後ろ?なんで」
(歓声を上げて飛び乗る)
「うっわまじかよ!」(笑いながら背負い直して走り回ってやる)
隅々までジェンのほうが子どもなんだよな……このペアな……

「ジェイソンがねー(バンクーバーで仕事を見つけた)」と話す濱めぐジェンの姿が愛する者を信じきってるときの濱めぐさんキャストのそれで おれは 少女性……

「愚か者ジェイソン」のフレーズが全曲の歌の音で一番好きなんですよねわたくし 田代さんに限らず男性の声、その人がキツくなるほどではない低い音をシリアスに重く出しているときが美しく響くと思う 綺麗なハイトーンも好きだけど低いとこがちゃんと重くて深いの男声の特権だと思っているので……
ルール!ぐるぐる唸るようなジェンの声もそれはそれでいっぱい好きなんですけどそれは濱めぐさんのどす効かせた声がめちゃくちゃ好きだって話であるので……また別なので

「もう4年も(帰ってないね)」「時間はあっという間」まで聞いたジョンが目を閉じて深くため息を吐き天を仰ぐ、それはさあ その強い失望と感じているズレを電話の向こうに伝えることはもうしないのはそれはさあ

熱がはいっていく(たぶん、音が上がって行くので)ところでだんだん目がうるんでいき、「国のため」と言い切るときが一番涙の膜が熱く見える

田代ジョン、おしゃれ……というより大人みたいに、なのかな、固めた髪の毛にめっちゃ触るの思春期まだ抜けてないみたいに見えてかわいいな このジョンが髪いじってても不安の代償行動には見えないから安心してかわいらしく見える

 

このペア母ジェンが脆いからか息子ジョンも脆そうで、18歳の詰め寄ってくところが本当に死にそうでこわいよ

「危ないことしないでね」「寂しくなったら電話するのよ」
「わかった」「わかったって」「わーかったってば!」「はい!」「ばいばーい ママー!」
ママを引きはがして離れて両手でストップ!をして、完璧な笑顔と朗らかな声をキープしていく若干10歳、ヤングケアラーの熟練度が高い

「どうしてかわかるよ」「僕のパソコンを勝手に開いてメールを消したんだ」憤りも興奮も責める気配も見せずに静かな哀しみだけを見せる、本当にケアラースキルが高いんだよな田代ジョンな……。森崎ジョンはため息や声の棘に怒りの感情が覗く(向けようとしてないのはいい子なんだよ)
いやどっちも良い子だなとも思うけどこのジョンがこうなのは物静かで大人しい子だからだけじゃないじゃん、シャロンに伝えなきゃと喜ぶときはちゃんとテンション上げてはしゃぐんだから。喜怒哀楽の喜と楽の表出だけが大きい子ども、怒と哀はないんじゃなくて見せるのを諦めて殺してるだけなんでないかな……トークショーで第三者に話すときは憤りを隠してなかったじゃんジョンくん。

1幕の「目を離すと」が「神様!」を汲んでるのはなんとなくわかってたんだけど(「下着が見えてるぞ!」とか)、「(麻薬はどんな感じ?)天国見えたかい?」が「天国へと連れて行って」を下敷きにしてるのかと真顔になってしまいました
ジョンのあの時の祈りは形を変えて叶い笑いごとになったけれど、ジェンのあのときの祈りは形は変わったものの決定的な喪失として叶ってしまった。
ジョンの死因はおそらく墜落死だよね、バリバリと鳴り響くエンジン音のなかに重いものが落ちてくような高い墜落音がまじって。下りていくアメリカ国旗に苦痛か恐怖かに顔を歪めたジョンが呑み込まれていく。森崎ジョンは静かな目で天を見据えて呑まれていき(たぶん、腕を広げたまままっすぐ立っているからそう感じるんだと思う)、田代ジョンは腕や肩がこごまってたり恐怖に喘ぐような呼吸が聞こえてきたりするからそう見えるのかなーと思う

ところで私は“ない”文脈を掘るほうのオタクなのでジョンの最期はジェンと最後に会った服装のままなことにちょっとはしゃいでしまっています毎回。
ジョンは彼女が見知ってはいたあの18歳の男の子のまま死んでいったのに、彼女がイメージするのは軍人として死んでいった“自分が見たことない弟の姿”なの、ジェンの傷は深いんだなと思うし弟ジョンのことを見えていなかったんだなとも思う。
彼は最期まであの男の子のままだったのにね。すっかり背が伸びて声も姿も大人になった、でも姉に置いていかれそうになると泣きそうな顔をする男の子。

ジェンが色々取り出すおもちゃ箱のなか、薄茶色の毛足の長いボア生地がちょっと見えて。テディベアだよねそれ!?になりました。いやわかんないけど、キャンプ!で出てくるテディベアって12歳の子どもの持ち物にしては(、というよりあそこで出てくる小道具群のなかでひとつだけ)いやに古びているのよねあれね。

私はつい2音以上を探しちゃうんだけど末尾の母音を合わせるのも韻なのかな。「自分のヘマ 押し付けるな」で毎回あれ今韻踏んでた?とあれでも母音揃ってはないか?をしている、田代さん毎回同じような突っ放す感じで発音するので

母の過干渉に苛々しながらも「夢があるんだ」「作家になりたい、いつか」をきらきらした目の柔らかい表情で語るDペアジョンくん、自分の夢まで折られてなくて(それを踏みにじられるとはまだ思ってなさそうで)可愛いよね

自分を助け起こしてから懺悔に似た独白をただ黙って聞いている息子の左手を握りジェンがゆるしてねと縋り付く、頭を寄せて涙を落として、手放さなければと引きかけた手をジョンが握り返して止めるのめちゃくちゃ胸熱だなと思いました。自分を手放し離れようとする母の手を引き留めて、驚いて顔を上げた母にそっと微笑んでから応えを返すの本当に物語として美しく、またこれはジェンが主体の物語なんだなと思わせてくれていっぱいハッピーです。ジェンの決断と行動にジョンが応えたんだよ。彼女にとっての世界がさ。


これは所謂『作者はそこまで考えてないよ』なんですが、小学生くらいの子どもが使う悪口や罵りの語彙群って友達に言われた言葉か保護者に言われた言葉かのほぼ二択なんですよ。1幕ルール!でジョンが試合中の姉にぶつける「くっさ!あいつシャワー浴びてねえぞ!」彼はどこで覚えたんだと思います?
またネグレクトを受けている子どもによくあるのが『清潔な衣服を用意してもらえない』『お風呂に入れてもらえない』(親がわざとそうしていることは少なく、それだけの関心/余裕がないから子どもが不潔な状態にあっても意識に上らないのが原因だったりする)なんですよね。
ところで。あの子(弟ジョン)との日々をこの子(息子ジョン)と取り戻そう、のモチベーションで子育てをしているジェンはキャンプの曲で「終わらない洗濯物」みたいなことを言ってたりするわけですが。
以上、作ってる人はその意図ないと思うよ(タブンネ)な教育業界最悪知見の流用解釈でした。


濱めぐジェン、「パパなんていらないし」で表情変えてフォロー入れるんですね。それまでは息子が無邪気にしてる(して見せてる)のにつられての笑顔……だったよね?
「パ パ なん て い ら ない し」で1個ずつ音下がってくから、あそこでジョンの声が落ち込んでってるのかなあれ 音楽のことは何もわからん でもやっぱりこの作曲家、楽譜に全部書いてある系では?
ところでここのフォロー、「パパもあなたを愛してる」なんですね?優しい嘘をついたわけではなかった。まあジョンくん「(パパは)ママが嫌いだから来ない」に気づいてるしな……。
おじいちゃんは200マイル離れた先から活躍しない孫の野球を(たまには)観に来るし息子も息抜きのためにひと夏で3回も避難するしで愛されてるし懐いてるけど、パパはママには近況報告してるっぽいものの「来られないわよ」で、長じたジョンもパパのことは口にしなくなっていくので、結果的に優しい嘘になってしまったわけなんだろうけど。


5歳では「いなくならないでね」と言っているジョンが10歳では既に「もうほっといてほしいんだ」をしっかりめに(田代ジョンはけろっとしてるけど文節で音が強くならない?)口にするの、そして思春期トークショーでは「ひとりにして!」と何度も訴えているのだんだん深刻になってくよなと

苛々した調子で聞いてはいたジョンが「(新しい恋人の)シャロンと」でがばっと振り返るのが
いくらジェンでもそこまで踏み込んでくるとと思ってなかった、って雰囲気でかわいそだなと思う ここまでのジェンの干渉、『おじさん』の物や好みを押し付けるのととにかくついて回るのとは見えるけど、人間関係そのものに干渉することはなかったよね、そういえば。おじいちゃんとパパ以外は出てこない。ジョンとパパとおじいちゃんとおじさんと、ここまで世界が閉じているからトークショーで他の繋がりもある(「仕事があるわ」(新しい出会いも探している、みたいなことを言う、「◎◎◎◎するわ」の7音だったと思う)「カウンセリングも」)と言い募るんだろうけども。まあ早々にネタが尽きて「夫はアル中」となるわけですが。


【Dペアカテコご挨拶】
濱めぐさん「まだジェンが抜けきってなくて」

濱めぐさん「喋りすぎると(3音の何か)になっちゃうから」
田代さん「聖子さん昨日すげー喋ってたよ(だから大丈夫だよのニュアンス)」

田代さん「(Bペア公演の後)ご飯食べに行って、(お店に親子連れがいた)」「(騒ぐ子どもを母親が窘めて、)そしたらお父さんが『サンタさん来ないよ』って」
田代さん「ジョン&ジェンやってる!と思って」「みんなやるんだ!と」「盛ってないんですよ」

田代さん「(5歳やってると肌が若返る気がする、化粧の)ノリが、……(相手役の肌が)綺麗だなーって」
濱めぐさん「(子ども時代のシーンは)抜けるから」「わーっ!って」「大人はやらないじゃない?わー!ぎゃー!って」

濱めぐさん「メリークリスマース!」(いつもは言わない)
田代さん「メリークリスマース!」(毎回言う)「楽しかったねー!」

 

【雑多】
2幕10歳のルール!で「あの子はか弱いから」「小ちゃいから」を聞くたびに“誰と比べて?”が頭をよぎってしまうんですけどわかりますか か弱いはともかく(息子ジョン、インドアの趣味多そうだし)小さいは比較しなきゃ出て来ないでしょ
この曲の導入、ジョンくんぜんぜん楽しそうじゃないのに「バットがボールを打つ音」と「グローブがボールを捕る音」がかなりいい音(SE)してるのママといっぱい特訓した(させられた)んだろうなの気持ちに 棒立ちのままつまんないって書いてある顔で腕だけ上げて捕球するの野球楽しんでなさそう


アメリカでは「崩壊した家族の絆の再構築」がド定番というのを聞き、待って、待ってくださいそういうこと!?となってる ビッグフィッシュもJ&Jもそれが作品の核かつアメリカじゃテッパンの感動どころで、家庭崩壊が(相対的に)起きてない日本ではお客側にその消化酵素を持ってる人が少ないの……?
私さ、ビッグフィッシュ観たとき、楽しい曲もあるし歌詞が繋がってるの見つけるとワクワクするけどお話としてはあんまりおもんないな(子どもを使って親が気持ちよくなる話だなって)と思ってたんですよ。んだから今回J&Jと作曲家が一緒と知って驚いたんですけど、曲は楽しいけどお話とオチはいまひとつ物足りない、今回見かけるJ&Jのお話があんまり刺さんなかった人の感想と近くない?気のせい?

マリーキュリーでも演出意図や解説をもっとパンフに書いてよ(写真や役者のトークじゃなくて)、言ってるお客さんが多かったのもこれ?あれも作品のうま味(人間関係)の一方は「親のキモチを理解することで崩壊した家族の絆が再構築される」話だよね。
マリーキュリーから摂取できる人間関係のうま味のもう一方、たぶん身分や立場を超えた女女の友情。「こういう話なんだよ!」と公演期間当時にめちゃくちゃ評価されてたよねこの要素。(私は細部の仕込み大好き科学オタクなのでそっちを追っていたが、おそらく主だった味はそこではない……。)

アメリカでは家族の絆の再構築がド定番、ビッグフィッシュが24時間戦士(だった世代)に刺さってるっぽい感想が多かったのもKAAT版とPARCO版で(ストプレでなくミュージカルを主に観る)お客のラビットホールの評価がけっこう違ったのもこれ? 観た人が「家族崩壊の原因」へ感度が高いものは刺さってる?

PARCO兎穴にこのキャストを集めてやるほどの話かなあの感想がけっこう多かった(私のTLに流れてる評価よりも)の、お客さんがストプレ見慣れてないからなのかなと思ってたんだけど(私のTLは成河さん目当てで観に行った人が多かったので)、見慣れてなかったのは形式ではなく主題……?
KAAT版はミュージカルメインで観る人にも感動する話として刺さりがちだったのは、キャスト陣の中でミュージカル主戦場の田代さんがたまたま直前(だったよね?)にSOML出てたから?家族の絆の再構築部分にあまり味を感じなくても、SOMLと共通してた身近な人の死を受容する要素に味を感じてた?そういうこと?
兎穴ラストのベッカとハウイーが同じ方を向き同じものを見るのが自然に見えないくらいには強調されてて、不思議なところで強調するんだな、ストプレ少ないからかなと思ってたんすよ、不思議なところも何も最重要要素だったからわかりやすく強調されてて?

J&Jは映画「私の中のあなた」や「人魚の眠る家」と似た味がする、話のテーマが同じだからだったやつなんです?映画2作は生命倫理が主題だと思ってたけどあっちも家族の絆の再構築が主役のうま味だったんか、お話の主役が同じならそら観た後味も似るわよ


2幕最後の独白曲でジェンが「聞こえてる?」「闇の向こう」みたいなことを言うの、いいよね。ここで彼女は弟の死を認めたんだな、と思う。32歳の誕生日ではすぐ隣にいるように話しかけていたし、……何より死を認めてないから32歳の誕生日を祝うなんて発想が出てくるんだよな……。

トークショーのジェンの「仕事があるわ」「◯◯◯もするわ(出会い系アプリ)」「カウンセリングも」から「夫はアル中」が来るの、趣味がないんだなこの女……とは思うよね。2番目のが結局聞き取れなかったんだけど、あれ「あそび」だったらどうしようとはまあね、思いますね。そんな感じに聞こえたんだけど流石にそれはえぐいなと思って、だって彼女が楽しいことをしようと考えたときに男遊びしか出てこないのえぐくないですか。でもジェンが父からそういう虐待を受けていたを前提とするなら“あり得そう”の解像度が爆上がりしてしまうんだよな……。
演出として面白いと思うし“息子の他にも私を気にかけて(≒愛して)くれる人はいる”の羅列なんだなとはわかってるよ、でも私は自分の掘りたいところを掘ります。

Dペア、7歳ジョンが「大きくて……」を言い出した途端にジェンの顔が曇るからあーパパはこの通りのことを家でしょっちゅう言うんだろうな(怒鳴ったり手が出たりしながら)になります。ジョンは姉相手でさえ顔見て大声上げたり手が上がったりされると身がすくむし、(そういう意図ではなかろうけど)このペア想起されるご家庭環境が最も凄惨。
気分でもないのに楽しそうにふざけるジェンに気持ちがついていけなかっただけなんだろうなと思うけど、弟の手からボールを取ったジェンが軽く振りかぶるとびっと肩が竦んでからおどおどミットを構えるのを見てつい“振り上げられる手が恐い”子ども、いるんだよな……を思ってしまうんですよね毎度ね。

これは全ペア共通だけど、ジョンが殴られた痕がついてるのが背中の上から真ん中にかけてっぽいの、服で隠れるところね、そうね……となります。パパは殴り慣れているしジョンは殴られ慣れている。家の外の人に見えない場所を選ぶと服の下(それも肌着で隠れるところ)になり、腹を庇って体を丸めた人間を殴るなら背中になるので。引っぺがして腹を殴ったり足差し込んで蹴り上げたりまではしないのは、そこまですると死んでしまうの判断がつくからなのかジョンが腹や尻を外で見せるクソガキ(ジェン曰く)だからなのかは定かではありませんが。後者だったらリスク管理ができすぎててやだし。


「(キャンプに行くから聞かなくていい)あの子のおもちゃ買ってよ」と「僕はママのおもちゃじゃない」リンクしてる!?これは訳詞がすごいやつでは!?やっぱり訳詞と翻訳脚本EPUBにして売ってくれたりしない!?

弟ジョンはさ、「ようやく気づいた」で俺も家を出ていく、時が来たって言ってるじゃん。
私はずっと1幕の再会と喧嘩を「2人の家」でやってるんだと思っていたんですよ。隠れ家にいこうよってジェンが言ってるから。
もしかしてこれ、実家からそう遠くないところで一人暮らしを始めたジョンのおうちでやってる?だから「またこれか!」って怒ってるの?家族を愛し国を守った父を嫌って家を捨てた、家から出ていくのを助ける誓いを立てたから自分は外に止まり木を確保したのに、俺にも同じことをするのかって?
どうなんだろう、でも「ママから聞いてないの?」や「姉さんだけに言うよ」の違和感もジョンが一人暮らししてるなら不思議な状況じゃなくなるよね……。ジョンは離れて暮らしてるから、ママから連絡を取らないとジェンの話した内容は共有されない。ジョンは家を出ているから、軍隊に入ったことを両親には隠し通せる。
まあもしそうだとしたら、そうでなくても、ママとジョンは折り合いがよくないのはほぼ確なんだろうな……。父さんの真似して手を上げてはなさそうだけど。家族のなかで最も仲が良かっただろうジェンに家族じゃないと言い放つまで激昂して、それでも手を振りかぶりさえしなかったんだし。

ジョン&ジェン12/21回

振り返ってびっくりしたんですけどどうして私は平日にマチソワしてるんですか? 有休を取ったからです(どちらもキャストFC枠)

マチネ回(新妻ジェン&田代ジョン)

あのこれ本当に悪趣味なこと言うんだけど、1幕田代ジョンが最期の時に迫り来る死に怯えているの大好きなんですよね……眼前に死を突きつけられて“まだ死にたくない”が浮かんでくる人類の動物らしい弱さが大好きなので……。
誇り高きアメリカ軍として胸を張って殉職していく森崎ジョンの最期も大好きなんですけど……。人間が余裕を剥がれてひとつの生命としての本能的な衝動が出てくるのも大好きだけど、生物として当たり前な本能的恐怖を意志と誇りでねじ伏せて矜持を貫く人間しかしない行いのことも大好きなので……。


1幕12歳新妻ジェン「うるさいうるさい、どたどたしない(気にせずぴょんぴょこ跳ねてるジョン)」
お姉ちゃんかわいいかよ かわいいな

1幕新妻ジェン、弟が泣きべそかいてると隣に座って肩をこんとぶつけて元気出せよとやる、5歳クリスマスで見たそれを12歳旅立ちでも見て大歓喜しました。可愛いね

新妻ジェンの言う「目を開けても大丈夫よ」が大好きだって話もうした?

自分だって泣いてるのに、弟が泣いてるのを励ますために涙を拭って笑って見せる、ジェンの“お姉ちゃん”がおれは好きです たった12歳の子どもがそんなことをしなければならない(彼らにはそれをしてくれる大人がいない)こんな世界はぽいずんです
ジェンの涙が決壊するのが夫婦喧嘩を見たことじゃなくて弟がそれを見てしまったことなのすごくこう、いいよね……

 

12歳旅立ち、ジェンに話しかけられて最初に応えた「なんでもなーい」がすごい寂しそうな声なので、この後の笑って見せてる「ぜんぜん」やこれっぽっちも?に首を横に振るのが強がりか気遣いかだと姉ちゃんにもろばれなのこの姉弟って感じで好き


(姉さんの言った通り)高校に入ってホームランをたくさん打った、でも姉さんは一度も観にこなかった。ジョンが自分の言った通りに野球を続けてたと知ったとき新妻ジェンがはたと顔を上げたの見ましたか

ジェンに訴えてたときは子どもの縋るような目をして顔をあげていたのに、「(時間が経つのは)あっという間」でジョンが俯いて表情が暗くなり、そこから「今年のクリスマスは帰るね」にもほとんど反応しない もうジェンの約束に期待をしていないし「サンタはやって来ない」

「「なんて……」」「おっっきい!」「ちっちゃい!」、ジェンはまだ子どものまま、ジョンはもう大人になったを突きつけられる再会の始まりがこれなの作詞家が天才すぎませんか?1曲で伏線を仕込み回収してくるその技術いったいなに?


2幕18歳の諍い、こっちのジョンの「ひとりで生きていけない」はなんか、そんなになるまで溜め込んでたんだね君は……の気持ちになる 助けても泣き方も忘れた子どもに見えるんだよななんか

2幕10歳、曲が(試合が)始まるまでバットをずるずる引きずっててやる気もないしあんま好きでもないし運動神経もどんくさいんだながしみじみ伝わってきておもしろいな
ジェンが彼以上に熱くなってワーワー言ってることに寝っころがってまーた始まったとしてるのでなんか観てる側はホッとするけど

「いじわるをしてるだけ」と「息抜きは必要だ」がぴったり重なるの作詞作曲が天才と思ったし背筋は凍りつきました。楽しいです。楽しいんだけどなんかこう、今日のお客はジェンの過保護過干渉を面白がるのもあって過干渉タイプの虐待と周りの大人の反応(ありがち)が子どもを更に追い詰めてく事例を追体験してしまい(だいじょうぶです楽しんでます) いやあのね無関係の第三者から見てたら滑稽なのはわか……本音を言うとわかんないけど戯画的にやったら滑稽に見えるんだろうなはなんとなく……やっぱり脚本家は虐待とヤングケアラーの解像度が社会環境含めてでやたらと高くありませんか!?

ジョンの面影を断ち切ろうとしたジェンを記憶のジョン(弟と息子がぐちゃぐちゃに混ざり合っている)の声が追い詰める場面、あのぱちぱちと変わり情景から切り抜いてきたような台詞の再現たちを聞くたびにSOMLアルヴィンを二期やるとこれができるようになるんだなと思ってしまうのはゆるしてほしい どっちかと言うとこれができるからアルヴィン役を任されたの因果なのだろうし

偶然に“ない”物語を見るオタクなので、1幕ジェンが「でかい夢」や「守って、ジョン(2人の家を)」を考えるときの新妻ジェンと、母が笑顔になってくれることはないかを考える2幕5歳の田代ジョンが似たような仕草(上を向いてぱちぱち瞬きしてる)をしてることにテンションを上げてしまいました。落ち込む大事な人を笑顔にしようと考えるときの癖が似てるの親子感あって可愛くない?

2020年トークショー、新妻さんの司会が喋り倒す間に田代ジョンがすごい勢いで舌打ちしてて荒れてるなティーンエイジャーと思いました 「皆さんこんにちはぁ」からもう舌打ちしてる

12歳キャンプ、下に行こうとするジョンに抱きついたままのジェン
「気をつけてね」「うん」
「危ないことしないでね」「うん」
「ちゃんと帰ってくるのよ」「うん」
一旦離れてまた抱きつき、正面から向き合って頬に手を添える
「(聞き取れなかった)」「うん」
「やっぱりママも」「うーん」(首を横に振る)
ママの距離がな、近いんだよな

5歳7歳の弟ジョン、ジェンの言ってることはあんまりよくわかってないけどジェンが楽しそうだから自分も嬉しい、みたいな様子があって、この相手の気持ちに同調する素養の高さのままジェンが離れた中高時代を過ごしたらそらまあそうなるよな……と思ってしまいました。動機をわからないままに家族の情動に同調できてしまう子どもをパパの機嫌が支配する家に置いて行ったらそら父さんみたいな価値観の男になるわよ
それはそれとして大きな声や強い感情をぶつけられることに怯えを見せるの、そういうのが来ると次には痛いことがあるのを知っている子どもっぽくてぅゎと思いました 暴力が日常にある子どもの反射じみていて

新妻ジェン、1幕13歳あたりの「待て!」を2幕ジョン5歳でもやるので同じ人なんだなあの質感がある。ところで新妻さんも濱めぐさんも2幕だと唇の線か赤かがはっきりしてて、出てきたときの第一印象が大人の女性なのすごいね


ソワレ(濱めぐジェン&森崎ジョン回)

最後の喧嘩、“自分の正義に酔わないで”、“真実を見て”をジェンが言うの本当に仕込みと回収がうまいよ脚本作詞がさ。石油業の大企業が私服を肥やすために若者を戦争に送り込んでいる、まあひとつ本当がないとは言わないけど一面的ではあるよね、というかそれを軍隊に入った(と知ってるはずなのに)ジョンに言っちゃうところが“正義に酔っている”

「男ダラケ」1番、新妻ジェンは紅を刷きポーズで女性の曲線を強調しの自分を飾り立てる虚飾をして、濱めぐジェンは歯並び(前歯?)を気にしてまだ膨らみの薄い胸を寄せ集めてでコンプレックスを隠す虚飾をするんだなーと思いました 悩みダラケの自分にすることの個性だなあと

「パパなんていらないし」を聞いたジェンは「パパもあなたも愛してる」をちゃんと返してやれるし、そのときに自分がこの子にこんなことを言わせてしまった(5歳の子に気遣わせてこんな嘘を吐かせている)とわかってるの、あの場面における救いだと思うんですよ。
ジョンの腕や脚や頭をあちこち摩りながら、顔を上げてああ、と悔やむような嘆くような目をするのを見てると、ちゃんとお母ちゃんやろうとしているんだよなこの人も、になる。ジョンの顔を覗き込むときにはママの笑顔を作り直しているのも。
このときのジェンのそれが我が子にこんなかなしい嘘を言わせてしまったことなのか夫婦の不和を見て傷つく5歳の弟を思い出したからなのか他の何かなのかは知らないけども。
この演目、家族を想う(あるいはその場に(キャストとして)いない家族を見る)ときに下手の遠くを見ることが多い印象なのでそれもあってしみじみしちゃう。
ジョンのこの発言には気付いてフォローをしてやれるのに、おじいちゃんと弟関係だとジョンが無理してる(あるいは自分の気持ちを曲げている)のに気付いてもなさそうなの、この2つはジェンにとって根深いんだなの気持ちになる。いま現在進行形であるトラブルより、置いてきたはずの父ともういない弟での傷のほうが深いんだなと。

10歳の会話で「(おじいちゃんちは200マイルも先にあるんだから)毎回毎回来られないわよ」って言ってて、息子と違って野球が得意でもない孫の野球の試合を、それでもたまには見に来る(200マイルの道のりを経て)おじいちゃん、孫のジョンのことが可愛いんだなーと思いました。観に来ても余計なこと言ったりもせず、ジェンとは離れたところで観てるっぽいな(自分が気を遣わなければならないほどジェンが荒れるならジョンが楽しみにすることもなかろうし)とも思った。
思春期のときは息抜きにひと夏3回も遊びに行くわけだしな……。ジョンジェンパパ、時間薬である程度はトラウマが癒えたんだろうか。

2幕森崎ジョン、ツリーを引きずらないようにうんしょうんしょと持ち上げながらちょっとずつ運んでいてえらいなと思いました。ツリーや床を傷つけない気遣いができる5歳、えらい。
2回目の「OK、ママ」がOK?でこれでいいよねの

12歳キャンプ、ジェンの過保護にいやだなまた始まったなの顔しながらも「わかった」とお返事してた森崎ジョンが痺れをきらして「わぁかっったてば!」「ばいばい!」と言ってくの毎回ほっとするんですよね。
あそこでぷん!と怒れるのよかったなみたいな、いやよくはないんだけど近しい人に怒るってある種の信頼がないとできないからさ……。

森崎さん、この曲で腰を回すときに頂点?一番外側に持ってくタイミングと音を合わせて、そこで一瞬速くなってからぴたっと止めるからキレッキレに見えるんです?あれ。どこだったかで膝を上げて行進する場面でも、一番高くなるところで一瞬(上げてた膝が)止まるので動きが印象に残るんだなーと思った。
「男ダラケ」とこの曲はダンスを観るターンだと思っているので毎回グラスを下ろしてしまう、ダンスってその場全体ひとかたまりで観るのが切り抜くより情報量多いことない?


何回か見かけてはいたけど、その可能性あるかもと思いながらみても暴力系DVでも同じことにならない?と思っていたジェンのパパへの大々々嫌忌が、見える人には『どう見ても父親から性的暴力を受けている』に見えるらしく、”存在を知らないとそこにあってもわからない”をわからない側で体験してめちゃくちゃ衝撃を受けています。
何人かがそう言ってるのは見たんですよ。ここまで嫌っているのは、って。見たけど、それを頭の隅に置いて意識して観てさえわからんかった。
それが醍醐味だと思ってるんですよ、安全圏からこういうものがあるを知ることができるのは架空の人物でできた物語にしかできないことなので。でもそれはそれとしてすごい動揺してる。そう言うのを見てこういうとこがそう見えるまで言われてても、私には(虐待が物理的暴力だけではない)可能性にできるところがわからなくて

若干13歳の子どもが「鳥になりたい」は異様だと思ったし(家から出たいがすごい強いなも異様だし年齢に対して幼すぎるのもそう、なりたい大人が思い浮かばない、この子の周りにはモデルにしたい大人の姿がない)「ママは悪くないよ!」でパパは庇わない(弟がパパを好いているっぽいからパパが悪いとは断言しないにしても)んだなとは思ったけど、自分を庇ってママが殴られるのを何回も見てきたんだろうなと思ったんですよね。パパが殴るハウスにおいて自分を庇ってママが殴られたり目を離したうちに弟が殴られてるのを見てるから嫌なんだろうな、だと。
家から脱出したら「もう帰らない」なのを”約束を破ったから”の仕込みだと思ったのよ、「あそびに来なね」でシェルターを作ったつもりで、助け合うの誓いを忘れてしまったから、自分が誓いを破っただから「あの子が死んじゃった」なんだと。

ゲ謎の丙絵ちゃんのもだけど、『家から出たいを強烈に欲する』『その手段として男を選ぶ』に肉親からの性的虐待を結びつける思考が私の中にないんだと思う。……わかんないけどたぶんここもだよね?あそこが父からの性的虐待がある、を拾える人の判断要素のひとつになってるの?
脚本家はなんていうかこれやっぱりそういう学問をご専攻していらっしゃいました!?そういうものや事例データへの解像度がどうしてそんなに高くていらっしゃるんですか?

殴られそうになったらお姉ちゃんのせいにしろと言えるのはジェンは殴られたことないからだと思うという感想を見て、なるほど?そういう解釈もあるのかと思っていたんですね。(私はクリスマスの場面の延長だと思っていた、幼い者が自分の痛みを堪えてより幼い者を守る、ママがしようとしてしきれていないように)
これあの、ジェンはそういう虐待を受けているのでは、に”彼女だけは日常的に殴られていなさそう、ひどくは”が乗るなら、光景が一気にえぐくなるじゃん……。ママ*1と弟には物理暴力が向かうけどジェンはそうではなく、代わりに苦痛の記憶を紛らわせるものとして消費される(酒や、従軍婦のように)のだじゃん。

『知らないからわからない、どう見たってそう(らしい)のに全然わからないどころか違和感すらも抱けない』そういうものが随所に埋まってるのこわ(好き)
2幕の虐待はさすがにわからん人いないと思うけど(いない……たぶん……18歳のあの場面まで観て普通の親子でもジョンの心が繊細だったらこうなるよねと思うヒューマンはいな……いないよね!?)、1幕のジョンジェンパパが抱えてる帰還兵士のPTSDやジェンの受けた性的虐待は、そういうものがあるを知らない人には気が付く材料も見えないんじゃないかな。他の誰かの「ここがこうだったからこの人物はこうだと思う」を聞かない限り、なんか変だとは思えない。


この流れでこれを言うのまあそういうことなんですけど、2年目トークショーで「最近ではママと過ごす時間よりシャロンと過ごす時間のほうが長いそうじゃないですかぁ?」からの「母親を傷つけていると知ってて、(そういうことしてるんだよね?)」が来るたび(そうなると言われても納得感しかないが)過保護な保護者と言ってもあれはおかしいよというのは、あの、見えてるほうの異様さだよね……? 私がよく気づくほうの人類なのではないよね……?
おかしいよというのは距離感がって意味でもだし虐待じゃんを抜きにすると滑稽(ティーンの子どもに対して恋人以上に自分を構ってもらいたがる30過ぎた大人)だって意味でもなんですけど、……なんか言っててだんだん怖くなってきたぞ。異様だよあれは。ジョンはそれに反感持ってるからまだそこまで癒着してないかもだけど母親→子ども側は完っ全に異様だぞ。
『子どもを恋人代わりにしてる』と言われる夫婦不和やシングル子育てで起こりやすい事例の典型で、まああの確かに日本だとめちゃくちゃよくあるからか微笑ましいですねでもお母さんはそろそろ子離れしようねなトピックの作られ方もしがちなんだけど、……さ、参考資料置いて行ってもいい……?
https://serai.jp/living/1038491

”僕はそのメールを知らない”のほうにはショックを受けてるみたいだけどママのメールボックスに僕宛のメールがあること自体はそこまで驚かない、というか母さんのiPadの中を見る(母さんがこっちを見てないのを確認してからではあったけど)ことが日常の選択肢として出てくるのジョン側もだいぶ感覚おかしくなってるな……と思う。親子関係の癒着度が高すぎるのがジェン→ジョンだけじゃなくてジョン→ジェンもそうなってきてるじゃん……になるというか。

 


「男ダラケ」を見ながら自分の身体をだいじなものとして扱えないんだなと思っていたけどもしかしてそれもか? 自分の身体を出会ったばかりの男の子に好きにしてよいものとして差し出している、1回のデートで壊れるようなうっすい愛情と繋がりしかないような。あれセルフネグレクトや自分の体で愛情をつなぎとめるに見えていたんだけどそういえばティーンの子どもは普通は性を対価に繋がりを得ようとなんてしない!?
ジェンが男の子たちに自分の(身体的な)性的魅力をアピールするのは彼女が思春期で色気づいてきた(嫌な言い方だけど)からと思ってたけど、アメリカにおいても年相応ではないんだ……?

「デブ!デブ!〜」のところ見るにジェンが「お と こ」言ってるけど、付き合ってる彼らはそういうもんをあんまわかってない男の子だもんなあ。
お腹が空いてるわけでもないのにめっちゃ食う代償行動とセルフネグレクトがあるんかなと思ってたけどそんな太ってるわけではなく、いきなり裸体を見せられそうになったから咄嗟に(顔ではなく体を貶す)「デブ!」が出てきてる?そういうことなんです?(たぶん違う)
ジェンの1週間を聞いての最後が急にガキのそれじゃんになるの変なのと思ってたけど、ジェンは大人の女みたいな準備してるのに相手の男の子はまるでガキってことなん?
ところで最後が日曜でなく土曜なのプロテスタントの国って感じでテンション上がりますね。日曜日は教会に行く日なのでデートの予定は入らないんだな。


ソワレでマチネの話するんですけど、ジェンの束縛に抗議するジョンの台詞、記憶新しいうちに違うキャストで聞いたら2人とも同じところに音程のっててびっくりした。田代ジョンの「わかんないよ!」音程のってたんですね!?ずっとバツ印の音符(太鼓パートについてるあれ)にしてるんだと思ってた、のってたんだ音程……。


森崎さん、朗読スキルが格段に上がってて若さってすごいな……と思いました。声色合わせて抑揚はおとした台詞たちも、ジェンが手放せばなくなってしまう遠い記憶の断片みたいでエモーショナルだったけど、そのときが匂い立つような記憶の場面の再現も別のエモーショナルがある

2年目の後だったか、交代のタイミングで森崎ジョンがむかっとした顔でちょいちょいと人差し指を曲げてiPadよこせをするの好戦的で見ててにこにこする(ジョンがちゃんと反感を持ってるの、安堵しません?)

*1:5歳のクリスマスで「うるせえ!黙って言うことを聞いてればいいんだ!」みたいな声の前後で殴る音が入る

ジョン&ジェン12/19S Aペア感想

このペア、わたしの観られる公演回が物理的にこの日しかなかったのですがあと3回ぐらい見たかったですね……。ストプレみたいな2人の臨場感はそれゆえにシンクロではなく傍観をさせてくれて、その音楽をもって作品を食べやすい劇薬(賛辞)にしているDペアとはまた違う質感があった。みんな違ってみんないいだよ。すき。

 

1幕ジョン、登場でボールを投げるような動作をして飛来音を口で言ってて、野球好きなんだなーって感じ。

13歳ジェン、3回目の「マーサ!!」の前に『あたしあたし!』みたいな手振りをしていて可愛いでした。2人のなかでのブームなんかなマーサ。
現在する(健在する?)アメリカの偉大な人、「僕らの父さん」を聞くまで新妻ジェンも楽しそうににこにこしてジョンのテンションと一緒にはしゃいでいて可愛い。可愛いしか言ってないな、でもAペアの13歳新妻ジェン、子どもっぽくて可愛いんだよね。
「姉ちゃんがやったんだって言いなさい!」で痛そうな顔して少し俯くジョン、姉ちゃんの言葉の意味をしっかりわかっているじゃん

1幕のジョンジェン幼少期、ジョンもジェンもお互いに、自分を笑顔にしようとする相手の気持ちに笑顔を作る(楽しくなって笑みがこぼれるも笑ってみせてるうちにだんだん気持ちが緩んでくるもある)の関係なんだよなというのが見やすい2人だなと思う。ジェンはジョンに笑顔でいてもらえるよう色んなことを考えるし、ジョンはジェンの気持ちに応えるように笑顔を作ることが多いような。
森崎ジョン、誓いを立てようのところで、2人で助け合う、は笑顔だけど「早く」「遠くまで」には笑顔が消えて少し哀しそうな顔するんだな……。「鳥になりたい」のときも彼女を痛々しそうに見ていて、遠くを見て希望に憧れているような新妻ジェンと対照的だなと思う。

10歳の森崎ジョン、試合中がめちゃくちゃ悪ガキでおもしろいですね。ほんとに純度100%掛け値なしジェンをむかつかせることに全力を注いでそう。

中高時代、ジェンを頼りに慕っていたジョンがだんだんジェンに失望していくのが見えるようで辛いな……。父さんが言ってたジェン(の家族愛)を否定するような言葉を苦しそうな顔で言うような子がさ。
だんだんジェンの意見や言っていたことを口にしなくなって、父さんの考えや言っていたことを、ちょっと悩んでいるような苦しんでるような顔で繰り返して。
切ないな

中合わせのやり取りこれ電話なんだね!やっと確信が持てました。ジェンの今年のクリスマスは帰るね、サンタの代わりに、で森崎ジョンが顔を上げて、ほわっと口元が緩んだので……。
いや文脈で会話だろうとは思っていたんだけど(そうでなきゃジェンの言葉の矛盾が説明つかない)、田代ジョンはジェンの「今年は帰るね」に反応しないから、もしかして聞こえなかった一言なのかなって思ってたんですよね。電話だったぽいので彼はこのときでもうジェンの帰るねにミリも期待を持たなくなっていたんだなが出てきたわけですが

ジョン12歳のジェン旅立ち、激昂する新妻ジェンから『おにいちゃんでしょ!』が聞こえてくるようで、ゎぁ臨場感……となりました。そういうようなことも言ってるんだけど(「もう12歳でしょ」「赤ちゃんみたいなこと言わないで!」)、なんていうかな、『お姉ちゃんでしょ!』を言われて我慢したことが何度もあるんだろうなって感じが。
6歳ジェンは自発的なお姉ちゃんだからあたしがジョンを守るんだをしていたけど、嫌だけどお姉ちゃんだから我慢しなきゃを強いられたこともあるんだろうなって。(ママが言ったかはともかく)ジョン10歳の「母さんが行けって」から『来るな』とは言わなくなるの、そのあたりもあるんだと思うし


「ようやく気づいた」、この曲を歌う森崎さんの声が深くて優しいので、こんなに優しい男の子がこの選択をしたんだなの気持ちになりますね……。森崎ジョンの「父さんに叱られて」、ちょっと視線が落ちるけど優しいままの眼差しと声に、殴っ……きみの父さんはきみを殴ってるでしょ!の気持ちになる、父さんの描写は1幕2場きりなんだけど、でもAペアのパパはジョンを殴ると思うな……森崎ジョンくん幼児期も青年期もひどく優しいから……。

最後の再会で姉の言葉にカチンときながらも笑って切り替える、を繰り返していた森崎ジョンが姉への気遣いを手放して怒るのが兵士の死を侮辱されたときなの、この男の子は優しい彼のまま軍隊に入ったんだなって……。
死んだ兵士の前で同じことが言えるか、俺の家族を侮辱するな、ジョンの怒るポイントはそこなんだなと。「パパの言う『男』になりたいの!?」で怒りに油が注がれるように見えたのでそう思ったんだけど、いえ本音は家族を侮辱された彼がお前はもう家族じゃないで返すのだったら楽しいななんですが、優しいジョンがこんなに怒りをあらわにするのが自分でなく家族のことなのは熱くないですか。

18歳森崎ジョンが「大学院に行くんだって?」をあんまり歓迎してるように見えないの、もしかしてジョンはジェンが大学を卒業したらこの家に帰ってくると思ってた?


2幕5歳森崎ジョン、出だしのちょっとの動きで1幕弟ジョンより(運動神経の)どんくさい子っぽいのがなんとなく伝わってくるのどんな技術を?

新妻ジェン、おじいちゃんちに行く話よりおじさんのグローブをの話をしているほうが(精神状態が)やばそうで、こっちのほうが傷が深いんだな……の気持ちになりました。
前者は対等に扱ってるような感じの、『大人』をしてあげる余裕がなくなったような印象だったんですけど(1幕最後の喧嘩みたいな)、後者は……なんか、なんだろう、あれはやばいやつだよ(メンタルが)……。さっきと違って強張っていながらも口元は一応笑っているのに、見開いた目が全然笑ってなくて切羽詰まってるような破裂しそうな切実さがあって

10歳ルール!のラスト、滑り込んだものの「アウト!」で悔しそうにしかけた森崎ジョンが、次の瞬間に聞こえるジェンの叫び声でそれが飛び、次に浮かんだのがジェンへの苛立ち(またかよー!みたいな)だったのを見てぞっとしてしまいました(好きです) 子どものやりたいや生理的欲求や感情を先回りして取ってしまうこと、親の過干渉の典型なので

12歳ジョンのキャンプは行き先コロラドなんだな どっちも同じ服だ


ジョンの「話を聞いて!」に腕時計をちらりと見て、了承の頷きをしながらも漫ろな感じの新妻ジェンが「大学には行かない」「ずっとここに残る」を聞いたときの、衝撃に打たれて小さく口が開いたまま、目も動かせないままさー……っと血の気が引いていくような静かな変化に大興奮してしまいました

暗めのライトが危機感を煽るものすげえ色になってる中(表情は見えるけど、くらいの暗さのなかに赤が入ってる色だった気がするんだけど違ってたらごめん)、森崎ジョンの優しい声で彼の決断を聞くの、母さんの心象風景って感じでいいな……と思いました。
ここの歌詞、「ひとりで生きられない」「母さん、僕も同じだ」だと思ってたんだけど、森崎ジョンを聞くと「ひとりで生きられない母さん」「僕も同じだ」なのかもなという気がしてくる。いや意味はおんなじなんですけど。僕も同じと続けるんだから前半はジェンのことを話しているんですけど。
このときのジョンくん、ジェンの正面に回り込んでから膝に手を置いて腰をかがめて母さんにぴったり目の高さを合わせ、優しく笑ってこれを言うのでほんとうに、
世界が傷つけるばかりのこわいものだと教えたのは母さんじゃないか、からの、「ひとりで生きていられない」「僕も同じだ」、ここにゆるしのような優しさと自分もだよの共感が続くの、子どもを守ろうと(主観では)してきた母親にこれ以上のインパクトを与えることがありますか。
Aペアの森崎ジョン、1幕も2幕も彼は子どもの頃から(そこは)何も変わらない優しい男の子のまま、優しさでこの選択をしたのかなという気持ちになり、誰も悪くないじごくだよ。


ジェンの最後の独白曲、1つ目の部分がどうしても息子にも弟にも向けてるように聞こえていたんですけど(作品はたぶん息子だけに言ってるよな……とは思って聞いてる、「あの子」と「あなた」で使い分けされてるし真ん中は弟、後ろは息子を想っての話だし)、これ私が日本人だからだなと気が付き、すっきり。
「あの子を引き留めていた」「この涙も」に弟にも息子にも愛していたつもりで道を進むのを妨げていたと気付いたんだなを想起していたんですけど、生者の強い悲しみは未練となり死者の魂を引き留める、これじゃぱにーず死生観でしたね!アメリカの話だもんな、そういえば十字教にはないもんなこれ。”亡霊は生きてた者が一番執着している姿を取る”、”(死者が自分の未練で残るだけじゃなく)生者が想い続けることが死者を引き留める”、そういえばこちらの文化でございましたね。向こうは現世に引き留められてる死んだ者は悪霊くらいだったな?そういや?

ジェンの子ども時代のアルバムを見ながら(たぶん)弟ジョンを想う曲で「あの子は見抜いてたのね」「(子どもジェンの?)悲しみを隠した微笑みを」を言って、
ここの独白曲で「子どもの瞳は見透かしてる」と出すのやっぱり作詞が天才だよ。
あの子(弟)はそうだった、あの子(息子)も同じ、でも弟とはちょっと違う、からの、弟にはできなかったことをあの子にはしてやろうを、息子の誕生時に決意したのとは違う形で再決意するの、作詞と構成が天才すぎるんだよな……。原語版どうなってるのか見てないけど(kindleは買った)、同じニュアンスをもつ違う単語で訳してみせた翻訳も天才。

森崎ジョン、1幕ジェンが戻して「ぁい(再開どうぞの手)」をしたときにバンドを見るのおもしろくて可愛いよね

旅立ちのAペア新妻ジェン、はいはい、するときにCペアみたいなやれやれのジェスチャーしないね?相手によって変えてるのか変わってるのか知らんけど

「お母さんはきっとこう言うでしょうね」でもう身構えてるの、ジョンは何度も何度もジェンと似たようなやり取りしてきてる(からそういうときの想定がつく)のかなの感じがあり、かわいそう

カテコ、3回目で濱めぐさんが森崎さんに話しなよーみたいな手ぶりをしていて、お二人で顔合わせて何事か確認してから森崎さんが客席に拍手して!の仕草をするなどありました。(Bペア東京楽は次の回)

ジョン&ジェン 12/23S感想(Bペア)

②12/23S

もしかして新妻さんも涙腺コントロールが完璧なほうの人類でいらっしゃるんですか?
1幕12歳とラストの場面すごない?

「今年のクリスマスには帰るね」の言葉を俯いたまま目だけ上げて見るのを猜疑の目だなと思っていたんですが、18歳再会のとき、曲が再開する前のジェンの台詞を聞きながらだんだん目の光が消えていくジョンが同じ顔をしていて 彼はもうジェンの言葉を信じていないんじゃん

歌い出しから涙ぐんでいるジョンがさ、「ようやく気づいた」の大サビのところで、涙の跡と赤くなった目元をそのままに目を明るくしてよろこびと希望をいっぱいに映してここでない高く遠くを見ている、鳥になるのを夢想していたいつかのジェンみたいに、ペアの楽日でこんなこわいもの見ることある!?!?!?


怒鳴り殴るパパと言い返すママを黙って身じろぎせず見つめているジョンが「パパには勝てない」で一筋に涙がこぼれたの、相変わらず涙腺コントロールが完璧でいらっしゃるなと思いました。
ここ、黙って夫婦喧嘩を見てるジョンがだんだん息を大きくしていくのが泣きそうなのを我慢してる小さい子どもの息そのまんまですげえなと思う。あまりにそっくりなので毎回笑ってしまってごめんとも思っています。

12歳の旅立ち、唇を尖らせて俯いてくジョンが唇が泣き出す形に歪んで、泣く寸前でぱっと弾けるように立ち上がってジェンから離れて背を向ける、俯いてひとり顔を歪めて涙をこぼし、泣き止んで小さく息を吐いてから彼女に振り返る、18歳の「泣いちゃだめだ」じゃんと思いました いい子なんだよな、自分の涙が姉の後ろ髪を引くとわかっている。

18歳の再会で、すっかり男の声や喋り方をするジョンが「どうしてさジェン!」だけこのときの男の子みたいな泣きそうな声をするので

ジェンが性的虐待を受けていたのではを認識してから聞く呆れとちょっと目を逸らしての新妻ジェンの「そうでしょうねぇ」、めちゃくちゃ来るものがありますが

1幕ジェンのラスト、何も言わないタグを見つめてすっと涙が落ち、「ごめんね……!」とくるの涙腺コントロールが完璧な方の人類でいらっしゃる

「水が割れた!」モーセじゃん


2幕18歳、暗転(暗転ではないが)してからジェンに「ひとりでは、(母さん、) 生きていけない」「僕も同じだ」訴えかけるジョンが涙ぐんでるのもう限界じゃんこの子ども たった18の子にこんな顔させるなよママ

「ようやく気づいた」リプライズ、ジョンが涙ぐんでるのを見ていたんですが、「僕しか与えられない」を言う頃にはその涙が乾いているの いやたぶん目は濡れているんだけど、もう泣いているような揺れはなくて、なにか取り返しのつかない変化を目の当たりにしたようなそらおそろしさだけがある。
わたしJ&Jの好きな曲18歳のあれらなんですけど(1幕も2幕も)、今回この曲で手が震えるほど心臓がばくばく言っていて(ジョンくん泣いてるじゃんくらいの軽さで見てたつもりなのに)、身体が勝手に“今ここで取り返しのつかないことが起きている”を察知してておもしろかったです。視界ががたがた揺れるから何だろうと思ったら心臓の音に合わせてレンズ固定する手が震えてるの。

鳥になりたい、鳥になって空へ、誰にも見つからないところへ飛んでいきたいをあんな希望のようなきらきらした笑みで宙を見上げて言う新妻ジェン、13歳の女の子にこんな夢想をこんな顔で語らせてしまうご家庭環境あんまりだよ ぽいずんだよ

中学生になったジョンが新聞を読んでるの、ジェンに「大人になってよ!」言われたからなんだ!?ジョンくん、読みながらも読み終わっても目をまるくして首をちょっと傾げてであんまり内容わかってなさそうな子どもっぽい顔してて。そういや口調も教科書の音読みたいな読み上げてる感じだもんな
だんだん意味がわかってきてるのか読みながらの反応が大人のそれに近づいていき、音読も感情(だいたい怒りや憤り)がこもってきてる

段の外で演者がわしゃわしゃしてるのしまったげてよとは思ってるけど演出としてよっぽど巧みなんだろうなもわかり、ジェンはちょこちょこ見えなくなるのにジョンは「ようやく気づいた」の後に初めていなくなるのも、子ども時代を置いてくみたいにチェックのシャツだけ脱いで置いてくのも物語の暗示に見ようと思えば見えるやつですっごいなと思っています。キャンプ!のジョンジェン親子関係の示唆(ジョンの一挙一動を注視して後片付けからお返事から遊び相手からぜーんぶやってあげようとしちゃうジェン)とかあの形式だからこそのやつだろうし……べっったりじゃん……。


俯き加減で膝に両手をのせた新妻ジェンのこぼれおちるような「善かれと思い……」、重(好きなところです)
このトークショー、明るくハイにポンポン進んで楽しいけど、司会者たちのキャラとテンションが「HAHAHA!」や「皆様こんにちはぁ↑」でないと重くてしょうがないんだろうな。
ジョンが「(ママが見ているのは僕じゃない、)僕のおじさん!!」も、「あーっららそれはイタい」で受け流されるまでの沈黙の重さがものすごいもんな……。

ジェンがそう言ったわけじゃないけど「あなたのお母さんはきっとこう言うでしょうね」から始まる台詞のラスト怖すぎません?「今までお母さんがあなたのためにしてあげたことを考えなさい(うろ覚え)」ってやつ。うろ覚えっていうか毎回うっわ典型!と思うのにいざとなると言葉がフルで思い出せないからたぶん脳がマスクかけてるんだと思う。あれいわゆる『毒親』の典型パターンなんだよ、お前を育てるために費やした金と時間と手間をお前は私たちに返すべきだ(お前の自由はそれからだ)の思考。普通の親御さんは大抵、私たちにしてもらったと思うことをあなたは自分の子どもや大切な人にしてあげればいいわよをするんですよ……。ここでそんな綺麗事と思った人は、いないと思うけど、もし万が一いたらソッコーでカウンセリング予約してかかってくださいのやつだよ。これはガチのやつです。私も流石にそういう冗談は言いません。


1幕10歳ルール!試合中の挑発の動きがコロコロコミックの登場人物みたいになるのおもしろいなと思う、なんかこう……やったことがないんだろうなそういうことを……みたいな……。このときのシュートを外してくれの祈り、「良い子のお願い」って言っててなるほどだから叶わないんだなと思うなど。良い子は姉ちゃんへの挑発でズボン下げないんだよな。
「ルール2」を破るまでの田代ジョン、シュートがきまってがっくり地面に膝と手ついて項垂れていたのがジェンのほうをぱっと見て、そっから別人のように裏のなさそうな明るく溌剌した少年をするのであっこっちもわかってやってるんだなと思いました。ついジェンを見てしまうのでわざとやってるのかなんか嬉しくなっちゃったのかどっちなんだろと思ってたんだよね

2幕10歳ルール!寝っ転がってるジョンの「ぎゃーぎゃー」にぴったり合わせて新妻ジェンが『ぎゃーぎゃー』の口パクしててあっすごいなと思いました。「かわいそうでしょぉー 出してやって」とその後のフレーズもぴったり口の動き合わせてるよね新妻さん

1幕18歳の喧嘩でジョンは扉が閉まってからジェンの去ってったほうを振り返るんですよう。ちょっと変えた足音なのかキャリーの音なのか他の何かなのか、新妻ジェンの回は軽めの足音(みたいな音)にひとつだけ重めのぱたんとした音がするので(そして田代ジョンはその音が消えてから大きく振り返るので)、いま扉が閉まったんだ、からの追撃がすごいなこのペアと思いました。愛しているのに意地を張り本心が相手には見えない(信頼があれば愛していると疑われないがそうでなければ)、ジョンが父さんの愛情を疑ってないのとセットで見るとこう、けっこうなあじ

1幕序曲、離れたところにいる2人の回想だと思っていたんですけどもしかしてこれ全部ジェンの回想だったりする?1幕終わった直後あたりの?
ジョンの台詞(「あの頃 宿題手伝って」「あの頃 父さんと闘って」あたり)は彼の回想だと思ってたから、ジョンもわかっちゃいて父とやりあったこともあったんだな思ってたんですよ。でも6歳違う姉の宿題を手伝うってよく考えたらおかしいね?おかしいというか6歳も下の弟に宿題が手伝える学力の姉は大学進学どころじゃない気がする。
だからジョンはジェンが観たことないはずの(そしてドッグタグで彼女がイメージしたらしい)迷彩服を着た最期の姿で、握手をしようと差し伸べた手は交わらない(そして懐かしそうに微笑んでいたジェンは強い衝撃を受けた顔をする)の?
ってことは父の虐待を(父に怒られると姉が取り乱すから隠していただけで)そうと認識しきれないまま、彼を憧れとして純粋に慕い続けていた1幕ジョンがいたかもしれないんですか?

12歳の弟が水を向けてもぜんぜん寂しくないと言い張るのを優しい目をした笑顔で見つめて、彼の顔を見ない背中側から「遊びに来なね」と肩を抱いてやる新妻ジェンが弟の意地を尊重してやるお姉ちゃんだったし、そうされると作ってた平気そうな笑顔が崩れてしょんぼりした子どもの表情になってしまう田代ジョンは姉ちゃんにはまだ勝てないんだよなと思いました

1幕の再会、ジェンが軍人や戦争を馬鹿にするたびにジョンの表情から笑いが消えてて 髪をいじられてるときはなんだかだ楽しそうなのにね
ジェンがOK、すると彼女をちらっと見て「ああ」って返事はするの俺は賛成できないけどあなたを嫌いじゃないんだよの感があっていい子だねと思う

2幕5歳のジョンの手紙、内側はどうも星空(黄色クレヨン)とサンタさんの顔(赤と白のクレヨン)が書いてある(あと歌からするにサインも)みたいなんだけど、ジェンはそれを逆さにして見てて「ほんとねー」言ってて、ナプキンホルダーの使い方と合わせてジェンにはそういうセンスがないんだなと思う。
ところであの手紙、表面のツリー横に書いてあるの
「dad v
mam」で合ってます?ジョンはパパとママが別れるとは、あるいはクリスマスにパパがいないとはまだ思ってなかった?
「(だから)いなくならないでね」まで聞いた新妻ジェンがハッとして息子を見る、悔いるような表情で息子をわしゃわしゃしているのいい母ちゃんだよ


「危ないことしないでね」
「1人になっちゃダメよ」
言いながら肩を掴むママをぐいーっと押しやりながら笑顔のままなの

「(サンタ)こ、ここ来ないんでしょ!」言われて12歳ジェンが泣きそうな顔でうつむく、それでジョンが再び顔を歪めてしまう 相手に引っ張られてる子どもがふたり

 

Bペアカテコトークショー
新妻さん「わたくし弟を踏むところでした」
田代さん「踏まないでー」
新妻さん「(1幕で弟から受け取って2幕でジェンがつけているこれは)ドッグタグというもので」
田代さん「ドッグタグは軍人の身分証で」
死んだときに家族に渡されるみたいなところまで説明してて親切だなと思いました

新妻さん「万里生くんとはね10年ぶりの共演で(田代さん「今度の共演はまた10年後」)前回もジョンって名前だった」
田代さん「前回は結婚前夜の婚約者だったけど今回は(新妻さん役から産まれる)」
新妻さん「産みましたー」

【新妻さんにはお姉さんが1人いらっしゃるという話】
田代さん「(新妻さんは)実際に5歳のお子さんがいらっしゃるんですよね」
新妻さん「そうなんです ジョンくらい(田代さんを手で示す)の子どもが」「もう毎日こんな感じ」
田代さん「僕(のジョン)どうでした?」
新妻さん「田代さんの?ほんとにね素敵な息子で」