つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

ウィーン版エリザベートコンサートオンデマンドを見ています。

見ました。

個人の感想です。WOWOWオンデマンドで見られるからみんな自分の目で見てね。
私はコンテンツとしての聖書(特に新約と創世記、レビ記)が好きなのでそういう目で見がちです、ご了解ください。
西のほうのミュージカル、主題でなくてもキリスト教シェイクスピアが出汁みたいに入ってること多いよねと思っています。


Act1

オーバーチュア

これたぶん言語の差なんだと思うんですが、序章ロックだなと思いました。ロックというか……ロックであってるのかな。序章だけじゃなくて全体的にではあるんだけど、こう、音が弾けて飛び出すというか……。もちろん歌い方の違いもあるとは思うんですけど、子音で終わると、特に無声音の子音だと必然音階は乗らないから、ぱんっと乾いて強く弾けるように聞こえるんだな、と。ドイツ語は発音や単語の成り立ちがごついところに終わりの子音が無声音になる音便処理がある(と習った)ので、より際立つんだと思う。日本語ってなるほどな、湿度がある発音の言語なんだな……。
感情強めに入ったときの歌唱から拾える音譜の感じに、あっこれ知ってる……田代さんとか佐藤さんとか(つまりは声楽が土壌にある人の歌い方)で見た……みたいな気持ちになりました。なるほどな……。

 

シシィ登場

シシィに対してマックスが思ってるよりドライ。ほう……。シシィはマックスを鏡というか憧れというかにしてるけど、マックスはそれほどでもないんだな……。

訳詞はパパと父さんを交互に入れてるけど、シシィは一貫してVater呼びしてるね。年相応のお作法は知っている娘、という感じ。

シシィ登場と皇帝とのお見合い発表、日本版だと地続きだけどウィーン版だと3年があるんだね。と、するとシシィこのとき11歳だから、精神性はともかくとしてお作法だけなら田舎貴族の娘としては上々なのでは。

お見合い発表で、ルドヴィカは「我が家の格が上がるのです!」と喜ぶ。
ヘレネの花嫁修業は家のためで、ヘレネ自身もそれを誇りだと思っている様子で、うーん、当時のお家がこういうものなのはわかるんだけどうーんそっか……あなたもかルドヴィカ……。


愛と死の輪舞曲

うわーキリスト教の価値観だ!と大興奮しちゃった。
去ることなくして来ることなし、闇なくして光なし、創世記じゃん……それともシェイクスピアなのかな、そっちだったらごめん(古典文学の教養がない)
トート閣下はシシィという光を見て己が「何者」なのかを理解したんだよ。憧れが確信になり、責務を果たす機構の内に望みが生まれた。魂……というには違うかな、日本版に沿うなら「自我」を得た。

「私の心の鏡に映っている」
私の情緒がしんでしまいました
シシィと鏡うつしなのはトートだった、ルドルフが自我をもつ前どころかフランツとシシィが出会う前から決まっていた。そっか、ウィーン版はこのとき両想いなんだね……。


謁見の間

王権神授説だ!きゃっきゃしちゃう!
「神よ 導き守り給え」だよ!皇帝陛下の為すことが神の意志に適いますように、じゃん。
どうしようめちゃくちゃ興奮してしまう。王という機構は敬虔な信徒ゆえ也だ……。
自分の心を殺して為すべきことを為す、それが自分の務めであり、神の仔羊としてあるべき姿なんだよ。どうしよう興奮しちゃう……。

しかしイケコさん訳のセンスがすごいな……。こんだけがっつり神への信仰が食い込んでるウィーン版をそのまま持ってきたら、キリスト教世界観に馴染みがないと所々動機がわかんなくて消化不良を覚えそうなもんなのに、日本版エリザベートはイエと親子と恋慕の概念で理解と感情移入できるもんな……。神への信仰がアイデンティティと切り離せないキリスト教圏の大衆が自然と理解できる物語を、話の筋をそのままに日本人になじみ深い材料をメインにおいて再構成してるのすげえな……。

 

結婚まで

マックスー!おまえマックスー!義務から逃げたさで火種を置いていくなマックスー!
シシィも嫁がせなければいけないからルドヴィカが勉強で連れてきたのかと思ってたらおまえー!

「僕の傍にいる証に」首輪じゃねえか!!!!!(首輪ではない)
このときには高価な贈り物に喜んでる風のシシィ、即物的で思慮の浅さを脚本が冷ややかに俯瞰して皮肉ってる感じがあってハオだよ。でも日本人にその女性像を世間知らずで可愛いと見なしてねは難しそうだなと思う。
この首飾りをつけてもらいながら君を愛している言われた後に「なんて重い」とか言い出すのシシィ、シシィおまえという気持ちになりました。でも一目惚れしたほぼ初対面の女の子にあの首飾りを愛の証として贈るフランツの愛(というか求めている覚悟)は重い、それはそう。
それはそうなんだけど、フランツの求めている覚悟はまーじでそのくらいの重さなんですよね……。自分を捨てて、欲を捨てて、国のためにすべてを捧げるための覚悟。
たぶんここのフランツはシシィにその覚悟がないなと思ってるから何回も確かめてるし色んな言い方して理解させようとしてる。今ならまだ、証を差し出す前なら引き下がれるかもしれないから。結婚すると決まった後は引き下がれないんだ、ゴシップという意味でもだけど、敬虔なカトリック信徒で国家の看板でもあるフランツに離婚の選択肢は許されていない。

この曲の最後が「けして一人にしないで」でしまるの、この約束を二人はこれから、という目で見てしまって俺の情緒がだめになりそう。

 

結婚式&最後のダンス

結婚式、最後の審判がはじまるの?みたいな歌詞じゃん……。ごめん、ごめん私これヨハネの黙示録にしか聞こえないんだけどキリスト教抜きで見るとどう聞こえるの!?

なるほど?ここでトートが設定した裁きの場で質問にお答えしてシシィの運命が決定づけられた?(誤解防止に言っておくとタロット的にはそういうシチュエーションはたぶん「運命の輪」です。)

ゾフィーとマックス意気投合してんじゃん。うまく行かなかった八つ当たりに皮肉ぶつけてやろうと思ったらお互い同じこと考えてて失敗したの図じゃん。もう君ら友達になれよ……。
日本語版ではシシィを気に入らないゾフィーが放つ聞えよがしの「間抜けね」が、ウィーン版では宮廷の人々の総意としての「彼女は世間知らず!」なのあの、めっちゃ胸に来るんですが、あの……。
考えなしで扱いやすい娘、あれなら自分が入り込める隙がある(実際はフランツはベタぼれなわけだが……)という評、そして彼女はその評通りの考えなしであると、歌う彼らの後ろで示されている、お、おお……。
好きか嫌いかでいえばめちゃくちゃ好きな演出だけどこのシシィを(頭蓋骨含め)あどけない骨格が多い日本の役者とやわらかいというか湿っぽい音の日本語の歌詞でやられたとき愛着持てるかといわれるときついかもな……。イケコ氏のセンスと嗅覚やっぱすげえよ……。

この2人のダンスいいですね……。フランツはシシィをリードして導かれるシシィも楽し気に踊る。彼女がフランツの手を離してはぐれそうになったら温かい笑顔で腕を広げて呼び戻してやる。シシィもそうやってマナー通りになるよう踊らされながら楽しそうにのびのび踊っているのがよいよね。シシィのあやまりを柔らかく正して宮廷の格にふさわしい踊りの作法を優しく教えてやってる*1のお見合いで見たしな……。

なるほど? トートに翻弄されるシシィと、蹂躙される彼女を助け出すことはできず的外れな慰めをするしかできないフランツ? 温かく柔らかい腕で迎えることはできるがその鳥籠は彼女を守ることもできない?


初夜が明けてからAct1終わりまで

初夜が明けての諍い、ここ毎回フランツに(寝てていいと言ったのなら)母上に話通しときなさいよと思うんだけど、ウィーン版の諍いを聞くまいと背を向ける姿と強張った顔みてるとこうなるのわかってて黙ってたやつじゃんとなりますね……。

おまえフランツー!!! それ言うならはじめから5時に間に合うよう起こしとけよー!!!! 躓いて傷つけば学ぶだろう、もっと穏健な学ばせ方もあるでしょ!!!!! いやまあ君が受けた帝王教育がまさにそういうものだったのかもしれんが……。
日本語版のフランツにもフランツくんそういうところだぞと思うが、ウィーン版フランツだいたいシシィに嫌われるのは君が悪いよで笑ってしまうな(好きです)
シシィの「一人にしないで!」にフランツは「誇りを捨てて僕の側にいて」を返すんですよね……。フランツはそれが「二人で」いるだと答えたけど、シシィにとっては捨てろと言われた「誇り」のほうが私なんだよなー。

この言い分は王権神授説(そうするのが神の使徒として正しい)が前提ではじめて「まあしょうがないよな……」となるやつでは……? 己より神の意志を優先する、そして国のため尽くすのが自分に与えられた使命、その考えがない土壌でやるとただの軟弱なひでえ男にしか見えないやつでは……? いやあの私はそういう相互不理解をげらげら笑う回路ができてるのですっごい楽しいんですが

「私だけに」とオーバーチュアをセットで見ると、宮廷の彼らが「闇」と呼んだものをシシィは「光」と呼んでいるんじゃないかなって思っちゃうな。たぶん自由を希求する鬱屈が闇で義務に縛られない自由が光だから光がない=闇で合ってるぽいんだけど、その自由を「光」と思ってるのは宮廷では彼女だけなんじゃ……。

結婚式でシシィは神ではなくトートの言葉にはいと答えた、だから神の従順な仔羊のフランツゾフィーに、トートを心の鏡に映したシシィは反発する、「彼女は姑が嫌うものはすべて愛している」もシシィの子どもっぽさだけでなくてそういう構図のやつでもあるのでは?
使命より心を優先するのは敬虔なキリスト教信徒の発想ではない、よな……?
まあ言うてフランツほど乖離をそのままにしてる人はそんなおらんで……普通は苦悩し続けるのに耐え切られず自分に都合よく解釈したりある種の諦めを伴って自分を騙したりするもんなのに。

そんなこと思いながら見てたら初子ゾフィーの棺をフランツが持って連れて行くのでうぐっとなってしまいました。初子ゾフィーは敬虔な使徒の子どもだから神の国に行けるんだな。つまりシシィとは別のところに行くんだよ。

カフェの民衆がいちばんオーストリアを客観的に見てるの皮肉な話だな……。フランツはいまだ政治を握れず、戦争はよそに任せて政略結婚で外交をうまくやると言っていたゾフィーもうまく立ち回れていない、どちらに委ねてもオーストリアは沈んでいく、じゃん。
ヨ……ヨハネの黙示録じゃん!!!!!!!東京エリザ終わったら読みなおそ……あんまりしっかり読んでないんだよね……。

お、王権神授説……。神に選ばれた次の君主を、神の使命より己の心を優先する皇后に会わせるな。それはそう……その通り過ぎて何も言えない……。
「統治者に定められた者はママっ子ではいけない」ゾフィーゾフィーそれあなたの息子を見て同じことを言える?

 

最後通告

フランツくんめちゃくちゃ嫌われてるしこの構図で彼が彼女を「僕の天使」と呼ぶのおれの心にめちゃくちゃ刺さる やめてくれ(好き)
その天使は神には仕えていない、誰より神の従順な僕であるべきフランツが決して従ってはいけない相手じゃん。
いやまあ……フランツがしてきた愛はずっと包み導くだったから、僕を包んで守ってくれ、今夜だけでいい、はわからんでもないんだけども。自分が背負うべき重荷を一晩だけでいい、分かち合って軽くしてくれないか。マタイの11章*2じゃん(ちがう)
ウィーン版のシシィは最後通告を扉の下から滑らせるけど日本版はいちおう扉を開けて顔は見せてくれる、やさしいね(優しくはない)
シシィはでも、フランツを拒絶しながらトートにも屈しないと言うんだな。なるほど?
ちょっと脱線するんだけど、トートが歌う「よりよい真実の世界」ってこの世界観だとどこなんだろうね。間違いなく天の国ではないよね。

 

ミルク&フランツの答え

「今日は配給なし!」「ミルクを盗むやつ」うわ……。貧しき者に神の慈悲が届かない、施されるべき恵みを盗み取ったのは誰だ?皇后だ!なの?
いやもちろん貴族の浪費を聞いて革命の機運が高まっている歌なのはわかってますが。

国を治める大義、神に与えられる使命がエリザベートを欲する想いに屈した、うわあ……。
神からも逃れ死を撥ねつけて自分だけに仕えるというシシィに、神の信徒は屈したが黄泉の帝王は時は俺の味方だと機を窺う、トート閣下つよ


Act2

before闇広とafter闇広でわけるのほんとごめん。

キッチュ
キッチュが俺らをめちゃくちゃ刺してくるじゃん。その通りですね、我々だって当時の彼女に好き勝手な偶像を押し付けた宮廷や民衆と変わらない。
キッチュの1番、全部"現実とは違う"皇后の姿なのか。息子を気にかけ愛を注ぎ、夫婦仲睦まじく、礼拝堂で祈る敬虔さ。日本版持ち出してごめんけど、ゾフィーサロンで取り巻きたちはそうやって嘆いてたよね。

 

私が躍る時
ウィーン版はシシィの勝利じゃなくて帝王の操り糸に身体を動かされつつも抗おうとしているシシィなのか!触れるのやダンスの形を取らされるのは屈辱とともにゆるしても踊るまではしないと拒絶してるのね。
宮廷で糸を付けられて人形のように操られてきた、今やっと自分の思うようにふるまえるとシシィが歌う1番に、お前は俺の支配下にあるままだと別の糸で操るトートの2番なの?

 

ママ、どこなの?

ママ?ままぁ……が可愛すぎてルドルフをモンペ枠にしてしまいそうです。何もわからないまま泣くしかできない坊や、私の「世界に愛されない者」アンテナに刺さるんですよ。
「誰も僕の髪を撫でてくれない」とつぶやくルドルフの髪を忍び寄ったトートが撫でるそぶりをするの、閣下……?そこで触れはしないからルドルフはそうしてくれる人がいると気づくことはないの、坊や可哀想。
ルドルフからトートへの返事が「ここにいて!」なんだ……。ママがいい、それが無理なら誰でもいいから『一人にしないで』じゃん……。
ひとりにしないでを言えないまま、誰も聞いてない場所でどうしてを言うしかできないルドルフ坊や、好きだな……。

「僕も世の中のように乱暴で意地悪になれる」
ゾフィーが強いる為政が冷酷で冷淡なのは、国にいる大衆がそうだからなの……?
彼らの在り方に相応しい報いを返すのが英雄の務め。それでも、と「時々は優しい方がいい」って呟くルドルフくんは善意の人でいたがるフランツの息子だし、「お出かけのときは連れて行ってくれない」孤独はシシィの子ども時代と似ている。

 

精神病院

オーストリア皇后エリザベートじゃなくて幻想の国の皇后ティターニアだったらよかったのに、でも私はそうではないからしたいことをするために「強い皇后」をするしかない、充ち足りることを知らないように。わあ……。
そういう見方をする場面じゃないと思うんですけど、彼らが思う神の救い(神に尽くせば死後に報われる)を信じない人間が持つ苦悩ってこんな感じなんだなと思ってしまった。

 

ゾフィーとサロン組。

「クイーンをルークの前に置く」ってなんだろと思ったけど、クイーン(女王)は縦横と斜めどこまでも、ルーク(城)は縦横どこまでも進める駒なんですね。ルークの軌道を潰して目立つところにいたがるだけの考えなしって意味? 夜のボートの「あなた(皇帝)の影は嫌」もこれにかかってるのかな。
「皇帝の従属を解消しなければ」ここだけ切り取るとめちゃくちゃその通りで笑ってしまうんだよな。
大司教様ちゃんと大司教の視点から述べてるー!屈したけど……。「火を以って火を制す」計画、つまりは神に従わず自分を通すシシィによる支配に、仕えるべき神ではない「女神」による誘惑で対抗しようとする案なので……。これに異を唱えようとするの、まあ頑張ったよ……。
大司教が一度は明確に反対したので、ゾフィーの案は(神の意志にそぐう)善いものじゃないんだなーと思った。だから誰より神の僕たるべき大司教がいったんは反対する。でも結局は実行され、神の意志に沿わないから「予想外の結果」に転ぶ。娼館で選んだとっておきに「ひどく熱がありそう」な「訳を(女神を選ぶ)彼は知らない」だから、やっぱ想定外なんだよな、彼女が持ってるフランス病。
「皇帝とて弱い」、弱さを捨てなければいけない皇帝の弱さにつけこむ策がよきものであるわけはないんだよな……。

首飾り、首輪じゃん!!!!!!引き千切るって言ってる! 彼女を縛る戒め、所属のしるし。

フランツあの歳で、あの歳の母をママって呼ぶじゃん……訳詞どうこうじゃなくて音でもママって言ってるじゃん……マザコン皇帝……(爆笑してる)(西洋のパパママの使い方と日本のそれの感覚が違うのはなんとなくわかってます)
一度の裏切りがフランツの首飾りを引きちぎらせた、同じように一度の神への裏切りが母子の絆を引きちぎらせる。

ゾフィーとフランツの会話が「あなたが側にいれば」のフランツとシシィのずれとよく似ていておれは泣いてしまいました。ゾフィーは国長としてを話そうとしているのにフランツは個人としての話をする。先に皇族の義務に見せかけて私情を混ぜ込んだのはゾフィーのほうとはいえ、このすれ違いはかなしいね。

 

逃げるシシィの30年

鏡よ鏡、白雪姫組み込みつつ鏡映しのトート閣下に味方する時の干渉って感じでわーってなった。前にも言いましたが私の音楽物語ママはサンホラなのでこういうモチーフの掛詞大好き。

フランツ、訳詞では「母」になってるけどMuterじゃなくてMamaって言ってない!?きみね……そういうところだぞ……。

あーウィーンルドルフは詩を書くんだ ママと同じ感性に憧れている
ルドルフは詩を書かないですね、シシィパートにその訳詞が出てるだけでルドルフのしてることは「私をひどく困らせる」だ。

 

闇が広がる&民の答え

仕える神を取り上げられ縋る母もいなかったルドルフくん、まあ悪魔に魅入られもするわなみたいな顔をしてしまったぜ。
「金の子牛の周りで踊り狂う」……この世界の破滅、まじで神が支配する世界の崩壊じゃん……(詳しくはモーセ十戒エピ*3を読んでほしい)
悪魔に飲み込まれる世界を憂うルドルフが悪魔(神の意向に沿わないもの)の甘言に飲み込まれていく、うわあ……うわあ……。

悪魔の餌を掴み釣り上げられたルドルフは政治に口を出すようになりフランツの統治を罵り出す、うわあ……。
「ラインの守り」は世界史ネタなので私には圧縮された概念がわからないけど、世界史ネタだなってわかるのは高校世界史のおかげなので大事だよ学校教育。

この騒動を煽るルキーニの囁きが「主人に主人はいらない」だから、革命起こしたいドイツ人側にも神はいなさそうだなとおもいました。ここが末法か?仏教圏じゃないけど。

 

ママは僕の鏡だから

ルドルフは世界を『救おう』として神に選ばれた君主に反抗したが、フランツにも民にも受け入れられなかった。だから今一度母にすがる、「あなたが僕の鏡だったら」。でもシシィの返答は何しにきたの?邪魔をするの?なんだな。

こっちのルドルフくんはちゃんと自分のことを助けてって言うじゃん えらいぞ
宮廷も結婚生活も自分の言動をニュースにされるのも苦痛、なるほど?ルドルフの鏡にはきちんとシシィが映っている……。

ああ、シシィの側からは繋がりを断ち切った、なのか。

求める者に手を差し伸べるのは神の意志で、その僕もそうするだろうがシシィは神の僕ではないので取り付く島もなく本を開き、自分の詩作か幻想かに戻ってしまう。自分のことばかり精いっぱいで、救わなかった者がどうなるかなんて考えもしないから。

「私を必要としていた」ことが「私と同じ」なのか……うわ……。
えっぐ。キリスト教どうこうじゃなくてえっぐ……。それ(自分のことを優先してしまう)が私の罪だわはキリスト教のそれなんだけど、このえぐさはそれとは別のとこだよ。
神から離れたシシィが唯一その手の内に戻れるとしたら、それは我が子のためだった、けれどそれはならなかった(彼女の自我を殺すことだから)

かつて扉を開けてと求めたフランツを拒絶したシシィが、扉を開けてと呼びかけてトートに拒絶される、その構図に?リプライズで同じメロディを持ってきて?リーヴァイさんひどいよどうしてそんなに天才なの 好きです
求められた手を(神の愛のように)差し伸べなかったことを悔いて、それに罪悪感を覚えたがゆえにトートに拒まれたシシィが崩れ落ちるのを、明かりの落ちた夜闇のなかでフランツが優しく手を伸べて支え起こす。愛だよ……それは神の愛だよ……。

その流れでの「帰っておいで」「愛している」「愛はあらゆる傷を癒す」なんだな。あなたはまだ間に合う、私がまだ繋がっている、だから帰っておいで、私を必要としてくれ。では?
陛下?陛下ちゃんとシシィなしで慈愛と赦しの神の僕やれる?やれる? やれてなくない???(シシィ没後の為政を見ながら)

悪夢、完っ全にヨハネの黙示録じゃん!!!!!!!!情景もだけど歌詞も思い切りそれだよ!!!!!!!

「誰もが死と踊る」、そしてトートに食ってかかるように挑んだフランツを捕まえトートがくるくると踊る、ええと?つまり?そういうこと? 神に選ばれて国の舵を取る代行者が負けたらそら落ちるよオーストリアはよ。
愛のテーマを始めるトートの後ろで目を瞑ったフランツが横たわっている、やっぱり挑み負けて死んだんじゃ……いや悪夢の中にいるからかもしれないが……。

ウィーンシシィ刺されてけっこう盛大に苦しむのね?
この感動な感じのなかで叫ぶのちょっとごめんなんだけどその破滅する世界の描写やっぱりヨハネの黙示録じゃん!!!!!!!

破滅する神の世界に背を向けて、黄泉の帝王がシシィだけを連れて自分の国へ去っていく……。そうだよ、フランツが見た「悪夢」、予言通りに終わる世界と審判を待つ死者の中にシシィだけはいなかったもんな……。

*1:フランツにカテーシーをしたシシィに柔らかく首を横に振り、彼女の手を取って唇を落として誘い直すフランツの図

*2:「疲れたもの、重荷を背負っているものは私のところに来なさい。休ませてあげよう。」

*3:出エジプト記 第32章 預言を待てなかった民は金でできた仔牛の像を神だと祭った、その様は「ほしいままにふるまった」と描写される