つまるところ。

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ストーリー・オブ・マイ・ライフは、トーマスの物語だという話。

ツイッタで連投してnoteにまとめたやつのログです。

 

私は、SOMLを「奇跡の起こらない『青空のむこう』」みたいな話だと思っている。
身近な誰かが自分の中でどんなに大きな存在だったか、それなのに自分はどんなに蔑ろにしてきたか。自分がしてしまったほんの些細な、取返しのつかない行いをまざまざと突きつけられるお話。

『青空のむこう』(著.アレックス・シアラー)は死んだ少年が主人公のお話だ。

「お姉ちゃんなんか大嫌いだ」
「あんたなんか死んじゃえばいいのに!」

酷い言葉をぶつけ合う大喧嘩。でも彼らは家族だから、数日後には仲直りをして、また笑い合えるようになる日常のひと幕、のはずだった。その日、主人公が交通事故で死ななければ。数日で仲直りできたはずの小さな諍いが、取り返しのつかない過ちになってしまった。
この物語では、主人公が小さな奇跡を起こす。ペンを通して姉と話をして、2人ともがあの日の後悔を解消する。

翻って。SOMLの物語では、奇跡は起こらない。放った言葉は取り消せない。死者は「その先」を知ることはできなくて、生者の言葉は死者に届かない。言葉を贈ることはできても、もういない人とのわだかまりを解くことはできない。 現実と同じように。

あんなこと言わなければ、あのとき言っておけばよかった。もっとできることがあったんじゃないか。そうしたら、違う今があったんじゃないか。
どんな人間もいつも完璧でなんて在れないから、振り返るほど後悔は膨らむ。でももう取り返しはつかない。死んでしまった人間に、生きた人間ができることは何もない。何をしてあげることもできないから、遺された者はしてあげられたかもしれないことばかりに気持ちが向いてしまう。
ましてトーマスは最悪と言ってもいい別れ方をしたアルヴィンを、独りで思い出そうとしている。そんなときに、彼に良くしてあげた記憶を取り出すのは難しいんじゃないかな。いや、もちろん、できる人もいると思うけど。でもそれができる人なら、あんな思い詰め方はしない、と思う。「俺のせいなのか」なんて。

作中の「物語」は歳を重ねるにつれ、トーマスがアルヴィンを傷つけたところで閉じるものが増えてくる。スランプに陥ってるトーマスにはアルヴィンを気にかける余裕がなくて、でもそんな状態でもアルヴィンの発した助けてには応えようとして、失敗する。その出来事は事実だけど、真相は私たちにはわからない。
真相というか。物事ってどう見るかとどう切り取るかでまるで違うものになるからさ。トーマスの物語がアルヴィンを傷つけて終わるのは、アルヴィンを傷つけたさよならばかり語られるのは、彼がそう切り取っているからでもある。と思う。帰省の年のさよならは語られないように。
だからこそ彼には別れの儀式が必要だった。アルヴィンとのいいことを思い出す機会が。

お葬式ってさ、遺された者のための儀式なんですよね。死んでしまったあの人に、もっとよくしてあげればよかった。差し出す相手を喪った向ける先のない後悔を、弔いとして昇華させる機会。もちろん、喪失の衝撃が鮮烈な時期に傷の痛みを直視させない、忙しさで紛らわせる鎮痛剤としての機能もあるけれども。

ええとね。つまり、あの話はさ、トーマスの話なんだよ。どこまでいってもさ。苦い失敗も痛みを伴う記憶もあるけど、そういうのぜーんぶ引っくるめて、アルヴィンと過ごした思い出は悪くはなかったって、そう思えるようになるための通過過程。

わたしは初演をみたときにはここに最後までさわれなかったんだけどさ。この物語を通して、アルヴィンという人間が何かを得たり、変わったりすることは絶対にないんだよ。トーマスがアルヴィンに出来ることは何もない。死んでいるから。救うって言い方は違う気がするけど、アルヴィンが救われることはない。
あのとき出来たかもしれないことやあったかもしれない未来を思い描くのはある意味で幸せな空想で、でもけして叶わない。幸せなもしもを思うほど、変えられない現実に戻った自分を傷つけるだけなんだよね。でも、そういう考えを止めるには「出来ることは何もない」に向き合わなきゃいけない。無力だってことに。

過去の再現でできていたアルヴィンが「これがすべて」を紡いだのが示すのは、トーマスがアルヴィンはそういう人間だったのを“思い出して”、その記憶を抱えて生きていくことなんだろうなって思う。「きみは素晴らしい、トム」のような、彼は自分を責めている、自分は彼を失望させてるって罪悪感と心の壁の代わりに。

アルヴィンは死んでしまったから、生者のトーマスにはできることは何もなくて。全ては遺された者の自己満足なんだけどそれでも、アルヴィンのために何か出来ることがあるとするなら。アルヴィンは“いいやつ”だったと、アルヴィンと過ごした思い出が自分にとっての宝物だと信じぬくこと、なんじゃないかな。
だからSOMLはトーマスが前を向くための物語であると同時に、死者であるアルヴィンに生者であるトーマスができる唯一の、そして一番のことをした(やっと、できた)お話なんじゃないかな、と、思った。いいことを、アルヴィンを話して、その物語で形づくられている自分を「悪くない」として生きていく。

彼の未来がそうであればいいという、これは祈りです。