つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

SOML完走おめでとうございます。

noteから持ってきたやつです。日付はそちらに準拠しています。

 

おめでとうございます。再再演待ってます。そのときは物販でスノードーム出してね(強欲)

わたしのする感想、いちおう他者に伝えようとしているときと完全な怪文のときとあるんですが今回は怪文のほうです。ごめんね。
違うんだよちがうんだよ兄弟トムアルのここが可愛い話をしたかったはずなんだよ、でも後半の兄組に生と死の隔絶を思ってしまったのを言葉にしないと前に進めないんだよおれが。

お兄ちゃんチームこと田代万里生アルヴィン×平方元基トーマスチーム。
こっちのチーム、アルヴィンは死んでいるの質感がめちゃめちゃでかくて、しんど……いや、しんどくはなかったんだよ不思議と……。
生と死の断絶が明白でずっしり来るのは来るんだけどそれは事実の重さであって、受け取る人を痛めるような硬さや冷たさはない。(世の無情が山のごとしなミュージカルも大変好きです。パ……とか蜘……とか笑……とか。)

記憶の再現をしているのでないアルヴィンは穏やかで慈しむような表情を浮かべていて、トーマスが大声を上げても肩を揺さぶっても崩れない。生きているアルヴィンがそんな顔したのは数回くらいで(絶対に生きてる姿だと言い切れるのは「送れば?」のときぐらいだ。)
トーマスとアルヴィンの間だけじゃなく、生きていたアルヴィンと今ここにいるアルヴィンの間にも大きな隔たりがある。その隔たりに、死とはそういうものだと思った。私はね。
生者は死者に干渉することはできない、死者も生者の想いに影響されることはできない、できるのは遺された者が集まって思い出を分かち合うことだけ。人が死ぬってそういうこと。

アルヴィンはもう死んでいる。だからトーマスがアルヴィンにしてやれることは何もないし、アルヴィンはトーマスの想いを知ることはない。でもそれでいいんだよね。彼がそういう人だったってことと、もうどこにもいないってことを抱いて前を向くしかないんだからさ。と、思った。

正直2年前に観たとき私はそこの理解、現実のアルヴィンに何をしてやれることもないって事実を拒んだんだけど(そこにあるものを思いもしないというのは一番強い拒絶だと思う)、今回はすとんと落ちてきた。
んでも死の質感については兄弟に逆の感覚をおぼえてる人が多いっぽいので私の感じたのはおそらく想定された意図とは間違ってるんだろうね。

うーーーーんたぶんなんだけど、これたぶん観た人がもっている身近な死の体験により近い想起をさせるチームにアルヴィンの死の重さを強く感じるんだと思う。私は彼らのトムアルから見て取った「死とはそういうもの」に遺された者への救いをもらったから、彼らの物語にアルヴィンの死の質感を思うのだろう。あのとき違う言葉をかけていれば彼は生きていたかもしれないというプライベートな後悔に今期周回の中でエンドマークを押すことにしたので、私は彼らの物語に死の質感を見るのでしょう。たぶんね。
……あとシンプルに、相互さん皆さまこっちはコミカルって言っているから(私に)コミカル塗装を消化する酵素がなくてそこを丸々読めてないんだと思う。ポップな地獄とメルヘンは食べて育ってきてるんだけどバラエティはチョットで生きてきたので。

せめてものあがきにこのチームの好きなかわいいところと好きなしんどいところをいくつか置いていきます。
・「知ってることを書くんだ」で「今更どうなる」と自嘲するように笑いながら吐き捨てるトーマス(日替わり)
・「「しー」」の後にハウス!されて素直に従うアルヴィン
バタフライ効果の話をめちゃくちゃ雑に聞き流すトーマスと気にもせず呼び寄せるアルヴィン
→ぜんぜん気乗りしないけどしばらく付き合ってくれるトーマス
・「バタフライ」の大サビ(蝶が枝から飛び立つ)直前にアルヴィンを振り向くトーマス
→アルヴィンの常にない表情にこのときは気が付かないまま、自分に笑いかけてくれた彼を見て物語に戻っていくトーマス
・「寂しくなるね」「寂しくなる」へのトーマスの応えにもどかしげにしているアルヴィン
・トーマスに電話するたび表情が明るくなっていくアルヴィンと、複雑な状況にやきもきしてるのにアルヴィンに向くたび笑顔を作ってやるトーマス
・「そんなのいらない!!!」
・アルヴィンの首筋に口付けたトーマスが目を合わせて柔らかく笑むところ(伝わったんだな、と思った)