つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

森フォレ感想

感想なのか? わからないけど。
わからないけど東京楽を観てきまして、ぐるぐる喋り出したところでまだ地方公演あったなって思いだしたのでツイッターからこっちに来ました。
すべては個人の主観による一方的な感想です。

感想です、と言っても、私はあれが何だったのかさっぱりわからなかったんだけど。いい作品なのはわかったけど、あの物語と同調できる価値観を私は持ってなかった。同感する箇所はいくつもあったけど共感した場面はなかったのは、そういうことなんだと思う。

ただ、あの物語が刺さる人とあの物語にすくわれる人はきっと別なんじゃないかなあ、とは思った。物語の彼らを愛おしいと思う人とも。
強い反発をおぼえながらどうしようもなくすくわれる人がいるだろうなって作品。

 

以下脈略はゼロです。

人物相関図とにらめっこするって聞いてたけど、時間軸が行き来することだけ知ってればそんなややこしくなくてすんなり追えました。どの人物も初登場からすぐ名乗ったり名前呼ばれたりしてくれるし。

セリフが戯曲みたいだなって印象。いやそのそりゃ戯曲なんだけどなんというか、西尾維新みたいっていうかシェイクスピアみたいっていうか。会話というよりうたいみたいというか。辿っている歴史のなかだからなのかな。でもルーの台詞もうたいっぽいから脚本家の文体なのかな。あの台詞を肉声で聴く行為を自然にできるかどうかで物語への没入度が変わってきそうではある。

2幕の後半だったかなあ、少し暗くなった場面の誰も発声しないところでどど、どど、って低い音が響くの体内にいるようでした。音が低くて大きいから椅子や内臓に響いて揺れるんですよね。心臓の鼓動だ、って思った。違うものかもしれない。

母親は娘の未来を願って手を放し父親は息子に自分のもつ価値あるものを引き継がせようとする、それが延々と繰り返されるのすげえグロテスクだな、と思ってみてた。と、いうか、観ている最中は「グロテスクだな」とぬる熱い温度と質感だけを感じていて、言語化しようとするとこれが出てくるようなかんじ。
あれは彼らなりの(少なくとも主観では)愛情で、しかしその行為は子供らの心に大きく深い穴を穿ち、埋まらない欠落が次世代に同じ心の欠落を残す、それがなんか、生きたまま開腹したなかに手を入れさせられてるようだったな……と。

あとあれ。繰り返される「約束する」、約束は履行されているのに感情と精神がどろどろと変質して崩れ傷んでていくような。行為のもとにあったはずの目的がうみ変わっていくからなのかな。

童女のように無防備な、大人のなかにいるちいさなおんなのこがだいすきなので訪問したサラと話す麻美さんのリュスに好き……と思っていた。あと「触りゃあしないよ」のところ。立ち去るサラに「まだ名前を聞いてない!」って叫んだのはなんとなく真実に気づいていたからなのかね?(ダグラスくんがリュスの顔を見ればルーとエマがある、ルーの顔にもエマとリュスの、みたいなこと言ってたし……)

全体的にグロテスクなものが多いもんだから、1幕で提示されたダグラスくんがルーに構う目的が厚意じゃなくちゃんと自分のためで安心しましたよね……。よかったよちゃんと自分のための動機、枷を取り去るための行動で。ルーへの愛のためとか言われたらちょっとグロテスクすぎた。成河さんのダグラスくんの「手伝ってくれと言われた」の言い方が可哀そうだなって。
ところでダグラスくん何者なんでしょうね。古生物学者って名乗ってたけどアドレスはgmail.comだし最後は自分で考古学者って言ってたし。

初めルーのルーツにしか関心がなかったダグラスが大丈夫、ってルー本人を気遣うようになったからルーもダグラスにありがとうって言葉を向けるようになったのかなーっていう。見てないわけじゃないんだよねたぶん、「じゃあなぜ黒い服を着ているんですか!」「喪服だから」みたいなこと言ってたし。エマだか弟だかの喪に服していたルーの謎が解けたときに、黒じゃない、血の色のコートを「ちょっとしたプレゼント」として贈るの示唆的だなーと思うなどしました。自分のルーツを知ることで血を受け入れる、なのかね。

最後の暗転が開けたときに成河さんが瀧本さんの背から手を離して前へどうぞみたいな動きをしてたように見えたから、ダグラスとルーが並んだ後、ダグラスがルーの背(というか腰元)に手を回したのかなと思ってるんだけどラストシーンどうなってたんです?