つまるところ。

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MAみてきました(1/31回)

田代さんにハマったとき*1に円盤買って見てるから内容知ってるはずなんですが、オチを忘却の彼方にしてたので新鮮な驚きがあった。
1/31回です。

花總さんマリー
登場時の気品ある国母の美しさに息を飲まれていたら、それが彼女の身を守る仮面でしかなかった話をですね。気を許せる人の前でほど幼くなっていく王妃が頬が緩むほど愛らしくて息を飲むほど痛々しい。
バルコニーでフェルセンの名を呼ぶ笑顔も服屋で妹とささめき笑う鈴の音も女学生のように愛らしいんですが、庭園のシーン、差し出したお茶をフェルセンに固辞されて、ちょっと肩を落とした後すぐにこにことケーキを分け始めるマリーが童女のようで愛らしくそのえぐさにオタクは泣いた(賛美)
マリーにとって大人らしい振舞いは勤めと身を守るための道具で、彼女の心は幼い少女のまま育てなかったんだよ。もう大人であることと自分でいることが完全に乖離してるじゃん……幼い少女に寄ってたかって大人を強いて、段階を踏んで育つ過程と時間を奪った結果がこれだよ……。
このマリーにフェルセンが繰り返す「大人になるんだ!」、茎から切られた蕾に大きく花開けって言ってるようなものじゃん……。彼女の心が再び育つにはありのままを受け入れてくれる無条件の愛と庇護が必要なのに、フランス王妃にそんな自我は許されないんですよね。もっと時代が下ったフランツでもあれ(ミュージカルエリザ)だぞ。皇族として生きることは心を殺すことなんだぞ。
終盤の少女ではないマリーアントワネットは確かにいますが、あれは少女の心が成長したんじゃなくて少女ごと心が殺された結果だと思うんですよ私は。マリーの心を引きずり出して殺したからフランス王妃と母の在り様が残った、それだけなんじゃないかなあれ……。
裁判で何を言われてもどう侮辱されても凪いだ微笑のまま表情ひとつ動かさなかったマリーは確かに王妃の気品と威厳を保った立派な振舞いだったけどさ、彼女によく耐えた、頑張ったねって励ましをくれる人はもういないんだよ……。マルグリットにシャンパンを掛けられたのを赦したときに「善かった」とほめてくれたフェルセンはもう側にいない。
危害から身を呈して庇おうとしてくれてよきことをしたら誉めてくれて、フェルセンはそういう意味でもマリーにとっての「現実」だったんだよな……。
花總マリー、大慈大悲の淑やかな国母とフェルセンと2人だけのときに見せる少女のいとけなさのギャップがすごく胸にくると思います。あたたかくも穏やかに凪いだ淑女と世界の輝きを目に映した童女、どちらもが完全に切り離されているからそれぞれが心を動かすほど美しいんだけど、それらが混じり合わず両立していることこそ彼女のひずみなんですよね……。あのえぐいほど美しい少女のいとけなさ、自らの眩しさを自覚していない幼子特有の輝き、大好き……


田代さんフェルセン
「無邪気な」に音符が乗っていてオタクは歓喜した。いやあのたぶんいつもコンサートで歌われるときも乗ってるんだと思うんだけどあの感情のこもり方とメロディラインの残り具合が最高だったという話です。
フェルセン…作中のフェルセンという男が卒なく目立った粗もない男で全体的に所作と品性のよさを観賞する感じだった。*2あの時代の貴族階級として破格にいい男だと思いますフェルセン。マルグリットにもひとりの人間として接しているあたり破格なのでは。スラムで人々に囲まれて「……すまない!馬鹿な質問をした」って言うときの目と落ち着いてのジェスチャーが割と好き。紳士的な対応の範疇だけど身の危険を感じてるな? って空気がある。
しかしアクセル、マリーの恋人なんだけど役割というかポジションというかがパパなんだよな……お兄ちゃんでもいいんだけど。よいことをしたら誉めてくれて危うい振舞いを窘めてくれて、危険から庇い悪意を牽制し何度でも救おうと手を伸ばしてくれて。フェルセンに守られ導かれながらなら、マリーの奥にいる少女は大人になれたんじゃないかな……どうかな……。大人になれなかった少女の心が再び育つには、身を守る鎧としての大人の振舞いを外して、本心で考え決めることをしていく過程が必要だったんじゃないかなって思うんだよ……。
マリーに「大人になるんだ」「現実を見て」って言いながら「現実はあなたよ」って言われて顔を緩ませてしまうあたりフェルセンはマリーを愛している恋人なんだよなーって思う。たぶん*3
花總さんと田代さんのペアでこの流れ、エリザのシシィとフランツを思い起こさせるけどこのシーンだけ絞って見ても2人の雰囲気も人物像も全然違って見えるから役者さんってすげえなーって思う。恋や愛に優劣をつける気はさらさらないんだけど、フェルセンはなんというか自我の形があるから……。フランツがないわけじゃないんだけどフランツ、自我のいれものの中に皇族としての自分がめっちゃ多いから……人物としてはしっかりしてるけどプライベートの個人とすると途端にふわふわするいきものじゃん……そこがかわいいんだけど……。
フェルセンはたぶん自分の感情とできることの折り合いのつけ方が上手なんだな。破滅へと踏み出せない男。だから遠くでひとり涙することになる。*4マリー斬首の通知を読んで、目をきつく瞑って天を仰ぎ数度肩を震わせるフェルセン、かわいそうでよいよね。ライトが外れてるのも相まって、彼はこの絶望や悲しみを誰にも見せられないで生きたのかなって幻覚がたくましくなる。
そのフェルセンにまっすぐ客席を射抜いて復讐の連鎖を続けるかを問われるのなかなか胸を圧される演出だった(好きです)。でも一概に悪と言ってるわけじゃないと思うんだよな、だって復讐の連鎖がなければマルグリットの告発もなく、マリーの汚名も濯がれなかった。
言い募ろうと重心が前に出た瞬間ルイに手を握られて口を閉ざすしかなかったフェルセンの、一家と別れて顔を上げてからの動揺押し殺して最善をなそうとする姿がとてもよきなので見てほしい。私やっぱりこの方のやる、破滅の足音を聞いて焦燥に駆られる姿がめちゃくちゃ好きなんだなって……。本当にしたいこと、しなければならないこととできることが乖離していて、しかもそのことに自覚がある。気が付かないほど愚かだったら、すべてを投げ出せるほど無謀だったらこんなに苦しくならないだろうに。
登場時にオルレアン公と言葉を交わした後、目の端で牽制している表情も最高に好きでしたが。はい。地位や立場とその意味をわかっていてどう振舞うかコントロールしている感じがこう、テンション上がる。

ところでフェルセンもオルレアンもなんだけど西洋お貴族のゆるくウェーブした艶やかなウィッグに落ち着いたデザインの質の良さそうなリボンがついているの最高に良いですね。表情が見て取れない後ろ姿にも楽しみがあるの最の高だよ。実用寄りだから色合いも落ち着いていてそれがまたよきです。
東宝ちゃん今からでも間に合うビジュアルブック作ろう。LNDを見習っていこうあれは最高の試みだったよ。

 

 

*1:'19LND

*2:嫌いじゃないんですどっちかというと楽しかったですひずまなければ生き延びられなかったいきもののあわれさを偏愛するオタクなのでそうでない生き物の愛で方がわからないだけで。

*3:わかんない自分のぜんぶをかけて愛してしまういきものばかり愛でてきたから……メタマクd1夫人とかノーマとか……。

*4:歌いだしから目が濡れてて最高にテンションが上がった。