つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

ディファイルド感想

毎度毎度ですがこれはすべての個人団体思想宗教とは無関係かつ己が見たものを好きなように切り貼りした幻覚、一個人の主観でしかないことをご承知おきくださいませ。己が観て感じたものが真実で、事実はひとつだったとしても真実は人の数あるものです。幻想・偶像・勝手なイメージとも言う。
ネタバレへの配慮はゼロだしだいたい青い鳥と似たようなことを言っているし好き勝手な画を見ているし表現もあれですが好みのところを切り取って話しているのでそれだけは信じてほしい。好意的な印象でないところは書いてないから。だって私が読み返すために書いてるし。

観たのは成河×千葉ペア(7/1、7/6VR)、章平×千葉ペア(7/19)、加藤×松岡ペア(7/20VR)です。なお敬称略です。

 

Defiledとは何だったのか

この解がまずたぶん1つじゃないんだと思う。複数キャストの魅力であり難点でもあり、もっと言えば舞台そのものがそういう性質を帯びているんでしょうけれど。キャストさんの組合せや見た位置や媒体によって、何を受け取るのか(あるいは何を受け取りやすいか)が変わる、この演目は特に、そういう性質が色濃いものなんでないかな。と、思った。というかこの点にそうかー?って感じる人はたぶん私とメインでとりにいったものが違うんだと思う。私が関心を向けてないだけで、どのペアにも共通するものもあるんだろう。とはわかっていますとも。

 

〇成河×千葉ペア(7/1公演、7/6VR配信)

日付入れたのはこのペアたぶん回によって変えるとこがらっと変えてきてるんだろうなって思うからです。18日もみたかった(取れなかった)
ハリーの信仰の物語だとおもった。信念といってもいいのだけども。本が「生きている」質感を心ゆくまま味わえる空間、本を聖なるものたらしめている神殿、彼にとってそれを享受することが生の実感、信じるに足る、己を懸けるに足るものなのだろうと。失われても生きてはいけるが失ってなお生きる価値を見出せないものへの執着を信仰と呼ばずして何と呼ぼう。いや呪いでもいいですけど、このハリーの場合そこまでぐつぐつに変質したものではなかったし。
図書館に本があること、本を神聖なものにしている空間、その道筋は冒険であり与えられるのは祝福だ、そんな感じのハリーの語りっぷりがすごくこう、好感が持てる(ただしブライアンの反応はあんまり意識に入ってない。)好きなものの好きなところを語っている人間の魅力、恍惚より少しだけ質量のある輝きの言葉の色、あれは健全な、畏敬をもって尊重する(ブライアンの言葉を拝借するなら)"真っ当な"信仰だった、と思うんだよな。職業意識と言ってもいい。
「この図書館の命はもう ない!」と叩き切ったハリーの言葉、一瞬の、でも何もかもが息を止めたような重く揺るがない沈黙が何というか本当にかわいそうだなと思った。かわいそうにこのかしこい、かしこすぎる青年は己が守ろうとしているものがほんとうはもう喪われていると理解してしまっている。盲目でいられたら希望をもったままいられたのにね。そしてブライアンにはその理解を否定して希望を持たせ直してやることはできない。彼がわかるのはハリーが図書館を愛していることまでで、ハリーの言う“生きている”本や図書館の実感は持っていないから。
千葉さんブライアンの「あいつらを中に入れたくないんだ!」「あいつらきっと君を傷つける!」の、交渉よりも本心寄りの切実さがすっごい好き。私はこのブライアンの、ハリーを家に招くかどうかはまあ別として、なんだかんだガレージのがらくたを端に押しやってカード目録のための場所を作ってでっかい棚ごと引き取って置いておきそうなところ、ハリーが本当に彼を頼ったらほらだいじょうぶだろってガレージを見せてやっちゃいそうなところが好きですよ私。「……ぼくが話したいんだよ」って言われたときおんなじように、不意に弱さを見せられると叶えてあげちゃいそうなお人好しさがありそうじゃない? 千葉さんのブライアン。
言うて私このペア観てて泣いたの「息子として」と「いま行かなくちゃ」なんですけどね。なんでかはわからないけど。情緒を直に動かされた感覚だけがある。*1
ハリーが『ハーディ兄弟、西へ行く』を"貸し出した"ことでブライアンはハリーの言う「生きた」図書館の最後の記憶を持って帰ることになったんですよね。あの本の貸出しによって、ブライアンと図書館をつなぐ仄かな記憶がハリーという救えなかった命の記憶、司書とカードに導かれて本にたどり着く生きた図書館の姿と不可分に結びついた。ブライアンはきっとあの本をガレージに置くしかない、返すべき図書館も受け取る司書ももうなく、日々を仕事と生活に忙殺されるブライアンにはきっと返すための条件を、「読み終わったら」の約束を満たせない。幻覚ですが。

カーテンコールで引きあげられる感覚はこのぺアに固有の印象だった。客席にそれぞれ一礼した彼らが向かい合って、はにかむようにほころぶように笑みが浮かび、その目を合わせて一礼、静かにはけていく一連にその印象を抱いたんだと思う。そこにいるのが「ハリー」と「ブライアン」ではなく「成河さん」と「千葉さん」であることを思い出し、それ故に観ていたものが単なる出来事ではなく意志と想いのある物語であることを書き留めるような、そんな余韻。観たものを引きずるのではなく持って帰れるための。
どの回も物語をそのまま味わう楽しさは確かにあるんだけど、このペアにはそれに加えて、見聞きしたものをフックにして自分の内から引き出されたものと向き合うことを願われているような、祈りがこめられているような、そんな印象を受けたのはこれ故なのかしらと思う。こちらが勝手にそう感じて勝手にそう言語化しただけなんですけれど。なんというかね、これは前にスクールカウンセラーの先生に言われたことなんですが。生徒の話や悩み(守秘義務のある相手にしか言えない類のやつ)を彼らが吐き出せるのはもちろん大事なんだけど、それをしたら必ず、彼らの心を日常まで引き上げてから帰さないとだめだよ、心の垣根を取り払ったままで外に出したら反って心に負担がかかるんだよって諭されたことがありまして。なんとなく、ほんとに根拠のない感覚なんだけど似ているなって思った。日常に引き上げられて、現実と向かい合うため背中のそっと押されているような。
あとこれは多分に好みによるところなんだけど、緩急のコントロールは(観た中で)とびぬけてるなって思うこのペア。笑いというのは緊張からの弛緩で生じるもので、おかしさを引き起こすのもそのまま緊張が解けきってぐだぐだにさせないのも見事だなって思った。ペースを調整しているのが千葉さんで、成河さんが緩急?抑揚?場に圧を入れたり抜いたりしているような印象……なのかな。他のペアから受けた印象と合わせて想起するに。空気が止まるとき、本当に同時にぴたっと止まるからすごいよこの組合せ。形のないはずなのにさわれそうなほど質感がするの。

あと私はこのペアのハリーとブライアンの、お互いの使命を「そんなこと」「そんなもの」と言い、確かにそう思っているんだけど同時に、"相手にとって代え難い切実なものである"こと自体は認めているような感触がものすごく好きなんですよ(幻覚だけど)……。図書館はぶっちゃけどうでもいいけどハリーが図書館を大事に思う気持ちは「わかってる!と思う」ブライアンとか、その彼の使命は切り捨てても誰も死なずケガをせず日常に帰って、願わくば一度もしょんべんに起きずに朝までぐっすり眠る、そんな細やかで特別でもない望みには決して「そんなもの」と言わないで聞いているハリーとか。


〇章平×千葉ペア(7/19公演)

私はこれを信仰とは呼びたくないんですが!?!?(好意的な表現です)
信じる者は救われる、客観でどうであろうと主観での安寧があるから信仰(概念)は信仰たりうるというのが持論でして、あんなぼろぼろのこどもが最後にすがっているような、救いのない想いの向け方を信仰とは呼びたくない……いや私の感傷に過ぎないんだけどさ……。
しんでしまった神さまへの追悼って表現が自分のなかでは一番しっくりくる。かつての彼はすくわれていただろう、けれど今のかれをすくってはくれない、安らがせてはくれないけれど手を離したくはないもの。だって彼は他に何ももっていない。しんでしまった神さまの他にはなにも。彼をすくってはくれない、もはや痛みをやわらげる力すらないものを切々と語りだきしめる痛ましさ。
なんでかはわからんのだけどさ、章平さんのハリーを観てると所々でふっと「過剰適応したこども」って単語が頭をよぎるんですよね……。一生懸命威嚇してるときの陽キャっぽい…というかちょっとヤンキーっぽい威圧感とチャラさや、お偉方の発想を馬鹿にするインテリぶった口ぶりの空洞がさ、そのときはそのときで「そういう人」な気がするんだけど、図書館という場所を言葉にするほそくかさついた切実さを聞いたらなんかもうこの子どもが彼なんだなって気になるじゃん……ならない……?(幻覚です)私はあのぼろぼろの子どもがぼろ布のかたまりにしか見えないぬいぐるみを抱きしめているようなとおいしあわせを想うような雰囲気にひきずられて泣いていたんですがなんか今回も泣き所ずれてたきはする(成河×千葉ペアの回もたぶんなんかずれてた、他に泣いてる気配なかったので……)
メリンダの電話の件で自嘲のような「笑っちゃう!笑っちゃう!!」をブライアンに吐き捨てるように言ってるのがなんかこう、根っこのところでつながりをほしがってるような感じでそういうところもなんかこう、得られなかった(そして自分にも権利があったはずだと気が付けないまま諦めてしまった)子どもを幻視する……*2
千葉さんブライアン、成河さんハリーが相手のときと比べて気を遣っているというか、大人どうしの軽口で茶化すことが少なくてなんかそのあたりもこう、すごい好みでした。余裕がない、自尊がないいきものは気安さの軽口と心に踏み込まれる軽い扱いの区別をできないと知っている大人という感じで(幻覚を見ています)
これは純度100%の妄想なんだけど、このハリーとブライアンはぜひ25年前くらいに出会ってほしかった……。本を抱きしめてガレージの隅っこで体育座りをしている少年をすくい上げて声をかけるディッキーおじさんに存在していてほしかった……どうしたぼうず、こっちおいでとか言ってほしい……妄想です……。あ、あとね、これは席の上手下手が違うからかカメラを意識なさってたからかそういう演出なのか定かではないんだけど、このブライアン序盤~中盤にかけてハリーの側の膝と肩が直角になっていて、不自然な力の入り具合がいわゆる体で壁をつくっているような拒絶感を醸し出していてそれがなんかこう、すごく……はい……。後半はかみつくときも訴えるときもそんなものみじんもなくなっていて、そんなところもなんか憎めない好ましさがあるんだよなブライアン……。
ラスト、全てが手遅れになった轟音とともにまっっすぐ、真っ黒い真っ暗な目がこちらを向くのなんか、なんかこうすごく、手を伸べられなかった生き物がなにものかに変質したようなどすのきいた重さがあった。2度目の轟音で閉じたその目をもう一度開いて、カーテンコールをしてそのまま去っていくのであの時間と重さを地続きのまま纏って帰るような後味がしましたね……。劇場の外、階段を上って、夜の駅へ向かう道を歩いていてもあの重さが離さないような。これはこれでよきものではあり、ただ日常に戻ってくるためには自分で言葉にして整理するか誰かと他愛ない話して上がってくるかが必要になるかしらという感じではある。好き嫌いでいえば好きです。体力いるけど。
このペアの配信はたしか28日だからぜひみてくれな……。


〇加藤×松岡ペア(7/20VR)

生で見てないのに印象を語るのもどうかとは思うんだけどまあ許してくれチケット取れなかったんだ。
加藤さんハリー、もう第一印象から「難しい」ヤマだったしこのブライアンとも相性悪いな……って感じだった。どちらも対話をする気がない(個人の感想です。)自分の話はするし相手に理解させようとするけど相手に譲る気というか、相手の考えを自分の内に入れる気がまっったくなさそうなんだよねこの2人……どっちも……。ハリーが図書館の歴史を語ってるときブライアンはどっか適当なほうを見て話を聞いちゃいないし(私は相手に向き合っているときの彼らは台本から目を離さない、という理解で見ている)、ハリーはハリーでブライアンが見るからに聞いてなくても一向構いもせず熱のこもった語り口だし。
「催眠術師のところには行くなよ」「ご忠告どうも」のやり取りなんかもさ、ハリーの語調に冗談の色が全くないしそのせいでブライアンのあしらいの色が皮肉に聞こえるし、いやもう断絶って感じ(賛美の表現)心通じ合ってる?ないですねわかってました。
ハリーがブライアンのおくさんと「話がしたい」理由、感情や感傷じゃなく"ブライアンに伝えることを諦めたから"なんじゃないかって感じたのはじめてだったし、感じたどころか見てる最中かなり強く確信をおぼえたことにもびっくりした。このハリー、ヴライアンが逆切れしてるとき「(子供に本を読んで聞かせて!)よりよい未来を作る!」のところで片方の口角を上げて明確に嘲りを見せるのでいやもう絶対かみ合わないし話を理解する気もない相手に付き合ってやるタイプでもなさそうだなって気がするんだよね……相手の理解が追い付かないなら何度だって話して工夫してくれるけど、聞き入れる気がない相手はあっという間に見抜いて見限る男だと思う……
松岡さんブライアン、思うように行ったとしても絶対図書カードを引き取ったりはしないし『ハーディ兄弟、西へ行く』も貸出期限が来たらさっさと返す、どうにかするとその日にスターなんとか(何回聞いても覚えられない。なんか図書館連盟のお偉いさん)に渡して戻しておいてくださいって言いそう。妻との電話はもちろん署長との連絡でもハリーとの会話よりよっぽど情感があるところ、「成功しました」の冷たい声、そも交渉中の上から言い聞かすようなプライド高そうな声の整え方、そのあたりにそういう印象を受けるんだと思う。いや全く印象でしかないんだけどさ……声質だったらごめん……でも妻への声はあんなに気遣いとやさしさにあふれてるじゃん……。
加藤さんハリー、「(ごめんね刑事さん。)やっぱり…やっぱりあれじゃあ駄目だと思うんだ」のとき、くっと首を傾げるのがなんか好きです。この賢く敏い男はなんで駄目かを自分の頭のなかではしっかり分かっていて、でもわかる気のないこの男にもきっちり届くようにするにはどうすればよいかと、それが彼の信念への真摯さのような気がして。


カッチーニアヴェ・マリア

このあたり( https://fusetter.com/tw/1pdQIeHC )でも話しましたがえっっっぐ!!!!(賛美)
自認無神論者の男とかみさんが来てほしがるから教会についてく程度の信仰心の男(たぶん家系的にはプロテスタントの流れ)の長くて短い数時間を聖母マリアへの祈りを題材にした(つまりカトリックモチーフの)曲で予感しその歌で〆るのくっそえぐいな!?(ほめてる)
それでも信仰をうたう賛美歌や聖歌ならまだ救いがあった、それを題材にしただけで音は使えど祈りはなく、この名づけで有名になったもののカッチーニバロックも関係ない偽りの(しかし他に「正しい」名はない)アヴェ・マリアをここに持ってくるの、さあ心を殴られろって言われている感じがする(いいぞ素敵だもっとやれと思っています)

*1:成河さんの少しうわずって掠れた声の響きにつられるんだねって言われたらその声の響きはちょう好きだしまあまあその通りですとしか言えない でも「息子として」はそういう感じの声じゃなかったのよ

*2:成河さんハリーはなかば独り言みたいに言うよね、と思っている