つまるところ。

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エリザベート19日感想、というか平方フランツと三浦ルドルフ感想。

あくまで一個人の感想です、ご了承ください。受け手の数だけ見えるものは異なるからぜひ直接確かめてほしいし勧めるチケットが売られてないので公式はどうか生配信かライビュをください。

観光客が何でも写真に撮る感覚でばーっと書いてる備忘録です。あと読み返すために書いてるので好きなところしか書いてないぞ。


〇平方フランツ。
・この陛下強い。
ゾフィーの姿をずっと目で追ってるし弾圧を訴える大司教サマを光のない目で見下ろしてるし、ゾフィーに心酔した傀儡かと思ったらとんでもない。公の場で政治への介入を否定されても顔色ひとつ変えず、政略結婚を語るゾフィーからは見えない位置で伯爵に耳打ちして、かと思えば母親へ異議を申し立て"かけて"とどまる従順な姿を見せる。腹に一物ある、"政治をやっている"皇帝陛下だった。
若きフランツ皇帝はゾフィーに抗うことができないんだけど、田代フランツと平方フランツでは意味合いが全然違って見える。田代フランツは精神的にも抗えない*1けど、平方フランツが母に抗えない理由は政治的なそれや権力図の問題だと思う。靭やかでしたたかで、大人しいお人形なんかじゃない。シシィの「何ものにも妨げられず」で表情を曇らせる平方フランツ陛下、ゾフィーが決定権を握る今の宮廷を窮屈に感じてるんだろうなあ。
取り出したネックレスを見せてから「着けてごらん」で後ろに回るのではなく一度正面から当てるところがなんか平方フランツ"らしく"感じて好きです。(自分が背後を取られるのを好まないので)自分から背後に立たないことにしたというか、剣を持たない戦いを熟知している人間って感じ。*2

エリザベートとの距離感が「戦友」
エリザベートを選んだきっかけは一目惚れだったけど、彼の悲観を希望で打ち消す問答で共に立つ戦友として彼女を認めたのではないかしらと思った。剣ではなく心で挑む宮廷での戦い。
実際シシィとゾフィーの間には対立があるんですが、如何せんフランツとシシィでは戦う目的が全く異なるんですよね。平方フランツは(特に1幕の彼は)その違いを分かってなさそう。もしくは差異があると気がついてはいるものの問題ないと判断したか。だから破綻するんだぞ。
婚姻の宴や結婚2日目のやり取り、シシィの訴えに対して未熟な後輩にやり過ごす方法を教えているように見える。愛がないわけではないんだけど。「犬に噛まれたと思って」って言い回しがあるじゃないですか。あんな感じ。シシィの感じている窮屈さや「しきたり」の歪さは分かってるけど、真正面から反抗しても勝てないんだからもっと巧くやらなきゃいけないよって。フランツが戦う目的は言ってしまえば国を動かすためなので、自由を得るのに必要なら自分の感情は後回しでいい。一方でシシィが戦うのは個人の自由を得るためなので、あそこで引くことは考えられない。フランツの言葉に頷くわけがない。
第一子の取り扱いに抗議するシシィをいなしたとき、最初はあの言い分で丸め込める(人聞き悪ければ納得させられるでもいい)と思ってるフランツ*3はシシィから敵意をぶつけられて初めて慌てるんだけど、なんというかちょっと遅すぎるよね…。政治の立ち回りは上手いくせにどうしてそこそんなに鈍いの。

あと平方フランツでびっくりした(好意の表現です)の、この陛下"皇帝"として立つ場で笑わないんだなってこと。ハンガリー訪問でも戴冠式でも、口角を上げはするけど目元は和らげるだけできちんとは笑ってない。平方フランツが笑うの、バートイシュルでシシィと手を取り合ってるときくらいなの。*4頬を意識して持ち上げてるみたいなぎこちなくて不器用な表情が本心からの笑顔だろうフランツ皇帝、笑い慣れてなさすぎませんか。

以下、好きな場面の抜き書き。
・「敵だわ!」って宣言されたシシィにハンガリー訪問を持ちかける前に唾を飲み込むフランツ、シシィがなんでそう言ったのか分かってなさそう。好き。「母上に掛け合うよ」の後だったっけ、フランツの言葉に納得か妥協かして動いたシシィににこやかに手で道を譲るの。シシィはそれ別に喜ばないと思う、でも戦友としての扱いならすごく適当だと思う。というかですね、初夜が明けての時は言い聞かせた後のフォローなかったのにここではレディファーストして見せるんですね。シシィ相手に“政治をやってる”ように見える。
・老ゾフィーの「〜滅んでしまうのよ!」へ胸に拳を当てて礼で返すところ、動作としては似てるのに全然意味合いが違って見えてびっくりした。ゾフィーとの決別に見えた。*5 その前の「貴女のせいです」の後、ゾフィーの返答が来るまで目の光が弱くなっていくんですよ(照明かもしれない。)あそこがなんか好きなんですよね。


◯三浦ルドルフ
このルドルフ、2幕で現れたときからずうっと何かに心を痛めている。
殿下はあれだな、皇族として生きるにはちょっと繊細で優しすぎたな……。
国を思い民を憂い、国民のためできることがあれば我が身を犠牲にしてしまう。……あれ?皇族業向いてるのでは?
でもこの殿下、行為の結果1つひとつに深く傷ついてしまうから心が保たない。「心を抑えて」生きる術を知らない彼じゃ早晩発狂する。
ゾフィーに従順なように見せて裏で根回ししてた平方フランツにはなるほど「政治がわかるはずがない」未熟な子に見えるだろうなあ。やり方が真っ直ぐすぎる。新聞への寄稿もアプローチの方法と相手を間違っているように見えそう。若きフランツの"戦場"は宮廷だったんだもん。ひょっとしたらルドルフの活動は皇帝に立ち向かうことから逃げているようにすら見えてたんじゃないか。
このルドルフ、王座に対する野心が(相対的に)見えない。トート閣下が囁く「王座」にもその後の「ハンガリー国王!」でも光明を見出したように顔を上げるんだけど、獰猛さがないというか、僕なんかでも沈みゆく国のために何かできるんじゃないかって顔する……。それは自己犠牲っていうんだよ皇子、というかなんでそんなに自己有用感がないんだよ……(賛美の表現です。)あの環境と教育でそんなものが培われる訳はないんですよね存じ上げております。でも三浦ルドルフが持ってる素質、民の苦しみに対する感受性の強さは繊細な心が傷つき続けてきたが故な気がするんだよなあ……。心を損なわれ続けたから民に寄り添える彼が、心を抑えて生きる術を知らないから王の器じゃないの逃げ道がどこにもない。
「この世で安らげる居所がない」って三浦ルドルフは泣きながら訴えるんですが、このルドルフについては納得しかできない。彼は現れてから最期までずっと傷ついていて、心の痛むところが増えてくばっかりだった。ここにいてもいいんだって思ってたの、カフェで革命家たちと同じ振りで踊っていた時だけなんじゃないかな。傷ついた鳥みたいな悲壮感を受けなかったのあの時だけだよ。ところで乱闘でみんなに庇われるルドルフに良かったねって若干の微笑ましさすら覚えてしまったんだけど(満身創痍の生き物が保護されたのを見た気持ち)、ルドルフからしてみたらやっと見つけた仲間が自分のせいで損なわれていくのをまざまざと見せられてるんだよね……。

三浦ルドルフと古川トートの組合せで見ました。ルドルフに対して同情的に接する(ように見える)トート閣下が、ルドルフが破滅への選択をするたび見えない位置で歓びに顔を輝かせる。この閣下、シシィの大切なものを破滅へ導くことに歓びを覚えている……。ルドルフもトート閣下の突きつけるものに怯えながらも閣下への不信がちっとも見えなくてですね…唯一の友だちだもんね……。
偽冠を外されてトートに歩み寄るルドルフを優しく抱きとめて座らせ下界の色んなものを見せてやるトート閣下、友人かつ庇護者みたいに見えるのに冠外された瞬間に目を歓びで輝かせたの見てたからな……(好きな場面です。)トートに近づいてくルドルフが母鳥に駆け寄る雛鴨みたいに彼を信じきってるのがまた。

やーそれにしても古川トートといい三浦ルドルフといい、19年ロミジュリ組は傷ついてるときにきらっきら輝くのそれどんな特殊スキルなの???大層魅力的なのでぜひそのままいってほしい。
あと三浦さんダンスものそい上手ですね。私でも見てわかるくらい。序章の木の人形みたいな動きもカフェの乱闘や死のダンスも、何が起こっててルドルフがどういう状態にあるのかがすっと入ってくる。

好きなところ覚え書き
・ダンサーズに一回転させられるときの表情。自失してるようなのに涙の気配はないの。
・「違う!」でかぶりを振る悲痛な声。国のために生きたいんだねそうかって気持ちになる。
・皇帝との問答に肩で息をするほど動揺する。目や声に滲む色が信用されてない悲しみが強い気がするんですよね…この人はこれに怒るんじゃなくて嘆くんだ……って思った。
・「見ているのか」「立ち上がれよ」「王座に座るんだ」の恐怖か何かで目を見開いているのに閣下から目を反らせないでいるところ。すごいきらきらするから見てみてほしい。

*1:そもそも抗う発想がなさそう。"皇帝"にとって国母の決定は"正しく"て、己の心を殺して耐え従うものなんだと思う。

*2:田代フランツがそういうのを知らないわけではないとは思うんだけど、あの陛下"家族"との自他境界がものすごいことになってるから……。

*3:彼が慌て始めるのは「譲り合おう」から

*4:2人の出会った瞬間は抜いてないのでどちらかわからない

*5:田代フランツは国母だった皇太后への敬意に見えた