つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

偽義経冥界歌推し語り。(ネタバレあり)

大阪で観た新感線、舞台もののイメージをひっくり返された。たぶんここからどんどん変わってくんだと思うので、備忘録とここは見てほしいポイントをまとめたい所存。予め言っておきますとこの先哀しいとか酷いとか地獄とか叫びますが全て賛美で好意の表現です大丈夫だいすきです。

 

義経冥界歌、「人は変わっていく」こと、そして「それは周りによるもの」だってことを突きつけられた。そんな気がした。 

 
生田斗真さん演ずる奥華玄九郎、いい意味ではちゃめちゃ。

政治だの立場だのを意に介さず登場いちばんに義経を蹴り飛ばしたり、手持ちの矢を全て射かけても倒せなかった猪を拳で大人しくさせたり。シンプルで真っ直ぐな思考の爽快さ、整った顔から繰り出されるこれまた真っ直ぐで無防備な笑顔。おまえはジャンプの主人公か!?(ほめ言葉)
彼の主人公感はその後も続く。平氏や源氏の垣根をひと言で切って捨てても*1静歌の想いは否定しない人間としての器の大きさ、初恋を自覚していない鈍感さ。静歌のうたが引き起こした現象を目にしても「やっぱりおまえの歌はすげえ!」だけ、自分のために利用しようとは欠片も思っちゃいないこの純粋さ。
だからジャンプの主人公か!?
玄九郎あるいは義経、人間としては大好きだけど物語の登場人物としては邪気がない故の無頓着さに(個人的には)時折カチンときたりもして*2、でもあの圧倒的な熱量と笑顔に「まあこの人だから」と思ってしまう。悪意や陥穽をこれっぽっちも持ち合わせない眩しさは熱量を伴って、手を握ったら熱いくらいぽかぽかしてそうだった。
彼の役割も"主人公"だなって感じた。玄九郎の言葉や行動は番狂わせというか、盤をひっくり返すようにその場の空気を好転させるんですよ。それこそ一陣の風が吹き込むように、膠着状態や絶望が取り払われて明るい希望が現れる。
ただし彼が良く変えるのは"その場の"空気だけ。彼の提案はその場では希望に見えても、結果として状況を悪化させることも多い。そうなってしまう理由は簡単で、彼は"迷わない"から。人間が迷ったり悩んだりするのは未来を案じているからなんですよね。今しか見ていない玄九郎に悩むことはできないし、その場を凌ぐことはできても先を見通した最善手を打つことはできない。その最たるものが静歌に願って冥界の扉を開いたことなんだと思う。
けれども彼は、最後に変わった。
戦いが終わり、生き残った人々に義経が遺していく言葉たち。破天荒で明るい力のある言葉たちは、"義経がいなくなった後"の世界で希望を持つためのものだった。今しか見ていなかった義経が、未来の幸せを願えるようになったんです。最初から最後まで「素直すぎる」彼は素直なまま、でもちゃんと成長したんだなあと、思った。

ところで全く関係ないんですが、これ書きながら生田さんの圧倒的光属性に初めは好青年なのに下種っぷりを発揮するような役*3も観てみたいなって思ってウィキペ見たらさんじゅうよんさい!?柿澤さんより古川さんより年長!?!?

 

藤原さくらさん演じる静歌。強い女性。

静歌は強い。揺るがない。一度信じた相手をとことんまで信じ抜く。誰かのために歌い、歌いたくない相手のためには断固として歌わない。その変わらなさ、歌歌いとしての誇り高さが彼女の強さだろう。変わらない彼女の歌がどんなものになるかは、だから周りの願いに拠ってしまうんだと思う。
義経に乞われて歌った冥界の門を開くための歌。あの歌の詞が聞き取れたとき泣きそうだった。生者のために死者を喚び戻す歌。憎しみを煽り立て、身の内に地獄を抱かせて現世に解き放つ歌。あれはそういう歌だった。と思う。
彼女が初めに歌っていたのは死者の安らぎを祈る慰めの歌だったのに、良くしてくれた平氏のみんなが安らかに眠れるよう祈る歌だったのに、死者の憎しみを掻き立てて解き放つものに変わってしまった。心を許した誰かのために歌う、歌歌いとしての彼女は何も変わっていないのに。
そこまでずっとひとりで歌っていた静歌が誰かと歌うようになる、もういない誰かへ向けた彼女の祈りが誰かと一緒に紡ぐ願いになったのがなんかこう、すごくいいなって思ったんですよね。もういない死者への手向けなのは同じでも、誰かの安らぎを一緒に想える人がいるのは救いだと思うよ。

 

りょうさん演じる黄泉津の方。正しい女。

静歌の変わらなさが強さなら、彼女の変わらなさは正しさだと思う。
奥華の歴史と生者のために。奥華の巫女長の信念は決して揺らがない。
秀衡に薬を盛った酒を自らも飲み干す姿を見てそう思った。後ろ暗いところが何もないから躊躇いなく断罪できる。そうあるべきと努力していて、そうである自分を疑わない。聖書の一節に「罪を犯したことがないものだけが(罪を犯した女に)石を投げなさい」というのがあるんですが、彼女はまさしく"石を投げることができる"人間だった。
正しいがゆえに他人を疑うことに慣れてないんですよね。詰めが甘いというか、彼女の潔癖な正しさでは、二心を持つ人間の思考を理解するのが難しいんだろう。そう考えると秀衡を暴く企みにあの妖しさ満点の十三が噛んでいたのも納得がいく。彼女が奥華への忠義を疑うためには、裏切りを理解できる人間の補助が要るんですよ。
だってさ、本性を確かめるために秀衡に薬を盛るなら、あのタイミングで十三にも盛るべきだったじゃないですか。あの十三ですよ。2幕のやり取りを見た感じ、黄泉津の方だって彼を領主の器だとは考えてないじゃないですか。あのとき十三に酌をしていたのはくくりだ。やろうと思えば容易かったのに、彼女はそれをしなかった。薬を盛らないことに決めたんじゃなくて、考え付きもしなかったんじゃないだろうか。*4
奥華の金を横流ししている秀衡を疑うことはできても、奥華を守るための提案をしてくる十三を疑うことは考えられない。彼女はそういう矛盾を持ち合わせないから、本心と矛盾する行動をとれる人間に備えることができない*5。知らないものを見抜くことはできないんですよ。
再び立ち上がった彼女が朗々と告げた「"私とくくり"の血を降り注いだ」、すごく熱い場面だったと思う。何でも一人で背負おうとする、正しさを体現しようといつだって気を張ってる彼女が、くくりの力を借りて二人で守ろうとしたんですよ。熱くない?

ところで観劇前、Twitterで複数の方に「貴方はりょうさんが好きだと思う」って言われたんですがその通りで、現実世界ではああいう筋の通った人大好きだし上司だったらめちゃくちゃ懐いてどこまでも付いていったと思う。*6

 

新谷真弓さん演じるくくり。

儀式の歌で一番好みの声だったんですよ。しゃらしゃら華やぐアンサンブルさんたちを目的に引っ張ってく迷いのない歌。だのでその後しれっと発した台詞(の声)に待ってそういうキャラなの!? いやそういうキャラ好きだけど!? 待って!?ってひっくり返った。何かを受信している系なのかと思ったんですが、場の空気をぶち壊す意志を強く感じたので頭の良い子*7なんだと思っている。「十三様がおいでになりました」のしれっとした言い方が好きなんですよね……。空気が読めないんじゃなくて解った上で意図してぶち壊してる感じ。義経が乗り込んでくる場面だったかなあ、十三と対になる位置に座らされながら彼に対して徹底した無関心*8なの思わず笑っちゃった。
一部で話題の膝枕シーン、性的な色が微塵もなくて感動した。いやあの場面の状況や反応に艶っぽさがないかといえば否なんですけど何ていうかな、くくりの側にそういう意図が微塵もなさそうなの。彼女の献身、いたわりと尊敬だけでできている。「生真面目」で誰よりも奥華の未来を考えていて誰よりも自分の幸せを置き去りにしてしまう黄泉津の方が、くくりの前でだけは"奥華を保つ機構*9"ではなく人間でいられるんですよ。そしてそれは、くくりの努力と信頼の成果なんだと思う。最期、黄泉津の方の力が抜けてからくくりの身体がゆっくり前に傾くのとか。くくりは最後の最後まで、黄泉津の方をひとりにしなかったんだよ。
この膝枕といい「シーシー」*10といい、理由のない母性として描かれることの多い甘やかす愛がプレイの一環、"今だけの虚構"として描かれるのが個人的に最の高でした。互いの合意と信頼の上に築かれる無防備な甘えと絶対の受容、物語がある。
ところでこの方のことを同世代ちょっと上(32くらい)かなって思っていて、公式アカウントのpostでお歳を知りアラフォー!? と目を剥きました。劇団新感線の舞台、コラーゲンの泉でも内蔵されてるんじゃないの。

 

橋本じゅんさん演じる武蔵坊弁慶。味方の顔をして裏切る者。 

思えば初めからそうだった。牛若が死んでしまって追われる玄九郎に理解を示した振りをして、その手を縄で縛りあげた。でも、玄九郎の腕を捻りながら「素直すぎるんだよ」と零したあったかい笑顔。あの表情は「武蔵坊弁慶」ではなく「じゅんさん」のものだったのかもしれないけど、弁慶だって玄九郎のそういう真っ直ぐさをきっと嫌いじゃなかっただろう。
その弁慶が京都の貴族どもに頭を垂れる姿を見た衝撃は忘れられない。三人衆に頭を垂れて命を受ける誇らしげな笑顔。静かな熱を含んだそれは義経の前では見せたことのないもので、彼等に仕えることを喜ぶような姿に何だか哀しくなってしまった。なんでだよ、なんでそんなやつらがいいんだ。破天荒な義経を見てあんなに楽しそうに笑ってたじゃないか。義経の無茶を楽しそうに見ていた貴方がどうして、彼をどうでもいい駒みたいに言うんだよ。
でも。自分たちが殺した義経に背を向けた弁慶の震えながら立てた片手と遣る瀬無い表情を見て、もしかしたら違うのかもしれない、と思った。もしかしたら、弁慶は義経と一緒に旅していたかったのかもしれない。義経のことを気に入っていたからこそ、これ以上情が移らないように京都に行くほうを選んだのかもしれない。
2幕で義経と旅した日々のことを、楽しかったな、と寂しそうに海尊に零した弁慶。彼は平和を信じて平氏についていただけで、本当はずっと義経の無茶を見ていたかった。見当違いかもしれないけど、そう信じていたいと思った。

 

橋本さとしさん演ずる奥華秀衡。悪党で、情けなくて、普通の人間。

最初に白状すると今回のモンペになりたい人物ナンバー1。目を覆って耳を塞いで世界から隠したい。望むと望まないとに関わらず、悪意のない敵のない夢のなかで過ごさせたい。

と、その前に新感線のさとしさんの話をしよう。新感線で駆け回る彼、慣性なんてないみたいに軽やかだった。
特に好きだったのは2人の息子と弁慶との4人でテンポ良く進む会話。人物たちは真剣なのに笑いを誘うあの場面の彼らは軽やかで楽しそうで、あれが“新感線のさとしさん”なんだと思った。ノストラダムスのさとしさんもキラキラ楽しそうだったけれど、本場の新感線で見た彼は羽が生えたみたいに軽やかで何にでもなれそうだった。そのさとしさんに目を輝かせていたらあの変化ですよ。いや本当、役者さんってすごいですね……。

そんな序盤だったものだから、お茶目で情けないけど人情に篤い、秀衡はそんな人物だと思って見ていた。さとしさんだし当て書だしと油断していたともいう。儀式を行う場に現れた十三を疎ましげに見る姿も、兄弟仲が良くないのかなぐらいに思っていたんですよ。それが、さあ。
「手前らが追い込んだんだろうが!」息子に刀を抜いたことを黄泉津の方に論われて、怒鳴り返した秀衡の姿がひどく痛かった。己が身を護るための乱れた走り、刀を向けながらの余裕のない声。薬で引き出された彼の言葉や振舞いは、人間のエゴと醜悪を体現したような姿だった。あの様を「本性」と呼んだのは黄泉津の方だったけれど、でも、彼女たちが策に嵌めなければ彼だってそんなことはしなかった。だって彼は、一度は抜いた刀を地面に刺して息子に話しかけようとしていた。十三に蹴り飛ばされたせいで腹に息子の刀に腹を貫かれ、その言葉は怨嗟へと変わってしまったけれど。良き領主、良き父親だった彼のそうでない面を引き出したのは黄泉津の方と十三ではなかったか。
先に死んだ人々と黄泉がえったときもそうだ。真っ白な死に化粧の中で浮き上がる獣のように真っ赤な口。天を仰いでいる秀衡はこちらを見ているわけではないのに、おそろしさで目を逸らせなくなるような気迫。その変わり様は「おとと様」だった頃とも冥界での姿ともかけ離れていて、義経が叫んだ「もはや人ではない」という言葉がぴったりだった。生者を憎み血と野望に酔う彼らは悲しいほど変わり果ててしまった。けれど、諦観でもって心穏やかにあろうとしていた死者たちをあんな言霊で目覚めさせたのは玄九郎たちではなかったか。

初代に窘められたように、青い隈取が示す通りに、彼の行いはたしかに"悪"だ。奥華を裏切って、黄泉津の方と十三だけでなく彼らに嵌められて望まぬ父殺しをさせられた息子まで怨んで、血の味と憎しみと欲望に突き動かされた悪党だ。行いの責を負う度量もなくて、他人に転嫁する器の小さな人間だ。
けれど。金の流れを仄めかして釘を刺すこともできたはずなのに*11、何もかもを剥ぎ取って追い込んだのは誰だったか。冥界にいれば奥華の守り手としてあれたかもしれないのに、憎しみに方向性を与えて喚び戻したのは誰だったか。彼が弱い人間だと知っていたくせに。彼が怨んでいると知っていたくせに。

醜い欲望を諦めと妥協で覆い隠して求められている姿を見せようとしている秀衡は生まれながらの悪なんかではなく"普通の"人間だったと思う。

 

河野まさとさん演じる奥華十三。

若い子のように澄んだ白目はたっぷりと水分を保ち、照明の下できらきら光っている。河野さんへの感想でよく見る「若い」という印象はこれがひとつ由来なのかしらと思った。あと肝臓と腎臓が健康そうで素敵だなって思う。
この十三、安定のゲスさ(賛美です。)ちゃんと政治をやっててびっくりした。いやその、場の状況でひょいひょい手の平を返す裏切り三五の印象が強くてですね。何重にも策を仕込んで立ち回る賢しさと、その賢しさゆえに策に拘って破滅する愚かしさ。2幕の冒頭、軽く吐き捨てた「こんなことなら兄貴を生かしとくんだった」のゲスっぷりが際立ってた。この人、肉親の命にも奥華の運命にも何の重さも感じてないんだ。策に使う駒としか思ってない。ひと口齧って投げ捨てた煎餅*12と同じくらい、どうでもいいものなのかもしれない。観てるときはすごく腹が立った*13んですが、十三が好きな人にはたまらなかったんじゃないかな。

ちょっと蛇足なんですが、十三からイスカリオテのユダ*14を連想してちょっとびびってました*15。西洋の一部で13が忌み数といわれる原因がこのユダなんですよ*16。裏切りの数を冠する男、すごく"らしい"と思った。

ところで。木乃伊にされる間もなかった義経が甦ったのに、冥界の扉を開く前に"殺された"十三は出てこないんですよね。木乃伊化の処理をされていないからかもしれないけど、彼、本当に死んだのかな。

*1:そのために戦が起こってるのを絶対に理解してない。

*2:ごめん、フィクションの人物だと悩んで悩んだ自縄自縛で破滅するようなあわれな生き物がだいすきなんだ……。

*3:デスミュの月とか

*4:対外的には揺るがない強さを持つ黄泉津の方が自分で疑念を抱いたんなら、全ての徳利に薬を入れるぐらいしてもおかしくないと思うんですよね……

*5:黄泉津の方のおぎゃりは彼女の正しさ、「奥華のために」という信念とは矛盾しない。

*6:ただその、フィクションの人物だと(実在する人間のを肴にする趣味はない。)取り繕った笑顔を鎧にして丁寧に隠したトラウマや劣等感を抉り出されてもがいてる姿が性癖で……我ながらどうかと思うんですが"人間"って感じでクるんですよね……

*7:年齢は知らない。静歌と同じくらいの設定だと勝手に思ってるんだけどどうなんだろう

*8:不如意なんだろうなって思うぐらい。視界にも入れない。

*9:秀衡を断罪するため冥界から呼び出された初代や二代のように

*10:あの破壊力すごかったしおかめもちょっと笑っちゃってた。

*11:黄泉津の方に釘を刺されてなお企みを続ける度胸は秀衡にはないと思う。

*12:鯵の干物だった回もあるらしい。そのうち南部せんべいとか出てくるんじゃなかろうか。

*13:何せ完全に秀衡に入れ込んでみてる

*14:キリストの弟子でありながらユダヤ教徒に金をもらい、キリストの居場所を教えた裏切り者。

*15:十三藤原氏を築いた、モデルだろう人物がいることを教えていただきました。

*16:クリスチャンの知り合いが「13は一行の旅を表す数で、最後の晩餐でユダが立ち去ったから崩れてしまった」みたいなことを話してたので、人によって解釈は違うと思う。