つまるところ。

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2021スリル・ミー各ペア感想

毎回言ってますが個人の感想であり強火の幻覚(オタクの願望が乗った妄想)ましましです、ご了解ください。
あなたの観て感じたものがあなたにとっての真実ですよ!!! 見るというのは自分のなかにある概念で世界を切り分けることなので。
基本的に敬称略です、そしてネタバレしかありません。細かいとこはこっちできゃいきゃい言っております。
あと先に申しておきますとわたしこれ自分で読み返すために書いてるので好きな箇所を好きなように見ております。言葉足らずとオタクの強調表現で好きなとこ語ってるように見えてなかったらすみませんなのですけど。

 

〇にいまりペア(田代私×新納彼)

互いへの愛が双方向で種類も似通っていて、見ていて胸が温まりますね……。今までそういう関係にさほど食指が動かなかったんですが*1新たな扉を開きました。互いを慈しむような大きくて穏やかな愛情、いいですね……。

あとこれ個人的な妄想なんですが、このぺア双方が同じくらい"相手に望まれているように"振舞いまた"そのときの自分も嫌いじゃない(だいぶ好んでいそう)"感じが好きなんですよ。新納彼の人を惹きつけ信頼させるカリスマ性は誰に対してもだけどあそこまで甘やかして守るように接する相手は"私"だけだし、田代私も意識して庇護を求める甘えたな子どもをやってそうだなって思う。幻覚ですが。
わたしは「スポーツカー」を"私"以外の人間に見せている"彼"の姿だと思って見ている(幻覚)んですが、あの場面の新納彼、優しげで相手の心の機微を察して安心を差し出して、手は繋いでくれそうだけど声はあんまり甘くなくないですか? 清潔でさらりとしたタオルのような声というか、親切だけど博愛というか。音の光沢や質感だけで物を言ってるので一般的な甘い声があのときのような声音をさすならごめんなんですけど。
新納彼の深くて艶のある慈愛に満ちた声は"私"の前でだけ見せる姿なんじゃないかなって思うとすごく楽しいし、「僕と組んで」の説得がいつもの声に近い低くて深い音なのに「二人でいよう」が「スポーツカー」の歌声と同じ軽くて高いやわらかな音色なの本当に残酷だな(あそこめちゃくちゃ好き)って……。あの声を聞いて、目尻の染まったまなこをゆっくりと上げて“彼”と目を合わせ、やがてふい、と顔をそむけた田代私、どんな気持ちだったの……。

そして田代私ね、ときおり低くてざらざらした音の声を出すんですよ。「また火ぃつける気か」とか「抱きしめてほしい」とか、あまり"彼"の賛意がもらえなさそうなところで。(役者さんご本人の地声がどうこうでなく)この"私"の素の声はこっちで、"彼"の前でだけあの少し高くてとろりとした質感の声を出してるんじゃないかなって空想できてすごく楽しいです。
まあそんな目で見ているので「待てよ!!」が高いけれど鋭くとがった音してるのに毎回すごくテンション上がる。甘やかされる期待をしていない、意志をぶつけるだけの悲鳴。

あとあれですねこのペア、歌がすごい。共演者にも観た人にも言及されているんですが歌で殴られるような衝撃がある。
わたし「やさしい炎」が中でも飛びぬけて好きで。どんな場面なのかを歌声だけでわからされたの生まれて初めての体験だったんですがミュージカルの醍醐味だなって思いました。
いつもはこういう場面だからこの人はこう歌ってるんだろうなすごいなみたいな思考を回して解釈してるんですが、それ抜きで「こうなんだ」って叩き込まれたの初めてだった。

歌もだけど声もすごいなーと思ってて、音としてのうつくしさというか聞きやすさを残したまま、リアルな人間の荒々しさや感情の醜さを乗せられるのが本当にすごいと思う。特に新納彼。音として聞き苦しければ多少は冷静になって観察できるところ、作品世界に没入したまま荒れた感情や醜さをダイレクトに叩きつけられるので衝撃がすごく大きいんですよ……。
あれはたぶん録音した音では飛んでしまう、生の舞台だからこそ肌で感じる揺らぎなんだろうなと思っているんだけどまあ実際どうなのかはしらない。そういう見方というか聴き方というかをしているので新納彼の三度目の「そんなことで騒ぐな」や田代私の「うん、うまくいったよ」の声を聞くたびにひぇ……って思っているしとても楽しいというだけです。声の高さも光沢も輪郭もおんなじようなのに、重さだけが不自然に抜けたからっぽな音。

 

ところでこれは(これも)純度100%の幻覚なんですけど、新納彼にとって"私"と過ごす時間は"現実の痛みを忘れられるとき"だったんじゃないかと思っています。なんていうかさ、新納彼の見せる苦痛、生身の人間の質感としてすごくリアルじゃないですか……?
"私"への劣等感とか家族に愛されていない苦痛とか何も感じなくなっていく辛さとか家にはお金がないんだろうなとか(「金持ちなんだし、当然だろ」にも少し反応しません?幻覚かもしれない)、自分ではどうにもならない現実を忘れられるひと時だったんじゃないかなって思うんですよ。"私"が全身で愛をくれることや腕のなかで信頼しきった甘えを見せること、分け与えたスリルの愉しみに素直に染まること、そういうものがさ、儘ならない現実と無力な自分を痛感させられる苦しさへのある種の鎮痛剤になってたんじゃないかなって……。
"私"を甘やかしたりいじわるしたりしているときの新納彼が愛おしささえ感じさせる目をしているから、腕のなかに抱き込んだ"私"を撫でる手が優しいから、こうね、現実の苦痛に顔をゆがませる姿が余計に痛々しいというか絶望の質感が生々しいというか。足掻いてもどうにもならない、手を打つこともできないその絶望は現実のおれとリンクするやめてくれ(賛美の表現)てきな。

田代私にとっての"彼"、たぶん観た角度の関係で受ける印象がちょっとずつ違うんだけどなんというか"彼"が世界のすべてだから……みたいなことは毎回思う。10日のマチネだったかな、心がこわれていく"彼"を全力で人間に引きずり戻した(そのかわりに壊れてしまった)って印象がいちばん自分の性癖に刺さりました。全部強火の幻覚なんですが。護送車での"もう戻らない変質"の質感すごくないですか。
んだもんであの後の53歳私をどうしても"彼"を喪ってからの日々が"私"の心を回復させたんだな、可哀相だけどそこは救いだな*2って気持ちで見てしまうんですが、「もし彼が生きていたら」からの姿で全然そんなことはなかったのを見せられるので……"私"の心は19歳のあのとき壊れたままなんだなって……。熱っぽい声で彼の死に様を淡々と語りながら、見開かれ狂喜に染まった目にみるみる涙が溜まっていく意識と感情の乖離を見て正気を回復したなんて言えないじゃん……?

 このペアの99年を見るといつも、"私はいつから計画のため動きはじめたんだろう"と同時に"私はいつから壊れ始めたんだろう"と思うんですよねわたし。軋んでいた彼の心に一度は崩壊への決定打を叩き込んでしまったのは「スリル・ミー」だと思っているので私の決定打もその後のどこかからだろうと思っているんですが。いえすべて幻覚なんですけど。「僕はわかってる」の最後に見せる狂喜が振り返ると徴候に見えたりもするので、はじめからだったのかもしれない。

 

〇成福ペア(成河私×福士彼)

成河私は(お話知ってるはずなのに)観るたび99年で印象がひっくり返るし福士彼への印象は5/4の「最、低、だ」ですべてひっくり返ったのでそういう目で話をします。

ふたりが互いに向けている感情、愛と呼べるかと言やぁ愛だと思うけどが種類がまるで違うよね……。"私"のそれが愛なのか今ではさっぱりわからないんだけど、じゃああの感情を愛以外の何かで呼べるかと言えば否だと思うんですよね……。福士彼のそれは愛情だと思う。どんな気持ちで注いでいるのかまるでわからない、大きさだけはわかる愛の感情。
二人が持つ気持ちの大きさを比べるのは意味がないというか共通する単位がないというか、キリンとゴリラどっちが赤い? みたいなことを聞かれてもわからんとしか言えないというか。能力の高さなら迷いなく"私"なんだけども。執着の強さは……どうなんでしょうね……。

成河私の心、わからない……。毎回「("彼"への手加減はしてるかもだけど)今回の"私"が見せている感情や動揺は本物だ」って思うのに、毎回「99年」でそんなことはなかったを食らうのでもう何が本心かわからない……。ただひとつわかるのは"私"が本気になれば徹底的に本心を隠せるってことで、だから53歳私の心もわからなくなってくるんですよね。だって、委員会と対峙する"私"には手に入れたいものがあるじゃないですか……。34年前の事件と同じ条件じゃないですか……。
"私"の語る真実を見ていると蠱惑的に試すように目を合わせる、うつくしい悪魔のような"彼"の姿が好きだったんじゃないかなって思うんだけどさ、それさえ本当なのかどうかわからなくなってくるの、恩赦を勝ち取るために「自分を制御することができなかった」と主張するための欺きなんじゃないかって思えてくるの、それさえ信じきれないんじゃもうどうしたらいいかわからないじゃん……。
19歳私の本心が別にあることを疑える唯一の箇所が「僕の眼鏡/おとなしくしろ」で電話がつながってないとき*3なので、"彼"に見えも聞こえもしていないときの姿は本心だと信じたい気持ちがあるんですが、でももはや祈りでしょこれ……。「僕はわかってる」の最後に見せたあの寂しそうな顔と、「死にたくない」で"彼"の悲鳴を苦しそうに聞いていたあの晩の姿だけは本心だと信じたいという祈りですよもう。
……いやまああの計画を着々と遂行する一方で見せていた感情も誇張や混じり気なしの本心って可能性も大穴でなかぁないかもしれませんがいくらなんでもそんなばけものじみた心とただの人間を対峙させないであげてほしい。そんなものとの対等な親友、家族に愛されていないと泣くただの男の子には荷が勝ちすぎるじゃん……。
53歳私の愛おしむような「待ってたよ」、暗転する直前の穏やかな微笑、懐かしい一枚の写真を取り戻すためだけに語られた真実だったらいいなあ*4と思うのでした。まあたぶんそんなことはないんだけどさ。

福士彼、"私"に注ぐ愛としか呼べないものの大きさばかりがあって、なぜそんなにも"私"を必要としていたのか窺い知ることもできない。そのための材料がない。
公園で"彼"が突き付ける「最低だ」、少し高めで軽い音で、普段の声より「スポーツカー」と似たような明るさをしているじゃないですか。わたし音感さっぱりなくて声から連想する質量を重さ、明度を高さ、彩度をやわらかさって言ってるだけなんで、普段と同じ高さだったらごめんなんですけど*5。"彼"が"私"を突き放すときに出すのがあの声ってことはさ、今まで全部"私が好きそうな自分"を演じてたってことなんじゃ……? って思ってしまい印象度がめきめき上がりました。
福士彼、"私が好きな自分の姿"をよくわかってるような仕草をするじゃないですか。マッチ箱をしゃこっと振るのとか、「それが欲しいんだろ」「ん?」とか。目を愉しげに丸くしてうっすらと笑みを刷いた、試すような表情。"私"が自ら選ぶのを待っているみたいな、うつくしい悪魔のような誘い。内心を吐露した幾度か以外では崩れないあの表情や振る舞いが、"私を動かすため"じゃなくて"私がそうあってほしいと望んでるから"やってるんじゃないかなって思ってしまってオタクは"彼"の印象をうつくしい無関心から無私にも似た献身に転換させました。"私"に望まれているから本当の自分とは離れた"望まれた姿"であり続ける、それを献身と言わず何というんだよ……愛かな……。
そして同時に"彼"がそこまでする理由がさっぱりわからなくなりました。だってさ、成河私が欲しがってるから虚像を見せてやってるとして、その行為で福士彼が得るものがないじゃないですか。作り物に向けられる愛で満足できるなら、言い換えれば望む姿を見せれば愛されると心から信じているなら、「スリル・ミー」導入であんな泣きそうな顔しないでしょう。どうせ弟の誕生日だ、ってあんな泣きそうな顔して、もしかしたら泣きながら吐き捨てたりはしないでしょう……。家族が自分を愛してくれないことがつらくてあんな顔するんだよ福士彼……。そして望まれた"美しい彼"の奥に隠れていた愛されたがりの少年に成河私は「僕の目を見て!」って言うんだよ……。
"私"を気にするほどの余裕も失っていた"彼"が、「お前に従う」と答えてからさっきまでのぼろぼろの姿が嘘みたいにいじわるで蠱惑的なうつくしい男を完璧にやってみせるの背筋が冷えるようだったし、その仮面に「いい加減な気持ちならいやだ」と駄々をこねるの流石にあんまりだと思いましたね……いやこのペアはそこがいいんですけど……。彼の弱った姿を見もしないで"それ"を欲しがったのはおまえだろう!?って、その虚構を喜びこそすれ責めるのはあんまりだろう、って……(そこが好きです)
でも"彼"は"彼"でそういう"私"がたぶん嫌いじゃなかったんだろうなって気がするんですよね……。「超人たち」の歌の後にさ、ぐったりしている"私"を見下ろしていた"彼"が、握り留められた手を引いてやるじゃないですか。腰を屈めて高さを合わせて、"私"の一番好きだろう顔で目を覗き込んで立ち上がらせてやるあれは、愛じゃん……? "私"が"彼"の顔を見る前の、きらきらしても笑ってもいないで"私"を見下ろしていたあの時の顔が、彼の愛おしいものを見るときの素顔なんじゃないかなって思う(妄想)とこうたまらない気持ちになりますね。幻覚なんですけど。

このペアあれですね、成河私から"彼"への本心も福士彼から"私"への本心も隠されてわからないままなのに、"彼"が本当になりたかったものを隠していた理由や"私"の愛だけじゃ満たされない理由は心当たりが浮かぶ("私"はありのままの自分を愛してはくれないから)のなかなかに残酷(好き)だなって思う。

あとところでだいぶぽやっとした言い方になるんだけどさ、このペアの言葉でないところで状況をわかりやすく伝えるのすごいなって思った。食べやすいというか。いえ食わされるものはとんでもないんですけど。「99年」「永遠に」もそうだし(あそこはペアごとに意味が違う気もするんですが)、なんで"私"が死刑を望んでた検事の手紙を嫌そうにするのか、その手紙で結論を出したって言われた後に「毎日たくさんの殺人が~」って言いだすのかとか。ずっと不思議に思ってたんだけど、このペア見てあっそっかって腑に落ちた。

ところで同じ役者さんだけど18-19年に見たペアとはなんかまったく別ものだったよ。成河私は人間だったし福士彼には愛があった。前回が全くそうでなかったわけではないんだと思うんだけど前回の成河私の第一声があまりにこいつぁやべえだったからそのやべえの印象と、そっから派生で福士彼への同情心がメイン感情だったもので……。

 

〇広山ペア(松岡私×山崎彼)

新ペア、短縮規則に則ると松山ペアな気もするんだけど松柿ペアがいるので*6勝手にこう呼んでいます。にいまりペアも"私"のほうは下の名前だし。
なんだろうねこのペア、愛……愛はあるけどわたしはそれを愛とは呼びたくないみたいな種類のそれだったな……。見たのは4/10、4/17、5/5で、4/10と5/5の印象が似通ってて4/17だけ大きく印象が違う。近くで見たかつずっと表情を抜いてたのがこの回だからだと思うけど。*7
松岡私の"彼"への感情は一方通行で自己中心的で、山崎彼が"私"に向ける感情は沈みかけた者が最後に掴んだ藁へのような依存で、あれを愛とは呼びたくねえなあ……。

これは主観なんですけど松岡私のやべえところ(通常版)、共感による感情理解がゼロ以下にしか見えないところだと思う。巧拙じゃなくてそういうパラメータそのものがなさそうというか。どごんと穴があいてるみたいに、共感の社交が存在しない。ヒトが社会性動物である以上、他者理解は体験と共感がベースになるというのがわたしの持論なんですが、松岡私、そういうメカニズムで動いてなさそうなんですよね……。なんだろうなあの異質な感じ……うまく言えないけど、どの回でもこの印象は変わらないんですよね……。能力の高さや思考の速さ、広さがあまりにも違いすぎて、同じ出来事に遭遇しても誰とも同じものを見ていないんだろうなって感じの異質。意味違うけど52ヘルツのクジラみたいな。アルジャーノンのが近いかしら。
要所要所で見せる真顔と爬虫類のような眼(比喩的な意味で)があのやべえ感じを醸し出してるんだと思う。比喩的なっていうのはリアル爬虫類の目はもっと瑞々しさがあるし感情も見えるので……。あえて単語をはめるなら"無機質な"だと思うんだけど、ガラス玉のようなと呼ぶには透明感、ないよね。ラスト以外。バードウォッチングのときとか普通に目に光があるんだけど、いやなんか生身の人間っぽい感情がなにがしかでも乗ってた記憶があるのそのあたりしかねえなわたし……。たぶんそんなことはないんだろうけど、「僕はわかってる」で最初に見たあの目の記憶が強すぎるんだよな……

ところでわたしは「スポーツカー」が"彼"の対外的な姿だと思ってるのと同じ理屈で彼の弟への電話対応が"私"の対外的な姿だと思っているんですが、初日は魅力のある完璧な人間、17日は弱者に見えた。5日は"彼"を見ていたのであんまり覚えていない。どっちにしてもあの時の目は光と感情が乗ってて人間っぽさの皮があった。でもその印象の違いはたぶん根本的には同じで、共感ベースの他者理解ができないなりに人間と関わらなきゃいけないときはあり、"彼"以外へのなおざりな対応が世間様的には完璧かあまり上手じゃないかってだけなんだろうな。*8

共感ってツールが使えないなりに人間をやってきた松岡私が、山崎彼にだけは共感ベースで接して行動するからあのやべえ、人の世で生きてきました?みたいな感じになるんじゃないかなーと個人的には思っています。どうなんだろ。"私"には及ばないにしても飛びぬけて優秀な"彼"だけがちょっとだけ自分に近い、だから特別、だからこそ執着する。唯一おなじ"人"に思える相手だから大事にしたくて、自分の気持ちを見てほしい、人としてつながりたいって欲求を持つ。それは愛というには未発達な情緒だけど、原初のつながりではあるよね。やべえところ通常版の語りおわり。

松岡私のやべえところ通常じゃない版ですが「99年」怖えよ。「離れられない」からの爽やか優しげなんでも言ってよ一方通行愛情フェイス、あの場面であの"私"から出る表情としてこれほど生理的に怖いものもそうないよ。愛と歓びに満ち溢れていて絶対話が通じないもん。"彼"の絶望とか恐怖とか、見えてる?(反語)
狂ってるほうがまだ怖くなかったじゃん……あの松岡私は正気だよ……正気のまま彼を手に入れた歓びに目を潤ませているし「変だよ青ざめて」って言ってるよ。
共感ベースで他者理解をしてないって印象(個人の幻覚です)がここでこういう納得感をお出しされるとは思ってなかったですよね……。人として、共感でつながろうとするのを投げすてて「僕のものにする」だけが残るとこうなっちゃうんだなって……。
狂人だから怖いというよりは話の通じない人間のこわさで、なんというか、感覚的にあれなんですよ、愛情を一方的に募らせちゃったストークをする人々に抱く生理的恐怖というか……。この話の流れで情緒が人間らしいほうがおぞましいってなかなかないよね(賛美の表現です)

山崎彼。あのね。きっとね、役者さんにその意図はないんだろうと思うんですよ。それはわかっているんですよ。
この"彼"の仕草のあちこちがわたしが持っている"尊厳を奪われ続けてきた子供"の概念ど真ん中にぶっ刺さってしまって完全にそういう色眼鏡で見ている……。もうぴったんこカンカンですよ。即刻じそうに電話する。でも19歳だから保護もしてもらえない……。
そういう色眼鏡で話をするのでそういうのはちょっと……の方は回れ右をするのがいいです。しましょう。単語選びに多少なりともオブラートがあるうちに(まだあります。)

お歌がじょうずだなあと思って見てた山崎彼の中身が気になったのは「スリル・ミー」の半ばで、松岡私が触れた瞬間に身体の力をぐたりと抜く姿に悲鳴を上げました(無言)。暴力が通り過ぎるまで身体の痛みも心の辛さも感じない"物"になってやり過ごす、尊厳を奪われることに慣れている無力な子供の自衛のようで本当に見ていて心が痛い。そんなものの対処法なんか知らないでいてくれ……。
「超人たち」の後で自分から松岡私の腕をたどって手を握るのとか、「僕と組んで」で縋るような顔で"私"の首筋に顔を埋めるのとか、口づけながら"私"を押さえつける右手がシャツをきゅっと握っているのとか、愛され方を知らないちいさな子供みたいに……見えて……。この"彼"が"私”を必要としている理由、松岡私がくれるもの以外に何も持っていないからなんじゃないか……? 他のやつらと同様に"彼”への欲望を持っている松岡私だけど、それでも"彼"の気持ちを尊重してくれる唯一の人間だから傍にいるんじゃないか……?*9
山崎彼は奪われ傷ついている姿が本当に綺麗なので、"彼"を欲しがって奪う人間たちの気持ちがわからないでもないのが結構ぞわぞわする。大きなクラックが入った水晶みたいな輝きがあるよね。

"彼"が触れるまで"私"からはさわらないのはどのペアもそうなんですが、松岡私はそれこそ触れれば壊れるんじゃないかってくらい慎重に接しません……? 5/5とか、あれはたぶん目測がずれたんだろうなと思うんですが、公園でのキスで振り向いた"私"の身体が"彼"とぴったりくっつく距離になってしまって。直立したままがちっと硬直する"私"にそういう気遣いのようなものを見た(妄想)
山崎彼のほうも、触れられたときの身体反応が大きいなあと思う。「僕はわかってる」で腕を掴まれかけるとき、身を開くようにして離れるの君だけだよ……。自分は両手でとらえるように抱きしめて、腰のあたりをまさぐるように動かしてるじゃん……。無頓着にきわどい触り方する一方で触れられることへ敏感に反応するさまに、"そうやって奪われてきた"んだなって思う(幻覚)
基本的に人間って、与えられてきたものしか与えられないじゃないですか。中には他の人が与えてるのを見て効果的な振舞いを自分のものにする人間もいるけど、自尊と自己有用感の土壌がないいきものが自発的にそれをすることはそうない。山崎彼の虚勢の強さや非対称な笑みのつくり方(右頬だけを強く上げる*10)、どっちかといえば自尊が低くてプライドが高い人のそれに見えるんですよね。心を削られきっているからこれ以上すこしも譲れなくて、その頑なさが高慢に見えるような。
根っこは素直な子なんだと思うんですよ山崎彼……。「契約書」で"私"をなじりながら一瞬ほんとに傷ついたような顔をするし、「血のサインを見ろ!」って怒鳴りつけられてほんとうに血のサインを見るの。いやあれを"怒鳴られると思考が止まってしまう"って見ることもできるんだけど(そしてそのほうが解釈として一貫性があるんだけど)それはなんていうかあんまりだから……。
電話の場面で振り向いて→険しい表情をして→「あぁ!?」と怒鳴るって一連の動作にラグがあるのなんかも、他人を大声で脅すのに慣れてないようで微笑ましい。毛布の端と端を合わせてきちんと折り畳むのとかさ、かわいいよね。
「スリル・ミー」や「僕と組んで」に自尊の欠如を強く見てしまうので、"そうやって愛された"よりは"本当はそういう子なんだ"ってほうが個人的にはしっくりくる。わかんないけどね。まあぜんぶ受け手のみる幻覚だから。


蛇足なんですけど、東京初日と群馬初日と、松岡私になんとなく成河私を思い出しました。別に似てるわけじゃないんだけど(この"私"やべえなとは思うけど18成河私とはやべえの種類が違うよね)、なんとなくこう、松岡さんは18成河さんの私が好き…好きというか関心が強かったというか、原点みたいなもんじゃないかなみたいなぼんやりとした感じ。*11似ているわけではないんだけど思い起こさせるっていう点では山崎彼に柿澤彼を思い出すのもそうで、このペアを見た熟練のお姉様が口々にこのペアを見て松柿ペアは前回の公演で完結したんだと思った、みたいなことを呟いていたのはそういう雰囲気なんだろうなと思うなどした。お二人ともほんとに似てないんだけど似せてるとも感じないんだけど、その感覚、なんとなくわかる。

*1:何ももたない者が見てしまった「ぼくだけのかみさま」、つまるところ灰色の世界を生きている者の偶像視が大好物なので……

*2:彼を喪った世界を、彼が離れることだけをこわがる壊れた心で生きるのつらすぎませんかだって

*3:ニュースの流れている間、成河私は静かに目を閉じている

*4:目を見張った成河私の待ってたよ……!を聞いて「"彼"は生きていた、"私"があそこから逃がしたんだ」と一瞬確信をもってしまったの思い返すとなかなかにぞっとする体験でした。"彼"はいたもん!いきてたもん!

*5:劇場で聞く田代さんの声を動画の声より高く感じるので明度はハコに反響してる音と対応してる気もする

*6:松柿ペアと成福ペアは2年前の公式がハッシュタグつけてたのでまあ公式の呼び名なんだろうと思っています。

*7:よっぽどわかりやすくやってくれる役者さんでようやく、目だけ追うんでなくても感情を推察するに至るので……人間に不慣れなんですよね……

*8:個人的には弱者がより弱い者(彼)を守り、その弱者がより持っていない者から奪う構図が性癖に刺さるんですがそういう話じゃない気も割とかなりする。わからんけど。

*9:ところでこういう幻覚を見ているので、「スリル・ミー」と「99年」に"他の大勢と同じになった"を幻視(これは間違いなく公式と解釈が違うだろう完全な幻覚)してすごく楽しくなります。

*10:右が意識、左が無意識って俗説があるよね。あれの真偽はまあ……だけど創作において知名度の高い俗説は事実になりうる

*11:だからトークライブで台本の話を聞いたときにはなるほどなーって思った。