つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

J&Jの音源をください狙い定めてサブカルオタクに推してくるから

ツイッタログ+書き足しです

ジョン&ジェン、再演してほしいというよりは音源と映像(放送か有料配信)をくれの気持ちなんですよね。Dペアの音源とAペアの映像をください、それを携えてこういう譜面にぜんぶ書いてある(のが聞けば拾えるくらいにわかりやすい)歌物語が好きな層に突撃してくるから

J&J、私が初日(というか2日目)からサンホラ新譜並みのテンション全開ではしゃぎまわってるのを生温かく見ててくれた人々*1がそこそこいて、私だけで「音源出たら聴くね/買うから教えてね」と言ってくれてる人が片手に余るくらいいるので……。再演しても初手劇場へは呼べないんですよ、それはかれらの主戦場じゃないし、4か月前から時間確保してもらうのは狂乱観劇オタクが相手でもないと無理なんですよ。音源をください、あわよくば映像も出してほしい。

映像は撮ってなければ出せないのはもうしょうがないんですけど(TVで出すじゃんゲネ映像ほしいよだけど)、ミュージカルならどの演目も音源は公演のたびに録るのが通例らしいことは知っているんですからねオタクたちは なぜなら業界の色んな方々が話すからです 出して

多くの人に来てほしい、知ってほしいというなら劇場外からもコンテンツを視聴できるようにして!!ジャニーズやAKBぐらいやれとは言わないが映画ぐらいには頑張って!!!そういう前置きしてくれたら音源はノイズ処理だけした録って出しmp3、映像は48時間レンタルで各5000円とかでもいいの!!!!
これはJ&Jだけでなく全ての観劇コンテンツにおもっていますよ私は EPADあるんだからもっと活用されてほしい

まあその金額設定だと既存顧客が知人に買って送るか新規顧客が過去作品を知りたいときに観られるか(大事だと思うな……)が中心だろうので、ほんとに参入敷居を下げたいなら音源は5000円でいいので準CDライブ盤くらいの音質で(台詞も入れてね……)、有料配信は2〜3000円くらいでほしくはあるが

Dペアの劇薬ぶり(ホンがそうなのを引き出しても魅力的に聴かせるのすごいよ)は物語音楽に馴染んだ層の心臓に思いきり刺さってくれると思うし、ドラマや音楽バラエティーに馴染んだ層にはAペアの寄り添いやすさが最後まで観てもらいやすいと思う いや分かりませんし全て私の強火の幻覚ですが

劇薬、ブルオレぶりにこの表現使いましたがJ&Jは劇薬だよ、ビッグフィッシュと同じ料理なんだけど日本にはその料理(崩壊した家庭の再構成)が馴染みなく、かわりに焦点が当たる食材と味付けが「ひとつでも知っていると他人事に見えなくなる」の劇薬 要素?ニュアンス?を引き出すと濃度が上がる

Dペアのジョン&ジェン、破滅型の人間を魅せられる造形にできる人間がふたり組むとこんなことができるんだな……があった 濱めぐさん配役の強くて脆い愛の女は燦然と輝く鉄板だけど田代さん配役も愛のために破滅へ進む男が同情できる一個人にみえるのわりと特異スキルだよ

後半はもうなんか、ホンの劇薬っぷりを如何なく汲み出して、それでも彼彼女を魅力的にみせてるの何を食えばそんなことが?と思って観ていましたよね……
何を食えば思いつくのか、知識と研鑽の上になる超越した何かを生み出した者への賛辞を意味するネットの定型句です(ジャンルが違うので補足するの図

愛のためにっていうか愛ゆえの軽慮で、というか
男女の違い(社会的な性役割の違いとイドラ)なんだろうけど、愛のために破滅へ進む、女性人物だと気質の良さや転換点として描かれるが男性人物だと軽慮や視野狭窄のニュアンスが乗り、さりげなく示される間違いとなることが多くない?これはホンの話

ジョンジェンで話し始めたからジョンジェンで話をすると、1幕でも2幕でも他の世界を知らないから(幼さゆえの視野狭窄)が理由づけとして乗っかってたと思うんだよね。わたしは1幕ジョンはそんな間違った選択してないと思うけど、でもジェンが年に2回でも帰ってたら迷いなく選びはしなかったのでは

ジェンと同じかそれに近いほうを見ていたジョンがパパのそれに染まっていく過程、森崎ジョンは彼の優しさ、具体的には自分の気持ちを一旦置いて相手の行為の奥にある感情を汲み取れる力ゆえに見えて田代ジョンは相手へ同調する力(理由は理解できなくても同じ感情をおぼえる共感性の高さ)ゆえに見えて

これは個人の嗜好なんですが、私は森崎ジョンはそういう人物造形好きです魅力的だよねー(理想的だが現実だとまずない理想像なので魅力的。助けがいる者ほど「憎らしくてかわいくない」のだ、余裕がないがゆえに。)とニコニコ見られるんですよ。魅力的な物語の一人物として、弟だ!と現実みを覚えつつ

田代ジョンの幼い頃から一貫した同調力の高さに、もちろんニコニコしてしまうんですけど世界に愛されなかった(理不尽な環境や設定に置かれる)架空人物のことだいすきなので、そして創作上の人物として分かりやすく安全な造形にされているなとも思うんですけど、……うん、いる……!が、あって

安心できる場所を奪われて自他のさかいをうまくつくれなかった子どもに、その実行者と同じところでランダムに害を与えてくるけどそれでも安心と幸せもくれる存在をあてがうとそうだろうなああなるだろうな……の質感を脳内DBから引き出されてしまい、おれはd2ぶりにじそうをよべ(賛辞)になりました(脳内が)

1幕のジョンと2幕のジョンが持っている(そして進路を決めるのに大きく関わる)気質が違うものに見えるの、ふたりが別の人物なのだを見ているようで個人的に好きなところなんですけどそれはまた別のはなしです

紫式部の和歌を本歌取りしてひとさまにお力添えを仰ぎJ&J二次創作短歌を詠む謎に感極まっちゃってるオタクがおかしいというのはそう 二次創作なんか正気でやってられるか、情動が動いたから歌を詠むのに

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Dペアの劇薬ぶり(ホンがそうなのを引き出しても魅力的に聴かせるのすごいよ)は物語音楽に馴染んだ層の心臓に思いきり刺さってくれると思うし、ドラマや音楽バラエティーに馴染んだ層にはAペアの寄り添いやすさが最後まで観てもらいやすいと思う いや分かりませんし全て私の強火の幻覚ですが

劇薬、ブルオレぶりにこの表現使いましたがJ&Jは劇薬だよ、ビッグフィッシュと同じ料理なんだけど日本にはその料理(崩壊した家庭の再構成)が馴染みなく、かわりに焦点が当たる食材と味付けが「ひとつでも知っていると他人事に見えなくなる」の劇薬 要素?ニュアンス?を引き出すと濃度が上がる

Dペアのジョン&ジェン、破滅型の人間を魅せられる造形にできる人間がふたり組むとこんなことができるんだな……があった 濱めぐさん配役の強くて脆い愛の女は燦然と輝く鉄板だけど田代さん配役も愛のために破滅へ進む男が同情できる一個人にみえるのわりと特異スキルだよ

後半はもうなんか、ホンの劇薬っぷりを如何なく汲み出して、それでも彼彼女を魅力的にみせてるの何を食えばそんなことが?と思って観ていましたよね……
何を食えば思いつくのか、知識と研鑽の上になる超越した何かを生み出した者への賛辞を意味するネットの定型句です(ジャンルが違うので補足するの図

愛のためにっていうか愛ゆえの軽慮で、というか
男女の違い(社会的な性役割の違いとイドラ)なんだろうけど、愛のために破滅へ進む、女性人物だと気質の良さや転換点として描かれるが男性人物だと軽慮や視野狭窄のニュアンスが乗り、さりげなく示される間違いとなることが多くない?これはホンの話

ジョン&ジェンで話し始めたからジョン&ジェンで話をすると、1幕でも2幕でも他の世界を知らないから(幼さゆえの視野狭窄)が理由づけとして乗っかってたと思うんだよね わたしは1幕ジョンはそんな間違った選択してないと思うけど、でもジェンが年に2回でも帰ってたら迷いなく選びはしなかったのでは

ジェンと同じかそれに近いほうを見ていたジョンがパパのそれに染まっていく過程、森崎ジョンは彼の優しさ、具体的には自分の気持ちを一旦置いて相手の行為の奥にある感情を汲み取れる力ゆえに見えて田代ジョンは相手へ同調する力(理由は理解できなくても同じ感情をおぼえる共感性の高さ)ゆえに見えて

これは個人の嗜好なんですが、私は森崎ジョンはそういう人物造形好きです魅力的だよねー(理想的だが現実だとまずない理想像なので魅力的。助けがいる者ほど「憎らしくてかわいくない」のだ、余裕がないがゆえに。)とニコニコ見られるんですよ。魅力的な物語の一人物として、弟だ!と現実みを覚えつつ

田代ジョンの幼い頃から一貫した同調力の高さに、もちろんニコニコしてしまうんですけど世界に愛されなかった(理不尽な環境や設定に置かれる)架空人物のことだいすきなので、そして創作上の人物として分かりやすく安全な造形にされているなとも思うんですけど、……うん、いる……!が、あって

安心できる場所を奪われて自他のさかいをうまくつくれなかった子どもに、その実行者と同じところでランダムに害を与えてくるけどそれでも安心と幸せもくれる存在をあてがうとそうだろうなああなるだろうな……の質感を脳内DBから引き出されてしまい、おれはd2ぶりにじそうをよべになりました(脳内が)


1幕のジョンと2幕のジョンが持っている(そして進路を決めるのに大きく関わる)気質が違うものに見えるの、ふたりが別の人物なのだを見ているようで個人的に好きなところなんですけどそれはまた別のはなしです

*1:オタク、付き合いの長いオタクが悲鳴を上げているのを今日も元気だなあ面白そうだったら手を出してみるかなあと見守ってくれる。

ジョン&ジェン感想ログ2

ツイッタがいつなくなるかわからないから別所で書きだす癖つけようという試みです。向こうの移してからブログにログ置こうと思っていたんですが、完全にそれどころじゃなくなってるのでとりあえず丸っとおいていくね……。

個人の感想であり解釈なのであなたの正解は自分で観て探してね。毎回言ってますが。
見たのはDペアが2回とBペアCペア1回ずつです。

情緒がわやになってる10日マチソワ

2幕の息子ジョンは1幕の弟ジョンとはまるで別の存在である。
これがクリスマスの場面どころか最初のSEから示されているのめちゃくちゃ業が深いなと思いました。
弟ジョンは泣き声なのに息子ジョンは笑い声なんですよ。みんなあれ聞いた!?!?私は聴きましたし情緒は無事KOされました。
いつから「違う個性の存在」をお示ししてくるのかなと思っていたら最初も最初なんだよ……そんなの情緒がしんでしまうじゃん……。
それなのにジェンは「そっくり」という、そのたびにこちらはゾッと背筋が寒くなるんですよ(楽しいです)

5歳のときも見えているよね、弟ジョンは野球のバットを欲しがる活動的な子どもで、息子のジョンはナプキンスタンドを先生に褒められるようなものづくりが得意な子どもなんだよ。ついでに言うと「芸術家なの」と言っていたジェイソンに似ているんだよ、元ベトナム兵のパパ(息子ジョンにとってはおじいちゃん)ではなくてさ。

弟ジョンと息子ジョンはまるで違う存在なのに、ジェンの気持ちを汲み取って自分の感情をいったんは引っ込めるところだけはそっくり。
あれは個性っていうか緩衝役や癒し役を強いられているヤングケアラーの特徴なのでそれはまあ似るよなの気持ちもあり、ジェンは確かにジョンを殴ってはいないようだけどたった5歳の子どもがあれをやれてしまうんだとキツくてキツくて(好きな場面です)(安全圏からしんどくなるために物語を食っているので)

 

なんてことをソワレ幕間で言っていたら濱めぐジェン&田代ジョンで聴く2幕ジェンの独白曲で打ちのめされてしまいました(楽しんでいます)

赤ん坊のときから違う個性を持っている、今もやっぱり大きく違ってきている(「父さんみたいに」「強い兵士になる」「作家になるんだ」)2人のジョンをジェンはそっくりと言う。
息子のジョンが浮かべる微笑みの奥に弟ジョンの面影を見る、と言うんですね。
森崎さんのジョンはまだ観てないから知らないけども、田代さんの息子ジョンはジェンを宥めるために綺麗に静かに笑うんですよね。5歳クリスマスの「OK、ママ」もだしキャンプ出立直前に無抵抗でしたいようにされているときもだし。
小さな子どもが心理的安全圏になるはずの親の前で最新の注意を払って笑ってみせている、そのときの表情にもういない弟の面影を見て「そっくり」だと感じる(なお息子ジョンは母が自分を通して「おじさん」を見ることを嫌がっている節がある)

そこからの「笑顔の奥にかなしみを隠した」が続くので心が完全KOされてしまったじゃん(好きなところです)

→これ私の勘違いでした、ジェンがこう言ったのは『幼い弟は私の微笑みの奥にあった悲しみを見抜いていたのね』のニュアンスでした。ちなみに「ようやく気づいた」リプライズの前曲。

ちいさな子どもが親を安定させるために(あれは安心ってより安定だと思う)自分の気持ちを曲げて”ママとおなじ”になってみせる、「ママ/母さんを愛している」から。その表情にジェンは悲しみを見て、けれどそこになぜあの子はかなしいのだろうではなく弟ジョンの面影を見てしまう。じごくじゃん。
あっ私のテンション的にはやったーじごくだ!誰もわるくない地獄、愛という鎖と愛していたがゆえの傷でできたがんじがらめ!私だれもわるくないじごく(架空存在に限る)大好き!くらいのもんです。でもじごくじゃん?

弟ジョンの微笑みの奥に悲しみがあったのは自分を傷つける(けれど愛していることも伝わる)家族の存在があったからで。息子ジョンが「そっくり」に笑うのはなんでか、ちょっと離れたところから見ればジェンにはわかるはずなんですよね。弟がそんな風に笑う姿を覚えているんだから。ジョンとジェンがいればいい、と言っていたあの頃、家族を守りたくてケアラーをやっていたのは彼女もなんだから*1

 

ところで私はあのジェンソロ曲とようやく気づいたリプライズ前の2曲をJ&Jのベストおぶこわい曲だと思っており、曲を聴くに従いどんどん体温が下がっていくんだけど(楽しいんですよお化け屋敷がこわいのは楽しいことですからね)
なんか、ある程度歳いった女性があの曲で軒並み泣くんですよね……。男性や若い(若いっても40くらいまで)人はそこまででもないんですが……。

いやそれが悪いって言ってんじゃないんですよ物語は受け手の感性と背景のフィルター通って確定するものだし、でも私にはわからな……いやわかるんですよ泣きどころになるのは、家族の死でジェンが負ったトラウマも行動動機もここまで2幕かけて丁寧にご説明されてきているから、されてきているんだけどジョンが「ママの玩具じゃない」とまで怒ってるのを見た後でもって「ママかわいそう」に”親の立場から”なれるの見えない虐待とヤングケアラーへの客席の無理解で完成する人間ホラーの様相を呈しており、いや楽しいんですけど。

ただそれはそれとしてめちゃくちゃ怖かった(しつこいけど別に嫌だと言ってるのではない)、私はNHKの朝ドラで具合悪くする人間なので……家族にならどんな酷いことをやっても赦される何故なら家族だからが私自身の傷もあって食えなくて(J&Jは作劇でその癒着と束縛がやべーのまで描いてくれているので楽しく消費できるのであって。投げっぱなしだと制作側はこれを“善”と思って!?の悍ましさが出てきてしまうじゃん?)

そんな母を見たジョンの選択を、感動的とではなくたった十何歳の子どもに人生を投げ捨てさせるほどの関係の歪さとしてやってくれるので現代時間軸の物語としても安心して食べられる話になってる*2なと思う。

濱めぐジェン、年齢や感情で声色も変わっているんだけどそこを超越して歌がうまく、歌だけで感情や子どもを出しているのですっご……となってしまいました

弟ジョンが“大人になった”のはジェンが「家族じゃな」くなったから、ジェンが大人になったのは家族(弟ジョン)がいなくなったから こわ 最高
「目を離したらしんじゃった」、きょうだいは関係性の言葉だから、弟がいなくなればジェンはもう「姉」ではなくなるんですよね
そこからの2幕で息子ジョンは母を死なせないために大人にならないを選んだのあの ひい

1幕ジョンジェンパパ(2幕のおじいちゃん)が絶対を強いて子供を殴るような不機嫌でいらいらした男なの、バックに戦争のPTSDを抱えていたから、そう解釈するなら軍隊に入ったジョンにジェンが言い放つ「パパみたいに!」「子どもを殴るのね!」もそうなりたくないから国を出るも合点がいってしまうのがさ。

J&J曲、大変耳に残るしフレーズ単位の繰り返しも多いからだと思うんですけど、2回目観たときにはもう序曲のやり取りが頭に残るんですよ。メロディの記憶が速い人は一発だと思う。
でね。2幕のジェンプロローグ曲、出だしの音が途中まで序曲とまんま一緒で。だからジェンのフレーズに呼応してたジョンの「ねえさん」が聞こえるんですよ観てるこっちの頭の中で。

でも1幕では続いたジョンの呼応が2幕ではなくなっていて、その分の長さにぽっかりあいた空白があってからジェンが自分で「姉さん」と言うんです。
聞こえるはずのジョンの声の不在に、あれっ、と思って、意識が向いた次の瞬間にジェンが弟の声をなぞるの。
そんでもって、この曲の最初の台詞は「聞こえる」なんですよ。ジョンの声はもう聞こえない、隠せない不在の空白があるのに。ジェンは自分の声で記憶をなぞり、その空白がなかったみたいにジョンへ語りかける。

めちゃくちゃ、めちゃくちゃテンション上がるからみんなぜひともあの空白を聞いてね……。

濱めぐジェンは声の色とタイミングまでばっちり1幕と重なってるので呼応するジョンの幻聴がかなり強く聞こえます。聞こえました。
→あの曲でジェンは「姉さん、元気よ」と言ってたので、もう聞こえないジョンの声にジェンがこたえて会話してるんだね?

2幕の32歳の誕生日→キャンプ からのデュエット、濱めぐさんが声を小さくしたのに呼応するように田代さんも声色そのままに音量を弱め、歌が弩級にうまい人らがペアを組むとこういうことができる……になりました。BCも観たけどそのときはジェンもジョンもそういうのしなかったからあれ固定演出じゃないんすよ。
っていうかあなた方あの曲で相手のパート聴きながら歌ってるんですか!?すごいですね!?

 

2幕の「ようやく気づいた」リプライズの後の場面、ジョンが「大学へは行かない」「ずっとここにいる」と言うのを聞いた濱めぐジェンがさ、衝撃に固まったそこにうすーく安堵のような喜びの表情を浮かべているんですよ 絶句してしまいました 最高

ほうけて開いた口の、固まった頬と口角がうすーくうすーく上がっている、強いストレスが突然消え失せたいきものの安堵の顔をしているんだよ

濱めぐジェン、物を考えられるほど衝撃がさめてくると同時にこれを振り払って何を馬鹿なことを言っているのか、あんなに行きたがってたじゃないかとジョンを止めにかかるんですよ。本気で。ジョンがいいと言っても行かない理由を並べても全部否定して。

本当は行ってほしくない、息子がここにいてくれるのはジェンにとっては嬉しいことで。
でも「OK、ママ」を、その文句(not不満の意)を言葉にするにしろしないにしろやり続けてきた優しい息子に、今度だけは絶対に自分が譲る、譲られた負い目を背負わせたくもないの意志を感じてママだなあと思いました
まあジョンくんはそのママの(誰にも見られず隠していたつもりだった)「離れて行かないで」をもう見てしまっていたわけですが。

コロンビア大学合格メールの場面で息子ジョンが「祝ってくれるよね……?」の訊き方をしたのにジョンうまいな最適解じゃんと思ったのがここで再び押し寄せてきて情緒がやられてしまいました。
あそこでジョンが望みを叶えようとするなら行きたい!や 行ってもいいよね?じゃだめなんですよ。ママはあなたを愛しているから危ないところに行かせられないと言われてしまうから。
ママは僕を愛しているから一緒に喜んでくれるよねじゃなくちゃだめなんですよ。たった十何歳の子どもが準備もなしのやり取りでこれを出せてしまうご家庭環境 この脚本家やっぱりヤングケアラーの解像度がえぐい高い(好きなところです)

 

1幕の田代ジョン(5〜7歳)、目を丸くしてぽけんと口を開けジェンを見るときの顔つきが、幼児、その顔する〜〜!!!のそっくり具合でオタクは大喜びしてしまいました。田代さんなんか……なんか、赤ちゃん時代から知ってる幼児の知り合いいます!?よく懐いてる幼児のする顔だよそれは!?

ちなみに2幕の田代ジョンはこの顔しません。少なくとも今日のマチソワではどっちもしなかった
1幕ジョンがときに加減のない「悪ガキ」やれてるのは守ってくれるお姉ちゃんがいるからなんだよなの気持ちになる。2幕ジョンはジェンを守っている側だから……安全な家のなかに安心しきれる居場所がない

J&J、ベース?っていうんです?リズム隊のドラムと低く鳴る鍵盤の音を掴んでおくとジェンとジョンの両方を聞いてても迷子にならずに聴けるんだけど、どんな魔術で曲組んでるのか初見でメロディ知らなくても音やリズムをちょっとでも踏み外したら「なんか変」なのはバッチリ伝わるので演者や音響はものすごく気を張るだろうなと思いました。
マチネで5歳ジョンパート初めの2音と「男だらけ」の1回目サビ(サビ?)、そこなんだ?と思ったところ両方ソワレで変わってて、あれたぶんソワレのタイミングと音が本来出したい音なんだろうな、と。観たことなくて何もわからんのにずれるとあれ?とはわかるのなんていうか作曲家が天才なのでは?

 

1幕終わりに渡されるタグ:ドッグタグ、兵士の身分証明となるもの。
遺体が見つからなかった、持ち帰ってやれなかった兵士の遺族にタグが返される。
キリスト教圏は伝統的には遺体の火葬をしない(復活のとき、魂が戻る身体がなくなってしまうと考えるため)
※ジョンは侵攻先で死んだ、遺体も帰ってこなかったってことだよね?マシンガンだか飛行機のプロペラ音だかがしていたのがその瞬間の暗喩なんでは。
(16歳のジェンが「神様 今すぐ撃ち殺して」と言っているので)

たぶんこれBぺアの感想(12/12S)

森崎ジョンと森崎さんとどっちの話すればいい!?!? いえ正気です演者とキャラクターを完全に切り分けて考える派閥なだけです

森崎ジョン、見るほど弟だー!!となるジョンで面白いですね。田代ジョンが弟に見えないわけではないんですけど、細かいところ……というか空気ですね、姉ちゃんのいる弟だ!となる。
10歳ルール!の導入の「早く!」に肩が跳ねながら振り向き、ざざざっと動いて正面に向き直るところとか。弟へ対する姉は暴君なんですよね。個別でなく普遍として。わかる。
いつもと違うぞ?の出だしのときも調子に乗ってたのが鋭い語調の一声でひゅっと縮む。このときの濱めぐジェンはスカートで床に正座してるんだけど、それでも気を緩めたりしないんですよ。弟だなーとなる。

1幕5歳クリスマス、テンション上がると声色はそのままほんのり声が高くなる5歳児ジョンが可愛かったです。あと森崎さん滑舌とても良くて、これまで聞き取れてなかったナンバーの出だしが聞き取れ私はガッツポーズしました。「明日はようやくクリスマス!」
パパとママの喧嘩、ペアによって声変わるかなと思って聞いてたけど1種類みたいですね。ママの声がくぐもって聞き取りにくいのは殴られ腫れてるからなんだろうか。顔を。

7歳隠れ家にて、田代ジョンの被虐待児感と森崎ジョンの被虐待児感がじんわり違う、そんなところに個性が出ることあるんだ……と天を仰いでしまいました。これはほんとに仰いでしまったやつです(楽しかったです)
田代ジョンは覚えてないとか僕が悪いんだとか言ってるけどジェンへの言い訳でほんとはわかってるような印象を受けたんですが。(ジェンがパパを嫌いって言うのを聞きたくないんだな、自分に対してでなくても家族の誰かが怒るのを見たくないんだなというか。)
海宝グレブの上官とお電話、あのグレブくん本気で素敵なお部屋と電話をくださいましたしてる感があったじゃん、森崎ジョンあの感じがする……。5歳のときに「ママが悪いんだ」と言っていたのと同じように、僕がパパを怒らせるような悪いことしたからなんだとほんとに思っている(そう思うのが一番楽になれるから)みたいな。
どっちがより(状況として)嫌かってどっちも嫌だよ齢一桁の子どもからあんな言葉が出てくる世界はもれなく滅べばいいんだ

見えている世界が狭い、狭くしようとしているみたいで幼なげな印象のある森崎ジョンが「『お姉ちゃんがやったんだ!』って言いなさい」のところで下唇をぎゅっと噛み目を伏せるのを見てしまい、おれは
ジェンの言ってることの意味がわかってるじゃんちゃんとさ、自分が「悪い」ことしたときにジョンの代わりにジェンが痛い目に遭うって言われているって。
「ジェン……なんかこわいよ」を言う前にもちょっと表情が変わって、歳より大人びた子だなと思いました。


1幕ルール!、ルールを言われてるジョンがその2!とかで毎度衝撃を受け、続く詳細にもなんでそんなひどいこと言うの?みたいな顔をしてるのが たぶんああいうやり取り何回もしてるのに、毎回新鮮になんで!?してるの幼くて可愛いなと思いました。予想してないっていうか、なんで自分が!?のなんで顔っていうか。でも姉ちゃんにひどいこと言われると反感よりショック!が前に出るのかわいいよね。

ゴール決めた後のジョンが急に態度と言動を変えるの、田代ジョン見てるときは自慢したくなっちゃったのかと思ってたんだけど違うね!?森崎ジョン、ころっと言動変える前に一瞬右下のほうに視線を落として考える顔する、これルール2だね!?「あんたがあたしの弟だって誰にも言わないこと」だね!?だから最後にビリークレイにも話しかけるんだ!?ルール3を破るために!?森崎ジョン、「あんたひょっとして、ビリークレイ?」で声色も変わり態度もふてぶてしくなるんですよ、嫌がらせじゃん。
ところでこのシーンの「(ジェンと僕が)ほらそっくりでしょ!」言うときの濱めぐジェンと森崎ジョンの笑顔が確かにほんとそっくりな表情で大変説得力がありました。あれ合わせるとしたらジェンの側なんだけど(奥にいるのが彼女なので)、同じタイミングで正面にあの笑顔向けるように微調整してるの?濱めぐさんはしそうだな……。

男ダラケのウィンくんの音ハメがすごいんですが。すごい、曲の音が動きで見えるみたい。ハイカットっていうの?ドラムのチキチキ音もピアノのつるんつるんする旋律も動きに入れてってる。歌いながらだから首振り使えない中で、こんなに細かい音まで強弱も拾ってハメにいけることある?
私この演目のことCDにしてくれとしか思ってなかったんだけどしっかりした音で編集された円盤が猛烈にほしいです。このダンス見ちゃったらそれを思うしかないでしょ。


「いつもと違うパターンだ」の言い方、反抗期みがある 思春期みというか

森崎ジョンの「ようやく気づいた」、スピッツ……と思いました(好きです) 「空も飛べるはず」とか「青い車」とかのスピッツに雰囲気が似てるなって。何かのたとえに別の固有名詞を出すの自分でもどうかと思うんだけど、ごめんね普段人間の歌う音楽を聞かなさすぎてああいう感じを指す言葉がわからなくて。

最後の喧嘩、森崎ジョンが昔の楽しい雰囲気じゃなくなるのが濱めぐジェンの「戻ってきたぁ!」からで、ジョンは姉ちゃんに姉ちゃんでいてほしかったのかなと思いました。なんとなく。自分より優れて頼りになる姉でいてほしかったのかね。

ところで、おんぶをせがむジェン(濱めぐさん)とジョン
12/10「おんぶおんぶ!」「まじ?(びっくりした後に笑う)」
12/12「ほら、ほらっ(手で後ろ向いて!のジェスチャー)」「えー?(しょーがないなの感じで笑ってる)」
日替わりなのかキャストで違うのかどっちかしら 日替わりな気がするな

 

ところで4キャスト全て観たんでいいですか、ジェンがトークショー〜「行かないで……」まで着てる上着とジョンが卒業式前日に着ているシャツが多少模様は違うけどほぼおんなじ柄、青みがかった黒と赤のチェック模様なんですけど
ジェンがこのジャケット羽織ったときから嫌な予感がしてたんだよいやーに見覚えがあったから、ジェンが誰にも言えない本音をひとりで(ひとりのつもりで)絞り出して立ち去った後同じ椅子に座る、そのジョンが同じような服を着ているのでおれは1ヒットを喰らい、「僕らは初めからひとりだ」「僕だって同じ」「ひとりじゃいきていかれない」で完全KOされました。
ジョンがジェンと同じになった、なりに行った、でしょこれはさあ

→あとでまとめるけどこのチェックシャツキャストごとにちょっと違って、こんな感じ

・新妻ジェン:赤と白の大柄、グレーで細い線が入っている
・濱めぐジェン:赤と黒(紺?)が太い線、組み合うときに白のスクエアもできる
・田代ジョン(2幕):青と白
・森崎ジョン(2幕):赤と黒、黒の線の色合いは濱めぐジェンのそれより濃い
・1幕ジョン:物は違うが二人とも赤青緑の3色、田代ジョンのは淡め、森崎ジョンのはビビッドめ

死んでいったときのジョンは暗い緑の迷彩服だったよねって話ここに足していい?

Dペア(12/14S?)

田代ジョン、もしかしてジェンが「頼れる姉ちゃん」でいてくれない、そうじゃなくなったことに癇癪起こしてる?10歳のときも12や18歳でもおんなじ、ジェンが視野が広くて頼りになる姉ちゃんでなくなってしまうのがいやなんだなって感じ

最後の喧嘩で田代ジョンの雰囲気が大きく変わるの「ここはなーんにも変わらない」からっぽいな、それまではちょっとカチンときてもしょーがないなだか懐かしいなだかでへらっと流してる。昔とおんなじようなつつきあいを、でも大人になったから苛立ちよりこの距離感の懐かしさが上回る、みたいな。濱めぐジェンは煽られてもずーっとはしゃいだ目で笑ってるのよ。こうやって盛り上がってるのが楽しくて仕方ないかのように。
ウィンくん回で文字を見たので田代ジョンでも歌詞の文字を追えるようになり、激昂しているジョンの「ここから出ていけ」「あのドアから」「それで終わりだ」「家族じゃない」に情緒をふるぼっこにされてしまいました(好きなところです)
ジェンが言い返す「家族への愛よ!」にもう一度「家族じゃない」を突きつけて叩きつけるような拒絶をするの、2つ前の曲で『父さんはジェンが家族を捨てたと言っている』「会いたい」(中学を卒業して、高校でも言いつけを守り続けて、ジェンはそれでも会いにきてはくれなかった)を見てからのこれが来るの伏線回収がうますぎでは?
あんたを信じない、父さんを信じる、ずっと一緒にいてくれた『俺の家族』は父さんだ、じゃんそれは。

「ようやく気づいた」、ジョンの「軍人になるんだ」を聞く濱めぐジェンが痛い顔をしてぐっと唇を噛んだのを見て私は大はしゃぎしてしまいました。大事な弟がパパと同じになってしまったね。でもそこまで放っておいたのはジェンなんだよね。
よくも悪くも家族を疑うことを知らないジョンをパパとジェンで引っ張りっこしてつり合っていたのを何年もほうっておいたから。姉ちゃんが引っ張るのをやめたらそら父さんに寄るんだよな。
「(自分の中にある強さに)気づいたんだ」を境に田代ジョンの表情がすとんと落ち着いて、ここで“大人になった”と思いました。大人になってしまった……。

自由だー!の曲の歌詞を聞いてるとさ、ジェンが家を出てから変わらないテンションと考えでいる間に、かつてはジェンが「どうしてそんなに父さんのことが嫌い」なのか以外はジェンの見てるものや憧れに同調してたジョンがさ、ジェンの不在の6年間でジェンと父さんの考えの間で迷うようになり、やがて父さんの考えのほうに信を置くようになるんだよね。ぅゎ……となってしまいました。楽しんでいます。それはそれとして1幕ジョン、自分の意志というものが希薄で(意思はある)、かすがいをやらされてきた子どもだなの顔をしてしまう。

最後の喧嘩の田代ジョン、ご体調なのか席の音響なのか、初日で見たときより男っぽくておもしろかった。男っぽい?声が太く強くなって、勢いもそれに伴っているというか。ジェンが揶揄うように軍隊暮らしでいかつくなって、って感じ。なるほど父さんみたいに、ね……と思いましたね。


「僕だって行きたくないよぉ。母さんが行けって」に濱めぐジェンがはあっとため息ついて、でもそれ以上拒まなくなるの、ジェンはママがどうしてそう言ったかちゃんとわかってて、そんなら仕方がないと諦めたんだなと思いました。ジョンはわかってないよね、たぶんね。
家にいるとパパがジョンを殴るかもしれないから、ママは守ってやれないからジョンを逃してやるしかできない。

ところで本筋とは全く関係ないんですが、今日のDペアちょこちょこ発音が(単語単位で)西のそれになるのがおもしろかったです。西のほうのかは厳密にはわからんのだけど、東京周りでよく聞くのイントネーションじゃないやつ。お一人がそうなると相手方もつられて変わってて、仲良しきょうだいっぽさがあってかわいいなと思って眺めていた。

7歳隠れ家にて、ジェンから石筆か何かを受け取ってワシントンについて話し始めたときはかしかし言う音が聞こえる(ドラムの……ハイアット?っていうの?あれ)のに、2回目、偉大な人について話すときはその音がしないの。作曲と編曲が天才。テンション上がってしまいました、譜面と歌詞に全部書いてある系の物語音楽を愛しているので……。Revoちゃんソングサイクルミュージカル書いてよ演者と奏者は呻くだろうけど……。


田代さん、ジョンだけでなく子どもの役のとき基本的に言動がやかましい(貶してないです)(ほんとに)(理由なく子どもを虐げない大人のほうが当たり前の世界を信じているんだなと思う)んですけど、しんどい事象の開示や虐待シーンになると声のトーンはそのままに棘がするっと丸くなるので、音楽で引っ張らないと飲み込みにくいとこだと(作ってる側は)わかってるんだなの安心感があります。わたしやべー親子の感度がかなり過敏な自覚があるんだけど(癒着した親子の事例を見すぎていて……)、今んとこどのペアでも、にーさんねーさんの中でそれはセーフラインなんですか……?の不安はいっこも出てきてなくて、個々に任せる前段階である程度の見解共有がなされてるんかなーと思う。知らんけど。

何回聞いても2幕1曲目のジョンのいらえがあったはずの空白に慣れない 毎回新鮮に心をえぐられている(楽しいです)し濱めぐジェンはその空隙にも一切の翳りが見えないで懐かしさと喜びのように笑って「姉さん、元気よ」と返事をするから泣いてしまう こわくて(楽しんでいます) 姉を呼ぶジョンの声が彼女にだけは聞こえている……。
何の色も乗らないまま、すー……とジェンから視線が外れてそのまま後ろを向いてしまう 死人は物を想わないもんな……

「祝ってくれるよね……?」を訊ねた田代ジョン、それを聞いたジェンの唖然、我に返る、疑うのも馬鹿らしいと言わんばかりの声がもれる、の一連の動きの間もずっと固い微笑みを浮かべたままで、「もちろんよ」まで聞いてやっとじんわりした安堵と歓びを見せるの18年の積み重ねと繰り返しをうかがわせて壮絶じゃん……となる
これをふわりとした笑顔のままで問うことも、ジェンを問い詰めるときに淡々とした声と表情で感情の波立ちを一切見せないことも、表出させてみせるのが哀しみであって怒りではないことも、話が通じなくなるほうにジェンを刺激しない最適解の接し方でさ。たった18の子がこれを完璧にできるようになってしまっていることにさあ……。そこまで含めて楽しくみているんですが(心理的安全圏が確保されたところからしんどくなるために舞台を観ているので……)

そーいやさ、J&J、パンフがパンフってより写真集なのはジェンがめくる(ジェンと弟ジョンと2人のパパママの)アルバムを模しているからなんかね。そういうことしてくれるのコンセプトは大好きだけどそれならいっそ物販グッズにあの写真立てを入れてくれてもよかったんですよ?ちょうど舞台写真も売ってる演目なことですし……。
さてその写真立て、縁の飾り付け見ました?私はやっと見える席が当たったためワクワク抜きまして、ぜーんぶ野球絡みのステッカーなことにこわくて泣いてしまいました(楽しいです)
バット、ボール、グローブ、ベース、青のキャップ。
2幕のジェンは弟ジョンと息子ジョンを混同しているのではなく、息子のジョンに弟のジョンを重ね合わせているんだと、個人的には思っているんですが。ジェンが弟ジョンについて確信できているの、野球が好きだった男の子、だけなんだなって……。
12歳のジョンに、既に「姉さんはそれ(野球をしなさい)ばっかりだ!」を言われていたのにね。

男ダラケの2回目サビ、「ケリーと」から始まって誰!?wwwとなりました。1回目のサビと違う男の子たちじゃん。
2幕トークショーでの「つまり問題は、男だらけってことですか(それとも問題はあなたの方かもしれません、ジェン)」とか卒業式前の「(パーティーの支度をしなさい、この話は)それで終わり」とか、対応してるナンバーをフレーズ単位で持ってきてるっぽく、歌詞カードがほしいよやっぱり。というかなんで歌詞の公開文化がないんだよ日本ミュージカル業界。(これはJ&Jに限ったことではなく)写真集とか役者インタビューとか“作品”パンフレットじゃなくて役者のパンフレットじゃんよう

*1:1幕のジョンより2幕のジョンのほうが相手の様子の変化に敏感なの、弟ジョンはジェンに守られていたから過敏にまでならずともいられたのはあると思ってる。

*2:ママのために自分の気持ちを折って変えてをしてきたジョンがここで”自由に”とされても間違いなくキツくなるがまあそれは彼が頑張っていくしかないやつなので。親に与えられたデバフは自分でひとつずつほどいて埋めてをしていくしかないんですよ。

ジョン&ジェン12/16感想

注:ログ出しそのまま無加工で出してるのでいつもの8割増し読みにくいです。
あとこれとりあえずの途中なのであとでしれっと増えます。

 

 

承前。私はこの演目の話と曲と歌詞を愛しておりここは好きなシーンまとめです(少なくとも内容に関するところは)
観劇村に数年おり多少はそちらの言葉も覚えたんですが、サブカル国のSH村がオタク本籍なのでどうしても情緒をぼっこぼこにしてくれることを好きだなポイントだと思っているので国の言葉が出てしまって……


マチネ回(濱めぐジェン&田代ジョン)

私はJ&J曲のまあとにかくあちこちに仕込まれている対応が大好きなんですが、12歳のシーンでジェンに背を向けたジョンが頻りに瞬きをしていて「泣いちゃだめだ」じゃんと思いました。
やっぱり私この演目のフル音源をローランに聞かせて回りたいな……つくって売ってくれる予定は……?ないですかそうですか

13歳ジェンの「鳥になりたい」にびっくりした顔をして、よくわからないけどジェンが笑っているからとやんわり微笑む7歳ジョンが良い子だなと思いました
この子どもがぱっと明るくなるのはジェンの誓いで、遠くに行くのでも”ジェンと一緒に”行けるんだとなったときなの 泣いてしまうが?
蛇足ですがこのときのDAPフルver、田代ジョンも1回目に手を遠ざけるときに指をぱたぱたしなくなっていて、ジョンとぴったり同じになるよう濱めぐさんが合わせていたんだ!?がほぼ確となるなどしました。

待機場面、私はしまってやってよと思い続けているしこういうことする演出家のことは嫌いになりました(演出が下手だとは言ってない)なんだけど、これは本当に演出が下手だとは思ってなくって、ただその効果に対するコスト増が大きすぎるだろと思っているやつです。私が最も嫌いな演出は人の心身コストをモノとして扱うやつなので(同族嫌悪なのはそう)
演出が下手だとは言ってないし固定してる部分の(J&Jの物語としての)意図がねーだろとも言ってないんですよ。むしろわかりやすいほうだと思う。
ずっとしまってもらえないジョンキャストが初めて消えるのが「ようやく気づいた」の後なのとか、赤子を見るジェンをジョンのキャストが1幕は温かい笑みを浮かべて見遣るが2幕は真顔でじっと目を向けるのみなのとか最後の独白前は俯いたままジェンを見ないのとか。
思うけどぉ……'21JCSコンみたいな1日だけのコンサート形式ならありかもねとも思うけどぉ……。

2幕ジェンの最初の曲、全部取ってあるのところでひん……となってしまっていたんですが(楽しんでいます)、今回その先まで聞く余裕があって割ともっとおぞましい(好きだよ)ことを言っているなと気が付いてしまいおれは
「あの子(弟)との日々(思い出?)を取り戻そう」って言ってる……「この子と一緒に」って……ひぃ……。

濱めぐジェン、ジョンがプレゼントを(開けないで)喜んでるときから不安そうにしてるし目に光はない 息子が弟とは違う人間であるのを本当はどこかでわかってるようで好きだよ
「僕によく似た、でしょ?」のジョンが綺麗な笑みを浮かべているのを見ましたか おれはみました 母をなだめて落ち着けるときに浮かべるのと同じ笑みを浮かべてそれを言うんですか

トークショーでだいたいは1幕ジョンの「いらいらする」に近い憤り方をしている田代ジョンが「(母さんが見てるのは僕じゃなく)おじさん!」のときはもうちょい切実な怒り方をしていて、問題の根が深い(より長い歳月さらされてきている)なと

12歳キャンプの曲、水槽と貯金箱のときに「本」ってフレーズが挟まってるのに初めて気づきました、その本ってあれだよね『UNCHANGING』だよね!?!?出てきてないけど!?!?
歌詞の回収がうますぎるし演出もうまいんだよな……一回出てきたからここでは出さなくてもわかるでしょの信用をしてくれるの好きだよ。そういう信頼をして音楽にすべて書いてある(CDジャケもライブ演出も”わかりやすく”しているだけの)Revo曲で育っているので。でもそれ複数回ききこむの前提なのでやっぱりDialogまで完全収録のMP3販売がほしいな。この際もう歌詞カードはなくてもいいよ、聴きこんで見つけたものに悲鳴を上げるほうが体験として愉しそうだしそういう人に勧めやすい作りこみ度合いだし。

こないだも言ったけど1幕で「これで終わりだ」をお見せした後に2幕で「これで終わりよ」を出すの比較の獣は大はしゃぎしてしまいました。扉をくぐって家を出ろ/出るよと言ってるのまで同じで、でも意図は真逆じゃん?あそこ。ジョンはもう「家族じゃない」と言ってて、ジェンは「離れていても愛し合える(家族のままだ)」と言っている。

「時が来た」のフレーズもそういう意味で好きです。出てきたときは本歌取りかな*1好きだよと見てたものが2幕で今度はジェンの台詞として出てくるの胸熱じゃない?1幕は強い戦士になるんだ(僕も家を出るときが来た)

「ようやく気づいた」でたぶんジョンが一人称違いした(「僕は」で歌っちゃった)んだけど、演奏がそのぶんの音をもう一回り伸ばして「俺は」まで歌わせてから先へ進んだのバンド組すごいな……と思いました。間違えても音の流れを切らないままそういう歌詞だったように歌いなおせる演者さんもすごいけど完全アドリブでそれできるよう合わせるバンド組もめっちゃすごいよ。ここ田代さん目を閉じたままに見えたのにどうやって意思疎通とったんだろ


ジェンのチェックシャツ、赤と紺色がかったグレー(重なると黒っぽく見える)と白が柄の色で入っているっぽく、田代ジョンの青色はジェンとは違うところなのかな、まっっっって森崎ジョンは!?!?となりました。森崎ジョンは!?!?森崎ジョンのチェックシャツにはジェンは持っていない色はあるの!?!?

さて1幕中高生ジョンのチェックシャツの色ですが、赤青緑の3色です。緑、パパじゃん。
いやごめんねないところに物語の幻覚を見ていたら本当にごめんSH王国Revoちゃんが色に明確な意味を持たせてお出ししてくれているからってよその村の方にも過剰な信頼をしていたらごめんね!?!?
でも緑をパパじゃんと思った理由はちゃんとあって……パパの考えに完全に共感するとジョンはほら「戦士になる」じゃん……。緑が基調の迷彩服を着た……。
こればっかりは強火の幻覚(別名オタクの考えすぎ)だったらごめんね、ここまで読んだ皆様方におかれましては視界を一緒に共有してください。知ったものはなくならないからね。

「男ダラケ」サビで出てくる男の子たちの名前、1番はBで揃えて2番はC(K?)で揃えてるの!?
1番はビリーとボビーとベンで2番はカールとケリーとケン(ケイン)なの。子音の頭をそろえて母音の韻も踏んでいるじゃん(田代さんはベーン!とケーン!で音の伸ばし方まで揃えて歌うので曲が韻踏んでるんだと思う)、作詞家が天才……。

1幕ルールの曲、ジョンのほうが「喧嘩どころじゃない」って言った次に「見ろよ27番ノーブラだぞ!」するの、だからするんですね!?邪魔をするため!?
ここでこのやりとりしてからの再会で「下着が見えてる」を笑いながら言うの、2人の思い出を重ねてるをお出してくるのやっぱ作詞が天才だよ

今までエピローグのこと救いでカタルシスだとはわかるけどおぞましいなと思って見ていたんですが(楽しんでいます、そういう性情なだけ)、14日と今回のDペアを見て脚本と和解しました。
※オタクの言う和解とはこちらの見え方や解釈が変わったことで今まではよくわからなかったorあまり受け付けなかった場面やお話や人物を受け入れられるようになることを示すものであり当然ですが作り手と距離を縮めたい欲ではないです。制作陣はどうかオタクに関わらないで幸せに生きててくれ。
この曲の最初に出てくる青年に誰だよ……(ラストのラストは息子ジョンに見えるけどあの青年が息子ジョンだったらおぞましすぎないか?)と思っていたんだけど、あれはそれでいいのかなって。ジェンの見ている弟の幻影と彼女の子どもが混然一体となった何者かが、ジェンが彼のなかの弟に別れを告げることで息子ジョンになる、弟の幻影を被せられた何者かでも母と自我の癒着した「ジェンが守ってやれる子ども」でもなく。そうして「自分」を生きる2人が何が起こるかわからない、でも明るい未来を見つめ、それを信じて扉を出ていく。それなら双方の救いでありカタルシスとしても綺麗なままだなーと思って。

いやわからんけどね!?!?
ここまでもここからも幻覚です、私は私の見たもので私にとって一番わかりやすい(そしてそれは物語に出てきたものを言葉で繋いで出てくるものという意味なんですが)画を描いているだけです私にとっての作品解釈は悪意がなければ*2常にこれですご承知おきください。
そもそも私はここでは私の見た強火の幻覚しか話していないんですが。

2幕、田代ジョン(5歳)がクリスマスツリー掴んで段上にぴょんと出てきたときに会場のそこここから安堵の笑いがこぼれていて、あの1幕終盤で緊張してたんだなお客さんと思いました。

そんでようやく、2幕の「おっけー、ママ」前で笑いが出ることがあるのは面白いではなくて緊張からの弛緩で出てるんだ?となるなどしました。いやわかってなくて。イイハナシダナーに見えるのはわかるんだけど笑いが出るのか?この会話のおかしさの要素どこなんだろ?と思っていたんですよ。
あの場面の虐待要素(幼児が母親の機嫌を取るために自分の意思を”自発的に”曲げさせられている)を置いておいても、ジョンの言葉って別に予想外でも頓狂でもないじゃん?
ジョンは受け入れたから大丈夫(この緊迫は続いたり加熱したりしない)、問題はない(2人の関係が壊れることにはならない)の安心から笑いが出てるんだな?もしかして?

親の存在が絶対的な安全圏であるはずの幼児期に、その親から(親の感情を慰撫するために)自分の気持ちを折り曲げ追従するまで許されない緊張を強いられるのは虐待以外の何物でもないでしてよ。少なくとも現代の先進国で許される行為ではないでしてよ……。
あっこれ虐待行為への一般論としてのみであって、作品批判や題材非難じゃないことは言っておきますね。脚本家は絶対わかって書いてるしカンパニーもわかってやってるぽいので全然ありだと思う。人類は「安全圏から体験する」ことで、現実で同じものをみたときにどうすればいいか考えられるようになるので。物語の力ってそういうものだ。

ただまああれっすよ……9.11.ネタと同様に何らかの注釈や仄めかしはあったほうがよかったんでないかな、とは思うよ。やっぱり。
あのあらすじと「ようやく気づいた」だけではそういう要素が色濃い話なのを現代劇(あるいは虐待が不可分に食い込んだ作品)に慣れてないミュージカル客に察知させるのは難易度高い(っぽい、感想を見る限り)ので……。わかんないけど、2幕10歳なら確実に、2幕2場のインパクトを消したくないなら1幕1場の曲があれば、フラッシュバック受ける層は察すると思う。
別トコでも言ったけども、19歳までの場面しかないはずのジョンから「父さんと闘って」が出てきたらフラッシュバック受ける層は親からの虐待があることを察した上で選べると思うし、びっくりするけどフラッシュバックは受けない(物語として見ていられる)層がそこまで察せなくてもまあそれはそれでじゃん。

今まであんまり気にしてなかったんですけど(自分のアドレスにコピーして消したのかと思っていたから)、もしかしてジェンはジョンのメルアドに来るメール全てが自分のアドレスにも送られるように設定を?して?
こわくてないてしまうが?
子どものPCを定期的に開いて(パスワード知ってるんだね……)メールチェックしてるのもこわいが、アクション起こさなくても全メールをチェックできるように環境しつらえてあるほうがこわいでしょ……。加えてこっちは事によると「僕のパソコンを開けて、このメールを消したんだ」がすっと出てくることに”ジョンはそうされてること自体は知っていて気にしてないか諦めている”も乗るぞ。

ジェンのiPadのパスワードはおれだってわかるよ弟ジョンの誕生日でしょ

ソワレ回(新妻ジェン&田代ジョン)

こうして見ると新妻ジェン、姉ちゃんだなーの感がすごい。ルール!の「楽しんで」の後に服でバシン!とジョンを叩くところとか。わかる、服で思いっきり叩いてもケガしないからやるよね。
「でかい夢 持って」の前でジェンが上を見て思案顔でぱちぱちするの、おんなじ仕草を12歳の別れで「あんたが家を守って」をする前にやるので、あっ……となってしまいました。ジョンを笑顔にするために考えた思いつき。
でかい夢を聞いたときにそれクラーク(少年よ大志を抱け)では?と思ったんだけど、これほんとにジョージワシントン言ってないやつなんです?
確認したら言ってなかったしそれ以外もだいたい間違ってるっぽいな?「マーサ」は彼が大人になってから結婚した未亡人の名前だ。細かい話は調べてないけど「倉庫で作った金を売って金持ちに」も変だしね(garageと何かが音掛かってるとこなんかなと思ってた) 偽札じゃん。「桜の木を切って」以外は時系列エピソードや他の偉人エピソードと雑じってめちゃくちゃなのか?
ジョージワシントンの有名な言葉はこれらしいですね。
「他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない」
思わず息が止まってしまいましたが。2幕じゃん。
ジョージワシントンの名言には「自由はひとたび根付きはじめると急速に成長する植物である」なんかもあるらしいので、脚本そのものの題材のひとつがこれらなのかもしれない。でも「やった〜!自由だわ!」の自由ってlibertyよりfreeっぽそうだよね。
楽譜のkindleみっけたから答え合わせはいつでもできるけど、ほしいな日本語版のこれが
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ねえ夫婦喧嘩SE、殴るか物投げるかした音が入ってませんか?ママが「子どもたちに聞こえるでしょ」って言った直後かその次の言葉の後?気のせい?

「男ダラケ」、導入で出てくるのはピーターとエリック(たぶん)でBでもCでもないことで、ジェンがまじで(それこそ毎週のように)やべー勢いで付き合っては別れをしてるのを察させてくるの天才だよそしてやっぱり音源か上演台本&歌詞を売ってくれないか!?


2幕、5歳ジョンが袋から古びたグローブ出したときに客席の空気がはっ……と張り詰めたんだけど「僕このグローブ大好き……」では笑いが起きて、あっこの2つのシリアスって別のもんなんだ!?となるなどしました。前者はいなくなった弟への執着と後悔、後者はたったの5歳児がヤングケアラーやらされてること(しかも今年から母子家庭で息を抜いてくれる父親はいない)なんだ!?
向け先を喪い執着へ変性した家族愛はわかっても愛を担保にとった虐待はわからないこともある、なるほど。そういやジェンもそうだもんな、「父さんは僕たちを愛している」のをわかり肯定できるのはジョンだけだもんな。

溌剌としてあっ軽い田代さんのトーカーと甲高くオーバーな抑揚の(聞きやすいです)新妻さんの司会者、この進行役たち共感する気ゼロ!で癒しでした。人物像と感想の対応が違うだろなのはわかってるんですがぐちゃぐちゃに癒着する2人の話だから突き放した彼らの他人事さが息抜きになるんすよ。
いえあのお化け屋敷で怖がるがごとくしんどくなりに来てしんどくなってるのでめちゃくちゃ楽しいんですが(事前情報で弟ジョンは死んだんだろうなと姉ジェンは息子にその名をつけたんだな、愛という鎖だろうなくらいはわかったし)それゆえにしんどい状況の場面はちゃんとしんどいなと思って見ているので、にこにこしちゃうけど

息子の田代ジョンが「夢があるんだ」「作家になるんだいつか」を噛みつくように言ったり「(お母さんはこう言うでしょうね、いいけど)家を(出るのはだめ)」を言われて苛立たしげにうんざり顔したりするの新妻ジェンとのときだけだな?初回で観た記憶があったんだけどなと思ってたんだけど
Dペアのときはなんかこう……ぽやっとしてない?(好きなんですよどっちのジョンも。)きらきらしたすなおーな笑顔で夢がある、作家になるを言うよねあのジョン。

新妻ジェンが着るチェック上着、赤と白がメイン(薄いグレーの横線が入る)であっなるほどとなりました。息子ジョンはどちらも、母の要素を持っているけど自分の要素も持っている、なんだ!?
ここでジェンが持っていない要素は弟ジョンの服にありましたねと言われたらこわくて泣いてしまうのでやめてくださいたぶん違うし(そうなってるのは青がある田代ジョンの衣装だけだから)

コロンビア大学合格、ジョンが「(コロンビアを受けたことは)シャロンにも言ってないんだ!受かると思ってなかったから!」って言ってる後ろで、彼に背中を向けてる新妻ジェンがその言葉を一個一個確かめるように強く頷いてるのみました!?おれはみましたいっぱいこわかったです(好きです)
ここからの作り笑顔で振り返ったジェンが「シャロンは(きっと)」と話しかけるの怖すぎでは!?そんで一応は笑顔を作ってるその表情を見て“母さんは喜んでいない”を察せてしまうジョンが何年ケアラーをやってきたかっていうさ

12歳のジョンのばいばーい!でおもちゃ持ちだな全部買ってもらってるのかーとずっと思ってたら本日「本も」を聞きとって戦慄してしまった(楽しい)んですが、ジェンは「(キャンプに行くから)もう聞かなくていい」「あの子のおもちゃ買って」「みんな持ってる」言ってて甘いけど全てがお古なわけじゃなくてほっとしました。そういやライトセイバーやステレオコンポ言ってるもんな(ジョンの持ち物あるいは2人の思い出は「このレコード」)
どうする?ベッドとデスクがジョンの使ってきたもの持ってきたものだったら。200マイル先から。
そういやところでなんですけど、5歳で「アメリカでの最初のクリスマス」なのに赤子ジョンのところで「ぜんぶ取ってある」と色々出てくるの、ジェンは葬儀で帰省したときジョンとの思い出を残らずカナダに持ってきたのかな。そんで両親のどちらもそれを止めなかったのかな。

ジョンが何を言っても「くだらないわ」「もうこれで終わりよ」「くだらないわ」を繰り返して聞こうとしないジェンですよ。
相手の不理解にだんだん激昂しながら顔突き合わせて、でも会話をしようとしているのは一方だけでもう一方はシャットアウトしている、ここまで綺麗に対応させてくれると弟ジョンは何があっても手だけは出さなかったのに母ジェンはここで「パパみたいに」「子どもを殴る」んだなの対比も綺麗に見えるんですね ひぃ(楽しいです)

2幕のルール!、息子ジョンの表だった抗議は「クッキーでも売っててよ!」で、試合に来ること自体は許容してるんだなーと思ってたんですけど(1幕ジェンジョンは神さま今すぐころしてくれそうでなきゃこの手でヤるなので)、あれはもしかしてどっちも“アタシの弟/僕のママも普通の弟/母親だったらよかったのに”なの?ジェンが「アタシだけこんな弟」って言ってるのが対応してる?

ジェンのラスト独白曲、もしかして「あの子」と「あなた」で歌い分けされてる?前半はごっちゃにしてるのが抜けていくんだと思ってたんだけどあの子は息子ジョンにだけかかってる?まあこれは観た人が好きな画を見ればいいやつだと思ってる(最終的には別れを告げるわけなので)、物語は受け手の中で完結するものでその解釈は個人の自由なので。

ところでこれは私はいまだにわかっていないんですが、ジェンはあの独白で弟ジョンの面影と訣別しようとするじゃん?野球帽を被りバットを担いだ男の子の横顔が映る写真を破いてさ。その直後に(たぶんジェンの記憶の中の)弟ジョンの声が聞こえ、年齢も様々に2人のジョンの声が交互になぞられてジェンの返す言葉は“今”の時間軸っぽく(サンタは来ないって言ったでしょ)、ジェンのなかでこの2人が分けられていないんだろうなって感じになるじゃん?
なんで?いやこれ文句じゃなくてほんとにジェンの心情がわかってなくて。
最初に聞こえた弟ジョンの声に怯えるのは、ジェンが(弟の)ジョンから目を離そうとしてたからだろうなーと思ってはいるんですけども。新妻ジェンはびくっとしてへたりこみつつ振り返るだけじゃなくひっと小さく悲鳴上げてたし。
ジェンの心情はわからないというかジョンの心情も(共感的には)あんまりわかってないんですけどね私は。強いていうならヤングケアラーをやらされている子どもを傍観しているひとの理解の仕方をしている。

あの場面で最後に残るのが「僕が悪いんだ、グラスを割ったから」なので、目を離せばジョンが損なわれてしまうを強烈に摺りこまれた最初があれなんだろうなと思っているんだけど。わかっていたのに目を離したからジョンは死んじゃった、だからもう目を離さない、ひとりになんてさせない、なんだろうなと。

ところで話は変わるんですけど私がジェン台詞の翻訳で最も好きなの「(目を離したら)あんたが死んじゃうなんて」なですよね。よくないですか、出来事の重さに対する死んじゃうの語感の砕け方がさ。強い衝撃とその受け止められてなさって感じがしてだいすき。目を離したら死んじゃった、現状をまるでうけとめきれてないで茫然と口からこぼれてるやつじゃん。
葬儀ラスト新妻ジェンが手繰ったブランケットの端を抱えて小さな赤ん坊をあやすように揺らしながら泣いているのでおれは悲鳴を上げてしまいました
もう二度と帰らないだろうと思っていた家でもうどこにもいなくなってしまった弟の痕跡ばかりがあふれているのを見つけたんだな、そこで弟と出会ったあの日の毛布を見つけてしまったんだなって。
この直後あたりで妊娠発覚したらまあそら思い詰めるよな……。あの子が帰ってきてくれた、まで行ったのかこの子はあの子のようにはしないくらいでおさまったのかは知らないけど……。2幕で言われてるのは後者だけだから後者の範囲だと信じたいわね。ジェンがあまりにあの子とこの子を同一視してるからつい

新妻ジェン、トークショーの司会の言葉に喧嘩を買う勢いでメンチを切っていたのが、会場(架空)からの大きな拍手に驚いてはあ!?と正面に向き直るの気が強くていいなと思いました。いえ親としてはかなりだめよりのだめなんですけど。

1幕「ようやく気づいた」、ジョンが「戦士に」と言ったところで新妻ジェンの手元からくしゃっと紙の折れる音がしたの好きだなと思いました。手紙を読む手に思わず力が入ってしまったやつじゃん。
2幕の最後の独白曲あたりで「愛してる、ジョン」を言うのもしかしてあれです?1幕のあのとき、弟に届けてやれなかった言葉なんです?

12歳のキャンプ後、ジョンを引き留めてだんだん距離を詰めていくジェンの問いかけは演者のアドリブ(言うことは事前に決めているっぽい)なのかもしらん、新妻ジェン、色々確認するうちにやっぱりついていきたくなってて笑っちゃった
「さみしくなったら言うのよ」
「うん」(頷く)
「すぐにね」
「うん」(頷く)
「大丈夫?」
「うん」(頷く)
「やっぱりママも行こうか」
「ううん」(首を横に振る)

おっジョンくんえらいぞと思いました NOが言える
ママを刺激しない穏やかなケアラーのまま、笑顔も声もそのまんまのトーンでするっと首を横に振ったの器用でかわいいわね ケアラーとしての熟練度がすげー高い(し、5歳のときより上達してる)んだよな……も思うけどそれはそれとしてかわいいよ、親のメンタルをケアし続ける子どもってそういうことだよなのもあり
可愛い子供のまま、ちょっとでも自分の意思を通すやり方を習得してるの、それこそがでもあるけどちょっと安心もあるよ

ここ濱めぐジェンは
「毎晩電話してね」(うん)
「必ずよ」(うん)
(あと2~3往復続く、だんだん声が小さくなってく)
で、笑顔のままやわーく引き剥がしたジョンが「だいじょうぶだよぉママ」「ばいばーい」と出て行く


これは私の解釈であり観た人の受け取ったのがその人の”正解”なやつなんですけど。
私はこの話を虐待の連鎖だとはあんまり思っていないんですよね。というのも、ジェンの心の傷の根っこは弟の喪失にあって父からの暴力にないから。

私はジェンのトリガーを「目を離したら」「アンタが死んじゃうなんて」だと思っているんですよね。お互いを助け合うことと誓ったのに、アタシがそれを破ったから、って。
そらもちろん、父親の暴力がなければあの姉弟が互いしか本音を見せられないふたりきりの孤立になることも互いを助け合うことなんて誓いを立てることもなかったし、家を出たジェンが(ジョンの従軍という決定的なことが起こるまで)一度も帰らないなんてことはなかっただろうから間接的な原因ではあるんだけど。

ジェンの虐待、子どもに自分のケアをさせてることと適切な距離が取れないことはさ、自分が目を離したから愛した家族を喪ったって後悔から来てるフラッシュバックと強迫観念じゃん……?
書きながら「男ダラケ」も恋人との適切な距離感が掴めてないおよび自分の身体を大事にできてない、愛着形成と自己肯定感の損なわれた子どもの典型ではないかしらと思ったけどそれはちょっと置いておいてだな。

父親のDVを帰還兵士のトラウマから来るものだと解釈するならトラウマのフラッシュバックにおびえて子どもを虐待するって構図の一致は見られるんだけど。それはいわゆる虐待の連鎖(幼児期に親との愛着形成に失敗したから、子どもとの愛着形成を適切な形でに行えない)とはちょっと違うじゃん?

話が逸れるんだけど、ジョンジェンパパが帰還兵士のPTSDだと解釈すると、1幕4場で出てくる「グラスを割ったくらいでパパが殴ったの!?」が突然の大きな音で戦場のフラッシュバック起こしたんだなとなり、2幕ジェンの虐待トリガー(過去に受けた心の傷から目を逸らすための衝動)とけっこうな一致をしますねと思っています。”ない”ところにじごくをかぎつけ掘り出すオタクなので……。

1幕田代ジョンの中高生ナンバー、彼の言葉にだんだん父さんのいうことが多く出てくるのもなんだけど、なんかときおりその「父さん」みたいな顔するときがあってぞっとするんだよね……。いやジョンジェンパパの顔見たことないんだけどさ(出てこないから)……。でも選挙とか投票とか言ってるあたり、新聞から顔を上げたときに『荒れた』『男性』の雰囲気がある猜疑みたいな目をする。

*1:本歌取り:短歌の文化ですね、あるフレーズを出すことで既存の歌の場面や情景を連想させる圧縮言語です

*2:悪意があるとテクスト論をやめて作家論に移る。悪意が根っこの作家論、暴力なのでしないようにしている。

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の感想

TLでよく見かけてて気になっており、機会があったので観てきました。通うつもりのやつまだ始まってなかったし……。感想っていうか殴り書きっていうかですね。ふせったーの代わり運用試み、つまり自分用のメモなのでちょみちょみ増えます。

※現代では適切とされない単語を使いますが敬遠と差別のニュアンスまでわかって使っており、そこまで言いたいやつなのでご承知で。嫌ならバックせよだよ。

左目に傷がある水木、一つ目だから異界が見えるのやつじゃん

『Missing』『虚構論理』を履修したオタクなので、ゲゲ郎の「わしが見えるのか」を聞いて真っ先に思い浮かんだのがこれでしたよね。

現実を映さない目にはこの世ではないものが映る。一つ目一本足は神への供物。両足が不自由なヘパイストスが神性をみたいなのはFGOで(オタクには)割と知られた感があると思っていますが、かたわ者(承前)を神おろしや巫女に使ったり、神への供物とする儀式として不具(承前)にする文化、たしか日本にもあったような記憶があります。
呪骨に殺された者らは死因か死後かに左目を潰されるので、水木が呪骨にやられて記憶を失っても命までは失わなかった(孝三のときと違って封印も解けてて破門陰陽道らの守りもないのに)のは呪骨の入り込むところが既に塞がれていたから、ぐらいで考えるのも楽しいんでないかなとも思います。

創作ではそれぞれの目が見ているものはそれぞれ過去と未来とされてたりしますが、どっちの目がどっちかは文献によって、というか文化によって違うっぽいですね。参考にしたのはここらへん。一次ソース(論文など)まであさってなくてごめんね。

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の謎解き 〜なぜスノークは左目を見せて死んでいくのか?〜【ネタバレ・考察】 - StarWalker’s diary

昭和日本のあやかしの話なので日本の伝承ベースで話すのがいいのかな。そう考えると水木の目に映らなくなったのは「太陽」なわけですね。
あえてどっちかに絞らなくても、南洋(だっけ?)の島にあったヒトの腐敗と裏切りの記憶が閉じ込められているんだなと考えるのも楽しいんじゃないかなと思います。
創作における「お約束」はそれが事実として正しいかどうかではなく「どのように流布しているか」だしね。アニメで嘘を吐いてるのの仄めかしで決まった方向に目を動かす演出入れるのとか。

水木が歩いてるときの足音が左右で違うのと、決まった方向に体がかくんと行くのとで片足も損なってるのかなと思って見てたんですが*1、ゲゲ郎の下駄音も左右で違うし水木は山道もゲゲ郎妻を抱えてもぴょんぴょこ動いてるので、足が悪いんでなく足音をそれっぽく聞かせる演出表現でしょう。
戦場から戻ってきたときの水木の負傷は左目の切り傷(たぶん)と左腕の骨折で、両脚は健在だったし。

脱線するんですが、水木は右目と右手と両足が生きているので銃のスコープを覗いて引き金をひく、ナイフだけ持たせて直進させる、兵隊としてはまだ“使える”んだなとおもいました。金カムを履修しているので。彼を心と生活のある個人として扱うなら影響が出るだろうけど、使うための駒として扱うなら支障はないんじゃないかな。
水木の特攻の記憶見たでしょ、あの特攻の目的達成には距離が測れずとも片腕使えずとも支障ないんだよ。生き残らせるための特攻ではなく、国を勝たせるためのものでさえないから。自分らが得するために戦争をして己は優れた使命がある選ばれた者だと勘違いしてるくそやろうの面子保持と、それに都合の悪いこと知ってる口を塞ぐために死ねと言われ、“従うことが正しい利口”と強要されてるだけなわけだ。

現代日本の社会風刺かな?と思って眺めてたら戻ってきた現代時空でソウダヨ!されたので*2アッ ヤッパリとなりました。それはまた別の話ですが。別の話しよっか。

別の話っていっても私の引き出しはキリスト教とふんわり世界の神話くらいなもんなので、あとは徒然した感想だけです。生物学が読み解きに使える物語ではなさそうだし。


演出がきめ細やかで楽しかったですつれづれ

斧を振り上げた水木のシルエット、命乞いカットが入る前から目標が髑髏だけを向いている

黄色背景に黒のシルエットで水木が斧を振り上げて→狙いを定める(斧と頭の角度が僅かに変わる)
⇒カットが切り替わりトキサダの命乞い台詞が入る
⇒再びカットが切り替わり、斧が振り下ろされる
⇒死の恐怖に目を瞑るトキサダを正面から映し、振り下ろされたものが髑髏だけを破壊する

これら一連の流れで、水木は最初のカットのときから髑髏だけを狙っているのが映ってるのすーごい細かいなと思いました。斧を振り上げた直後にトキサダに当たらないよう調整している。サヨちゃんの首につきつけたメスが震えていたのもだけど、水木は行動選択のなかに「他人を殺す」が入ってないんだよね。

主導権を握るための暴力を持ったとしても手段を破壊する以上のことをするのは勘違いの果てに性根から腐ったくずやろうか選択肢と希望を奪われ続けた弱者だけ、まっとうな大人は同種の命や尊厳を奪う選択肢は端から持たず、選べる範囲に入っても即座に外す。
地位権力社会的立場、生まれで得たそれらを暴力として使い良識を失ったくずやろうを交渉の座につかせるためには、そして交渉で決めたものを反故にさせないためには暴力が必要で。でも、まっとうな大人はその暴力を"それ"以上には使わない、使おうとも考えない。「ヴァグラント」*3でも思ったけど、社会風刺をやるときにきちんとここまで描写するの、誠実だなと思う。

よそ者は犠牲にして当然な村の人間どもや、その空気を嫌いつつ地位と権力の恩恵を自分と賛同者らでだけ愉しむことに染まりきった社長(名前わすれた)との違いがしっかり描かれてるのはっぴーだなと思いました。
サヨちゃんは……抗うことも逃げることも奪われた弱者は自分を潰して相手を潰す以外の選択を失う(いわゆる無敵の人)の典型じゃん……? トキサダの死と水木の訪問によって一旦は見せられた希望と夢が時麿によってまやかしだったと突きつけられたことで、あらゆる害意に殺して返す以外の道が見えなくなってしまったいきもの。害し返すほど削れていく(他の村の面々とは異なり、)けど彼女には他の選択肢はないんだよな。一度でも抵抗を止めれば己のすべてを無残に食い散らかされると心の底から理解ってしまっているので。

ときちゃんと庚子がいるのに夫が出てこないのなんでだろと思ってたらさいあく人間ブリーディングがなされてたからだったっぽいの流石にぅゎきもとなってしまった(ほめてる)よね。そんなところまで現代再現しなくてもと思いました。
これはたぶん知らないほうが幸せなやつですがまじでこれ現代日本の資産家間でやられる風習ですよ。どこで聞いたかは言わないんですが(そこに迷惑がかかるので)、私はこないだ50-60代のばーさんが自分の娘で人間ブリーディングした話をオトモダチとの肴にしてるところに出くわしてしまい、せっかくいいメシ食ってたのに気分が悪くなりました。

いま家系図*4みたらときちゃんは長田の息子らしくて沙代ちゃんとときちゃんはいとこ、(父と祖父が同じという)近交係数激ヤバさいあくブリーディングではなかった!よかった!と思いました。でもトキサダinときちゃんボディ、ときちゃんのことを「だから作った」言ってたよね?時貞→克典の関係も「信頼」になってるし、孝三は"三"なのに次男だし水木とゲゲ郎の関係も「哭倉村で出会う」になってるし、ねえこの相関図どこまで本当なの? 表向きであって事実は異なりますのやつなんですか?
ときちゃんボディで使ってた闇陰陽術は長田とおなじではあったけどさ、龍賀家が代々「呪骨の封印」をやってきたことと魂換えの外法を為し遂げた「稀代の呪術師(時貞の自称)」ことを鑑みると同じ術を使うことが長田幻治と血のつながりがある保証にはならないしさ。というか成り立ちを聞く感じ長田家と龍賀家は定期的に血の交わりあった感じがするよね。

ゲゲ郎が水木に着せてくれた黄色いちゃんちゃんこが、駆ける水木のカットではゲゲ郎妻に着せられている

「呪骨にやられても記憶を失うことはない」と着せられたゲゲ郎のちゃんちゃんこを水木はゲゲ郎妻に着せてやった。待ちわびた夫のことを、救われた自分の隣に彼がいない理由を彼女が忘れてしまわないように。もうすぐに死んでしまうだろう*5ことは察していただろうに。
幽霊族が同朋を(あるいは子を)想う守をこれから生まれる子とその母に譲って、だから目覚めた水木は村であったこともゲゲ郎のことも記憶の霧の向こう側にやってしまっている。
水木の人柄が出ていてめちゃくちゃいいハナシだなって……。それでいて目覚めた水木は失ってしまった記憶が大切な(はずの)ものだったことはちゃんと覚えているんですよ。
ラストの墓場鬼太郎シーン、一抹の救いって感じでよかったですね。いや何を失ったのかも失って大きな喪失感のみ抱えて日常に回帰した水木の時点でもこの世と隔絶された異界からの生還というある種の救いではあったんだけどさ……。
鬼太郎を見つけたこととゲゲ郎の面影が蘇ったこととで(最善を選んだ結果である)トゥルーエンドから(それが主体にもわかる報いの形をとる)ベストエンドになったっていうか……。

咆哮を聞いてるときの乙米を庇う長田が完全両想いのそれじゃん

庇う長田はまだ自分の身で当主を庇う忠義とも取れるが庇われている乙米が長田の胸元に頭を預け軽く両手を触れて身をゆだねる先にしているのアウトでしょと思いませんでした?
不倫か?と思っていたら長田から最期の最期に口にしてはならなかった恋心が出てきたのでテンションが上がってしまいました。平成によく見たCV.石田彰キャラ*6みたいな男から出てくる隠し続けていた本心からしか摂取できない味があるので……。
長田幻治、彼単独なら沙代ちゃん呪骨とも打ち合えてた(攻め込めはしなくとも守りはできていた)のに乙米を守ろうとして隙ができ、そこで致命傷を負ったのもエモだよ。

*1:柳田國男「一眼一足の怪」「一目小僧その他」などあるらしいので、興味ある人はそれ読んでみるといいと思います。

*2:ゲゲ郎、時ちゃん呪骨に『おれら一人一人がきちんとしていけば蔓延るくそやろうを追い出して日本を善く変えられると言ったけど、ごめんな今もあれと同じことになっているよ』(意訳)みたいなこと言ってませんでした?

*3:ポルノグラフィティの方が作曲作詞したミュージカル

*4:「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」公式HPより https://www.kitaro-tanjo.com/news/info/168/

*5:鬼太郎が墓から生まれたのはつまり、ゲゲ郎母は死んでしまったってことなんでは。ヒトより先に地球にいたなら墓から生まれる習性ではあるまい

*6:笑顔という名の鎧で本音を隠した得体の知れない男@呪力・魔力系バトルが強いが肉弾戦殴り合いはあんまりしない

アナスタシア10/7S回感想

東京楽です。キャストは木下・相葉・田代・石川・マルシア(すべて敬称略)

私はリリーのことをリリィと呼びますがこれはオタクの個人的な事情によるものなのであんまり気にしないでください。間違えて覚えてるわけではないです。
あとあの、私はよく人物や所作の印象のたとえを動物にするんですけどこれはあの純度100%の称賛の感情で、っていうか最近気がついたんですよもしや世の中のヒューマンって全アニマルに無条件手放しの好意を持っているわけではないのではって……私はヒトよりアニマルのほうが生き物としてはよっぽど高尚だとまで思ってるだけで……演目違う話だけどある『彼』の『私』をハグする様を蜘蛛のようというのも好きなシーンに本気で送っている賛辞でぇ……。


「オルゴールよりお祈り」が必要な「難しい」時期なのに毎日のように音楽と踊りに明け暮れているロマノフ王朝貴族、「何一つ返さなかった」だろうなの質感が大変強くてやっぱり滅んで然るべきだよ。革命は起こるべくして起きたよ。
ここではナナと対立……ってほどじゃなくても思想の違いとかがありそうなのに、能天気なニッキーの言い分には憮然とした顔ながらも「その通りよニッキー」って言うの、状況が多少見えてはいるんだなと思っていたんですよ。違うな?ナナが無言で少し振り向いて彼女を促してるから同調するようなこと言ってるんだな?
踊りも音楽ももう沢山、と思っているのはナナだけ、今はロシアを出てフランスに行くような事態と(実感を持って)思っているのもナナだけなんだ?
憮然としてるママも可愛い娘の無邪気を見てると蕩けるように慈母の笑みを浮かべるから「私にとってはママよ!」を思い出してしまいました。
ここの少女アナスタシアちゃんがパパのキスを待つ仕草がいっぱい好きなんですよ、彼女が誰なのかも知らないけど……。でも伸びやかに踊りくるくると表情が変わりそのどれもが無邪気な明るさを漂わせているの好きだよ。無垢で可愛い幸せだけの世界に生きている、自分が何を虐げてそれを得ているか知りもしないロマノフ皇女(好きだよ!)
アレクセイ坊やと並んでお写真撮ってるときの、一枚撮るごとに坊やが彼女を見るのをにこにこして話しあやしているの、きょうだい仲がいいなの気持ちとちいさきものが愛しまれている現場はいい現場だよの感傷にあふれる

1幕2場で低い声のパートがあり缶詰とオルゴールを交換する男、レオポルト伯爵の中の人では!?ずっと探してたんだ!やったぜ!ところでお名前はなんですか!おれに生で見た人の顔とパンフ写真の照合を求めないでくれ、無理です
→教えてもらいました!村井成仁さん!グレブの上官デュエット担当でもあるらしいですね。歌と台詞のみ登場の(物語上で)そこそこ目立つ人物の声にアンサンブルさんの歌上手い人をあてる、アナスタシア制作陣仕事ができすぎてて惚れてしまう。そうだよそういうのを求めていたんだよ、実力あるのに(主催にとっての)宣材経歴がないからメインに行きにくい人が着目される機会になる配役が素晴らしすぎる。
あと殺される伯爵の中の人も知りたいです、多分ロシア皇帝ニッキーと同じ人だよね?
→イポリトフ伯爵やニッキーの中の人教えてもらいました!武藤寛さん!哀切を帯びて伸びる声がとても好き、あのやわらかく広がる音の感じで小さい秋とか歌ってほしい(私はミュージカル俳優や二期会の方々にみんなのうたオムニバスを出してほしいと言い続けているマンです)

勝ち気で抜け目のない相葉ディマ、生きようと思えば1人でもちゃんと前見て生きていけそうだから観ていて妙に安心感があります。「ディミトリおまえもかー!」の石川ヴラドの嘆きが悪友がまた悪い賭けをし出したそれに見えて笑っちゃった。この2人が組んだときが一番対等感が強いなと思う。普段からどこかお父さん役なヴラドとその他人よりちょっと個人のところに踏み込んだ干渉をゆるしてるディマの組み合わせも可愛いですけれども。

上級貴族のお辞儀をするときの木下アーニャ、どこか遠くを観た虚ろな、輪郭のうすい不安そうな目をしていて好きなんですよね。夢で見るパリを話すときの情動の強い泣きそうな笑顔との落差がさ。

そんなアーニャを値踏みするようにじっと、下から覗いて観察している相葉ディマが、ヴラドの出したアナスタシアの写真と彼女を見比べて以降は同じような目ででも今後は口元に企みの笑みを浮かべているんだよ。話しかけるときのよぅし仲間だみたいな雰囲気、利用価値で態度が変わるロシアの抜け目ないねずみ。

田代グレブ、民衆がレニングラードを称える文句(好きな色は赤!)言い出すとこれ見よがしに目をきろりとやって見せため息ついて見せで背中向けるの可愛いよね。ぜんぜん信じてないじゃん 口先だけだと思ってるでしょ

「好きな色は赤!」の統制された「新しい」街をアナスタシアの青い布が一瞬ばっと舞うんだ!?街を漂う噂話!?


「私の父は警備兵だった」あたりからもう目が潤み始めてるの、ねえグレブくんそれ思い出したい記憶?
俯き加減で上目がちに彼の様子を窺う木下アーニャ、グレブが振り向くと視線を離すんだけどそれは、まあ、そうよね……があった。
「(それよりも覚えているのは)その後の、静寂だ」の台詞、語気が強い初日も最近観た静かなも田代グレブの言うそれにはずっと脅しのニュアンスを見ていたんですが、なんか……潤んだいやに静かな眼でここでない遠くを見つめている(確かに焦点が合っているように見えるんだよ)それ、もしかしてそれ君のトラウマだったりしませんか……?まだ幼く善悪も満足にわからないだろう、けれど目の奥に強い意志の光をみた子どもまでが撃ち殺された赤い記憶がその後(その日のことを)死ぬまで後悔していたと母が語る父の記憶と強烈に紐づいてしまったやつでは……?

虐殺の記憶と残った静寂を糸を繰るように語りながらさっきまで泣きそうに目を揺らしていた男が、まっすぐ背を伸ばしてそれを仕舞ってでもまだ濡れてる赤い目で自分に向き直ったらアーニャちゃんそら逆らえねえよ。自分の処遇を握ってる相手にそこでノーを言うのはこわすぎるしそうでなくても人情がない行いだわよ。アーニャちゃんはナンパされて逃げた後に「でも、ありがとう」が言えるいい子なんだぞ

グレブに促されて声を出し始めたものの「ロマノフは」まで口を動かすけどそこから先(死に絶えた)は口をつぐんでしまうアーニャちゃん、好き。アナスタシアである自分を覚えていないはずなのにね。

「流れるネヴァ川〜」のメロディ、グレブに割り当てられたフレーズっていうより今のロシア人民たちが話す「あの日」の概念なのかな。「革命に感情はいらない」はグレブのそれっぽいけど。上官に刷り込まれて……はないのかな、指令出すとき上官どのは「楽しめばいい」みたいなこと言ってたし……。

相葉ディマ、3ディマの中で一番喧嘩が強そう。なんかこう、動きのキレと落とした重心の安定具合が。

路地裏ナンバー、聞いてる木下アーニャがディマがしてやったときの話になると嬉しそうに痛快そうに笑みが浮かぶのかわいいでは?
この曲さっきのデュエットとの対比がさ、いいよね。グレブの過去の話には怯えと萎縮を見せるばかりだったアーニャが、ディマの過去の語りには共感して楽しんでいる。
「許せない町だ」で木下アーニャの表情が曇り、次のフレーズでまた笑顔を取り戻すの好き。父が教えてくれた美しいことや楽しみ方があるからこの町が好きなんだと話すディマは、父から受け取ったものを自分の(よい)糧にして生きているんだな。

この言い方をするとグレブが父から受け取ったものがそうでないみたいに聞こえて私に刺さるからこの話やめよう。でもまあ中身に響いたものって意味ならあまり良いものではないよね。父にそれをした功績があったから単なる警備兵の子のグレブが副総監まで上った(そうなれる道があった)のだろうから、悪いものばかりではないのだけれども。

木下さん黒目の中心ラインの下に銀雪色のラメ?マスカラ?乗っけてる? 特定の角度だか目の開き方でそのお化粧がライトを受けて、まるで涙を浮かべているように見えるんだ 天才
オルゴールを開けての記憶を辿る歌、ライトを正面から受けて下のラメの反射も入って、潤んだ眼にあの日の光溢れる宮殿(とオルゴール)が映っているように見えるんだよな。


グレブが見開いたときの目の色がライト直撃してると鼠灰色や木肌色に見える(見定めているのでないから夢のパリを語るアーニャ同様にまなこの輪郭が薄いのもあると思う)の、よっぽど明るいんだなこの劇場。3階まで演者の表情届けなきゃだもんね、アナスタシア照明のそういうとこ好きだよ
それはそれとして指令が下っての後半ずっと目を見開いたまま迷っているのを見ると可哀想だねの気持ちが。上官の「引き金をひく」を聞きながら視線がつーっと下りていって(たぶん顎を引いている)、腑に落とすように「それだけだ」と言い聞かせる
このフレーズどのグレブも自分に言い聞かせるような仕草するイメージがある。海宝グレブは違ったかもしれないが、なにぶん遠いのでわからん。

やると決めたことと今の自分とでの葛藤(あるいは思い迷い)が歌唱フレーズありで設けられてるのを見ると、あっグレブくんもメイン人物なんだなって思う(アーニャ、ディミトリ、ヴラドはきっちり設けられているよね)(ナナはまた別格なので……)

上司とグレブの掛け合いのとこ聴くと「勇壮」の二文字が浮かぶんだけど、それが曲の雰囲気なのか上官の声によるのか音の区切りや発声によるものなのか、どうなんだろう


ところでどこだっけ、場面転換のときにずいぶん明るめな響きで「流れるネヴァ川 また春が来るーー」のフレーズが流れるの、すごく綺麗で好きなんだけど冷静に考えると鬼では!?なんか2幕で割と色の明るいシーンだった記憶があるんだけど別のとこと混同してる?
いやあのね、すごく綺麗なんだけどでも「ロマノフは死に絶えた」まできっちり主旋律でなぞってその後をそれから〜みたいなしゃらららーっとした音で次のシーンに繋げていくの鬼では?そのしゃらららなに!?川の音なの?ググったら川幅やべー広かったからたぶん違うんだけど。しゃらしゃら流れるのは島国日本の小川だけだよ。

 

列車の中のナンバー、怖くて不安で震えているけどディマとヴラドを見ていると俯いて肩を丸めているところから負けん気で前を向ける木下アーニャ、“““良”””だな…………。

加齢による衰えに悩むも新たな魅力もあると前向きになる石川ヴラド、こんなにコロコロ声色変えて動きも(声の)表情もちょけてるのにメロディの音符はいっこも外さず声劇としてもお歌としても人物の演技としても楽しいまま歌って動いてのけてしまうのぶっちぎりすぎる すっげえ……しか出てこない

銃声に悲鳴を上げて頭を抱える木下アーニャの手が小さく震えているの観ました!?おれは見ました。

金がないんだなとお察しができるので公演期間には言わなかったんだけど、ヴラドが広げる手配書の顔写真が誰やおまえみたいな西洋白人3ショットなのはわたくし強めに不服があります THE39STEPSやLNDのキャストの顔で作ってる新聞(客には見える小道具だが、そこを見せるための角度では提示されないのに)を覚えているので真正面から見せるために作ってる小道具なのに顔(ヒトの認知が通常最も高いパーツですよ)で手を抜いてしまうのかーのがっかり感と、アナスタシアの写真を小道具で使うんだから手配書のほうもそういう古写真っぽい加工して出せば別人写真でも“当時のそれ”っぽく見えるじゃんこの技術班なら作れるでしょの期待をしてしまうのと。次の再演では待ってますね。

 

私はナナの幸せと歓びにうっとりしながら訊ねた「あなたの彼はどこ?」からの、目をぱちくりさせて言う「彼があなたを愛していると気付いてないの?」の声と顔がめちゃくちゃめちゃくちゃ好き。
恋と愛のなんたるかをまだわかっていないちっちゃな可愛いおんなのこみたいに、でももうそういう物を知る年頃の少女として扱うあれ。あなたの可愛い宝物、でももう別れのときの何にもわからない童女ではない孫娘。

ナナの「私たちはいつも一緒よ」に迷わず小さく頷く木下アーニャ、良さがすぎる

石川ヴラド-マルシアリリィの再会ソング、この組み合わせ一番ロマンチックじゃない?いやわからないんですけど、私は恋愛ごとの物語への感受性がしんでるので……(濱めぐさんや柚希さんが全力で愛の女をやってるのを観てなにもわかんなきゃもうわかんないんだよそれは)でもなんか私でもわかる味がするんだけどこのロマンス……周りに誰もいないと思ってる2人の恋愛模様を覗き込んでる味がする……。
年経ているのと艶のある誘いなのとヴラドのことまだそういう意味で好きなんじゃんが全部すごくよくわかるマルシアリリィと、歳を重ねて昔の輝きはないのを気にしてる風なリリィにそんな君も愛おしいよ愛してるよと本心ひゃくぱーせんとで全力全開の愛情口説きをする石川ヴラド、そういう関係になってた(そして再びなる気がある)とこまで互いにわかっている私的な交歓を覗いているようで胸がむずむずするようなこれ見ていいやつなの!?(楽しいです)がありました。
わかった、世の中のヒューマンが芸能人の私的な恋愛ゴシップを貪りたがるの、このむずむずするような心拍上昇がクセになるんだな……?なんか宇宙人みたいなこと言ってるなわたし

ヴラドはパリへ向かう列車の中で、歳を取った自分はまだ魅力的なのだろうか、いや失った魅力もあるが新しい素敵なところも持っているし、とその葛藤を解消しているんだよな。だからリリィが同じことで躊躇い迷ってても今の君も素敵だようと衒いなく言い切り愛全開で支えにいける。


ヴラドとリリィから顔そっぽ向けて「(過去の)絶頂期を」を心底軽蔑した声で吐き捨てるグレブくんにテンション最高潮に上がってしまうって話した?したかも。
好きなんですよね、このひと革命前の露国でなーんも考えず富や栄光を自分の財産として貪っていたやつらのこと本当に嫌いなんだなって感じがして……。
(噛み付く相手がいないから)壁に身を預けながらの独り言の静かさでしかし全身から嫌忌の滲み出てるあのフレーズ、見ても聞いてもああうんきみ本当にゆるせないんだね彼らという存在のこと……となるよ。彼生来の潔癖というより呪縛による思想の視野狭窄が大きい気はするけど。彼らロマノフ貴族がそうでなかったら彼の父親が成したことは大義を失い、父のした仕事はまだどうにでもなれたはずの子どもまで無慈悲に射殺したひとごろしになってしまうので。


「愚かな嘘……」と歌い出す声がたわんで泣きそうな揺れ方してるところからはじまるグレブとアナスタシアの対峙、この時点でもう勝負がついてしまっているんだよな。最後の扉の鍵を閉めてアーニャを確保するまでは動揺が隠れて冷静を保ったままなの、グレブくん仕事はできるんだろうな……の感があります。振り向いたときにはもう哀れになるほど動揺と憔悴が顔に出ている。
この場面、グレブは憔悴した哀れっぽい表情でほとんど懇願の勢いなのに、アナスタシアは上級貴族(上級も何もその国のTop of topだ)の冷静さで彼をまっすぐ見たままちらとも揺れてくれないんだよね。警視副総監(登場したときはそのひとつ下っぽい)をしてるときは芯の揺れずぴんと背筋の伸びた人物だから、背筋が丸まり(たぶん腰も落ちてる)肩が前に入ってるこのときの姿勢がよほど脆くて弱っているように見える。一言にすると“泣きそう”です。さっきも言いましたが。

グレブの軍装って1度目(もしかすると2度目も)と3度目以降で勲章の数やバッジの色が変わっていて、時間が経ったんだなというのとグレブくん順調に出世してるんだなと思いました。最初に見たときは黒い地色に象牙色で数字の3が印してあるバッジで、後の衣装は赤い地色に金色で左上を向いた弓と矢?鉾?が描いてあるんだよ。あのほら……どっかの赤い国の国旗にあるあの模様……わたしの社会科力が低すぎてどの国か思い出せないけど……。


田代グレブ、白鳥の湖公演中にプログラムで顔を隠すタイミングってもしかしてディミトリの動きに反応してだったりする?アーニャとディマとのどちらかが腰浮かしたり大きく動いたりするタイミングっぽいんだけど。
しかしヴラドとリリィが頭から終わりまで満喫しまくっていて、君らwと思いました。いや君らはそれでいいんだけどさ、過去の遺産を食いながら死ぬまで享楽的に生きられるだろうし。ヴラド、初日は好色(芸術をあんまりよくわかってないで女の子が出てくるとほほほと喜んでいる)に見えてあの情熱で口説いたリリィの前で!?だったんだけどちょっと離れめで見た今はなんかあれだね、すごいもの観るときゃっきゃできる幸せな人なんだなと。
太后サマにお目見えする機会はこの後のつもりでいるんだもんな、ヴラド。そのナナは上演中に彼女を見て希望を持って失うとこまですませてしまっているんだけどな。

言おう言おうと思っていて言えてないこの場面のナナの好きなところ、何かに気がついてオペラグラスでボックス席の向こうを食い入るように見つめ、グラスを下ろして大きな失望を浮かべた後はもう舞台にも目をやらずに沈んでいるところ。回によってはちらっと視線は向けることもあるけど、肩を落として頭も俯き明らかな消沈をしている。隣のレオポルトはもちろん反対隣のリリィも気づいていない。レオポルトはともかくリリィは気づこうぜ。でもマルシアリリィは無理そうだな。皇太后への忠誠と思いやりと愛情はあるけどなんか鈍そうな……いやこれはリリィが鈍い人間っていうのではなくて(無論のこと演者がでもなくて)、でも皇太后の気持ちを汲むのが上手ってわけじゃなさそうな人だったよ。

太后宛の手紙を読み上げてナナが苛立ったときの陛下がそのように思われるなんて全く思いもよりませんでしたな反応だったり、手紙を破いたときのまさかそんなことをみたいなやや怯え気味のどうしよう感だったり、「ランプをお付けしますね」の丸まった声だったり。マルシアリリィ、何がナナの琴線で何が逆鱗(というほどでもない苛立ちの線)なのかを把握してないんだな、という鈍さがあった。ナナは付き合いの長い彼女にある種友人めいてさえいる気安さや開示をするのに。でもナーシャが問答で「(お気に入りの側近は)いなかった」「あなたはすぐにクビにしてた」って言ってたもんな。

演目1ミリも観てない、序盤で男性が大きく下手に飛び出す登場のときだけちらっと目が追ったかなどうかなぐらいに観てないグレブが終演時の周りの拍手の音にびくりとして音の出どころへちょっときょろっとしてから自分も手を動かすの、ほんとに気もそぞろだったんだねとなりました。
向こうのボックス席でわくわくした驚きを浮かべたディマが腰を軽く浮かせて(すごい技が出たっぽい)それにアーニャが笑ってつきあいをしてる、その動きで慌てた顔してパンフを陰にし隠れるの笑っててなんかごめん、まじでそんだけ心の余裕なかったんだね。
思えばこのときからもう、アーニャを見てるとき(と、歌唱。)以外は背中丸まってたな。そのアーニャを見ているときもたぶんに任務だからが半分、それ以外の情緒的なものが半分くらいのように見えたけどこれは角度的なものかもしれない。切ないような、でもあれもしその感情だとしたら恋心の段階より彼女を殺さなければならないことへの葛藤だよな……。
ここでのアーニャは笑顔でしかしゆったりと余裕を持って演目を眺めながら、たぶんこういうのが初めてなんだろうディマが驚いたり喜んだりすると一緒にこちょこちょと話してやる。こういう場にも演目にも慣れた、上等なしつけを受けてきた娘ごなんだな……のオーラが。

白鳥の湖といえばさ、ロビーにナナが入ってきたとき皆が頭を下げてお辞儀をするじゃん。ほとんど皆が顔を伏せて目は閉じるか伏せるかで下を向き続けているのにレオポルトだけすぐに顔をやや戻して目を上げて、皇太后を観察し続けているんだよ。今や滅んだ王朝の、形ばかりとなった国長への経緯を持ち合わせてない。過去の遺産を食いつぶしている(ような)のは彼も同じはずなのにね。動かそうとしているのかもしれんけどそこはよくわからん、そこまで深く語られる人物ではないですしね。


「ネヴァクラブ」の由来に東京楽でやっと気づきまして(NeverClubだと思ってた)名前も中身も余すとこなくグレブの癇癪どころ触りにいってて笑っちゃった。
・厳しい冬のロシアを捨てて春の長いパリへ逃げ、
・人民の搾取により成っていた「過去の栄光」をなつかしみ過去の国へと杯をかかげる
・のにネヴァ川に肖った名前がついている
役満だよ。だからあんなに気ぃ立ってるの?
フロントマンに噛み付くとき顎上がってるの喧嘩売る犬みたいで微笑ましいが。

執務室からアーニャを解放しての暗転後、電話を掴んで急ぎ何処かへ掛けてるグレブは事態を進めようとしてるのか止めようとしてるのかどっちなんだろうね。受話器を持ち上げる時間も惜しんで(るのか周りに聞かせたくないのか)身を屈めて通話口に口を持ってくようにしてるのでよっぽど急いでるんだなあと思う。

ロマノフ滅亡に消えたと思われたアナスタシアが今を(そして未来を)生きるから、後悔や傷を遺した『あの日』の過去に縛られたナナやグレブの心をほどくのか!?だから2人とも過去と今だけでなく未来に目を向けるようになり(ナナもだけどグレブも「長い人生を」まで『この先』の話をしないよね)それを自由に生きんとするアーニャを晴れやかに見送るの!?何が待ち受けるかわからないけれどより良く幸せであれと?祈りじゃんそれは(オタクすぐ誇大する)
うーん考えすぎかもしれないけど、でもそうならアナスタシアとの対峙がナナよりグレブが後でなきゃいけないのわかるんだよな。ナナと別れた日の思い出を(「別の誰か」でない)自分のものとして取り戻し、「私は誰なの」「あなたは何者なの」に答えを出した皇女アナスタシアでなければ場が成らないもんな。
(本当にアナスタシアだったのか、の躊躇いへ逃げる余地のない)今や人民に害をなさない皇女をその過去だけで殺せるのかって決断を突きつけられなきゃいけないわけで。もともと触るのも痛いらしかった傷を容赦なく抉られて最後は泣いてしまってましたが……。

田代グレブのこと、指導者や司令官(ではないが)としてはやっぱりそこまで好きにはなれないんだけど(己が立ってるものを見てないの滑稽で可愛いなとは思う)、1幕後半から2幕にかけての怒涛のなぐられっぷりですっかり、そ、そこまでしてやらなくても……かわいそうだよ……の同情でまあ憎みきれない人だよに落ち着いてしまう。なんだろうこの感じ*1知ってる気がする。
苛烈残酷のロシア貴族(これは単なる私の歴史イメージなので一般評と違ってたら本当すみません。イヴァン雷帝とソフィア皇女のイメージが強くて。)に傷があるとこ無用心に見せちゃったらまあ抉りにかかられるわよではある。


四重唱でディマとグレブが声を重ねるのがオルゴールの音楽、銀の雪を抱いて、のあのフレーズなの、あの日の記憶を分かち合ったディマだけでなくグレブもこの時点でアーニャ=アナスタシアを信じているのかね。いやそらまあ曲の都合かもだけど(4人が声揃えられそうな既出ナンバー*2他にないし)、提示されたものを好きに摘んで好みの画をつくるのが私のあそび方なので……。


このときのアーニャのドレスがかつての皇女アナスタシアのアイコンを連想させる青色ベースなのお衣装担当が神だなと思うしヴラドとディミトリが良い仕事をしてるんだよな。従姉妹ちゃんだか親族ちゃんだかがピンクリボンなところナーシャだけ青だから、この話における青はナーシャのアイコンだと思って見ています。オルゴールの差し色も深い青だしね。
ナーシャのリボンはふんわりした赤みのある青*3でリボンの形も相俟り子どもの柔らかさな一方で、ナーシャのドレスはシュッとしたシルエットを同色の宝石だか色ガラスだかで彩る着る者の美と高貴さを際立たせるつくりで、そこにサファイア(宝石の持つイメージが「知的」「気品」「慈愛」)を思わせる深い青があるの天才でしょ。「成長した皇女アナスタシア」の色じゃん。ごめんおよふくの知識がなくてあのドレスの形状を示す語彙が出てこないんですが。

ねえところでさ!
この場面のヴェール?ケープ?ふわふわした布を留める肩口のブローチ双頭の鷲いませんでした!?青い宝石(この展開だと設定でも色ガラスかもだけど)を取り囲むシルバー、舞台の枠の中央にいる白っぽい双頭の鷲と同じようなシルエットしてませんでした?石の上部からぴょっとしてる突起が二口に分かれているのは見たんだけど、王冠モチーフだとしてもワンチャンあるなーと思って……。でも翼っぽい突起もあったと思ったんだよなー。

衣装と言えばヴラドが胸につけてる花飾り(たぶん薔薇)がだんだん高級っぽいものになってるの面白いですね。2幕頭では赤くて薄いレースの、レースって気を遣っていったけどなんか目の粗さと織り目がガーゼみたいな生地でできた、あちこち解れだか縫製の甘さだかがある薔薇飾りなんですよ。たしかリリィと再開したとき(オリーブグリーンのジャケットのとき)は厚めの光沢ある布でできたそれなりに形の整った白薔薇、オペラのときだったか(ここはまだ白だったような気もするけど)からは白がまだらに入った赤い薔薇なんですよ。実物はどれも造花なのはもちろんなんだけど、お話のなかでは最後のだけ生花だったりしません?と思っている……3回目くらいから……なんですが真相は演出の人がぽろっとしない限り永久にわからないやつ。フランスの方らしいので日本語小話があることはなさそう、つまり永久にわかりません。 


「オルゴールをあげたでしょう?」とアナスタシアが荷物をあさりに離れたところでふらふらと立ち上がった麻美ナナが、遠い記憶を目に映しながらマイクに乗るか乗らないかぐらいのか細い声で「オル…………ゴール…………」と呟いたの見ましたか、私は見ました。

麻美さんのことフォレで知りバイオームでも観たので彼女がやる「冷たい母親(の中にいる愛するまたは愛される渇望を強く抑制してきた女)」がわたしは人間らしくて(愛というエゴゆえに間違える愚かさが人類の原罪で愛すべきところですからね)大好きなんですけど。この方ミュージカルもやるんだなと初めて知りました。宝塚出身の方らしいですね*4
独り追憶にふける曲が音は綺麗だけど言葉は間延びしてて呆けてるか狂ってるかに聞こえるよぉと初見で思っていたんですが、あの曲はひょっとしてそう見えてていいやつですね? 過去の記憶に閉じ籠って、今現在やこの先に向き合うのを拒む女。「もう聞いていらっしゃらない」だし「閉じよう扉を」だし。ところでこの曲の2番の途中くらいから現れて、扉の向こうで両手当ててナナが振り向くのをにこにこして待ってるリトルナーシャちゃん激かわですね。「かくれんぼして」だよ。もう期待するのをやめよう、扉を閉ざそうって嘆く彼女の後ろで悲しい顔して俯きしょんぼり去っていくの図、ニコニコしてしまう。ランプがつくと消える夢、その追憶にも笑顔の少女はもういなくなるのエモーショナルじゃん?わたしは語彙を失ってるからってほりだしたじごくのことをエモーショナルと呼ぶのやめるべきだなとおもいました。感動させるために盛り上がっている場面を示したいとき使える言葉がなくなるからね。

さっき別のとこでも言ったんだけど、この曲聞いてから振り返るとマルシアリリィの皇太后のこと分かってないんだな感(好きなところです)を改めて噛み締めてしまいますね。自分の追想に閉じこもる皇太后にランプをつけるのは共通だけど、お仕事とはいえナナにそれなりの信頼を寄せられているのになにが皇太后の慰めで何が逆鱗なのかちっともわかってない、何年も一緒にいてそこでそう驚いたり竦んだりするんだって思う。
「機嫌のいいときなんてないのよ!」あたりホン通りというか原作映画通りの設定だとこのぐらいなのかなって感じはあるけど。堀内リリィや朝海リリィのたまたまそのときついてただけで思い入れないながらも何年か付き合って主のことちょっとはわかってきた(そして彼女への愛着や忠誠も育ってきた)側仕えとしては好感度高い造形だなと思います。
良し悪しではないです、再会デュエットのバランス感はマルシアリリィが1番かわいーよ(個人の好み)
ミリも関係ないんだけどマルシアリリィのメイク、目頭の脇と目尻の延長のところに大粒の金のラメ(グリッター?)を置いてるの可愛さが天才
おとこのこのメイクには全く求めないんだけど(私は)、おんなのこのメイクでお話や人物像を邪魔しない程度の飾り遊びを見つけると、その登場人物がこういうあそびするのかなってきゃっきゃしてしまう。ほんとにおとこのこのメイク(ジェイミーとかにはしてほしいが)には求めないんだけど。ディマやグレブにわかりやすい遊び化粧あっても役者の顔が可愛いなとは思うかもしれないが(そんなとこ見てるの役者の顔をグラスで抜くオタクくらいだし)、彼らの人物像(うまくやり抜いてきた矜持のある「ロシアのねずみ」、亡命貴族の享楽に強い反感を隠さない新体制礼賛者)とはそぐわないし……。あったらあったでけらけら笑いながらTwitterにログ流すとは思う。

「革命に感情は要らない」、そんなわけがあるかよ!!!に思い至ってしまったので私の情緒はおしまいです。そんなわけがあるかよ!!!
革命なんて他に実効手段を奪われてる被弾圧者の怒りによってなるものじゃん。起こりも継続も動力源は感情エネルギーなのに、要らないわけがあるかよ感情がよ。
MAで描かれてたように革命の多くは怒りのみでなるわけではない(革命を押し進めることで得する“誰か”がいる)のは間違いなくそうなんですよ。そうなんですがグレブはの得する側に当てはまる人間じゃないだろ!!!
いえ現在時間軸の彼は得する側にあるかもしれませんが、ことこの任務に関して彼の動機は『かつての父がしたように』だから今の立場は関係ないんだよ。父親は『後悔』せず任務をなしたはずだ、“何故なら”「革命に感情はいらない」からって接続じゃんあれ。
 
堂珍グレブがそれを言うのはある種の諦めなのかなと思ってみていられるけど海宝グレブと田代グレブに関してはおまえにそれを刷り込んだのは誰だを喚起され、おれの情緒はぐちゃぐちゃになりました。楽しいです。
いや田代グレブは自発的なのか誘導されてなのか見当つかないけど……。田代グレブのこと結局3回観たけど印象がぜんぶちがうので何もわからない。共通で感じた印象がお仕事してるときの“国家体制の映し鏡”感だけなので……。

今回観た田代グレブはわりと頭のほうからこれに縋っているように見え、折れないための目隠しが刷り込まれたものだったらすっごいかわいそうだなと思いました。自分で考えた逃げ先ならまあまあ大人のやりすごし方だよねとなれるんですが、そのよすがが与えられたものなら心を壊さないための逃げ道ではなくて心を壊しても逃がさないための軛じゃん。

 

◆ここから翻訳や訳詞すごいなって話
歌詞だけじゃなくて台詞までよくこだわって訳された演目だなと思ったの、「オルゴールよりお祈りですわ」のところ。歌詞は……私の聞きなし力では細かいところよくわからないけど3人組の仕込み曲はあれ本当にすごいと思う。あんなに語数多いのに変な飛び方してないのもだけど韻をがつがつ踏んでくじゃん。
あの曲は固有名詞多いから翻訳による音数の調整が少なめで済むのはあるんだろうし、テンポや韻踏みのために英語の歌詞をそのまま和製英語で残してる(ヴラドの「(召使いに)キック!」→「(みんなは)ショック!」とか)のもあるけど、聴いてて変な日本語だなってなることほとんどないもんね。
自分を助けてほしいってときに「私はよく働きます!」と価値を売り込むのは日本の感じで聞くと変な感じがするけど、舞台は社会主義の時代のロシアなのでああ当時の向こうってそんな感じだったんだろうなーとなるだけだし。ミュエリザみたいに世界観を日本ナイズドしてる作品じゃない、どっちかと言うとメリポピやレミゼみたいな「向こうでやってるものを日本語で再現する」寄りの段階だろうし、と思っています。

それだけに「Home,Love,Family」がすっごい惜しいなと思う。いやわかるんですよ、物語の根幹になってるものの一つだから一個も要素を削れないのも、1回目と2回目で分けないでこの1フレーズに収めきらねばならないのも。

我が家、愛(し愛された記憶)、家族。
『あの日』にアーニャが失ったもの、そして物語の中で彼女が再び得ていくものだから一つも削れないのはわかる。ナナとの一度目の対峙後に場面転換で「Home,Love,Family」の音が一度だけ流れるから、同じ音での2フレーズに分けて入れるのもだめなの。わかる。
でもああもいきなり英語出てくるとなんで?ああ元が英語で訳しきれなかったのか、となるし、……そもそも聞き取れなくない……?あの曲の途中に口元の見えない状態で突然出てくる英語フレーズ、一発聞き取り&即英語で変換する難易度けっこうなものでは?
わたしこれ聞き取れたの東京楽(たぶん7回目……?)でやっとで、それまで「(なんとか)マイビー」って何?とずーっと思ってたのよね。聞き取れてよかったです、アナスタシア脚本家&作曲家の天才をまた一つ知ることができた。

1幕でアーニャがそれを口にしたときの音はあんなに明るくキラキラしていたのに、暗転しながらの場面転換では落胆と失望の暗い色の音をしているの、それだけで彼女が夢描いていた(そしてずっと支えになっていた)“いつか”が失われたのをわからせてきてこれぞミュージカルの音楽の感がありました。音楽の概念圧縮パワーだよ、天才。

あのねでもわかるんですよ、私はあそこだけ英語(ロシア語でもフランス語でもなく)なのにややかなり不服があるけど、音数制限きついかつ一個も意味を削れないから日本語にしようがないのもお察しされるんだよ。
せいぜい8文字(英語発音だと母音5つぶんしかないが、どっちだったかのアーニャちゃんはベタベタ日本語発音で伸びる音の間に何かごにょにょって入ってる音はした)にこれを欠けるものなくニュアンスも違わせず入れるのはどんな逆立ち名翻訳でも無理、わかる。
太后の罵倒みたいに露語だか仏語だかで入れたらお話からは浮かなくなるかもだけどこれはこれで意味がお客まで通らなくなっちゃうし、……そもそもどっちの言語でも音数が足んない問題は変わらず発生するっぽいし……。

◇ここまで

*1:『してることは間違いなくきみが悪いけど、即座に報いが向けられた上にそれから先も都度めためたに傷ついてるの見ると因果応報はなったよオーバーキルだよと同情が優ってしまう』、なんかこう、シシィに嫌われたり敵と見做されたりあうるのはだいたい君の自業自得なんだけど、でも何遍も拒まれてそのたび泣くほど傷ついても好きでいるのをやめられないならもうしょうがないよな……のフランツくんのキャラ印象値コントロールに近くない?

*2:4人の全員が同じメロを歌う瞬間がないっぽい負ければ地獄リプライズを組み上げられちゃうALW御大はちょっと天才すぎるので……。歌詞はぜんぜん拾いきれないので公演時歌詞一覧をKindle Unlimited(ラブネバ楽譜、英語版はなんとKindleアンリミにいる)に流しておいてほしい気持ちはあるが……。

*3:この色の染料をペーパークロマトグラフィーすると中からマゼンダが出てきそうな青だなと思うので赤みがあるなと思うんだけどこの感覚インクオタクだけだったらごめんね。でもナーシャのリボンはライト加減もあって(リトルナーシャの結った髪が上のほうほんのり赤いから、ライトに赤い色みがあるのかなと思ってる)私には実際に赤みのある青に見える。この見え方も赤光の気配を見逃さんとするインクオタクの性癖(字義通りのほう。性倒錯の誤用ではなく。)だったらどうしよ。

*4:ミュージカル業界、宝塚OGでもなきゃ女性キャストを若さを搾取する使い捨て商品として扱うのでちょっと考えればそりゃそうかではあった。OGでないのにネームド来るベテランの人、TV知名度が高く歌も芝居も舞台のそれができる大竹しのぶさんと客席数4桁を一声で呑める元四季濱田めぐみさんぐらいじゃない? 私の濱めぐさんへの信頼値がバグってるのは目を瞑ってください。

アナスタシア10/4M回感想

キャスト(すべて敬称略)は葵・相葉・石川・田代・堀内だったかと。葵アーニャ見るかと思ってここ取りにいったので。

待機列で後ろのお客さんが前回観たグレブ評を話していたんですね。いわく、「すらっとしてて歌がうまくて他の2人とは発声からちょっと違うグレブ」
全員が全員あの服だと細身に見えるし他の二人とは発声が違う(元四季・声楽出身・J-POPシンガー)ので可能性3/3のままなのおもしろかったです。こんなに情報出てるのに横から聞いてるだけだと何も絞り込めない……いったい誰の話だったんだ。

今回は平日マチネに行ったんですよ。あまりに快適でびっくりしちゃった……。お客が……上演中の飲食も笑ってる俺アピールもせず普通に舞台を観てて……。
笑ってる気配はするんですよ。肩が揺れてるんだろうなって衣擦れや息だけのくすくす笑いがさざめくように
あんまり快適で平日休の業界に転職しようかと思っちゃった。初日以外にもこういう環境で観られる舞台があるのか……。というかこれが本来の客層が多い公演回の空気なのか……。
もしかして平日ソワレか土日が第一候補になるのは元々舞台のお客さんとして想定されてなかった(のが門戸が広がって来るようになった)人々で、故にお作法を子どもの頃に入れ込まれてないからお茶の間バラエティと同じ感覚で声出すものと本気で思っており、またシーンの空気も読めないから笑ってる俺アピールを……して……?


アナスタシア、やっぱり1階中列あたりのセンブロが一番観るのにバランスよいのでは?ちゃんと全体が見えてギリ表情も見えるし音響も変な鳴り方しないし、オペラグラスで抜けばどういう化粧かもわか……いやこれは見ようと思えば2階からも見えますけれども。この子 なら抜ける。前席にいる客がアレという懸念は捨てきれないので17列が最強ではありますが。この列にびっしり関係者いる回もあったし。
がなりの下手な人のそれが自分で思ってた以上にだめなんだなって気づいたので今回は対策にもうちょっと下がった場所取ったんですが。なんだかんだクリアな日生の音響だとどうもならんけど風呂釜と悪評高いオーブなら普通の声は普通に聞こえてキツいとこは(うまく出さないと届かないから)変な風に聞こえるけどそこまで痛くはない場所があると思って。結果から言うと勝利しました。でも役者さんを近くで見て歌や声も楽しむって目的なら15〜16列のセンブロくらいが一番いいように思う。


すみませんがここからだいたいグレブの話をしています。ディマもナナもリリィもヴラドもわたしは初見印象から大きく動いてなく、わからないものに自分なりの理解の道筋をつけるのが私の言語化なので……。
何度でも言いますけど受け手の感想は受け手の感想であってあなたの正解はあなたが観て感じたことですからね。*1


田代グレブ、発声が気にならない程度にちゃんと距離取って観るとわりと楽しいなと思いました。この方なのでかなり後ろでも歌唱は普通に飛んでくるし……。
耳が痛くならないとこから見る田代グレブ、それでもやっぱりファーストインパクト(誤字ではない)がさては人民愛してないな?の全力マイナス印象(キャラとしては好きだよ)だし、この瞬間の印象が強すぎてその後の可愛らしいのも懊悩も可哀想だなとは思いながらもめちゃくちゃ笑えてきてしまって、私は。いえグレブも真面目に生きてるよなとは思って観ているんですよ。
真面目に生きてるよなと思ってるけどあのマジで「何一つ返さな」そうなロマノフ王朝*2見てからだと君とその人民たちの違いは現体制で有利に育てられるコネや仕事をたまたま生まれ持っていたかだと思うけどな?(民衆ソングの感じは社会主義っぽかったし)の目で見てしまい。いや可愛いんですよ、冷たく厳しい綺麗な所作で階級なりの威厳もあって(なんか今回はあった……。)
アーニャとの邂逅からずっと隣の客が無言で笑ってたとしたらすみませんそれ私だったかもしれない。ごめんおもしろくて……。アーニャもグレブもずっと真面目に生きてるんだけどそれ故におもしろくて……。私は(架空存在の)人類の悪性*3に直面するとおもしろくなってしまうタイプです。
そうやって見ていたら1幕終わりで怒涛の丸め込みをくらいなんとなく印象はほだされてしまいましたが。このグレブへの印象度、むかし観たLNDファントムへの印象度と類似の上下をする……。以上、全体まとめ終わり。おもしろかったとこと好きなとこの話をします。

これは「生きる」の光男クンに言ってるのと同じやつなんですけど(前置き)、
ねえやっぱり私このグレブひととして嫌いwwww アーニャとのシーン見るに根っからの悪人ではなさそうだけどだからこそ人として嫌いwwwww(キャラクターとしてはそこそこ好みです。私はボンボルドがキャラとしてかなり好きだけど人としてシンプルに嫌いだよ。)
なんかこう……たまたま生まれた時場所がよくて持ってただけのコネと力を己が権利や資格として疑うことなく“育て”、そうでなかった弱者を愚昧とねじ伏せる腐敗役人なんだよな。
初見(まだ出してない)印象でも書いたんですけど、田代グレブ複数回*4観ても人民への愛はあるのか?の疑念が湧いてくる。監視と威しで口を噤ませ抑圧と強要で支配する、相手を信頼している者の行いではないよ。
いやあのこれは悪口のつもりではないんですけど、ほんとうに、いえグレブの悪口ではすごいあるんですけど役者への悪口ではないっていうか、グレブくんのことそういう人物として作ってると私は半ば信じているんですけど違ったらえっあっごめんそうは見えなかったと甚だ侮辱的なあやまり方をするしかないんですけども。
さっきも言ったけど、このグレブも根っからの悪人ではないとは思うんですよね。「個人として」「対等」に付き合うならたぶんそこまでひどい人でも嫌なやつでもなさそうなんだよ。だからこそ人として嫌いというか。
こいつらは敵だから有害な脅威であろうとして脅威性が高いのは行為の是非はどうあれそうだってわかってるんだもんながあるじゃん。自分は正しくてこいつらは愚かだからで(自分らが設定した)法律には正しいだけの無法をしてるのがいっちばん質が悪くて一番有害性が高いんだよ。やめよう別の話になってきている。私はいまもう物語ではなく現代日本の話をしているな?

ミュージカルアナスタシア、私はどの組み合わせで観ても社会風刺か?と思いながらいやでもホン書いたのも演出リーダーも国外の人だから違うだろうけど*5でもなんかもう現代日本なんだよな……自分らが言ってることとやってることのわかってないロマノフの皇族・貴族の胡座をかいた無責任さの造形が……となってしまう。

それはさておきグレブの登場シーンも遠くから、つまり絶対に侵害されない(色んな意味で)引きずられないとこから見てるぶんにはすごい好きなんですよ。隙や容赦のなさそうな表情や所作も印象は厳しい人物だなだけど同時にすごい綺麗*6だし……(やっぱ聞き取りにくいから芯を下げてほしいなとは思うけど、他グレブで聞いたから大まかな内容はだいたい覚えてるし……。)やっぱり人民のことはミリも信じてないし芽を摘み支配して、体制側にとって望ましいことだけを強要しようとしているようには見えるけど。なんか……いやこの印象は初見時インパクトを引きずってるのかもしれないけど、田代グレブは他の2グレブに漂うような“人民にとって”より良い未来だとどこかでは信じてる気配がなくない……?そうは思わないんじゃなくてそんなものどうでもいいみたいな関わりの断絶が漂ってませんか……?

私は田代さんがこの造形(この時代のロシア国家の映し鏡、貴族と形が違うだけで民衆にとっては有害な弾圧者)のつもりでなかったらどうしようとそろそろ本気で不安になってきているんですけど、でもだって田代グレブこの物語のなかでアーニャ以外に対等な個人の重さで向き合ってた相手いなくない?もしかしたら不穏分子でない同志にはやや優しいのかもしれないけど、悲鳴を上げた道路掃除人に意識を向けてからアーニャの顔を見るまでの数瞬で篤い人情を感じ取る力は私にはありませんでした。「震えているじゃないか」からもう声色が違うので、アーニャに向けるようなものを善良で忠実な人民には向けないんだろうな(少なくともすべては)というのはわかるよ。どのグレブもそうなのでアーニャにだけ少し特別なのは脚本設定なんだと思う。

そして田代グレブ、その特別やさしいアーニャにさえここまで強圧的なのに況やロシア人民をやみたいなところがあってだいぶおっかない(賛辞) アーニャに対する田代グレブよりロシア人民に対する堂珍グレブのほうが穏和そうに見える。所作の鋭さもなんだけど1幕の田代グレブ、アーニャにだいじょぶ?してるとき以外ほぼほぼ表情に受容がないからそれもあっておっかないんだろうな。*7よく顔立ちの整って表情に感情をあまり乗せない様を指して“お人形のような”と言うけど、お人形って綺麗だけど不安が募る場(夜中とか)で目が合うとすっげえこわいし目を離した後も引きずるもんな……。

これを一番強く思ったのが「流れるネヴァ川」をアーニャに歌わせるところ。私はこのグレブだとこのシーンが一番印象に残っているんですけど。するりと綺麗な動きでアーニャに腕を伸ばし、上向いた掌に急かされるように背中を伸ばし肩の強張ったアーニャが声を揃えるあの場面。
ことに激情的なものはない綺麗な所作と暴力性のほぼない怜悧な表情、己の処遇決定に強く関わる者が容疑者(「容疑なんてない」って言ってるけど)を促すときにこれ真正面から向けられるよりおっかないことあります?友好的と強圧的って両立できる要素だったんだな……と思いましたね。
暴力性っていうか……アーニャにカップをコン!とするときに向けてるときのあの……暴力性って言うのも違ってる気がするんだけどなんていうのああ言う気配。

それはそれとしてアーニャの顔を見て運命感じてる(言い方)グレブくんの邪気のなさと明るく輝く表情(愛らしいんですよ純粋で)を見て、私やっぱりグレブくんのこと嫌いだわ……www(賛辞)と思いました。いえかわいいんですよ。アーニャと反対方向へはけてくときのまっすぐ前見た明るい表情と高鳴る胸をおさえる握られた右手見た?
演出としては可愛らしいと思うんですよ、キャラクターとしては好みなんですよ、でもその排他性と運に恵まれた生まれへの自覚のなさが人として嫌い(架空人物の造形としてバランスは素晴らしいと思う)、そういうヒューマンには現実でよく遭遇し総じて有害性が高くその自覚がないから。さては私この物語における”たまたまその環境に生まれただけで”恵みを享受できていることに自覚もなくノブレスオブリージュ的な意識もない者のこと嫌いだな? (この物語の架空存在としての)ロマノフ王朝は滅んでしかるべきだったと思ってるしくずれロシア貴族どももどっちかと言えば嫌い枠だもんな。もしかして私グレブくんのその恵みが呪縛になったからあの1幕ナンバーでなんだかだ丸め込まれて同情してる?

最後のソロナンバーで情緒を掴んで振り回された結果なんとなく同情しながら1幕が閉じ(話はまだもう少し進む)、最初にも言ったけどLNDファントム観たときを思い出しました。私はLNDファントムのことも人として嫌いなんだけど、でも作中は音楽の力を追い風にしたエモーショナルの瞬間最大風速でなんか呑まれてしまうんだよ……「負ければ地獄」とかさ、落ち着いて振り返るとひっでえやつだよクリスとグスタフを物だとでも思って、になるんだけど*8でもあれ観てるその場じゃめちゃくちゃ昂揚するじゃん……ああいう……。

突然の文具オタクですがこの人物造形の田代グレブが3グレブのなかで筆記姿勢が一番うつくしいの大変好きなんですよね。すっと伸びた背筋、指先に強い力をこめずとも美しい文字を書ける正しい鉛筆の持ち方、目を少し伏せるだけの首を屈めない手元の見方、体幹使ってないとすぐ崩れる姿勢なのに全く力みの見えない美しい所作、あれは教育とか未来への機会とかそういう周囲が与える財産を生まれつき享受できた人間の特権だよ。いや演技なのはわかってるんですけど、でもほんとに、あれはまじで“周りにそう見せたい主体の意識”がちょっとでも見えるとわざとらしくて鼻につくんですよ。ああいう所作の類は意識されていない(ように見える)ときほど美しく、その人物を好意を持たれるに足る魅力があるように見せるんだよ。すっげーアレな例え出すけど(役者さんやグレブくんがそういう人間だとは言ってませんその意思もないです)生まれたときから金とコネに困ったことない二世政治屋の遊説しぐさなんかもう典型でしょ。
この書きぶりだと2グレブの所作がそうではないように聞こえますがお三方とも鉛筆の持ち方綺麗ですし姿勢もよく所作もスマートなんですよ。強いていえば海宝グレブの持ち方がちょっと幼げ(つけペンではなく鉛筆なのであの少し手首を内に入れる筆記姿勢も綺麗な持ち方です)でかわいいです。でも彼もちゃんと教わってるひとの持ち方だと思う。突然のオタクトークごめん。

ところで某青空でちょっと話題になってた田代さんのメイク、1幕ラストの持ちナンバーで真上から強い光が当たったときにぱしっと輪郭がシャープになり、あれは3階席からでもアナスタシアの明るいライト(暗いと端の席で顔が陰になるのでこれ自体は有難い)が直撃しても客席まで表情を見せる化粧なんだなとわかりを得ました。そういや最も強い光の直撃回数が多いだろう両アーニャちゃんも化粧での色設定や輪郭の付け方かなり強いもんな、まあこの演目で近くを取りに行く客は役者のメイクががちがちに強くてもでかいハコならそんなもんかとなるだろうし。
わたしは男性俳優の化粧を表情の視認性の向上と(その登場人物の)属性の付与だと思っているので(市村さんや鈴木壮麻さんのメイクは殊に付与された属性を読みやすい、あと岡本圭人さん)、グレブは成人の男性性と威圧感を強調するお化粧だなと思っています。シャドウの入れ方とか。ソリッドというかシャープというか。用語に詳しくないので適当なことを言っています。
2幕に入ると影との輪郭がやわらかくなってたような気がしたんだけど、たぶんライト……?20分とちょいの休憩時間で一から直せるもんなの?

 

断片の吐き出しログです。順不同でばーっと下ろして進行順に並び変えました。私は初めからこれがしたいのに文字数制限がないとつい掘ってしまう。

グレブの悲鳴みたいな「何一つ返さなかった!」の叫びを1回観た後に1幕1場のダンスシーンを見るとロマノフ王朝滅んでしかるべきだよと思ってしまうよね、これまではそう見てきたんですが「オルゴールよりお祈り」が大事な状況だと分かりながらアナスタシアが童女から少女になる間ずっとこうやって音楽と踊りに耽ってきたんだなこいつらと気づいてしまい一層その思いを強くしました。ロマノフの王族貴族どもが一対一の個人として付き合ったときどういう人間だったかには無関係に。彼がどう決断したかどうかとも全く別の話としてさ。
いやでもロシアンバー貴族を見る限りはだめだったよ。アーニャがああいう人間に育ってるのは金も庇護者もない一人民のアーニャとして生きてきた期間があるからだし。

相葉ディマ、3ディミトリのなかで一番大人っぽい感じがするなと思う。あの勝ち気で機を窺った目の輝きかな。アナスタシアが生きてるかもの噂を聞いたときに大人の顔で悪だくみをひらめくの彼だけじゃない?
関係ないけどアイシャドウをしっかりめに入れてくれるので遠目からでも表情の印象がはっきりしてて好きですね。

相葉グレブが大人っぽいとひょうきんでもよく周りが見えてる石川グレブも対等な悪友に見える。これは疑似父子、ディマが得た新しい庇護者の色が薄いという意味です。

下を靴紐を結んでいるのに2階からでも表情が窺えた海宝ディマ、あれは技術だったんだな……?

1幕民衆ナンバーの最後、袖からすーっと出てくる田代グレブがつかつか直進するときからもう半眼で、目をつけられているんだよなディマたちがな。
田代グレブ、不穏な声を聞いて振り向くときに動きが大きく勢いあるのに乱れがなく、音がして見えないのがおっかないんだよな。堂珍グレブも振り向くときに静かそうなんだけど、彼は動きも表情の厳しくなり方も最低限(に見える)から静かの印象があった……んだと思う。
演説中も表情が厳しいの田代グレブだけだよ。人民の意気軒高を喚ぶためにやってる感はあるんだけど共感や同調じゃなさそうっていうか。真正面から見ても目の奥が笑ってないんだよな彼……。ライトは入ってて輝きはあるんだけどなんだろう、冷たくて動かない印象のほうが強かったな……。よくオタクが言うじゃん『グラス越しに目が合った』って、そのニュアンスで言うなら視線の向きは正対で視界に入ってもいるんだろうとは思わせるのに絶対に目は合ってないんだよ。

葵アーニャ、身体が覚えている「アナスタシア」の記憶を再現するとき表情も皇女のそれになるんだよね。無邪気で天真な(お腐れ)ロマノフ貴族のそれに。それもそれで解釈としてはどっちもありだよね楽しいわねとは思うけど、……思うけど『アナスタシアを取り戻す』の意味合いが百八十度逆になるからやっぱりこの演目は四季並みのぶれなさでできない(ロングランじゃないし無理はないのだけど)ならアーニャとナナはシングルがいいよぅ……。どちらのアーニャがいいというのではなくて(個人的な好みは頑としてあるけど)……。アンサンブルさんで実力ある人に頼み込んでペイも払ってアーニャカバーに備えてもらっておいてさあ……。

「新しい友人として」モードのときにここまでアーニャに強圧的なグレブ、いるんだな……。アーニャとグレブの関係で最も好きな場面ここなんだけど。紳士的で友好的な様と有無を言わせぬおっかなさ、両立するんだな……。

執務室でのナンバーからの路地裏ナンバー、アナスタシア天才の所業なんだよな作曲家がなと思いました。私は対比と構図のオタクなので。
執務室の場面では革命で王朝が滅んだ後も流れ続ける川と訪れる春、路地裏の場面では革命で家族を失ってもしぶとく生きてきたロシアっ子の活力って感じの曲……だと思っているんだけど聞き取れてなかったらごめん。
(ところでアナーキストで囚われたディマの父、革命最中のことだと思って聞いてるんだけど革命後だったらもっと”革命により失われた”のニュアンス強くなるね。)
グレブに強く促されて歌い始めたアーニャの声はしかしすぐに萎んで消えてしまう一方で、続く場面でのディミトリのナンバーでは自分から飛び込むように入り、言葉を止めた後も笑顔で続きを待っている。
つくりは似てるのに印象が真逆になるの天才の所業では?比較の獣は歓喜しました。
葵アーニャがこうやってるのか葵×相葉×田代の組合せでだけこうなるのかアナスタシアの作曲家がリーヴァイさんと同じ種類の天才なのかはわかりませんが。譜面をただしく汲んでなぞればそうできるように描く作曲家が天才なんだったら他の演目でもつよいキャストとちゃんとしてくれる演出家が入ってたら期待できるようになり素敵だよ。
弱さが際立つ葵アーニャとアーニャに対しても相当に強圧的な田代グレブ、ディマには地団駄ふんで癇癪を起こす子どもじみた葵アーニャとその癇癪を流す(ひねてるけど)大人の視座も持つお兄ちゃんみたいな相葉ディマ、なんか今まで観た中でいちばん過去(と役割)に抑えつけるグレブと未来(と個の意志)へ誘い出すディマの対比がわかりやすかったな……。

列車で「飛び降りるしかないでしょ!死にたいの!?」って叫ぶ葵アーニャ、はじめ観たときも思ったんですけどやっぱちいかわみたいで好き。普段は自分の不安が枷になってうまく動けないちいかわが、同じ危機がせまった状況でも頼れる仲間がピンチや行動不能になり自分が頑張らなきゃいけなくなるとばっと行動に出るあの『なんとかなれーっ!』に似てない?
わたし葵アーニャの最も好きな場面ここなんですよね。不安で怯え竦んでいる彼女の、それが煮詰まると爆発的なエネルギーとなって行動するの。
葵アーニャ、弱さっていうのかな、不安や怯えで竦んでいるときの表情や佇まいがピカイチだよ……。
執務室で萎むように言葉を途切れさせたアーニャが「ロマノフは死に絶えた」を続けるグレブをただ見てるときの怯えが滲んだ不安げな目、よくない?

史実で語られるようなアナスタシアの闊達さは木下アーニャが輝いてるのでどっちもそれぞれ良さがあるよ。良さがあるけど、そしてどっちのキャストでがいいを言う気はないんだけど、アーニャとナナはSキャストでやるのがいい演目だなとはつくづく思いましたね……。いーんですよディマやグレブや熟年男女組はWキャストでもTキャストでも、でもアーニャとナナが変わると(少なくとも四季ぐらいの揃え方をしていないと)話の中心点が変わっちゃうから……。
これ前にも言ったんだけど書いたものを公開したかまで覚えてなくて……。私いまアナスタシアのログが書きかけ4つぐらい放り出されてるので……。

上官から指令が下った田代グレブ、電話越しにその少女を手にかけろの圧をかけられるたび嫌がるように目がゆがむのが可愛げですよ。「それだけだ」を自分に言い聞かせるように口にする*9のとか。でもこれ嫌がってるの人の命を奪うことじゃなくてアーニャの命を奪うことじゃないか?とも思ったけど。
「あの日の父は(お前次第だ)」*10を言われるひとつ前あたりで上官から圧が振ってきたとき、苦痛そうに顔を歪めたままパッと頭が横に振れたのを見て可愛げだなとはしゃいでしまいました。反射的な拒絶が出るほど嫌がってるのに電話越しでは伝わらないの、そんでまあこの男は対面で言われてたら動揺以上のものは見せないんだろうなみたいな質感があるの可愛げじゃない?
好き勝手言ってますけど板の上で展開されているものを好きに(場所によっては見えないけれど)摘んで、そうやって観たものを繋ぎ合わせるのが舞台モノなところあるし……。
後半、コートを受け取るあたりからずっとぐすぐす言ってたのは泣いてたのか調子悪かったのかわからんので割愛。演者側の不調ならあんまり娯楽消費したくないんだけども(架空存在の消耗や破滅、物語だから可愛いね美しいねとよろこぶんであってリアルな人間のそれを消費するのは人としてしたくない……そうでしょ普通に!?)ミュエリザ大阪のことがあったから梅芸ちゃんの演者の安全保障をいまいち信じきれないんだよな……。

ああアーニャ殺しは嫌なんだなって顔してたグレブが「あの日の父は、」を脅されて逃げ道を絶たれた顔するのすごい可愛いなと思うんですよね。
差し出された銃を手に取る前に2,3回躊躇って、伸ばした手で上から掴むようにするのとか。ほんとにやりたくないんだなと観ていてテンションが上がってしまう。嫌なのにそれを言うのもできず”自分の意思で”選ばされている架空存在からしか摂取できない栄養素があります。現実でそんなことが罷り通ったらもちろん絶許です。
人物像として一番好みなのは堂珍グレブだしキャラクターとして一番ヘキに刺さるのは海宝グレブなんですが、でも目を逸らすをやめた(やめさせられた)後でも部下の見ている前でもあんなにやりたくないのが滲み出てるの可愛いじゃん……。

情がない指導者のことをわたしは根っから愛せないのでグレブくんのことはぜんぜん嫌いなんだけど、歌と芝居が素晴らしすぎて歌唱を聴きながら演技を観てると瞬間だけ切り取った風速であっかわいいなと思ってしまうんですよね……。この感触LNDファントム観てるときと似ているんだよな……歌と芝居で情緒を直に振り回されている。
何回もこれを言ったのでちょっと言い足すけどその2人の人物像が近いとは思ってないし田代さんにLNDファントムやってくれとも思ってないです。思ってないというかやりたいならやりに行く方だろうと思うしやれば映えはするだろうけど脚本から滲み出るアレさを蹴散らすには各キャストを原キーでのびのびできるところにあてるのがいいと思う。ラブネバはALW御大の音楽には抗えないで成ってるところがあるから……。

堀内リリィ、ロシアンバーでの崩れ方が一番大きいリリィだなと思う。皇太后の付き人役からの落差っていうか。「今!こそ」あたりの印象だと思う。
歌唱もダントツで飛んでくるのもこの人ですよね。発声がしっかりしててどこの席でもぼやけないのもあり、上から下まで満遍なくつよい(お歌のパワーが)

去ってくヴラドとリリィを見てた(らしい)グレブが心底軽蔑したように反対側を向いて吐き捨てる「(過去の)絶頂期が」のところ、この人ほんとに嫌いなんだな……としみじみしてしまう。そうやって生きる彼らも嫌いだし価値観も到底肯定できなさそう。
革命の(ひいては彼の父がさせられたひとごろしの)ただしさを謳うのと、ロマノフ王朝時代を絶頂期とする価値観、合わないだろうしな……。受容の気配がないとこんなにも怜悧で冷たく見えるんだなあとにこにこしました。
これはグレブっていうか田代さんのスキルな気もするんだけど、柱に半分寄りかかって冷えた目を向ける姿があんなに様になってるの何事だよ。
田代グレブは白鳥の湖観てないって話は聞いていたんだけど思っていた以上に見てなくてびっくりしちゃった。
アーニャたちのいるブロックをじっ……と見てるか宙に目をやり思い悩んでるかのどっちか。たまに(登場時もしていたが)プログラムで顔を隠す。
可哀想だなとは思うんだけどやっぱりこう、生きるためか自分の考えかを選ばされる側になると(あとアウェイの場所になると)こうも落ち着いていらんないんだなとおもしろくて笑ってしまう。拍手はwしよう?wwと笑ってたら周りの拍手の音を聞いて数拍遅れて手を動かして拍手だけはしててあっえらーいと思いました。視線はアーニャたちのいるブロック席から一個も離れてませんでしたが。あんなに気も漫ろなクラップもなかなかないよ。

相葉ディマ、「すべてうまくいく」のときはまだ笑顔を作ってて声も明るいけど、ここではない遠くに向けた目だけが笑ってないのいいですよね。自分に言い聞かせるための強がりって感じ。上手の手前のほうででもそうなったらアーニャとはもう、みたいなこと言ってる葛藤がある。
落ち着かなくてそわそわそわしてる石川ヴラドを見て、笑って肩を掴んで勇気づけてやるのいいよね。擬似親子のような海宝ディマ-石川ヴラドも好きだけど、対等な悪友でパートナーなこの2人の安定感も好き。


鍵閉めて入ってきたグレブがアーニャに声をかけたときから焦りと動揺が露わなの本当にかわいそうだなと思います。指令が下ったときの“したくない”からいっこも割り切れてないままなんだなーって感じがして。あとこの場面、構図が1幕とかぶってて好きなんですよね。
少女の腕を掴んで顔を寄せて、1幕の忠告と同じような構図なのに、あのときは腕を押さえて逃げ出したアナスタシアはもう揺らいでくれないんだよ。1幕でアーニャがしていたような取り繕いもできないほど動揺しているのは彼ばかりで。
ほとんど泣きそうな声で「頼むから」の懇願してるの可愛いなと思うんだけど、でもなんで彼がここまで追い込まれてるのかよくわかってないんですよね私……。

いえあの心情の流れは追えてるんですよ、いくら私が唐変木でもああも順を追って可哀想なことになっていけばわかる。あの任務を下されてからずっと思い悩んでいて、踏み出せない心と裏腹に仕事は順調に進んでしまい、後はもう引き金を引くだけの(けしてやり直せない)ところまで来てもまだ割り切れなくて、これが正しいと思えないままさあ引け殺せと責められて、終いには声上げて泣き出すほど追い込まれてしまったのは。
段階を踏んで追い詰められていてめちゃめちゃ可哀想だなと思いました。かわいそうはかわいいなのでニコニコ眺めてしまったが。
 
そもそも なんですけど。
彼はなんでここまで追い込まれていて?
再会を思うだけで胸高鳴るほどアーニャに一目惚れしたのは知ってる(観た)けど、そのふわふわした恋情って信じている父親像と秤にかけ続けられるものじゃなくない?だから殺すのを嫌がってたのが父を出されて退けなくなったのかなと思っていたんだけど。
「引き金をひくそれだけ」、子どもをひとり殺すのくらい、その人生を奪うのが直接か間接かなんて今更こんなに気にするような人にも見えなくない?
ここまで書いてわたしこれ電話越しの上官殿と同じこと考えてないかみたいな気持ちになりました。
 
あっねえもしかして己の仕事を(「警備兵だった」父の仕事も)国のため人を守ることだと思っていたから、おまえの仕事は殺すことだを突きつけられてあんなに動揺してる!?
ここで折れる動機たぶん脚本単位での設定だと思うんだけど、最終関門の位置で出てきてそんな格がひk……覚悟がキマってないことある!?
……でもこれこのぐらいが舞台モノのスタンダードなのかもな……。フランツ陛下やジャベール警部が桁違いにキマってるだけで……。マタハリみてたときも「なんでこのひとアルマン撃ってこんなにショック受けてるんだろう(1幕の段階で殺すつもりでいたのに……?)」と思ってたし、私がかたき役にキマっててほしい覚悟が深すぎる可能性がある。まどマギほむらちゃんやスネイプ先生ぐらいまでキマっているもんだとばかり。マミさんやクィレルぐらいだったか。

記者たちに驚くも口を開いたらぱしんと押さえにかかるの皇室付きだったんだもんなの落ち着きがあり好きですね。ヴラドがやらかしたとき「ちょっと待って!」「(たぶんまだ秘密とかそういうことを言ってる)って言ったでしょ!」の慌て声がしっかりめに飛んできたのでオタクは手を叩いて喜びました(無音) 子どもを叱りつけるママなんだよなそれはな。ヴラドには全然響いてないけど。ほんとに響いてないよ、あれっだめだったみたいな顔するけどそれからにっこにこのままいなしてる。いなすな(爆笑)

*1:演者のなかにもそれはあるだろうけど、私は「物語はその枠の中で受け取られたものが全て」派なので。厚意と好意で外部設定集の補足を考慮に入れることもあるけどそれは作品論てきな作品理解であって物語の感想ではないのだわ。と思っています。

*2:「オルゴールよりお祈り」のアナスタシア童女時代から彼女が少女になるまでずっと親戚と仲間貴族で楽しい舞踏会やってるんですよ。宮殿で無邪気に可愛らしく響くアナスタシアの笑い声の裏で人民がどんだけ苦しみ凍死飢え死にしていったか賭けようぜ。革命は起こるべくして起こったよ。

*3:人類の悪性、自分には“生まれつき普通に”与えられていたものをあって当然の権利とする傲慢と、それが生まれつき与えられてなかったものへ対する無関心な残酷さです。と二次元媒体で情緒を育まれたねずみの言い分です。

*4:田代さん、というかグランドミュージカル出るひとは結構、後半で同役相手の要素を取り込んでいくこと多いよね。前半からずっと追ってるとキャラが変わったように見え、でも後半でだけ見ると適度にバランスとれた人物造形に見えるという。史実がない人物やるとき初めは動作が極端だから殊にそう見えるのもあるんだろうけども

*5:最近の梅芸作品蛍光として全く何も考えてないわけではなかろうけれども。

*6:一部の隙もなくある色に整えられ崩れないもの、それがどんなものであれ「綺麗」だよやっぱり。

*7:舞台俳優さんその傾向が強い方多いけど、田代さんもコンサートでも演劇でもデフォルトの表情に対人における気くばりとしての受容の気配があることが多く(親切な方だなと思う)、それを見慣れているのもあって、受容を取り払った怜悧さが前に立つ佇まいが大変おっかなく見える。

*8:Q.ラウルは? A.ラウルもだめなんだけどここまで音楽での感情誘導にぜーんぶ乗せられてきてるからやっぱり抗えないんだな(かわいそうに)が勝ってしまい。

*9:上官どのにピントが合ってる(たぶん)目の焦点が変わるのか、ライトの入り方が変わってふっと目の色が薄くなる

*10:この歌詞ずっと「あの日の血は」、あのとき行った皇家みなごろしを完遂せよだと思ってたんですけどもしかして「父は」ですね?

アナスタシア9/26S回

なんか2月ほど寝かせてしまっていたのでそろそろ出します。

これは演目限らないんですけど役者さん方におかれましてはお大事になさっていただいて……いやあの何とは言わんがあの疾患は予後不良が最もこわいんで頼むどうかご快癒してから出てきてくださいっていうか……。これ‘20年より昔から言ってるんだけど主催各位、おれらは実はいちおう血が通っているので具合悪い人を引っ張り出して提供された娯楽を楽しく消費できるほど人でなしではないんですよ……?*1


それはそれとして。
Twitterがなくなってもちゃんとログを残す練習なので普段より散りばらです。というかそうなっててもらわないと(未来の私が)困る。


堂珍グレブの回を観るたび脚本と仲良くなれる(自分の中で筋が通る解釈や見解を見つけること。オタクスラング)……なんで……?

初見時からずっと納得はしてなかった(それが作品として悪いとは言ってない、ミュージカルではよくよくよくあることなので)皇女アナスタシアとグレブの対峙シーン、グレブにとって重さがあれどナーシャにとって意味がなくない?を思っていたら『血統や国から与えられた役割より自分のおもうただしさを選ぶ』道をグレブが示すんだなここでとなり2回目*2の敗北をしました。や、どこも勝ち負けではないし何ならぜんぜん初回から負けたかったですけども。
いま思えば背景に全部書いてありましたね。……4回目で気づかなかったのはごめん顔を見るのに忙しくてなんだけど3回目まではそこが物理的に見えない席だったのは私にはどうしようもないぜ……物語を食ってる自覚があるから初見キャストがいるときは注釈席じゃないとこ選んで取ってるもん……。
このセットや演出までが嫌いなわけじゃないけどアナスタシアくんやっぱ物理的に見えない席がある場所に物語の必須パーツを置くのやめようよ……。そういう場所におくのはミュエリザの鹿さん*3くらいまでにしといてよぅ。

これは堂珍さんがカラコンしてると信じているから言うんですが、堂珍グレブ正面を見据えたときの色の濃い灰青色のまなこに冬将軍を想起していっぱい好きだなそのセンスとなりますね。少し濃くて寒色ぎみの静かなグレー、雪の積もった静かでほの明るい夜って感じの色してない?私は雪国にいたことがないので小説等からつくられた脳内理想イメージ映像ですが。ロシアの人民を導く冬将軍が夜明けの近い雪夜のいろしたまなこに静かながら確かな熱を宿しているのよくない?堂珍グレブの登場演説は1階から3階まで上手下手も満遍なく一度は顔が正面から見えるのすごいと思うし、それであの熱のこもった身振りと声、地に足着いた力強さで人民たちでつくる理想を語られるともうあれですよ、この人はロシア人民の未来を信じているんだなの気持ちになれますよ。地位や部屋がよくない印象を与えるのかもしれないが私自身はそれほど悪くはない、まーじでその通り人間性がはなまる*4だよこの警視副総監。

堂珍グレブ、登場場面の曲で人民らが不穏なことを言うとそっちに顔や視線を向けるのでゎぁ有能と思いました。さっと鋭い目が向くのに音の気配がしないの隙がない、し、明確な反乱分子でなければ大ごとにしないでやる気なのかなと。泳がせているだけかもしれんけど。
「ふるえているじゃないか」の声がすごくやわらかくて、いいよね。あの音の羽毛みたいなやわらかさが大変好きです。道路掃除人の娘と目を合わせたときの内心が恋なのか庇護心なのかはグレブにしかわかりませんが(作品外で教えてほしいとも思わない)、傍目には庇護ですと言われてもそんな違和感ない口当たりがこう、大人としての安心感があっていいよね。
いやまあ下心むき出しでもキャラとしてはわかるわかるよではあるけど(弱いものは食いつぶされるをここで見せる展開もロシアのねずみは強かなんだのディマソングと相性悪くなさそうだし)、人民に対して人情味のある堂珍グレブが憐れな少女に隠さずそんなもの向けてたらどんな顔して見てればいいかわからなくなりそうじゃん……。
私は堂珍グレブのこと、教育者……ではないが……指導者の人格を持てる登場人物*5だなと思っている節があるので……。相手への情と未来への祝福がある厳しさというか。

ところでなんですけど、もしかしてWキャスTキャスって演者ごとにデフォの音響設定決めてたりします?堂珍グレブの1幕ナンバー、どれもサビのところで急に音響の増幅抑え目になり、2回目のサビでは普通にぱんと張りのある増幅音が飛んできてたので……。これまでそんな演出かかってた回に会わなかったので、田代さんの歌い方に合わせてたのをその場で堂珍さんの歌い方に合わせ直してるのかなと思ったんですが。この音の飛んできかたしたの私のいたあたりだけ?

 

海宝ディマ(2回目)、布のかかったソファに寝転がってオルゴールをいじっているときのあどけなさに大変動揺しました。ぅゎぁあどけなくて可愛らしい……少年みたい……となってしまい。まさかだってこの話でディマから子どもでいていい安全圏を奪われた少年少女の気配がする瞬間があるとは思ってなかったじゃん。
オリバー!のちびっこギャングたちがそのまま大人になったみたいな海宝グレブが年相応より幼い(たぶん。ハンサムじゃなかったら~みたいなこと言われる場面があるので”そういう”対象になる青年なんでしょう)無防備さをしてるの、そんなの好きじゃない人類がいる?
そんなディマに石川ヴラドが向ける眼差しと声がまた温かく、協力して関係を保ち、互いを守り合う存在としての疑似親子みたいだなと思いました。タイザン5作品が好きなのでついそんな連想を。いえタイザン先生作品の「家族」はだいたい業ですが。
それを差し引いても、「つい助けちゃった」ヴラドが少年ディマにとって飾らずいられる相手になったの、いいよね。革命で家族と記憶を喪ったアーニャがいる一方、ロマノフ王朝の弾圧で安心できる場と守ってくれる家族を失った少年ディマに革命(のどたばた)で得た友がいるの、アナスタシアは革命が起こらなければよかったのにねに見えがち(じゃない?アーニャの悪夢やナナの嘆きを見ていると。)なのでバランスいいなーと思って見てる。
それはそれとして登場シーンの利発で抜け目なく、でもどこか想像の世界であそぶ子どものままな海宝ディミトリがヴラドと二人っきりのときだけすっかり警戒を解いているのはかわいいよ。
海宝さんがディミトリ役のときだけ出す、獣のようなぐるぐる音がする低い歌声が大変好きなので再び観られてきゃっきゃしました。あれお歌のじょうずな人しかやってくれない(できないのかもしれない)ので元四季の出る舞台は期待してしまいます。いえもちろん明るく高らかに響くハイトーンも好きだけど。いやあどの演目でも思うけど歌も演技も声の飛ばし方もなにもかもパーフェクトだなこの方。これで30代なのすげえよ。


朝海リリィ、皇太后様の番犬じゃん。2幕、凛々しく揺らがず飼い主を守るドーベルマンみたいなリリィが出てきて新しいなとなりました(賛辞です。)ロマノフ王朝崩壊に動揺する陛下に寄り添ってる場面では女性の嫋やかの印象だったので、生きるためにリリィも変わらずにいられなかったの説得力があった。個人的には。
酒場での乱痴気もよく吼えるけど威厳というかな、ロシア貴族である誇り、みたいな芯の印象が一番強くて、この曲の仕草と動きだったらわたしこのリリィが一番好みだなと思いました。たぶん座席位置もあり、歌はなんかハコに吸われたような音だったのが無念だけども。彼女の回もっと観たかったな。
対陛下へのリリィが見せる仕える秩序を守る信念、ねえグレブくん彼女とは思想では仲良くできないけど信念ではちょっと分かり合えたり……いやだめだな「そして何一つ返さなかった」をあんな悲痛に叫ぶ男が皇室は皇室ですを謳う陛下の番犬と仲良くはできないな。
このリリィだけなんだよね、「お客様ですよ、陛下」を猫撫で声でやらないの。粛々と畏敬を込めた低い声で主を呼ぶの、”””良”””では?
今更ですがリリーを呼ぶときにちっちゃいイをつけるの私の癖なので気にしないでください。

ところでなんですが、もしかして朝海さんって宝塚だと男役でした?ヴラドとの再会シーンでの彼女の動きがさ、なんか……若手の男優が女装して「女性役」として出てるときの色恋場面の気配とよく似ているんだよね……。これが演出指示なのか*6トップ以外の宝塚の恋愛場面がそうなのかは知りませんけれど。
これはおふざけであって私は本気ではありませんよ、ほらこいつら滑稽でしょう馬鹿にしていいんですよ、のあの感じ。私はあれが嫌いで若手が異性役やる集団劇をあまり観ないので語気が強いのはごめん。

*1:と思っていたんですが世の中にはそうでない人もいるというのをうっかりつついてしまったトレンドとそれから職場で見て久しぶりに具合を悪くしました。悪意がないがゆえの残酷、物語越しに見ているくらいがいちばんで限界値だよ……。

*2:1回目、なぜグレブがここで折れる?ご都合的にはわかるが説得される要素もアーニャの成長提示も虚無じゃん!?この場面がナナとの和解より重い扱いの順番に置かれるのなんで!?→このグレブに子どもを殺すのは無理だよ……。なんでここに置くのかは相変わらずわからないけど記憶と共に戻ってしまったロマノフ貴族の傲慢をここに置いてくのかな……。

*3:シシィが「鹿だわ!」言う前後で背景スクリーンに鹿のシルエットが映る。そして'22エリザではシシィのこれに「シカサン!?(裏声」と応じるルキーニが1名いて。

*4:海宝グレブの人間性が悪いとは言わないんだけど、でもアンジョみたいなグレブだなと思わせるあやうさがあるので……。田代グレブは個としてのとき”は”純朴そうだけどアーニャの前でしかそのお顔しないから副総監どのとしては国のいびつを映す鏡だよ。

*5:普段はぎゃーぎゃー言ってくる生徒でも、本当にヤバいトラブルに巻き込まれたときは頼る相手に選びそうなタイプの人間。相手が自分らを対等に尊重してくれる、信念のある人間だと感じているからの人望っていうかさ。

*6:ここを馬鹿にする場面にしてないキャストもいたので(1/3だけど)そうではないんじゃないかと思っているんですが、詳細は知らない