つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

ダーウィン・ヤング感想6/22S

前回に引き続き思考のログを投げている場所です。


ジョーイ・ハンター、言えない秘密を抱えたままの第一地区の落ちこぼれ。

第一地区の父に「似てない(Mr.曰く)」第七地区の母親に懐いてた彼の現在が第七秘書なの、脚本家の悪意(と書いて愛と読ませるやつ)を感じますね。祖父ハンターが利発で有望なルミを(ジョーイではなく)リトル・ジェイと呼んだというのも。
優秀な子どものことを、彼はジェイのようだと呼ぶんだよ。ジョーイの血を引いたジョーイの子どもなのに。

演者は染谷洸太さん。この人、自分にスポットが当たってないときの細やかな仕草がめちゃくちゃ、めちゃくちゃいいですね……。追悼会での上手わちゃわちゃとか、上手で話が進んでるときの下手での一瞬の表情とか、物語の成立に必須ではないが物語の世界に立体感を与えている感じの。舞台演劇の立体感というのは、架空でしかないキャラクターが本当に生きて存在したみたいな、というのと似ていると思う。

ジョーイのこと全然よくわかんなかったけど(作中での扱いがないので……)、たぶん彼はニースの共犯者でいることを選んでいる、よね? ニースはそのことに気が付いていない(そんな余裕もなかろう)けれど。
あと下のほうでも話してるけど、ジョーイがジェイを(家族として)愛していたかは置いといて、彼からジェイに対するささやかな悪意みたいなものはあるよね。ジェイ・ハンターの死後30年経っても追悼会には16歳のジェイが疎んでいたバニラケーキを欠かさないあたり。息子のために作る母親がいなくなっても、ケータリングで「名物」となったバニラケーキを提供し続けるんだなと思いましたわね。


ジェイ・ハンター(石井一彰さん)

前回も話したけどセカンド行くか。 1幕ジェイの亡霊っぷりがこわいという話しかできないが……。
ジェイ・ハンターの部屋でルミが彼について語っているとき、ジェイは自分が称えられてるときだけ彼女のほうを見て笑っていてそれ以外は冷たい無関心の目をしているの、普通にこわだったでしょ……。46歳ニース・ヤングの前に現れる”ジェイ・ハンター”が悪意の亡霊zみているのは30年前ジェイがニースに刻みこんだ恐怖と混乱の結実じゃん。この場面のニースがそういう、承認に飢えた冷酷な餓鬼みたいなムーブをするの、ルミが彼をそう思っているからではないでしょ……だって彼女はあの傾倒っぷりなんだよ……?

ところでジェイ・ハンター。1幕でも2幕でもなんかめっちゃ目が合いましたね。眼鏡をかけてるから視線が下に落ちがちなのかもしれない(レンズが反射しないように)けど、1幕最初の集合ナンバーや2幕最初のロイドへ憧れるナンバー、他の人が正面ちょっと上を見ているときにジェイの視点は少し下、客席側を見ているんですよ。1幕はオペラグラスを射ちにくるじゃん……と思ってにこにこ見ていたんですが、2幕頭のナンバーで目が合ったのは背筋がひやっとしちゃったね。バズやニースが無邪気な憧れとして見ているロイドの演説を、ジェイは己と同じ高さの現実として見ているのかなって思ってしまいました。こわいんだよな。


バズ・マーシャル

バズ・マーシャル、モデルとなる父親がいなかったのにも関わらずレオとただしく愛し愛される父子の関係を築いていたのなかなかに素敵だなと思ったりしました。素敵っていうか皮肉っていうか……。父という支配を持つジェイがどんな父親になったかはわからないけど、理想の父を失ったニースとバズ(彼の父親とて理想の父だった時代はあるんでないかな、第一地区で子を持てるほどにはさ)が子どもには理想的な父親像を見せているの素敵に皮肉だよね。


レオ・マーシャル

夕陽が寂しそうに見えると言った彼がダーウィン少年と二人で見上げた青空はもう寂しそうには見えないの、あれすごいよきでしたね。
寂しいのは自分なんだよね。隣に親友がいるからもう寂しくないのも。
あのときレオの言葉にパパがそれは違うって言うじゃん。言うけどそれをきっかけにカメラを使わせ教えてやる。ありのままを映すのではなく、景色に見た心情が伝わるように撮るのがバズ・マーシャルにとっての映像作品なんだろうかね。


◆雑然とログ

鏡の前で独りネクタイを結ぶニースの目、虚無。まなこの中に光がないのもなんだけど(ライトないしね)、半分降りた瞼や力の入っていない表情がこう……がらんどうって感じ……。あと全然関係ないんだけどまつ毛の影がまなこに落ちて、その目に希望の映ってない気配がかわいくていいですね……。

ウィンザー・ノット」で何回か自分で試した後にぱぱの方にぱっと向き直ってニースの顔を見上げ、父親にタイを結んでもらいたがる少年ダーウィンがめちゃくちゃ可愛いし、父さんが手をかけて結んでくれると嬉しそうにくすぐったそうにはにかんでもじもじする(すぐにまっすぐ立って軽く顎を上げる)(綺麗に結んでもらうためだもんね)のパパのこと大好きじゃん……となった。パパ大好きじゃん……。

1幕でラナーに「私に恨みでもあるのか」を言われたニースがたじろぎ目を俯き加減に泳がせ、それを真正面から見たラナーが軽く驚いた後にぐっと目を細めてニースを窺っていたの、丁寧に線が引かれたじごくで笑っちゃった。傷つくんじゃなくて目が泳ぐのかきみは。それは図星を指された人間の反応なんだよなあ。

1幕ジェイの部屋でルミとダーウィンが話してるとき、ルミがジェイのことを褒め称えたところでだけジェイのまぼろしが微笑み、それ以外は真顔で見てるか後ろを向いてるかだけなの、ジェイの亡霊こわだよ。
ニースが囚われている(あの一日の記憶が歪めた)ジェイの亡霊とは違い、この肥大した自意識を持つジェイ像が彼を妄信的に追いかけ同一化の行動を取っているルミの想像であるはずないのが余計にこわいんだよ、ルミの想像ではない、もちろんダーウィンの想像でもない。


第九地区の住民は目的も夢もない、行動するための希望がない。1幕で語られる今の第九地区の在り様、ニース・ヤングの内面そのものでオタクは爆笑しました(無音)
いや笑っちゃうでしょこの構図、愛のある悪趣味すぎる。
自分を殺して必死に作った地位の外殻は第一地区の誇るエリート、内面のがらんどうは第九地区の彼らと同じ。地区から逃げ出した少年ラナーが過去に置いてきたはずのルーツは、現在のニース・ヤングの内面に宿り巣食っている。こんなの脚本家の愛(キュートアグレッション)じゃん。

「(下層地区の人間は)その恩恵に預かっている」で明確に異論の色を浮かべて顔を上げるレオ・マーシャル、下層階級びいきなんだな(父の撮る作品に無邪気に染まっているだけだろうの感はある。)

二月革命は内部の裏切りにより指導者が暗殺され失敗に終わった、これ原因ラナー・ヤングじゃん……。ラナーたち孤児らは革命が「成功」したとしても幸せに生きる道はなかったけど、第九地区全体を見るなら革命成功で別の未来があったかもしれない、それを潰したのがラナーの「裏切り」なんだな。
地図と銃のくだりよくわからないんだけど、情報提供の代わりに自分たち元孤児の安全だか保障だかを求めたラナーが、第九地区のガキと交渉なんざ端からする気がなかった兵にいいようにされた結果として革命軍の大量虐殺が為ったということで合ってる?

交換会、ロッカー前でレオが笑いながら口にする「真実を子どもに話す大人はいない」にそうだね……になってしまいました。ラナーもニースもジョーイも「大隊長」も、自分の知るほんとうを子どもに話した者はいない。
バズ・マーシャルはどうだろうね。ニースと同様、自分が掴んだ綺麗なものは息子に渡していたようだけれど。

16歳ニースが父にする甘えっ子が「ウィンザー・ノット」前後のダーウィン少年とそっくりで、ニース・ヤングは理想の父親のロールモデルとして自分が見てきたラナー・ヤングを選んだのかなと思いました。秘密を暴かれるあの日まで大好きだった父さんのさ。


「俺たちを孤児院から連れ出してくれた」「父のような存在です」
ラナー・ヤング、やっぱり彼だけが父を選んでいるな?

Mr.ヤング、第一地区の所属なのに反体制派の変人ライター、特権階級だからできる遊びなんだなの感じがあって、なんというか、その……。
ダーウィン・ヤング世界設定のいやなところ、第一地区が教育(教育長官ニースヤング)と報道(政治ライターMr.ヤング、紛争写真家Mr.ハンター)、おそらく軍事(ロイド)って思想統制の手段となる職を掌握してるところだよ。ついでに芸術(Mr.ハンター、映像監督バズ・マーシャル、少年ニースの夢は歌手)も第一地区だから見られる夢*1っぽいよね。
第一地区、ハードとソフトの両面から情報と思想を誘導してそれを”果たすべき役割”としてるのきもちのわるい傲りだわよ。ここで芸術が出てくるのなんで?って人は”国民歌”あるいは”戦意高揚歌”でぐぐってね。

ラナー・ヤングのことは嫌いじゃないんだけどどうしてもさ、あの鑑賞会後のシーンで「なに……?」以外にもっと言ってやれることがあったでしょ!とは思ってしまうんですよ。どう見てもまともな精神状態じゃない息子にまともな判断力がある大人相手の反応をしてやるなよと。30年後のあの時点はもうおしまい*2なのは否定しないが、でも「何があった」「聞いてやるから(話してごらん)」ぐらいは言えたじゃん……。
言うて、ラナー・ヤングはそれがわからないだろうなとも思うのでこの話はやっぱりおしまいです。彼らが彼らである限りその選択はありえなかった。ニースが言う「強い」側であるというのはそういうことなんだと思う。
信じていた理想を最も惨い形で打ち崩されて、徹底した階級社会における絶対的な価値である自分のルーツと、階級関係ない絶対的な罪(らしいねこの世界観だと)である同族殺しの秘密を抱えたまま己を殺さず生きられるのは強さだよ。かつての革命家、ラナー・ヤングはそういう強さを持っていて、悪意の刃を向けたことも向けられたこともないニース・ヤングは持たなかった。この話はおしまいです。


9歳ジョーイの「いつも通りだった(変わったことはなかった?)」、第七書記のジョーイがニースと声を重ねる暗闇に置いたままで(うろ覚え)、もしかしてニースも知らないだけでジョーイは沈黙という共犯者であることを選んで……?
娘が追っている真実を明るみに出すべきではないと言う、同じ場所にいるわけでもないニース・ヤングと声を重ねて、それはつまり『真実に気がついている』ってことじゃん……?
うーんしかし歌詞が全っ然残らなくて台詞よりあやふや、こんなミュージカル初めて……(まじで初めて) だいたいは耳に残ったメロから歌詞が引っ張り出されるから台詞より歌詞のフレーズのが残りやすいもんなのに。

「追悼式の名物」になってるバニラケーキ、ジェイの思い出という建前で用意されたジョーイのジェイへのささやかな悪意なのでは?
16歳のジェイ・ハンターはママの作るバニラケーキをひどく嫌っていたじゃん?「家じゅうバニラ臭くて」と。自由を制限された八つ当たりだろうけど、9歳のジョーイはそれを聞いているわけで。 
ルミが「ケータリング」と言ってたから*3、39歳ジョーイはわざわざ外注してまであのケーキを用意してるわけじゃん。はじめの何年かはママが作ってたにしてもさ(父ハンターがケータリングでバニラケーキを選ぶことはないと思う。)
なら、母親に好意的でなかった(でしょう、ジェイは父に「別れればいいじゃないか」と言ってる)ジェイへの、ジョーイのささやかな悪意なんじゃないかなあれ。
ニースに対する悪意ではないと思うよ、たぶん。ジョーイはニースのストレス反応やそのトリガーを知らないし、9歳の少年の記憶にあるニース・ヤングはママのバニラケーキを喜んで食べてくれていたから。何より動機がないしね……。9歳のジョーイはあの晩を変わったことはないと報告してるし、39歳になった今もニースを庇って真相を闇に置いたままにしたがってるわけだし。


1幕はじめのダーウィン少年帰宅、帰ってきたダーウィンが敬愛するパパに背伸びしてハグするの、あれまんまラストシーンに同じ構図を持ってきてるじゃんと思い、2回目のオタクは初っ端から情緒が限界になりました。葬式でダーウィン少年から再び父に抱きつくの、父への赦しであり愛の証明だよ……。

ソファに沈みこんで虚ろに前を見ている父をしがみつくようにソファ越しにかき抱き、ぎゅっと身体を密着させながら上目にあたりをきろきろ見ているダーウィン少年が、血だらけの親狐を背中に庇って全身の毛を逆立てている仔狐みたいでなんかこう切なくなってしまいましたね。大事なひとを傷つけるものを必死に探して、それから守ろうと頑張っている無力な子どもの姿。

レオの「人間が人間に赦されない罪はない」を聞いて、ダーウィン少年は父を赦す選択肢に“気がついた”んだなと思いました。
掠れた高い声の「そんなことできると思う?」がめちゃくちゃ、めちゃくちゃよかったから……最高……。


ダーウィン・ヤング」、ダーウィン少年もニース少年と同じ罪を背負うけど、ダーウィン少年のほうが一回り強い人間として描かれていて、その違いはレオ・マーシャルという親友の優しさが齎しているのが作劇としてサイコーだよと思っています。

親友を殺して証拠を奪った後、一度も振り返らず逃げ出していくニース・ヤングと最後に一度だけ倒れる親友を振り返るダーウィン・ヤングの違い、永遠に語り継いでいきたい。
ところでWで首を絞めるシーン、2人が腕を上げ紐がパッと張るインパクトの瞬間にマイクを擦って低い音入れたのどっちの被殺害者ですか? 偶然なんだろうけどSEじみた作用をしててテンションが上がりました。

ニースとダーウィン・ヤングに共通する動機、『父の罪を隠すため』をラナーは持っていないと考えてたんですが、嘘や裏切りを罪とするなら『父』の目論見を第九地区の仲間たちに伝えないまま大隊長を殺したのがそれに当てはまるのではと思うなどしました。


渡邉蒼くんダーウィン、電車の中でぎこちない笑顔を作り、上ずり震える声で「秘密にしてくれないかな」を言うその頬から涙がぱらぱら散る(たぶん汗ではないと思う……)の、大変““良””だったので皆さまもぜひご覧ください。そのときは父親組を見てる?それは……しょうがないね……。

ラストシーン葬式、コートとマフラーの下にいつものスーツとネクタイ(確かペイズリー柄のほう)をしているニースと、場に合わせて真っ黒だがネクタイはしていないラナーを見ると、やっぱりラナーはネクタイ結べないのでは……?の気持ちに……なりますね……。

献花をしてからしばらく背中を丸めて目を伏せているニース・ヤングが(他の人はレオの墓を見ている)、30年前の過去から今この時間に浮上してきてまずするのが振り向いて息子を窺い見ることなのパパって感じがしてとても“好” ダーウィン少年の肩をそっと抱いてレオとの別れを促すの、保護者じゃん……となりました。

親世代

ジェイ・ハンター少年、2幕で級友が「法律なんてなければいいのに」を言った瞬間から拠り所のない迷子みたいな顔をして俯いていき、ついには自分の膝に顔を埋めてしまうのであれもあれでなかなか不安定な生き物だな……となった。誰かに「ジェイはどう思う?」を聞かれるまで、三角座りした自分の膝に顔をすっかり埋めてしまっているんだよ。
あれはあれでっていうかあの3人のなかではあのときジェイだけが不安定な生き物で、バズは傷はあるもののメンタルとしては割と健全っぽいのよな。ニースは歳よりかなり幼い(そしてたぶん、その幼さゆえの純粋な好意が親友ふたりにほんのり救いをもたらしている)(のでそれが損なわれないような甘やかしをされる)ものの、そういう意味では傷ひとつない。

バズ・マーシャル、合格発表の日に帰りかけてハンター父とジェイの会話聞いてるんですね。だからいきなり(ジェイの役割は)母親を監視すること? って言い出すのか。
でもこの話については元を言えばジェイが悪いよな……。ジェイが憂さ晴らしにバズの父親を持ち出してマウントしなけりゃ、バズだって黙ってくれてただろうに。

父の写真展の招待状をばら撒きはじめたジェイを僅かな嫌厭と葛藤を滲ませて遠目に覗ってる16歳バズ・マーシャル、それなのに招待状もらって嬉しそうにしてるニースが自分を振り向いたら近づいて「見してみな」って言ってやるの大人すぎて。あと素直で爛漫なニースのことめちゃくちゃ可愛がってるんだな……って甘やかしっぷりだった。お兄ちゃんじゃん。

吐き気とストレス反応の話

ニースのストレス反応、たぶん進度としてお腹が痛い→息苦しさ/吐気→頭痛がする なんですよね。
ラナーのストレス反応として額の古傷が痛む(あるいは傷をなぞることで当時の記憶を思い出す)があるようなので、血の記憶が蘇らせる痛み、みたいな演出なのかもしれない。実際的には後天的に獲得した形質はほぼ遺伝しないが、まあ別に科学の話はしてないし……。エモだからいいよ……。

ジェイから悪意を突きつけられたニース・ヤングが帰路で何度もえずき吐いている、法学通論の試験中に遅れてきたダーウィンが咳き込みえずいている。
このあたりからするに嘔吐反射は自分の犯した罪に追われるだけでなく、人殺しの血が自分のなかを流れていることへの拒否反応としてもあるんだろう、と思う。
レオとのやり取り(「人間が人間に許されない罪はない」)の後で、ダーウィン少年がぱたりとそれをやめるんだよね。それもあってその印象。

”原罪(隠し通さねばならない秘密)”に苦悩する三世代が一場面に出るところ、センターのダーウィンと上手のニースはえずいているけど下手のラナーは額の傷を押さえる(そして、嘔吐反射が出てるときのニースがより強いストレスを受けたときの身体症状が頭痛)なので、あの演目は確実にそういうものも「血のつながり」表現でやってると思うよ。さっきも言ったようにそういうもの(獲得形質)はまず遺伝しないんだけど、まあ科学の話してるわけじゃないし……。

レオを殺した後に一度吐き気の両手を見つめて泣きそうに顔を歪めて背中を丸めるのは何回か見たけど、レオ殺害後のダーウィン少年がえずいたり吐いたりしてる場面あったっけ。なんか1回見た気がするんだよな。


追悼式でいつも通りの穏和な教育長官を振る舞いつつ、出てきたときから右手で腹の下の方を押さえているニース・ヤング、いやもうそこにいるのがしんどいんじゃんきみ、となってしまいましたね。
式が始まってからしばらくは普通にしていたけどルミが登場してからまたしばらく、というか彼女と話している間じゅう腹を押さえているんだよ。ジェイを連想するんだなルミを見てると……あんな和やかに会話してるのにジェイの面影にお腹痛くしてるんだよあの人。

先生との連絡シーン、あのローブだと理解した次の会話でなにかを無理に飲み下しながら聞いていて(内心独白が始まる前から)、取り繕ってるだけであの時点でもう恐慌状態なんだなと思うなどしました。
見てると追悼式の前半(バニラケーキで追い詰められる前)にも飲み下す仕草があるので、内心と身体は平常どころじゃないのを30年間積み重ねた外殻の惰性で回してるんだな……となる。

観賞会後の父子会話、「おまえは歌手になるものとばかり」と言われてぐっとワイングラスを呷るニース・ヤング、彼が思い出したくないのは父の真実や自分の罪だけでなく何も知らなかった頃の自分もなのか……となってしまいました。救いがなさすぎないか。
この場面、ラナーが「(これからお前は)国のために」働く、責任ある仕事を与えられると言ったときのニースの反応にものすごく厭そうだなと思ったんですが、何やってたっけこのときのニースくん。


頭痛がするからもう中に戻ろうと息子を促すニース、息子に背中を向けたときに強く眉間を押さえていたり、息子に向き直ったときも目が開いてなかったりするあたり、痛むのは頭全体というより前側(額に近い側)なんだなと思うし、彼はストレス反応を起こしたときに『目を背ける』しか対処を知らないんだなとも思う。目を開けた後は背中を向けてなかった?ラナーが出てきたときと混ざってる?

ニース・ヤング(46歳)、ストレス値が高い状態で追い込まれると幼くて情緒のぐらぐらした不安定な人格が出てくるじゃん。あれ、おれらが2幕で見せられてた『16歳のニース・ヤング』とは明らかに違うのがうめえな末満演出……となってしまうんだよな。
彼は16歳のまま止まってしまった、のではなく。ニース・ヤングという少年は16歳のあのときにいなくなってしまって、彼の持っていた天真さや他者への無防備な信頼(無邪気な甘えとはそういうものだろう)がごっそり抜け落ちた残骸が息をして動いているだけなんだろう。ニース自身が言っていたしね、あの日死んだのだと。
ラナーは「人が変わったように」と言い得て妙なことを言っていたけれども。
理想的な家柄と環境が備わった外殻を第一地区のエリートに相応しくしているけれど、外殻を運用する余力まで剥ぎ取られると呼吸と思考が止まっていないだけの自我の死に体が出てくるの……イイネいっぱい押しちゃう……。

*1:アーティストは資産家か政治屋の子から出るのが(ついでに言えば観るのも割とそう)標準の日本でやるミュージカルでこれを見せるのなかなか攻めるなあと思って眺めてました。

*2:破滅や崩壊以外の可能性をつかみ取るための分岐はもっと過去にあったため、今となっては手を打つこともできない

*3:ルミとダーウィン少年が「うちのケータリングが目当てなだけよ!」「バニラケーキは追悼式の名物だから」とやり取りしている。