つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

観たものをね、がざっとね。

記憶は時間で薄れていくわ脳内キャッシュは増え続けるわでどうにもならないので吐き出していきたいと思います。遡り式です。増えていきますたぶんエリザが始まるまでは。

 

10月

エリザが始まってないのにもう2本あるのどういうこと?

アルキメデスの大戦

鈴木拡樹(敬称略)を観に行きました。概ね満足しました。説明が入る前の演技だけで10年の歳月とその年月で見てきたものを感じ取らせるのやばでしょ。世界丸ごと斜に見たカイ青年が、恋人の前では素朴に好意の笑顔を浮かべ、年相応……歳より素直な感情表現するの可愛かったですね。大和1/10モデルを見上げてるときの、いま確かに美しさに魅了されたって一瞬があるのとか。すごい役者さんだなあと思いました。

役者は山本と大臣の人の演技が好きだよと幕間で言ったんですがやっぱり山本と大臣が好きだなと思いました。島津?の人の演技もすごいと思います。情けない男と駆け引きをやる男(の演技)がうまい人が好きなんです単に私が。

お話もちょっと期待してたんだけど、場内入った瞬間の客層ですべてを察したのであんまりがっかりはしなかったですね。あっいえホンはじょうずだったと思います。ひさし御大の「組曲虐殺」が口に合う人にはお勧めできる演目ですよ。ただその、私が観劇に「世界に愛されなかった者」と「愛されなかったが故、他に選択肢があることすら知らなかった」を探してしまいがちなだけで……あのこれはほんとに。

社会派として見るにはちょっと危なそうなにおいを感じましたが(現日本の経済にまんま当てはめて自己責任論を増長するほうに使えてしまうので)、反戦意識と、選挙権を持つ者が政治を監視しなければならないって注意の喚起には丁度いい口当たりと落としどころだった気がします。監視って強い言葉に聞こえるけどようは「ちゃんとやってるかを自分で考え、変だと思ったら声を上げたり抗議行動を取ったりする」ってことなので、投票したか否かによらずそこまでが民主主義の責任ではあるよね。

クリアな数は美しい、矛盾ない論は美しい、ゆえに、軍艦はその役割とは別のところで美しいのだ、というのを盛り込んだとこまでセットで反戦として機能しててよきだなと思いました。耳障りがよい、美しいかどうかと、効率よいかどうかと正しいかどうかはぜーんぶ別のこと。映画「風立ちぬ」と共通するとこもありそうだなと思ったんだけど、アルキメデス風立ちぬの順で見ると間違いなく気分最悪になってしまうので逆がいいと思います。

カイくんは好きなこと的に数学徒じゃなくて工学徒だなと思ったけどそれはまあ誤差。数式を使って世界の近似を取り、よりシンプルで精密な仮想モデル(模型)を構築するのは自然科学の領域なのよ。鉄と建設費はあれ物理じゃなく経済学の領域なので、物理学徒ではいかんかったんだろうというのはなんとなくわかる。

 

血の婚礼

セットが神だなと思いました。舞台で映像投影を使うことそのものが嫌いなわけじゃないんですが、舞台演出とにかく映像の使い方が下手*1なとこが多いので……。新感線はさすが十八番って感じだし、それ以外だとTHE39STEPSはくっそうまかったけども。39STEPSの映像とセットの使い分けほんとうまかったよな……それぞれのツールの長所を極限まで引き出しましたみたいな、なんだったんだあれ……。

全然ちがう話をしてしまった。セットが神だなと思いました。特に1幕。私ああいうセット……というかああいう使い方が好きなんだなって。カンパニーの表現を信頼して観に行くのが舞台だと思っているので、客の想起する力を信用してほしいのかもしれない。前にゲーム作るマンから聞いた、物語に没入した人の頭の中で広がる光景より美しいものはどんなCGでも作れないんだっていうのと近いのかも。

以下ツイッタログです。レオナルドくんが消したかった消えない炎で情緒ぐちゃぐちゃになってるのを愛玩する演目だなって見方をしています。

木村レオナルド、基本的に精彩を欠いた何考えてるのかよくわからない男なんだけど(捨てるべき過去の炎を燃し続けているからっぽい)、花嫁が隠してる炎を「お前もそうだろう」と請う数瞬、美しさの瞬間風速が凄まじくてはしゃいでしまった。すげえよ目の色まで違って見える。たぶんライトが入ってるんだと思うんだけど、死んだ砂みたいな乾いた色をしているのがあの数瞬だけあまい金色にきらきらするの、愛を請う哀れな男がだいすきなのでめちゃくちゃテンション上げてしまった。
ダンスシーンとお芝居を交互にした後(演奏の「ジャン!」でビシッ‼︎と決めるのでたぶんダンスシーンなんだと思う)泣きそうな顔で幸福感どばどばたれ流して笑ってるのがすごいこう、よかったですね……。現実社会ではまず見ない表情なのに生の感情に触ったように“わかる”のが演劇の楽しさだと思う。

血の婚礼の若者組、狂気を「狂気」、抑制を「抑制」という感情としてやっていてハムレットっぽいなーと思いました。だからどうこうではないんだけど。私が狂気は狂人そのひとにとってだけは正気の(ごく自然な)ー感情である派なだけなので趣味と価値観の違いを感じた(世代差なのかは知らない)ってだけです。人間の価値観や情動というのは経験と社会から培われて(或いは矯められて)、社会というのは共感と損得から成り立つと思ってるんですけど。そのどちらでも、こういうときにはこのくらい心が動くという経験則や死にたくないから殺さないという損得のいずれでも理解できない存在を狂っていると感じるのだろう、と思うのよね。

須賀さんの主人公?役の男の子のさ、2幕で友人と話しているときの豹変っぷりは見所だなと思いました。声を荒げてるときよりそうでないところに狂気というか激情というかが見えるのね。やさしい笑顔で囁くように目を覗いて言い聞かす、あの坊やの一番こわい瞬間はあそこだよ。1幕冒頭の、同じやり取りを何度もやってうんざりしつつも辛抱強く話を聞いて説得してナイフを受け取るところと見た目の状況は重なる分だけおそろしさが際立つ感じ。

*1:その映像を作るのにも金がかかってるはずなのに、フリゲの背景か素人の卒業式スライドみたいな安っぽさと貧相さの表現にしかなってないことが多々ある。これまで複数色のライトでやってた演出を映像で代替する使い方か、どうしても形があるもの入れたいならせめて一枚絵、文字でも絵でも写真でも動かさないほうがいいっすよまじで。