つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

2月に観たものあれこれ

毎回言うけどあくまで個人の感想だからそこはよろしくね!

 

○SLAP STICKS(2/8)  ※これだけやたら長い

 わあい人間の醜悪の詰め合わせだ、わたし醜悪の詰め合わせだいすき(個人の感想です)(賛美の表現)
 私の文章は冗長なので最初に言っておくと作品への感想?印象?はこんな感じです。
・人間の醜悪さてんこもりだけど、どれが「そう」か作ってる側がわかってお出ししてくれてるので安心感がある。わたしはこれすき。
・実在の事件が題材&現代の価値観にそぐわない言動や表現がある旨*1の注釈をチケット買う前に見える場所に書いとけというのはとてもそう。リスクヘッジだいじ。
 この時点で一文が冗長なんだよな。まあ趣味のブログなので……。

 お話全体に関しては後半の、面白ければ何やってもいい、映画のためなら残酷でも暴力でも躊躇わないし映画の中なら残酷も暴力も面白い娯楽に見える、人類の醜悪ー!!ひゅー!!!みたいなテンションのぶち上がり方をしました。そんでもって、間違えちゃいけないのは善良であるがゆえ「普通」でないのはビリーのほうだってことだと思う。首の骨が折れてるキャリーを“ワザと”*2危ない目に遭わせることも、お婆さんの尻を蹴飛ばすこともできない。それで「面白くなる」だなんて考えたくもない。普通というのを最頻値とするならビリーは善良すぎるし優しすぎる。業界の人としてもそうだし、当時の人間としてもそうだし、今の今……と比べるのはセンシティブなので避けるとしても10年前の人間と比べてもそうだと思う。いやそうでもないのかな。作る側として積極的に感覚の麻痺はできなかったけど消費者としては面白く見ていた普通の人の1人なのかもしれない。クスリが見せる幻覚みたいな悪夢の中、ビリーが縋ったアーバックルは「ずっと観てくれてたんだろう?」って告げるんだから。
 ちょっと話が脱線して……もないんですけど。コメディ映画を作る側の彼らとコメディ映画を笑う側の我々(というか彼ら)にどれほどの違いがあるのかしらと思う。無防備な人間を不意打ちで蹴り倒したり嘘に騙されてぬか喜びさせたり容姿や無知や未婚を「いじったり」*3する「作品」を、メディアが「笑い」として提供していたのはそんなに昔の話じゃないよ。何なら今でもそうじゃないかしら。私はだからTVのニュースとバラエティが嫌いだし若手*4男優の多いミュージカルコンにも若干辟易してる。人の作品を自分の思想の道具にするのも品のない話のでこの話はここで終わり。

 顔が良いと噂の小西さん、本当が顔がいいなと思いました。もちろん見どころはお顔立ちだけではないんですけども。いや顔がいいな……年の重ね方も含めて顔がいいな……。若いビリーの木村さんと現在ビリーの小西さんとが同一の人間なんだなって事あるごとに伝わってくるのがよきでした。いえ顔のよさの話ではなく。いえお二人ともお顔はまじで整ってるんだけど。
こう、頼りなくてちょっと抜けてて察しがあんまりよろしくないのでめんどいけど、人のよくて無害だから周りがそのうち絆されちゃうようなところがさ。ビリーくんそこがいいとこだよなーみたいな。
 アーバックルはそんなことできる人間じゃないのに! って憤ったり哀しんだりしてる妻や撮影所の仲間たちを見ながら、"なのに"ではなく"だから"なんだよなあと思うなどしました。アーバックルは陽気で穏やかで不躾なファンにも優しい人で、だから安心して攻撃できるんだよなあって。正義の御旗のもとに行う一方的な断罪は自己有用感と攻撃性を満たす本能的な娯楽で、アーバックルが無害そうな人物だってことは攻撃を過激にこそさせど抑止には繋がらない。だって楽しいんだもん。
 ラストシーン、監督と映画を作っていた彼らと昔のように映画を作る、その幸せな空想にあの女の子は存在しないんだよね。彼女の死によるゴシップがアーバックルを破滅させたからではなく、単純にビリーが彼女の存在を知らないから彼女はあの中に入れない。ヤッター誰も悪くないのにこの残酷!と思いました。
 アーバックルが突然スンッとしたアリスにいろいろ仕掛けて、噴き出したアリスに「やっと笑ったね」って言うところが好きだよ。アーバックルがそういう人間だと、アリスが知らないわけはないんだよね。ビリーに言われるまでもなく。

 SLAP STICKS、円盤になるそうだから見逃したみんなもよかったら観てみてね。
※実在の性犯罪が題材になってるそうなのでヤな人は自衛してね。


冒険者たち(2/9,2/11)

 『八百万神と行く!三蔵法師ご一行 神奈川県横断ツアー』みたいな。北東部以外の地理感が(私に)ないのでほんとに横断してるかはわからないです。この演目もエリザもなんですが、案内役に成河さんがあてられてるときは困ったら成河さん見てれば状況がつかめるので安心感がすごい。
 サイト内の演目ページやパンフレットの裏面に登場した地名や店名の一覧があるとよりハッピーだなと思いました。観光しながら聖地巡り*5ができるので。
 妖物お供たち、「ほんの数人です」とか「いいなー俺も人肉食いてえ」とか発想がヒトの価値観とかけ離れてて、武力的にはお荷物の三蔵が彼らを引っ張るからヒトの社会の敵にならないでいられるんだなって思いました。
 冥界で応援してるダウンコートのひと(おそらく彼も道祖神)が持っている旗、「第108回冥界駅伝」って書いてあって仕込みが凝ってるんだよな……と思いました。二宮金次郎(銅像)のカゴ背負ったままコート羽織って二人羽織みたいになってるの面白かったです。
 「さーんげさんげ、ろっこんしょーじょ」で『青野くんに触りたいから死にたい』を思い出したのは完全に私の連想事故です。此岸と彼岸を繋ぐ儀式なんです?


○オペラ「あん」(2/18S どら組)

 日本語オペラっていうから気になって。隅から隅まで丁寧に作られていてすごく安心感があった。例えば、厳しい冬に耐える「店長さん」に宛てた手紙は春に咲く桜の花が*6、二人には希望を願う四つ葉のクローバーが描かれた封筒に入っているのとか。だんだん評判を上げていくどら焼きが一度に買われる数が増えていく(それに対応して紙袋や箱詰めと渡すものも大きくなってく)のとか。徳枝さんの人が喋りもうまくてぐいぐい引き込んでくのすごいなと思いました。
 ハンセン病の説明(特に、後遺症のある人から感染しないこと)にかなり念を入れていたなあという印象。でもあらすじに載ってない、イコールその話題になる心の準備ができていない人が見るのを考えたら、あのぐらい丁寧に説明してでやっと丁度なんだろうなと思った。あれより薄かったらおそらく、お話そのものより作り手の意識への不安を強く感じただろうので。
 ずっとシルエットや白い枝の姿だった(店の前の)桜の木が最後は淡いピンクの花を満開につけていて、春が来たんだなあと思ってたら「(徳枝さんの木は)ソメイヨシノにしたの」「桜が好きだったから!」って告げられるの反則だと思いました(好き)


ラビット・ホール(2/26S)

 ヤッター誰も悪くないじごくだ、わたし誰も悪くないじごくだいすき。この言い方するとこの作品好きな人にぶっとばされそうだなって思わなくはないけど私がヤッターしてるのそこだからな……ハッピーエンドのハッピー要素をいまいち体感できない人間なので……。ああいやベストエンドなのはわかるんだけど。
 たぶん物語の本題ではないんですが、「自分に余裕がないと他者の気持ちに寄り添いきれない、相手を大事に想っていても」が繰り返し出てくるので私はテンションが上がっています。あとはだいたいツイッタで燥いでる通りだよ。

*1:シアタークリエの会場内にあった注意書き

*2:個人的に好きなところ、ビリーは善良で優しすぎるけど聖人ではないので“咄嗟に”はしてしまう

*3:話はまったく逸れるけど「いじり」なら害する程度が軽ければ許される(あるいは加害ではない)と勘違いしてる屑どものことが私は本当に嫌い

*4: (というほど若手でもない)(平成ピーポーは私の持ってる感覚よりもっとちゃんとした人権感覚してる)

*5:作中で登場した場所に赴き、作品や登場人物に思いをはせること。ex.ガルパンオタクと大洗

*6:見えたのは桃色の離弁花までで桜かどうかは確信持ててないんですが、徳枝さんは「桜が好きだったから」桜花だと思うことにした。その物語はうつくしいので……