つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

オリバー!観てきたせかんど。

1か月ぶり2回目、内容の細かいところをいい感じに忘れていてラストシーンで情緒をぶん殴られてきました(賛美の表現です。) これカテコの明るさや楽し気な雰囲気であー楽しかったー!って席を立てるけど、最後あのこれめちゃめちゃ重いメッセージ渡されませんでした!? えっ私の思い過ごし!? いやわからないけど、あれは「まとも」な生き方してないと思ってる人間の臓腑にクリーンヒットする類のあれでファミリーミュージカルにお子さん連れてくるようなピーポーには他人事なのでそこまでぶっ刺さらないやつなのかもしれないけど。
それをさて置いても私はどうも勧善懲悪系(というかキリスト教背景の宗教説話系?)の劇に拗らせた感傷もってしまいがちで(作り手に求められている見方をしていることに)とりわけ自信がないんですけど、あの、これは世間一般的にはハッピーエンドなんです? 教えて有識者各位。いえあの私に直接教えてくれなくてよいのでみんなブログ書こ?*1

毎回言ってますが個人の所感でありあらゆる個人団体宗教思想とは無関係です。あとちょいちょい脱線します。ネタバレもある。11/3回。


市村正親さんフェイギン
市村さんだなあ、と思った。抜群の安定感。市村さんを観に行ったお客はこれを期待しているのだろうし、市村さんはその期待に万全に応えているんだろうなあ、って感じがした。個人の感想ですが。同じファミリーミュージカルだしスクルージで見たくらいの戯画化*2がくるかなのつもりで行ったんですが、どっちか言えば生きるのくらいだった(個人の感想です。)フェイギンという人間で相対されている感じ。憎めなさというか抜けているというか、ちょこちょこお道化た雰囲気の人物だけど、こう、ずしりと。でもカテコでばいばーい!してるニッパー坊やを抱っこしてひょひょいと去っていくのめちゃくちゃ可愛いんだよなー!!!!抱っこされてるニッパー(渡邉くんでした)も可愛いけど抱きかかえてる市村さんも可愛らしいよねあそこね……。あの楽し気なカテコの最後にあれをお出しされたら渡されたものの重さに沈んだままじゃいられないよね。そして子どもの抱え方が安定感抜群であっ流石でいらっしゃると思いました。お子さんいらっしゃるんですよね(共演してるとも聞いた。その回見てないけど。)

わたしは知識のないので比較によって自分の観たものの言語化をしがちなんだけど(この場合の比較は似てると異なるであって良いと悪いではないです。念のため)、『完全な善人ではないが完全な悪人でもない』を武田さんのフェイギンとはまた違う意味合いでそうだなあと思った。市村さんのフェイギン、知らない人間相手にはちっぽけな少年オリバーにもびくつくくらい臆病で、ましてやビルに正面向かってがつんと言うなんてとんでもないって感じで、でも時々すごく厳しい。厳しい?毅然としている? こないだとはほぼ反対の角度で観たので、見えてる表情の違いでそう感じるのかもしれない。子どもらに下着を抜き取られても歌をうるさいってされても苛立つ様子もなく、来たばかりの新入りに秘密を見られても追い出したりしないフェイギンが、オリバーの面倒を見切れなかったドジャーにはあんな厳しい言い方するの、もちろん危機管理でもあるんだろうけどフェイギンが怒って見せるのはそこなんだなって思う。自分が侮られることではなくて、なかまたちが危なくなるところ。なかまたちを手伝ってやる、できる・持てる者がそうでない者の面倒みてやる、「暴力はいやだよ」、絡め手だったり言い方は強くなかったりすることもあるけど、フェイギンが譲らないところは彼らが生きていくための最後の一線でもあって。そこを譲ればきっと弱い者から死んでいく。ニッパーやオリバーみたいな、生き延びる術を持たない者から(幻覚)

おままごとでは判事の奥さんからちょちょいしたサファイアのネックレスは出てこなくて、代わり?にキャメロン?マッキントッシュ?から盗ってきたファントムの仮面が出てきてました。
このおままごとの場面さ、わたしフェイギンがオリバーに「信じるよ」って言うのが好きなんですよね……。見られていたことを知ってて(だって自分の目で見てるんだから)、でもオリバーが「見てませんでした」って言うから「信じるよ」って返して、尖った火かき棒の先を引っ込めて手で覆うんだよフェイギンはさ……。

ここでこう言ってくれたフェイギンが2幕でナンシーやビルと(というかナンシーとビルの)オリバーを信じられるかで言い争うの……胸がぐってなりますね……。ビルやフェイギンの危機管理意識はまったくもって正しくて、助け合わなくては生きていけないなかまから外れたオリバーがそこで何を話しててもおかしくないんだけど、でも来たばかりのオリバーを信じるって言ってくれたフェイギンからその疑念が出るのめちゃくちゃクるよな……。
でもオリバーだってナンシーに「家族なんかじゃない!」って言うから酷いのはお互い様なんだよ……。オリバーにとって彼らは家族なんかじゃない、なかまじゃない、なら彼を疑わなくちゃいけない、それは彼らが見てきた人間たちを思うとものすごく正しいことだと思う。持っている人の誰も手を差し伸べてくれなかった、彼らはその集まりだから、人の善性を向けられてはもらえなかった者たちの。
すげえ話が逸れた。ここにわたしの感傷スイッチがあるのですぐ情緒と自制がぽんこつになる……。

ちょちょいの歌だろうが秘密のお楽しみのためだろうが、横になっても目を開けたままのオリバーに子守唄を歌ってくれた大人はたぶんフェイギンが最初だろう(オリバーは生まれたときから救貧院にいる)、温かい寝床をくれて帰りを「待ってる」と言ってもらったのもそうだ、"自分の"食べ物を分け与えてくれたのだってジャック坊やが最初だろうに、それでもオリバーにとって彼らは家族になりえなかったんだなって思うとわたしはもうだめです(情緒が)


spiさんビル・サイクス
ビルサイクス、味方と信じられる人間が本当にいないんだなあ……と思いました。むかしさ、手紙が来たら果たし状みたいな、世界が敵かまだ敵でないかで二分されているような男の子と関わったことがあって、なんか、わあ……おんなじ目をしてる……みたいな感想を……。カーテンコールでにこにこ笑っている姿を見てなおさらそう思った。こんなあったかい優しい笑顔、ビルサイクスはきっとしない(個人の感想です)

ビルサイクスは世界にいていい場所がない。どこにいても恐れられて、言い換えると疎まれる。こないだの言い方するならまさしく育ちが悪いんだよ。世界がなんの見返りもなく優しくしてくれるなんて思ってもない。環境が全てではない、泥から蓮の花は咲くというのはひとつ真理ではあるけれど蓮以外の多くの花は根ぐされして枯れるからな。蓮だって湿地が平気なだけで水や泥に滋養がなけりゃ咲かないし。
ナンシーがあたし以外の誰がって言っていたのはそういうものについてなのかな。奪うことと与えられないことしか知らないビルサイクスの、あたしだけがあなたの居場所でいられる。あなたが何をしていても何もしていなくても、側にいることを拒まない。実際、ビルサイクスが何を与えなくても関わりを受容してくれる人間はほんとにナンシーしかいなくて。どんな自分でも世界にいていいと思えることを自己肯定感と呼ぶとしたら、ビルサイクスのそれは地の底だよね。たぶん。
周りの人間から向けられる感情ぜんぶ跳ね返して中に入れようとしないみたいな目をしてるビルサイクスが、腕を回してとらえたナンシーに撫でられたりついばむように唇を落とされたりしてるときだけ満たされた動物みたいに目を細めてるのがこう、幸せになってほしいな……と思いました。でも何が己の幸せかビルサイクスはわかってないから幸せにはなれないんだよなあ。


ヘキの話をします。
ナンシーの死体で大騒ぎになった町の人らが「フェイギンのねぐらだ!」ってちょちょいのこそ泥たちがあそこに固まってるのを知っていて、でっかくなったビルサイクスさえ何かがあるとそこに帰ってくることを知っているんだなって思った。それをあったかいと呼ぶか胸糞悪いと呼ぶかは個人の感性だと思うけど。私は皮肉で無辜の大衆と呼ぶタイプです、だって彼らが見ないふりをしているのは"彼らを憐れんで"なんかではないでしょう、"自分が手を差し伸べる気はないけど直接手を出して死に追いやるのも嫌だからない振りをしている"だけだ。私は私自身が人間できていないのでこういう大衆見るとその人間らしさにヘイトしちゃう(作品としてすごく好き)、鏡を目の前に置かれているようで。ああいう、善人でもないくせに悪人にもなりたがらない人間を見せられるとあれはおれたちだよって思う(主語がでかい。) MAラストなどが突き付けてくるメッセージもなかなかめちゃくちゃ強烈だったと思うけど、私はスクルージやオリバー!の「どこにでもいる"善良な"住民」の素朴な残酷さがぐっさぐさ刺さるタイプだってだけです。*3ヘキの話をしました。


濱めぐさんナンシー
ナンシー!? あらすじが頭に入っての2回目、セリフの言葉のほうにメモリを回す余裕が出てきて漸く気が付いたんですがナンシーの人生げきおもじゃない!?「この子の半分くらいの歳から」「15年も」春を!?売って!?
これはたぶん前も言ったんですが、ナンシーさ、フェイギンに拾われた子どもらの中でたぶん一番”奪われている”者なんだよな、と思う。”奪っていない”というほうが正しいのかもしれない。フェイギンも含め、男の子たちは(ちっちゃなニッパーを除いて)「ちょちょい」で奪うことで糧としていて、ナンシーと、もしかするともうひとり出てくるあの女の子だけが身体を売って"対価"の糧を得ている。

1幕ねぐらでの「芝居」、2幕酒場での飲めや歌え、同じく2幕のサーカス、救貧院役員の大御馳走もそうなのかな。どの「身分」でも人間が生きていくにはちょっとしたお愉しみが不可欠なんだなあと思う。ただ生きのびるだけでなく、助け合うとか手を伸べるとかそういう、人の社会をつくる余裕を持つために。*4そんなものを与えられていない救貧院の子どもらは、だからというわけではないだろうけど、自分より弱い立場の人間を憐れむことはしない。対価なしの厚意をくれる人がいなかったビルも。
ビルにとって自分が何かをしてもしなくても(暴力での脅しなりかっぱらった成果の提供なり)側にい続けてくれる唯一の存在がナンシーで、ナンシーもそれ(ビルは自分の他には何にも持ってない)をわかっているから側にいて、互いに互いを失えないだろうのにビルがナンシーの忠誠に応えたら唯一の特別が崩壊するのひでえ話(好き)だなあと思った。優しい言葉ひとつなくても側にいるからナンシーの忠誠は疑いなく彼女の自由意志で「愛しているから」のもので、同じものを返したら優しくしたから忠実なのかビルを愛しているからそうなのか、ビルに区別する術はなくなっちゃう。
外界/体内刺激への応答で生まれるのが自我なので"本当の自分"なんてものはどこにもないし、雇用関係でもない限り好意の応酬を互いへの好意と信じるのが人への愛で信頼なのではと思うけどいやあビルにそれは無理でしょ。少なくともあと10年くらいいりそう。彼が奪って奪われてきたのと同じだけの月日が。
ナンシーの話しようとするとだいたいビルの話になるか与えられなかったものの話になるかするしビルのときもそうだからたぶん私はそのふたつの自他境界がよく見えていない。

芝居にせよ酒場のどんちゃん騒ぎにせよ、ナンシーは与える(同じだけを受け取っているにせよ)側なんだよなと思うとわたしは情緒がジェットコースターに乗るんですが、でも酒場のシーンで床に打ち倒されたままのナンシーの傍に椅子を寄せて、カップを置いてくれる酒場の店員もいるし……何かを与えるから何かを与えてもらえる、それを与える以外に生き延びる術がないのでなければ健全な営みだしな……となっている。私も別に善しと思ってファミリーミュージカルをこじらせているわけではないので……いえ楽しいか楽しくないかでいえばすごい愉快なんですけども。

ビルやフェイギンに言い放つ声が怒りだか激情だかに震えているのとか、可愛がっていたちびっこたちをも一緒くたに示してぶつける「嘘つきの悪党ども」とか、ねぐらに笑顔を運んできていたナンシーは胸の底にこれをずーっと押さえつけていたのかなあと思う。ちょっと話はそれるんだけどギャング団紹介チラシにさらっと書いてあった「(ニッパーは)まだスリとして経験がない」に追撃を食らった。その場で最もよわい者たちを特別慈しんでいたのかなと思っていたんですがあのもしかしてまだ奪う側になったことがないから、だったり……?(たぶん違う)
ジャック坊やと馬車でドライブして笑ってるナンシー可愛いですよ、酒場でお客たちとどんちゃんしてるのも、みんな見てね可愛いから そして2幕で一緒に無言の悲鳴を上げよう
ビルが棍棒を叩きつける音、柔らかい肉を硬い骨ごと叩き潰す感がわあすごーい(逃避)って感じだし、1回目と2回目ではナンシーの脚が跳ねるのに3回目はもう動かないから最後の一撃はもう死んでいるナンシーの顔を潰すため(おそらく「そんな目」を向けられているのに耐えられなくなった)なんだよあれ(幻覚です) 自分のぜんぶでもってビルの居場所になろうとしたナンシーの最期の目がビルに世界のどこにも居場所がないのをわからせてしまうのかわいそうだなって思いました(受け手の幻覚です)


オリバー、オリバーさ……。ええとあのワタクシ元々小説漫画ボカロの沼にいてそこにあるものは作り手の意識を通っているに慣れきっており、コンテンツとしてご提供されたものは意識的な出力と認識してそういうお話として読みますって生身の人間がやってるの無視したえげつない*5カスタマーである自覚があるんですが、子どもさんにそれするのあんまりだとも思っているというか好きな登場人物にもキュートアグレッション全開の感情を出すのでもれなくひどいこと言ってるので(でもおれはそのキャラクターのそういうところが好きなんだよ かわいそうはかわいいだから)流石に躊躇いがあるというか、だいじょうぶ!? この人物こういうところが無邪気で子どもらしい残酷さだよねって言っても傷つかないでくれる!? それ以前にお兄ちゃんと私は違う人間だからきっとお兄ちゃんの思ってる人物像と私の思った人物像は絶対に一致しないんだけどそれ大丈夫です!? みたいなのがあり、いやここまで前置きするなら話すなよという気持ちになったのでそのうちふせったーでやると思う。この話ってオリバーの子どもらしい邪気のなさと子どもらしい残酷さ(情のなさと言ってもよい)抜きにするのあれじゃん……?みたいな気持ちもだいぶあるし……。
ブログの長所って「時期の後から探した人がたどりつきやすい」だと思ってるので……。*6逆にリアルタイムでの検索から逃げるにはブログのが向いてるんだけど。

*1:私はこういう理由で皆さまの感想ブログを待ってます派です。

*2:登場人物としてでなくて中の俳優さんとしての言動でコメディシーンのアピールするやつ、あれ界隈で何て呼ぶのかあんまわかってないんですが、あれ 2.5次元福田雄一作品でよくあるやつ

*3:MAまで行くと私はテンションぶち上がってしまうタイプなので……集団心理の暴走、あるところより過熱するとヒュー!!!!醜悪!!!!!!って愉しくなっちゃう……。あと利権を欲張る政治屋と集団心理のスタンピード、今の国政よりきたない話ってそんなないじゃん……?

*4:環境に勝てなくなったものから死んでいくのが自然の摂理で、個体では死んでしまうのをすくい上げてみんなで生きていくための仕組みが社会であり福祉であり人の人たる所以だよと思っている。

*5:えぐいの強調系ではない。

*6:私のブログには生田さんジュリエットの感想を求めてたどり着く方が定期的にいらっしゃる