つまるところ。

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ストーリー・オブ・マイ・ライフ感想

ふせったーで長文を投げることを覚えまして。誰かのTLを埋める心配もなくなった結果推しの語りたいポイントみたいのはそっちに置いてます。半分くらい高濃度の幻覚がまざり私の情緒は常に狂っていますが熱狂とはそういうことなので。
それでも収まらず、というかついったという形式は延々話し続けられてしまうので、生活で必要な脳内メモリを空けるために見ている幻覚をまとめとこうかと。

 

脈略とネタバレへの配慮はゼロです、自衛はよろしくお願いします。聞き取りが違ったら教えてほしい。
また、あくまで個人の印象と解釈ですのでそこもご了承願います。私はこう感じたよってだけのことですよ。

 


どんな話かというとですね。

まあまずは公式さんのHPをご覧くださいな。

horipro-stage.jp
この事前情報とフライヤーの晴天みたいな雰囲気からほのぼのしたお話だと思ってたんですよ。『わすれられないおくりもの』みたいな。トーマスが親友アルヴィンとの思い出をひとつひとつ振り返って喪失のかなしみを癒していくお話かなって。
全然ちがった。ほのぼのどころじゃない。辞書を引いた*1けどやっぱり違うと思う。ほんのりどころか序盤から劇薬じみてませんでした?(賛美の表現です)
人物は魅力的で可愛らしいやり取りも多く、エンドには長い夜が明けるような希望があるんですよ。*2
でもあの、心穏やかに観られるタイプの作品じゃなくない!?なくなかったですか!?最中の心境はハートウォーミングというかハートフルじゃなかった!?*3わたしが積極的に地獄を掘り出していく(しんどい部分をよろこんで掘り下げる)タイプだからそう感じるのかもしれない*4けどいやでも。考えすぎ?

すみません取り乱しました。

青空のむこう』(著.アレックス・シアラー)という小説をご存知でしょうか。20年くらい前にすごい流行ったやつ。SoML、どっちかというとこっちだった。
身近な誰かが自分の中でどんなに大きな存在だったか、それなのに自分はどんなに蔑ろにしてきたか。自分がしてしまったほんの些細な、取返しのつかない行いをまざまざと突きつけられるお話。
えぐくない?(賛美の表現です)
しかも、『青空のむこう』の主人公は死者の側だけどトーマスは生きてる側ですからね? 残された側が自分のしてきたひどいことをひとつずつ思い出してくんだよ? 前を向いて生きてかなきゃいけないのに。
と、いう話だったと思ってるんだけど風評被害になってたらどうしよう。あのね、素敵なお話なんですよ! 身の回りのものものが大切であったかくみえる! 情緒はジェットコースターに乗せられます。


アルヴィンはもう死んでいる。

この作品は弔辞を書こうとしているトーマスとアルヴィンの会話、そしてアルヴィンが差し出す「物語」と呼ばれる記憶の再演で進んでいきます。物語は一番古い思い出*5から始まり、新しい記憶へ進んでいく。

「君の頭の中には何千もの物語があるはずだよ?」「その中からひとつ選んで書けばいいんだ」
「手伝おうとしてるだけだよ!」「しーっ!」「…ごめん」

アルヴィンはこんな調子で、トーマスを励ましたりからかったりしながら物語を見せ続ける。
でね。話が進むにつれて、前に聞いたような台詞が次々に出てくるんですよ。いまのトーマスとアルヴィンのやり取り、そのほとんどが過去に行われた会話の繰り返しだと分かってくる。
現実のアルヴィンは死んでいて、トーマスが話しているのは過去の記憶で、だからトーマスの知らないことは言わない。言えないんです。

「特に重要なのは、そのことに君がどう関係しているのか」「答えはどれも同じだ」「知ることは、できない」

物語の後半、死の真相を知りたがるトーマスにアルヴィンが返した答え。
これもトーマスが最初に歌ってるんですよ。「俺のせいなのか」「知ることはできないのに」って。
アルヴィンは、トーマスが心のどこかでわかっていて、目を逸らしていた事実を突きつけた。それはすごく大きなことだけど、それ以上のことではない。アルヴィンが言いそうな、でもアルヴィンの考えたことではないこと。私は哲学的ゾンビやプログラムされた自我みたいな話に滅法弱いのでこのこと(つまり*6)が割と精神にクる、んだけど、ここが感動ポイントの人も多いのではないかと思う。
「ここにない物語をさがさないで」ってアルヴィンの最後の願い。その後にトーマスに歌った曲、「僕じゃない、君だけのストーリー」とわざわざ言葉にしてあげたこと。
それだけはアルヴィンの言葉だと信じていたいなーと思うんですけどね、どうなんでしょうね。トーマスの頭のなかにいる10歳の少年が、彼の前では子供みたいなままでいられたアルヴィンが親友を想って出した答えだといいなあ。*7

翻って。この物語のアルヴィンがトーマスの記憶の再現だからこそ「雪の中の天使」が未来の希望を見せてくれていると思っています。ずっと書き途中だった物語を、トーマスが生きているアルヴィンの助けなしで完成させられたってことなので。アルヴィンがもういなくてもアルヴィンの記憶と向き合って、ひとりで物語を紡いでいけるってことでしょう。
キューブラー・ロスが提唱した、死の受容過程というものがありまして。否定、怒り、取引、抑うつ(無力)、最後に受容。死に行く者や親しい人の死を突きつけられた者は、この段階を踏んで死を受け入れるという考え方。
「神の偉大な図書館」を繰り返して「雪の中の天使」を完成させたトーマスは、アルヴィンと一緒にこのプロセスを進んだのかなって思った。まとまってませんねごめんね。
ところで最後、弔辞の原稿を閉じて「アルヴィンの物語をお話します」と言えたトーマスを見たアルヴィンからライトが外れるの"役割を終えた*8"って感じですごく すごくあれだよね トーマスだけの天使……

 


日常に戻らなければいけないのでぽすぽすいきます。


彼だけのクラレンス

公式さんが度々口にしているようにこの作品は「素晴らしき哉、人生」のモチーフが多い。とりわけ多く出てくるのが「ジョージ・ベイリー」と「クラレンス」の2人。
「出会い」の物語でトーマスは天使クラレンスの仮装をして、クラスの中でアルヴィンだけが気が付いた。おそらくそのエピソードゆえに、アルヴィンは度々トーマスを指して「クラレンス」という。でもさ。アルヴィンの衣装、映画のクラレンスが身に着けてるローブにそっくりなんですよ。
クラレンスはアルヴィンのほうなのでは? 思い悩むトーマスをすくい上げて、世界を素晴らしくみせてくれる彼だけの天使。
どっちかだけが天使ってことでもなく、アルヴィンにとってのクラレンスがトーマスだったようにアルヴィンもトーマスのクラレンスだったのだろうけど。
トーマスがアルヴィンに導かれて物語とつながっていたように(彼の記憶の物語でさえ差し出すのはアルヴィンだ)、アルヴィンはトーマスを通して社会とつながっていたんだろう。それが成功していたかはまあ、……という感じだけど、少なくともアルヴィンを守る存在ではあったわけで。
TLを見てるとモチーフはかなりあるそうなので探すと楽しいと思う。*9

 
アルヴィンの言葉
可愛いし世界の色を鮮やかにするけどわかりにくいよね。アルヴィンの言葉の選び方はある意味でとても正確で、それを受け取れるひとにだけ届けばいい、ような感じがする。
たとえば、「滝を越えて」でアルヴィンが口にした「さみしくなる!」。あれはメアリーがジョージと結婚した理由の「独りはさみしいわ」 を元にしてるんではと思っているんですがどうなんでしょう。あのときアルヴィンが言いたかったのは、君が町を出ると僕は独りになってしまう、僕をおいていかないで、ってことだったんじゃないか。彼だけのクラレンス、あの映画を毎年一緒に見ているトーマスには伝わると思った、だからわざわざ「言ってもいい?」なんて前置きしたんじゃないか。*10
あのときアルヴィンは、トーマスに何をしてほしかったのかなあ。僕のことを思い出してね、メアリーみたいに戻ってきてねってことだったのかな。
 
「素晴らしき哉、人生」あるいは「クリスマス」

 アルヴィンの言葉はハイコンテクストで言葉遊びみたいで、でもかならず意味がある。
トーマスに向けられる言葉は規則が比較的シンプルで、意味を取る鍵は「素晴らしき哉、人生」か「クリスマス」なんだと思う(あと蝶々。)

「素晴らしき哉、人生」に因んでか「クリスマスの伝統」の記憶ゆえか他の理由か、アルヴィンは(そしてそれらの記憶に名を付けて仕舞っているトーマスも)クリスマスに相当な思い入れがあるように見える。「帰省」もそうだし。トーマスがしてしまった「軽い一押し」の約束が破られた「当日」もおそらく。
そして、アルヴィンが亡くなったのもクリスマスイブの晩で。
だからトーマスは気にしてるのかなあと思ってたんですよ。あんな別れ方をして、クリスマスカードにも返事を書かないままでいたから。
「神の偉大な図書館」の冒頭、ゴードン・ケルビーの葬儀のためにトーマスが町に戻ってきたのもクリスマスイブなんですね……? ということは、父の葬儀が行われた日の晩に、アルヴィンは凍った川に落ちたんですね……?
待ってちょっと待って、「それともジョージ・ベイリーみたいに、クラレンスが来るのを待っていたのか」「僕のところには決して来ないのに」の意味が全くちがって聞こえてくるんですけど。
「決して来ない」のはトーマスが都会にいるからじゃなくて。パパが亡くなって、いつかのように*11トーマスは駆けつけてくれて、それでもあんなことがあったから、もう僕のところには来ないだろうって、そういうこと……?
トーマスは自分が傷つけて突き放したせいでアルヴィンが自殺したんじゃないかと思っていて? それに耐えられなくて「じょうずに隠した」?
オチはないんだけど気が付いたの昨日(29日)でですね、衝撃をおすそ分けしたくてですね…
 
「トーマス・ウィーヴァー」は誰だ?
トーマス、トーマス・ウィーヴァー。名声を得たカリスマ作家。人物紹介にもそう書いてありますね。『トム・ソーヤの冒険』の主人公と同じ名前。もしかしてトーマスのパパかママはここから息子の名前を付けたのかなーって幻覚を見ていたんですが。
「素晴らしい贈り物」で本を贈られたトーマス、「読書感想文 トミー・ウィーバー」って言うんですよ。気が付いたのが後半だったので田代さんだけかと思ったら平方さんもトミーって言ってるし。
でもアルヴィンは「出会い」の物語からずっと「トーマスの物語」って言ってるんですよ。トーマスも「よりよい場所」で書いた契約書に「トーマス・ウィーヴァー」とサインしている。*12
トーマスの本名はトミーなの?トーマスは二人だけに通じる秘密の呼び名だったの??トーマスはそれを、作品を発表するペンネームとして使ったの???
でも入学願書に添える作品(バタフライ)では「トーマス・ウィーヴァー」って言ってるんですよ。願書に偽名使う?かといって読書感想文に愛称書くことある?トーマス、幼少期はちょっとぽやぽやした子っぽいけどお育ち良さそうだよ?*13
お前は誰だ???トミーなのか?トーマスなのか?
彼の本名が何であっても、アルヴィンにとって彼はずっとトーマスなんだろうね。出会いから、最後まで。
 
 
別れの記憶
「アルヴィンの考えていたこと」で訥々語られる、ママとの思い出と葬儀の記憶。幼かったアルヴィンの記憶は、そこにあった物と一緒に語られる。
「借りたネクタイ」「お花に香水」
「小さなことは覚えているのに ママの記憶 ゆっくり消えてく」
ママの記憶が薄れていく中で残っている記憶の断片。ネクタイ、お花、香水、それらはアルヴィンの中で"大切な人が遠くに行ってしまう"ことと紐づけされてるんじゃないか。*14
たとえば「はじめてのさよなら」のとき。トーマスが香水をつけていることに動揺するアルヴィンと、それを見たトーマスのこわばった表情。
「滝を越えて」で「旅立ちの日(町を離れる朝、だっけ?)」って言ってるので私はあれを「はじめてのさよなら」と同日のできごとだと思っているんですが(「出会い」以降いつも一緒だった二人が最初に離れるのはそのときなので)、「滝を越えて」では付けてなかった香水を町を出るそのときにつけているトーマス、あの、ひどくない?(好きです)
トーマスはこれを聞いてたはずなんだよ。香水が別れの記憶として残っているのを。アルヴィンの動揺にあんな反応するので、トーマスにキスをしたアルヴィンへを遠ざけるつもりはなく、そこまで思い至らなかっただけなんだろうと思ってるんですが。*15
ところで、葬儀の記憶の中でもう1つ、後の会話で出てくるものがあるんですよ。ネクタイ。「独立記念日」で毎日トーマスに電話を掛けるアルヴィンが口にする、「ネクタイ必要?僕持ってないんだよ」
アルヴィン、ネクタイ避けてきてるんじゃん……。ジョージは(弟の)卒業パーティーでネクタイ着けてたし、フォーマルの場でも使わないか持たないかでやり過ごしてきたんじゃ…?
この言葉をアルヴィン(たぶんどちらも)は旅行への期待にわくわくした表情でひょいと口に出すので、町を出る高揚がジンクスの不安を超えたのかなーって思ってたんです。が。
大千秋楽、町を出る準備に始終はしゃいでいる田代アルヴィンがここだけ身構えて話しているのを見てしまい。
克服できてないんじゃん!!!!!! ネクタイを持つか借りるかしなきゃいけない可能性を不安がってる……
 
 
たぶんもうちょっと増えます。アルヴィンが大人だという話をしたい。

*1:①ほのかに明るいさま。②心がほのかにあたたまるようなさま。ほんのり。③ほのかに聞いたり感じたりするさま。うすうす。

*2:「ほのぼの」には「夜あけ」って意味もあるらしいのでそういう意味ではほのぼのなのかも。

*3:「ハートフル」という和製英語、日本人は"heartful"(心で充ちた、転じて心あたたまる)のつもりで使うけど英語圏の方は"hertful"(痛ましい、心が傷つく)を連想するらしいですね

*4:回数重ねたからそう見えるのかと思ったけど初めて見たときの感想にも「ホラーのまま終わるかと思った」って書いてたから初回からおびえてた。なお私がホラーと感じる要素はサスペンスのことらしいです

*5:「『出会い』アルヴィンとトーマスの物語」

*6:アルヴィンの言葉が過去の再演で、"いまの"トーマスを励ましたり慰めたりしてるのではない可能性、トーマスが感じているだけで"今ここにいる"アルヴィンの意思ははじめから存在しないかもしれないこと

*7:トムソーヤを読んで作品を書き始めたトーマスにアルヴィンが掛け続けてきた言葉たちの可能性はあるけどほら、そういうのまで考えるのは二次創作でやればいいやつだから、本編に描写はなかったから たぶん

*8:ここ、平方アルヴィンは最後の音が鳴ったあとゆっくりと上を向くんですよ。かえっていく…

*9:私はもうここらへんでわーっと語った後なので少し落ち着いている。

*10:田代アルヴィン、2回目の「さみしくなる」を言う前に目が泳いだり口をはくはくさせたりしてすごく迷う。平方トーマスに「さっきも言ったよ?」とからかい混じりに返されてショックを受けた顔をするんですよ。伝えたかったことが届かなかったみたいに

*11:本屋の引継ぎを手伝ってくれたときのように

*12:田代さんはトーマスでもアルヴィンでもサインするときに名前を言う。19日と29日は「トーマス」と言ってたと思う。

*13:本屋の二階に入り浸ってることを「親父は気づかなかった」って言うんだ、父親が気づけば何か言われる(か問答無用で禁止される)と思ってたんじゃないかな。

*14:ところで、生きているママとの思い出で「サンドウィッチ作ってた」が出てきた後、葬儀の記憶で「サンドウィッチも置いてあった」ってくるの残酷だなって思う。アルヴィンサンドウィッチ食べられる?だいじょうぶ?

*15:田代トーマスはこのとき「来るな!」と同じような顔をして、距離をとるみたいに背を反らす