noteから持ってきた。日時はそちらに合わせています。
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役名を敬称代わりに用いています。ご了解ください。まとまってないし途中からクリスティーヌの語りになった。
ラウルが好きなんですよ。田代さんの新作CD*1に1曲もナンバーがなかったけど好きなんですよ。
ラウルの苦しさは心を許した人の誰も彼を責めてくれないことなんじゃないかと思う。クリスティーヌは彼のすべてを赦すばかりで、彼の至らなさや音楽から逃げていることを責めはしない。だからラウルは自分で自分を責めるしかなくなってしまう。歳の離れたお兄様に守られてきた彼がまだ処世術を知らないのも、クリスティーヌやファントムほど音楽の才がないことも、彼のせいではないのに。
ラウルは芸術を理解できないことを本当に気にしているんだけど、クリスティーヌもグスタフもそんなこと気にしてないんですよね。オルゴールで遊びたがったグスタフはラウルが玩具を見て楽しんでいるだけでも気にしてなかったし。クリスティーヌにしたって、ラウルに音楽への造詣を求めてはいないように見える。クリスティーヌは家族と音楽しか持っていないから(特に濱田クリスティーヌはそう見えた)音楽のなかにいる彼女は神聖なほど美しいけれど、ラウルにも同じようにあってほしいとは考えてなさそうに思う。
だって10年前のオペラ座で、音楽の魅力に抗えない人たちの中で、彼女を現実に繋ぎ止めようとできたのはラウルだけなんですよ。10年前の彼女に嫌なら歌わなくていいと言ってくれたのはラウルだけだった。彼女の音楽ではなくて彼女本人をほしがったのは。私が観たのは円盤だったし英語だったしそもキャストさんから別なんだけどさ、そのオペラ座の怪人でクリスティーヌが「私を必要としていて」って言っていたのがすごく印象に残っている。その理由はたぶん、私のなかにあったクリスティーヌの人物像と共通するものを見たから。
完全に濱田クリスティーヌの印象なんですけど、クリスティーヌは高く高く飛べるけど、ひとりだと飛んでいったまま戻ってこられないいきものだと思う。力尽きて落ちる最後の一瞬までも振り返らずにどこまでも飛んでいってしまう。
彼女は音楽には抗えない。ひとりでは戻ってこられないんですよ。自分自身の命でさえ、より高みを求める情動を抑えるには足りないから。だからクリスティーヌは手を繋いでいてくれる誰か、彼女を必要としてくれる誰かがいないと生きていけない。どこまでも飛んでいってしまう小鳥を呼び戻して、止まり木になってくれる誰かが。
ラウルは別れの手紙に「君を求め導くのは僕ではない彼のはず」って書いているけど、極端な話ファントムも果てから戻って来なくてもいいじゃないって側の人種なので無理だと思う。己が命の対価として最高の音楽に手が届くとなったら躊躇えないでしょうあなた方。グスタフはどうかな、いや無理な気がするな。ファントムの誘いについてっちゃったし。息子の存在はクリスティーヌを留める錘にはなるけど、グスタフ自身が向こう側を求めてしまうので錨にならない。
*1:営業戦略として完璧だと思ったし予約もした、会社かご本人かは知らないがメインファン層が期待している像を完璧に理解していらっしゃる。