つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

ディファイルド感想

毎度毎度ですがこれはすべての個人団体思想宗教とは無関係かつ己が見たものを好きなように切り貼りした幻覚、一個人の主観でしかないことをご承知おきくださいませ。己が観て感じたものが真実で、事実はひとつだったとしても真実は人の数あるものです。幻想・偶像・勝手なイメージとも言う。
ネタバレへの配慮はゼロだしだいたい青い鳥と似たようなことを言っているし好き勝手な画を見ているし表現もあれですが好みのところを切り取って話しているのでそれだけは信じてほしい。好意的な印象でないところは書いてないから。だって私が読み返すために書いてるし。

観たのは成河×千葉ペア(7/1、7/6VR)、章平×千葉ペア(7/19)、加藤×松岡ペア(7/20VR)です。なお敬称略です。

 

Defiledとは何だったのか

この解がまずたぶん1つじゃないんだと思う。複数キャストの魅力であり難点でもあり、もっと言えば舞台そのものがそういう性質を帯びているんでしょうけれど。キャストさんの組合せや見た位置や媒体によって、何を受け取るのか(あるいは何を受け取りやすいか)が変わる、この演目は特に、そういう性質が色濃いものなんでないかな。と、思った。というかこの点にそうかー?って感じる人はたぶん私とメインでとりにいったものが違うんだと思う。私が関心を向けてないだけで、どのペアにも共通するものもあるんだろう。とはわかっていますとも。

 

〇成河×千葉ペア(7/1公演、7/6VR配信)

日付入れたのはこのペアたぶん回によって変えるとこがらっと変えてきてるんだろうなって思うからです。18日もみたかった(取れなかった)
ハリーの信仰の物語だとおもった。信念といってもいいのだけども。本が「生きている」質感を心ゆくまま味わえる空間、本を聖なるものたらしめている神殿、彼にとってそれを享受することが生の実感、信じるに足る、己を懸けるに足るものなのだろうと。失われても生きてはいけるが失ってなお生きる価値を見出せないものへの執着を信仰と呼ばずして何と呼ぼう。いや呪いでもいいですけど、このハリーの場合そこまでぐつぐつに変質したものではなかったし。
図書館に本があること、本を神聖なものにしている空間、その道筋は冒険であり与えられるのは祝福だ、そんな感じのハリーの語りっぷりがすごくこう、好感が持てる(ただしブライアンの反応はあんまり意識に入ってない。)好きなものの好きなところを語っている人間の魅力、恍惚より少しだけ質量のある輝きの言葉の色、あれは健全な、畏敬をもって尊重する(ブライアンの言葉を拝借するなら)"真っ当な"信仰だった、と思うんだよな。職業意識と言ってもいい。
「この図書館の命はもう ない!」と叩き切ったハリーの言葉、一瞬の、でも何もかもが息を止めたような重く揺るがない沈黙が何というか本当にかわいそうだなと思った。かわいそうにこのかしこい、かしこすぎる青年は己が守ろうとしているものがほんとうはもう喪われていると理解してしまっている。盲目でいられたら希望をもったままいられたのにね。そしてブライアンにはその理解を否定して希望を持たせ直してやることはできない。彼がわかるのはハリーが図書館を愛していることまでで、ハリーの言う“生きている”本や図書館の実感は持っていないから。
千葉さんブライアンの「あいつらを中に入れたくないんだ!」「あいつらきっと君を傷つける!」の、交渉よりも本心寄りの切実さがすっごい好き。私はこのブライアンの、ハリーを家に招くかどうかはまあ別として、なんだかんだガレージのがらくたを端に押しやってカード目録のための場所を作ってでっかい棚ごと引き取って置いておきそうなところ、ハリーが本当に彼を頼ったらほらだいじょうぶだろってガレージを見せてやっちゃいそうなところが好きですよ私。「……ぼくが話したいんだよ」って言われたときおんなじように、不意に弱さを見せられると叶えてあげちゃいそうなお人好しさがありそうじゃない? 千葉さんのブライアン。
言うて私このペア観てて泣いたの「息子として」と「いま行かなくちゃ」なんですけどね。なんでかはわからないけど。情緒を直に動かされた感覚だけがある。*1
ハリーが『ハーディ兄弟、西へ行く』を"貸し出した"ことでブライアンはハリーの言う「生きた」図書館の最後の記憶を持って帰ることになったんですよね。あの本の貸出しによって、ブライアンと図書館をつなぐ仄かな記憶がハリーという救えなかった命の記憶、司書とカードに導かれて本にたどり着く生きた図書館の姿と不可分に結びついた。ブライアンはきっとあの本をガレージに置くしかない、返すべき図書館も受け取る司書ももうなく、日々を仕事と生活に忙殺されるブライアンにはきっと返すための条件を、「読み終わったら」の約束を満たせない。幻覚ですが。

カーテンコールで引きあげられる感覚はこのぺアに固有の印象だった。客席にそれぞれ一礼した彼らが向かい合って、はにかむようにほころぶように笑みが浮かび、その目を合わせて一礼、静かにはけていく一連にその印象を抱いたんだと思う。そこにいるのが「ハリー」と「ブライアン」ではなく「成河さん」と「千葉さん」であることを思い出し、それ故に観ていたものが単なる出来事ではなく意志と想いのある物語であることを書き留めるような、そんな余韻。観たものを引きずるのではなく持って帰れるための。
どの回も物語をそのまま味わう楽しさは確かにあるんだけど、このペアにはそれに加えて、見聞きしたものをフックにして自分の内から引き出されたものと向き合うことを願われているような、祈りがこめられているような、そんな印象を受けたのはこれ故なのかしらと思う。こちらが勝手にそう感じて勝手にそう言語化しただけなんですけれど。なんというかね、これは前にスクールカウンセラーの先生に言われたことなんですが。生徒の話や悩み(守秘義務のある相手にしか言えない類のやつ)を彼らが吐き出せるのはもちろん大事なんだけど、それをしたら必ず、彼らの心を日常まで引き上げてから帰さないとだめだよ、心の垣根を取り払ったままで外に出したら反って心に負担がかかるんだよって諭されたことがありまして。なんとなく、ほんとに根拠のない感覚なんだけど似ているなって思った。日常に引き上げられて、現実と向かい合うため背中のそっと押されているような。
あとこれは多分に好みによるところなんだけど、緩急のコントロールは(観た中で)とびぬけてるなって思うこのペア。笑いというのは緊張からの弛緩で生じるもので、おかしさを引き起こすのもそのまま緊張が解けきってぐだぐだにさせないのも見事だなって思った。ペースを調整しているのが千葉さんで、成河さんが緩急?抑揚?場に圧を入れたり抜いたりしているような印象……なのかな。他のペアから受けた印象と合わせて想起するに。空気が止まるとき、本当に同時にぴたっと止まるからすごいよこの組合せ。形のないはずなのにさわれそうなほど質感がするの。

あと私はこのペアのハリーとブライアンの、お互いの使命を「そんなこと」「そんなもの」と言い、確かにそう思っているんだけど同時に、"相手にとって代え難い切実なものである"こと自体は認めているような感触がものすごく好きなんですよ(幻覚だけど)……。図書館はぶっちゃけどうでもいいけどハリーが図書館を大事に思う気持ちは「わかってる!と思う」ブライアンとか、その彼の使命は切り捨てても誰も死なずケガをせず日常に帰って、願わくば一度もしょんべんに起きずに朝までぐっすり眠る、そんな細やかで特別でもない望みには決して「そんなもの」と言わないで聞いているハリーとか。


〇章平×千葉ペア(7/19公演)

私はこれを信仰とは呼びたくないんですが!?!?(好意的な表現です)
信じる者は救われる、客観でどうであろうと主観での安寧があるから信仰(概念)は信仰たりうるというのが持論でして、あんなぼろぼろのこどもが最後にすがっているような、救いのない想いの向け方を信仰とは呼びたくない……いや私の感傷に過ぎないんだけどさ……。
しんでしまった神さまへの追悼って表現が自分のなかでは一番しっくりくる。かつての彼はすくわれていただろう、けれど今のかれをすくってはくれない、安らがせてはくれないけれど手を離したくはないもの。だって彼は他に何ももっていない。しんでしまった神さまの他にはなにも。彼をすくってはくれない、もはや痛みをやわらげる力すらないものを切々と語りだきしめる痛ましさ。
なんでかはわからんのだけどさ、章平さんのハリーを観てると所々でふっと「過剰適応したこども」って単語が頭をよぎるんですよね……。一生懸命威嚇してるときの陽キャっぽい…というかちょっとヤンキーっぽい威圧感とチャラさや、お偉方の発想を馬鹿にするインテリぶった口ぶりの空洞がさ、そのときはそのときで「そういう人」な気がするんだけど、図書館という場所を言葉にするほそくかさついた切実さを聞いたらなんかもうこの子どもが彼なんだなって気になるじゃん……ならない……?(幻覚です)私はあのぼろぼろの子どもがぼろ布のかたまりにしか見えないぬいぐるみを抱きしめているようなとおいしあわせを想うような雰囲気にひきずられて泣いていたんですがなんか今回も泣き所ずれてたきはする(成河×千葉ペアの回もたぶんなんかずれてた、他に泣いてる気配なかったので……)
メリンダの電話の件で自嘲のような「笑っちゃう!笑っちゃう!!」をブライアンに吐き捨てるように言ってるのがなんかこう、根っこのところでつながりをほしがってるような感じでそういうところもなんかこう、得られなかった(そして自分にも権利があったはずだと気が付けないまま諦めてしまった)子どもを幻視する……*2
千葉さんブライアン、成河さんハリーが相手のときと比べて気を遣っているというか、大人どうしの軽口で茶化すことが少なくてなんかそのあたりもこう、すごい好みでした。余裕がない、自尊がないいきものは気安さの軽口と心に踏み込まれる軽い扱いの区別をできないと知っている大人という感じで(幻覚を見ています)
これは純度100%の妄想なんだけど、このハリーとブライアンはぜひ25年前くらいに出会ってほしかった……。本を抱きしめてガレージの隅っこで体育座りをしている少年をすくい上げて声をかけるディッキーおじさんに存在していてほしかった……どうしたぼうず、こっちおいでとか言ってほしい……妄想です……。あ、あとね、これは席の上手下手が違うからかカメラを意識なさってたからかそういう演出なのか定かではないんだけど、このブライアン序盤~中盤にかけてハリーの側の膝と肩が直角になっていて、不自然な力の入り具合がいわゆる体で壁をつくっているような拒絶感を醸し出していてそれがなんかこう、すごく……はい……。後半はかみつくときも訴えるときもそんなものみじんもなくなっていて、そんなところもなんか憎めない好ましさがあるんだよなブライアン……。
ラスト、全てが手遅れになった轟音とともにまっっすぐ、真っ黒い真っ暗な目がこちらを向くのなんか、なんかこうすごく、手を伸べられなかった生き物がなにものかに変質したようなどすのきいた重さがあった。2度目の轟音で閉じたその目をもう一度開いて、カーテンコールをしてそのまま去っていくのであの時間と重さを地続きのまま纏って帰るような後味がしましたね……。劇場の外、階段を上って、夜の駅へ向かう道を歩いていてもあの重さが離さないような。これはこれでよきものではあり、ただ日常に戻ってくるためには自分で言葉にして整理するか誰かと他愛ない話して上がってくるかが必要になるかしらという感じではある。好き嫌いでいえば好きです。体力いるけど。
このペアの配信はたしか28日だからぜひみてくれな……。


〇加藤×松岡ペア(7/20VR)

生で見てないのに印象を語るのもどうかとは思うんだけどまあ許してくれチケット取れなかったんだ。
加藤さんハリー、もう第一印象から「難しい」ヤマだったしこのブライアンとも相性悪いな……って感じだった。どちらも対話をする気がない(個人の感想です。)自分の話はするし相手に理解させようとするけど相手に譲る気というか、相手の考えを自分の内に入れる気がまっったくなさそうなんだよねこの2人……どっちも……。ハリーが図書館の歴史を語ってるときブライアンはどっか適当なほうを見て話を聞いちゃいないし(私は相手に向き合っているときの彼らは台本から目を離さない、という理解で見ている)、ハリーはハリーでブライアンが見るからに聞いてなくても一向構いもせず熱のこもった語り口だし。
「催眠術師のところには行くなよ」「ご忠告どうも」のやり取りなんかもさ、ハリーの語調に冗談の色が全くないしそのせいでブライアンのあしらいの色が皮肉に聞こえるし、いやもう断絶って感じ(賛美の表現)心通じ合ってる?ないですねわかってました。
ハリーがブライアンのおくさんと「話がしたい」理由、感情や感傷じゃなく"ブライアンに伝えることを諦めたから"なんじゃないかって感じたのはじめてだったし、感じたどころか見てる最中かなり強く確信をおぼえたことにもびっくりした。このハリー、ヴライアンが逆切れしてるとき「(子供に本を読んで聞かせて!)よりよい未来を作る!」のところで片方の口角を上げて明確に嘲りを見せるのでいやもう絶対かみ合わないし話を理解する気もない相手に付き合ってやるタイプでもなさそうだなって気がするんだよね……相手の理解が追い付かないなら何度だって話して工夫してくれるけど、聞き入れる気がない相手はあっという間に見抜いて見限る男だと思う……
松岡さんブライアン、思うように行ったとしても絶対図書カードを引き取ったりはしないし『ハーディ兄弟、西へ行く』も貸出期限が来たらさっさと返す、どうにかするとその日にスターなんとか(何回聞いても覚えられない。なんか図書館連盟のお偉いさん)に渡して戻しておいてくださいって言いそう。妻との電話はもちろん署長との連絡でもハリーとの会話よりよっぽど情感があるところ、「成功しました」の冷たい声、そも交渉中の上から言い聞かすようなプライド高そうな声の整え方、そのあたりにそういう印象を受けるんだと思う。いや全く印象でしかないんだけどさ……声質だったらごめん……でも妻への声はあんなに気遣いとやさしさにあふれてるじゃん……。
加藤さんハリー、「(ごめんね刑事さん。)やっぱり…やっぱりあれじゃあ駄目だと思うんだ」のとき、くっと首を傾げるのがなんか好きです。この賢く敏い男はなんで駄目かを自分の頭のなかではしっかり分かっていて、でもわかる気のないこの男にもきっちり届くようにするにはどうすればよいかと、それが彼の信念への真摯さのような気がして。


カッチーニアヴェ・マリア

このあたり( https://fusetter.com/tw/1pdQIeHC )でも話しましたがえっっっぐ!!!!(賛美)
自認無神論者の男とかみさんが来てほしがるから教会についてく程度の信仰心の男(たぶん家系的にはプロテスタントの流れ)の長くて短い数時間を聖母マリアへの祈りを題材にした(つまりカトリックモチーフの)曲で予感しその歌で〆るのくっそえぐいな!?(ほめてる)
それでも信仰をうたう賛美歌や聖歌ならまだ救いがあった、それを題材にしただけで音は使えど祈りはなく、この名づけで有名になったもののカッチーニバロックも関係ない偽りの(しかし他に「正しい」名はない)アヴェ・マリアをここに持ってくるの、さあ心を殴られろって言われている感じがする(いいぞ素敵だもっとやれと思っています)

*1:成河さんの少しうわずって掠れた声の響きにつられるんだねって言われたらその声の響きはちょう好きだしまあまあその通りですとしか言えない でも「息子として」はそういう感じの声じゃなかったのよ

*2:成河さんハリーはなかば独り言みたいに言うよね、と思っている

サンセット大通り感想(ノーマとマックスの話しかしてない)

書こう書こうと思いながらコロナ禍自粛が始まり終わりましたね。
もうここまで来たら普段はスルーするんですが、私にはヘキのど真ん中に入ったげきかわなノーマとがんじがらめを半年後の私に伝える使命があるので……。自分だけじゃどうにもならなくなったがんじがらめの生き物や関係性が大変に好きなんです。見せたい自己の取り繕いができなくなるほど余裕をなくす人類(架空)、よいよね(個人の解釈です。)
実在する何某かに一切の関係がなく、また個人の感想および解釈かつ幻覚(一部オタクは強めの妄想のことをこう呼ぶ)であることをご承知おきください。
基本的にいいぞもっとやれと思ってる、というかそう思ってないとこにわざわざ言及しないのでスタイルで語っています。
 
〇「愛の悲劇」 #とは(ほめてる)
いきなり自分語りなんですが一度見てから調べて衝撃を受け直すまでを娯楽としているので事前情報は極力入れないタイプです。だもんでこれも柿澤さんと田代さんがコンサートで歌ってた*1ぐらいの認識でした。
で、観たんですが。
確かに愛は要素としてあるし悲劇か喜劇かと言えば悲劇なんだけど「愛の悲劇」から連想される感動どころ*2と作品の情緒ぶん殴り(ほめてる)ジャンルが一致を見せてなくない?(ほめてる) どっちかというと「狂気と才能」の物語じゃない?(ほめてる) わたしは執着こそが才能だ*3と思っているんですが、そういう意味で強度のめちゃくちゃ高い才能の物語だった。と思う。やー好き。
相関図のベクトルが曝け出された後に思い返すと1幕マックスが大変におそろしい(好き)です。お前が鎖だったのか。
 
構図とか言いたいものはいっぱいあるんだけど先にキャラの話をしたいなぜならディファイルド始まっちゃうからねー(と言ってたらがちでノーマだけで終わりそう。
 
濱田めぐみさんノーマがかわいくてちょう好きなんですよ。
げきかわ。げきかわじゃない? えっかわいい。
やーあのね、わたしね、濱めぐさんのやる強くて脆い愛の女がめちゃくちゃ好きなんですよ。レムとかランディ夫人とかまだ見てないけどたぶんルーシーとか。プライド高く誇り高く能力も高く、その自分の全部でもって愛して愛してしまう女。なのでノーマ・デズモンド、これたぶんヘキに刺さる人物だと思ってかなり高めの期待値を抱いて行ったんですよ。
まあ好きに決まってましたよね。無防備であやうくていじらしい。愛おしいにきまってるじゃんあんないきもの(個人の主観です。)
満遍なく好きなんだけど具体的に挙げるとまた五千字とか行くから先に別のこと話すんだけどさ。
濱めぐノーマの可愛らしさ、あんなにこわがりなのにあんなに無防備に愛してしまうところだと思うんですがいかがですか。可愛いよね可愛くないですか大好きなんですよ。
葬儀屋やベティやセット18の音録りマイクや、異物に対してあんなに臆病なのに(葬儀屋への取りつく島もない態度は警戒の表れだと思っている)、ジョーへの愛を惜しみなくさらけ出すあの様が無防備であやうくてかわいい。だってさ、ノーマは愛を拒絶されて傷つく覚悟なんかどう見てもしてないじゃん。*4受け止めてもらえないなんて考えつきもしていない。もしかしたら心のどこかで気がついていて目を瞑って背を向けているのかもですがそれはそれでテンションが上がりますね。私が。かわいいじゃん?
ジョーの拒絶ひとつで簡単に損なわれてしまいそうなのにきもちの全部を差し出してしまうあの無防備さがね、最高にかわいいんですよ……少女性……。ノーマが50なのは知ってるけど可愛くなりたい女の子は何歳でもかわいいおんなのこなんだよ!!!わかりますかわからなくてもよいです単なる私の嗜好なので。可愛くて好きなの。
濱めぐノーマのさ、大女優大女優って言いながらはしゃぎ方や傷つき方がちっちゃなおんなのこ、恋する少女みたいな動機なのが本当に好き。大晦日の諍いとかさ、「私の愛が重いって言うの!?」の声のさ、本命チョコを本命だからって理由で受け取ってもらえなかったような悲痛さがすげえ好きなんですよね。胸がきゅっとする。かわいい。あの後の「出て行きなさい」「大女優はプライドが高いの」を口にする前に涙をこらえるみたいに顔を上向ける一瞬の静かさとか、背を向けたジョーに泣き声が聞こえないように静かに肩を震わせてるのとかもいじらしくない?ちょう可愛くないです? 
あれぜーったい本心じゃないんだよ(幻覚)、あれらを口にするノーマはジョーの目を見ないんです。ノーマもだしマックスもだけど、彼らは後ろめたいときや"ほんとうでない"ことをやり取りするとき相手の顔を見ないんですよ。自分の目を見せようとしない。
目で語る無声映画の大スターたるノーマが意志を通そうとするとき無言で相手の目をじっと見るのがわたくしとても好きでしてですね。ノーマはそれで伝わると思ってるし実際平方ジョーはただしく受け取ってるんですよね、それがまた好き。無声映画女優である己が才能への自信と誇り、そして彼女は確かに磨かれたその才がある。眼差しのみで語る無声映画のスターに声で歌で一瞬にして場を塗り替えるミュージカル女優濱田めぐみ(敬称略)をキャスティングしたの誰だよ最高だよありがとうございます。
で、そんなノーマはだから相手の目を見れば相手の心をある程度読み取れる。見て取っているそれが感情なのか心の揺れなのかは知らないけれども。完成した原稿を受け取るマックスがノーマの顔を見られないで目を落としたまま応対するのあまりに残酷じゃん?(好き) マックスはあの行為を心から正しいと思っているわけじゃないんだよ、一人からのファンレター、届けない原稿、ノーマを虚構でとじこめている後ろめたさがある。「沈む彼女」をただ見ており彼女に向けられた情愛をあしらっている自覚がそこそこある平方ジョーはノーマの目を見ることを特に躊躇わないのもいいよね。ツバメしてる外聞の悪さや実情をごまかしての説明は後ろめたいけど*5ノーマ本人に対して後ろめたいことはないとでもいうような善人の残酷さ(賛美の表現です。) 話は戻ってくるけど2幕後半のさー、「嫌いにならないで!」ですがりついたノーマが平方ジョーの表情と目の動きで十全に届いてしまうのめちゃくちゃ残酷じゃない? 目だけで語るノーマだから目で語られたあの断絶を絶対に読み違えるはずがないんだよ……好き……。平方ジョーがあんな顔できるなんてノーマもマックスも思ってもみなかったろうよ……。
濱めぐノーマの眼差しの話をまだするんですが(好きなので)、早替えみたいにいろんな女を演じてみせるノーマが正面向いてサングラスを外す瞬間あるじゃん、ライトの加減なのかアイシャドウなのか、まぶたの紫(こっちはメイク)のなかに明るい緑のひかりが一瞬浮かぶの妖精の魔法みたいだなって思うんですよね……妖精の魔法はベクトル逆*6なのは知ってる。濱めぐノーマ、あの瞬間とラストの「私を見て」が一段とうつくしいと思う。あの瞬間ノーマは輝きをいや増し彼女の魔法には誰もあらがえない*7
目だけで語るノーマの才能や技能は衰えていないんですよね、彼女の眼差しは人々を魅了する。ハリウッドでけげんそうにしてた若い役者たちの表情が、「狂気と緊張」の後半でノーマと目を合わせたときにさあっと色を変えていって、空間が静かな熱をおびていくのすごいよね。私があしらっておきましょうかって言ってる秘書のおばあちゃんが誰より狂熱して拍手してるのとか最の高だと思う。
当のノーマは演技を終えると「ファンに対応する大女優」の顔で握手なりなんなりしてるけどはじめ身構えるような間があるの好き。おりてきたライトのおじちゃんと話し込んでるときがどことなくほんとに楽しそうなところ可愛いと思うしやっぱなんか旧知の相手とそうでない人とで態度違う気がする。見慣れないものがこわくて、でも誰かと向き合う瞬間に"ふさわしい"自分を繕ってしまえる女優の才能。自己の曖昧さ。撮影現場でおじけづくノーマが不安そうな顔してるのに*8、優しく促すデミル監督のほうを見るときはすっかり余裕たっぷりに"ベテラン女優"の顔で動きなの、彼女自身があまりに見えなくて背筋がひやっとする(賛美の表現です。)虚勢を張っているのでもなく、デミルを心配させまいとしているのでもなく、旧交を温めるベテラン女優としてあまりに自然体なんですよ。
何ていうかなえっと、バルコニーからの一連のシーンあるじゃないですか。支離滅裂に過去の一場面を再生するノーマが、マックスの「キャメラ*9ひとつで人格を入れられたようにベテラン女優として演じ振舞い語るあの場面。あれはジョーを殺したノーマが錯乱または狂を発した、のではなくて、ノーマは初めからずっと"そう"だったんじゃないかって気がしてきて(幻覚。) どんな女でも演じられるノーマは「素の自分」なんてものをとっくに無くしていて、誰かのイメージする「女」を無意識に汲み取ってその通りに生きているんじゃないかって。カメラの前でもそれ以外でも。ジョーがいないときのノーマが「ひどく不安定に」なるのは、ダーリンという舞台兼観客がないと振舞うべき己を見失うからでは? マックスでは駄目なんだよマックスはカメラであの屋敷だから。
念を押すと私は見たものの情報を取捨選択して自分の好みに一番刺さる解釈をするタイプのオタクだから信じてはだめだぞ。自分の目でみて感じたものが真実だ。*10事実ではないけど。戻るね。
やーだってあのさ、ノーマが無声映画の大女優であることに拘るのは間違いなくマックスの執着を映してるからじゃん。届き続けるファンレターの期待に応えているからじゃないですか。そうありたいという願望ではなく、そうあるべきだという強迫観念じみた、こうもあれるという他の自分のないような。そしてスターとしてではないノーマ、不思議な魅力をもつ少女を知っているのはもはやマックスだけなんですよ。マックスが知る少女が16でサロメの設定が17でノーマの最高傑作を撮ったのがデミルってそういうことでないかね。
ジョーはマックスが掛け続けてきた呪い*11を解きかけたけど、一度はたしかにほどけたけど、彼女はかかり直し(ひょっとしたら自ら)、ジョーの言葉は届かなかった。私はあのシーンが大好きでな……。ノーマをまっすぐ見つめているジョーと顔をそむけているマックス、彼女は揺れる目で踏み出しかけたのに突然音がするようにかかり直し、顔を上げたマックスと目が合ったノーマはもう揺るがない。はじめのほうではマックスが目を向けたことで再びのろいがかかった回もあった気がしたんだけど願望ゆえの幻覚かもしれない。
濱めぐノーマはチンパンジーの葬儀ではマックスに肩を抱かれるがままだったのに*12、ジョーを撃ち殺したあとマックスが伸ばした手は届かない(そちらを見ないままノーマが数歩前に動くため)ので、彼女はやっぱり自らマックスの抱く幻影を自分のものにもしたのしかも知れないなあ。妄想だよ。
サンセットのラスト、ジョーからすればバッドエンドだし第三者から見ても(トゥルーではありそう)そっち寄りだけどノーマとマックスの視点からするとハッピーエンドなのががちホラーじゃん(ほめてる)って思うんですよね。ホラーの本質は同じところに行かないと理解できないものへの恐怖だと思っている。
最後の最後のところでね、安蘭ノーマは遠くにある何かへ手を伸ばしたところで暗転するんですよ。濱めぐノーマ、伸ばした先の何かを胸元に抱き寄せた次の瞬間に暗転する。ちょうど人間の頭部ほどの大きさの空間を。少女のような澄んだ表情で、しあわせそうに目を閉じて。
カナーンの首を手に入れたサロメがそこから戻ってくると思う??? 私は思わない。
この瞬間のマックスがどんな顔をしているのか、陶酔か絶望かやり遂げた達成感か、ものすごく気になるんだけど毎回気が付いたら暗転してるんですよね……。あのノーマから目を放すことが人類にできるのか(反語) 25の娘の枷を脱ぎ捨てた、天女のように軽やかでうつくしいおんな。望まれた通りに。
 

◯山路さんマックスがですね
順番としては平方ジョーでは?と私も思うんですけどノーマの話したらマックスの話するしかなくないですか?なくない?
マックス。黒々と煮えたぎる執着が人の形に凝ったような何かでしたね。なんだあれ。魂がヒトの形をしていない(賛美の表現です)
この話で一番報われてるのマックスなんですよね、奇妙な半年を経て何かを得たのはマックスだけだった。ジョーは命を喪いベティは愛するハリウッドを失いノーマは現実を喪った。*13
ノーマも得てしまってはいるんだけどさあ!特に濱めぐノーマは最後なにかを手に入れてしまったんだけどさあ!よかったねとはちょっと言い難いっていうかさあ!!*14あなたの固執はほんとに自分の妄念ですか的なさあ、いやあのそうなんだろうけど何を犠牲にしても“貴女が”手に入れたかったものは本当にそれですかというかさあ……。彼女は欺瞞の虚構のなかで変わらない日々を送っていたってそれなりに幸福感あったんじゃないかと思うんですよすべて偽物だけど。あのエンドでノーマの主観はたしかにとびきり幸せだろうけどハッピーエンドとは呼びたくないっていうかさあ、全部が虚構でできた極上の幸福ならジョーとの日々では駄目だったの*15というかさあ……。なんでマックスの話だっつってんのにノーマの話をしてるんでしょうね…マックスの執着の話だからですね……。「キャメラ」が回りサロメを降ろしたノーマを見つめるマックスの顔みた……?あの陶酔をよう……ぐーぱんじゃんもう(好きですよ)
マックスがノーマに向けた献身までを否定する気はないけどノーマを破滅させたのは(社会的にだけでなく精神を頑なにしたのも砕いたのも)マックスの執着だって主張も譲らないぞぼくは。
マックスの執着は「無声映画の大女優ノーマ・デズモンドにかつての栄光をもう一度」であって「ノーマ・デズモンドというひとりの女が穏やかな幸福を過ごすこと」じゃないじゃん。ジョーが思わず後退るあの熱量はよ。その2つは一見似ているようでもまるで違うぞ。「ジャンヌ・ダルクの試練」で取り乱すノーマを一顧だにせずスクリーンに魅入り続けていたのを忘れないぞおれは。
あのナンバーの歌詞、「降伏などさせはしない」、マックスが彼女を支えるからじゃなくて(ノーマの精神と本心がどうであれ)マックスが降伏をゆるしてくれないに聞こえて仕方なかったですね後半はもうね。あのナンバーはほんと初見と2回目以降でまるっと印象が変わるから……具体的にいうと悍ましさが(賛美の表現です。) キャンプ場、テントの前で燃える焚き火に見えていたものが人を包み燃える真っ黒な炎だったときのきもち。最高。
ノーマの「初期作品は全て私が」撮りノーマの「最初の夫」でもあり、おそらく「不思議な輝きをもつ少女」だった彼女を唯一知るマックスにノーマ個人を見る気がぜんぜんないのつらい。好き。途切れないファンレターは過去の幻想に送られているだけだぞ。出会ったばっかのジョーのほうがよっぽど大事にしてくれてるぞ。ノーマほんとうにそっちでいいのか。いや彼女には選択肢なんかないんだけどね。今までの全てを手放して先の見えない未来に挑むには彼女は歳を取りすぎた。ジョーが差し出した救いは時間に抗わずともよい安らぎをくれるけど新たに挑むための狂気や夢を与えてはくれないんだなあ。そして残念なことにノーマは、マックスも、それらなしで生きていける種類の生き物ではないんですよね。ジョーとは違って(サンセット大通りで残酷なところのひとつ、ジョーはハリウッドというばけものに愛されるに足る人間ではないってところだと思う。彼には狂気が足らない。)
本当にノーマの話ばかりしてるな。
マックス、マックスなあ。個人としての彼はまあなんつーかなかなかのやり手に見えるんだけど無声映画の大女優ノーマ・デズモンドへの執着がすべてひっくり返すしその妄執が彼を占めるすべてだからそれ抜きに見るのは無為なんだよなあ。
や、実際やり手だと思うんだよねマックス。ノーマの生活レベルを維持しながらお金の管理も(ところによっては工面も)してるし、ノーマに現金を持たせないのもジョーに現金を渡さないのもうまいなあと思う。ジョーがベティとの1度目の待ち合わせで店主に支払った金、アーティがジョーに「少しだけど」って貸してくれたお金そのままなんですよ。ピンクのシャンパンや金のシガレットケースはあるけど少しの手持ちもないから、ジョーは屋敷にいる限り生活に困らず甘い暮らしができるけど出て行くための準備や外での交流はできない。ノーマにねだろうにも彼女はおそらく現金を渡す必要がわかってない。し、たぶんお金を触らせてないっぽいのよね。ジョーが脚本の手直しを終えて出て行こうとする1度目、引き留めるノーマが「ギャラをまだ払っていないわ」「二倍、三倍、」「払えるだけいくらでも(ここは回によっては四倍、五倍、いいえもっと、と続く)」って言うけど結局お金を払ってはなさそうなんですよ。そしてこわがりの彼女は屋敷の外に出たがらないし、入ってきた他人とのやり取りにはマックスを挟むから情報の操作が簡単なんですよね……。ジョーに「手紙の消印はご覧にならないほうがよろしいかと」っていうけどノーマは絶対それを気にはしないって確信があるのか手紙を剥いて渡しているのか、いずれにしてもノーマが自分の思惑を超えることはないと思ってるのかな。ラストシーンの「私に!私にお任せください」からの一連を見てるとマックスはどこまで仕組んでたんだろなあと思う。大女優ノーマに栄光をもう一度、と彼女に変質(一般的には適応と呼ぶタイプのそれ)を許さなかったマックスはでも、時代が変わってしまったことをきちんと認識している。日々を繰り返しても悲願は達成しないと判っていたはずで。
ジョーを屋敷に招き入れたのは偶然として、彼がツバメになったこと、彼女の精神状態を案じるような言い方でジョーを脅かしながら関係の危機や破綻を静観するのみなこと、ノーマの部屋にピストルがあること、どこまで“マックスの思惑通り”だったんだろうね。1幕ラストでジョーがノーマを受け入れたあと、手袋を外した己の手をじっと見ているマックスは何を考えていたのかしら。

ところでこれはサンセットにビタイチ関係ないんですが山路さんのお名前をググったら別作品の推しの声をやってるっぽくて山路さん声優活動もしていらっしゃったんですかという。同姓同名の声優さんがいなければ推しの中のヒトだ。マックスの声やアフイベ短縮版で聞いたお声とローズの金属質な声質が違って声優さんってすげえなあというのと鋼ポケモンを愛おしむけど鋼ポケモンに特別好かれるわけではないローズの声をあの質感でしてくれてありがとう……(同一人物である前提で話してるけど違ったらごめんして)という気持ち。ポケモン剣盾の私の推し、神話のないガラルでかみさまになるしかなかった代替の利くただの人間をみてくれ。

*1:柿澤さんが「靴を舐めろ」のとき見せたハンドサインに大喜びしたオタク。

*2:ロミジュリとか

*3:『きょうもみんな、おえかきがすきです。』で触れた概念。人生で数少ない手放しで受け入れてる概念でもある。

*4:してたら大晦日のパーティーでああはならなかったでしょう

*5:ベティに説明するときは目が泳ぐ

*6:目に塗ると妖精が見えるようになる、あるいは妖精の幻術がとける。「妖精の塗り薬」でぐぐってくれ

*7:最後の瞬間マックスがどんな顔してるか確かめたいと思いつつノーマに魅入るので結局叶わなかったアカウント

*8:猛スピードの衣装掛けに肩を跳ねさせたりもしている

*9:濱めぐノーマはあきらかに「キャメラ」の単語に反応して目に意識が戻る

*10:そして真実は人の数だけある。積んできた体験が人それぞれ違うので

*11:正負によらず強い情念でだれかのあり様を方向づけるものを私は呪いと呼んでいます。

*12:安蘭ノーマはマックスが肩を抱こうとしたところで棺に突っ伏すため彼の手は届かない

*13:心が壊れたいきものがよすがにあどけなく微笑むのがどうしてあんなにうつくしいんでしょうね濱めぐさんね 砕けた心の破片が光を反射してきらきら輝いてるんでしょうか。推しです。

*14:何かに手を伸ばして落ちていったランディ夫人の後だからよかったねって気持ちになっちゃうのは否めない事実なんだけどそれにしたって。

*15:ジョーは(特に平方ジョーは)あそこでノーマが手を伸ばしたら一緒に屋敷から連れ出してくれたんじゃないかって思うのよ

タージマハルの衛兵、TV放送ありがとうの回

何が 回 なのか自分でもよくわかりませんがオタクは機を見つけて推しコンテンツを語るものなので……。リアタイログをまとめてちょっと足しただけだから、だいぶ取っ散らかってます。公演期間中の悲鳴よりは大人しいよたぶん

 

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'19LNDの放送とかないんでしょうか

CDもいい。あのキャスト陣で1幕の四重奏と負ければ地獄カルテットがほしい。

ついったでわーっと言ったことのまとめです。だいたい自分用。
※あくまで個人の(だいぶ意図的に歪んだ見方をしている)感想であり、強度の幻覚が入っていることをご承知おきください。広げられた情報から好みのものを選び見たい絵を描くというのが私の作品鑑賞ですつまりオタクの妄想というやつだ。

私はまだアメリカの黒い夜の海から上がってきちゃいないんだよ……たぶんオタクやってる限り上がらないと思う……


脚本・演出・役者さんの演技、どの段階から盛り込まれたのかは知らないんですが、LNDの伏線はミュージカルオペラ座から持ってきてるのにキャラクターの人格は原作読むと兆候はあるな…って気はしてくる変わり方なところすげえな!?って1年越しに思った。

猿のおもちゃ、ダイヤの指輪、音楽がわからないラウル*1、クリスティーヌの「手を繋いでいて」、右手で顔を覆う仕草。この辺りだいたいミュージカルオペラ座のオリジナル要素だと認識しているんですが、LNDはこれらが随所に覗くんですよ。*2それでいて、マダムの怪人がもつ才能への心酔とかラウルのうじうじしたところや言ってから後悔する虚勢とかファントムのクリスに母のごとき愛を求めてるところとか、彼らの変わり様は(特に"好ましい性質とされなさそうな"変化が)原作の彼ら確かにそういう面あるよねって感じなの。原作時空とは異なるもしもの世界としての完成度がすごい。いやまじで。ミュージカルオペラ座では長大な物語を3時間に収まるように澄んだ断片を選んで枠組みに使い色付けし、LNDは前作では長編小説を3時間で綺麗に整えるために取り出さなかった部分を抜き出し画材にして好みの絵を描いたような、セルフ二次としてのクオリティはガン高だと思う(妄想です)
1作目で各人物がした成長がぜんぶリセットされてたり生身の人間が持つような醜い心の一面をごりっと見せる一方で現実そんな都合良いか??ってリアル度低めのあらすじで落差のでかさにどの程度のリアリティとして見るか心の準備が難しかったり、ぶっちゃけ人を選ぶ(1作目が好きな人ほど納得できるできないで好みが大きくわかれる)構成だよなと思うけど。そういうところもセルフ二次としてのクオリティ高いと思う。共感も反発も生まない創作ほど無力なものってなくない?という自論。


主要キャラクターが生身の人間の持つみにくさとかめんどくささを全面に引っ張り出されている中で、LNDクリスティーヌはべらぼうにうつくしい女(顔ではなく)(顔も美しい設定だろうとは思う)として描かれているので夢を背負わされているなあって思う。某国民映画シリーズ*3における「母」概念みたいな、強烈な執着と憧憬を感じる(受け取り側の妄想)
彼女に人間らしさがないかと言えば否なんだけど、作中の価値観において"瑕疵のない"、物語の大前提になるファントムとの不貞*4を除けば落とされる理由がないのはメインキャストでは彼女とグスタフ*5だけなんじゃないかな。マダムジリーがある意味それなんだけどほら、娘を売ったっていうどでかい瑕疵があるからさ……*6

原作オペラ座のクリスティーヌは年相応にめんどくさい*7女なんですが、LNDのクリスティーヌは10年前の、ミュージカルオペラ座の彼女から変わっていないんですよね。彼女だけベースになってるのが1作目で取り出された上澄みのほうの人間性なようにも見える。天秤の片方だけは選ばない(選べない)、その優柔不断のかわり原作の秋空のように心の揺れ動く年相応のめんどくささはない女。
クリスティーヌは選ばないんですよ。手を取り離れはしたけど片方を選んではいない。10年前の月のない夜にファントムの元を訪れたってつまりそういうことでしょ? 光の下で生きてほしいと願ったファントムの愛そのものを拒んではいない。ラウルを選びファントムを手放したのではなく、どちらの愛(こう生きてほしいという願いと言ってもいい)も受け入れた。10年前に天秤の両皿にあったのはラウルとファントムで、今は愛と音楽だっていうだけの違いなのでは?というかラウルが家族の象徴でファントムが音楽の象徴となってるなら皿に載ってるものすら変わってないのでは(強めの幻覚です)

ただまあ個人の印象なんですが、LNDクリスティーヌは心のなかで愛と音楽の区別ができてなさそうな感じが…する……。入り口は一応異なるけど概念として不可分に混ざり合ってるというかそもそも彼女の中では別のものではないというか。漢数字とアラビア数字みたいな。誰かを抱きしめることと誰かを想って歌うことに異なる意味があるとは考えなさそうじゃないですか彼女。愛することが音楽になり音楽で愛を伝えるなら、10年前にもましてどちらかを選ぶ発想に至りにくそうだなって思った。違いがわからないのにどちらかを選べ選ばなかったほうは喪われるって無理ゲーじゃん? なお私は「芸術は理解できない」って吐き捨てていたラウルに「愛は死なず」が"届いてしまった"回(かわいそう)(とても好き)(受け手の妄想です)を最推し回としているのでクリスティーヌは10年前と同じ選択(どちらかだけを選ばないという選択をし実際に適った)が成ったと思っています。

やーもうここまでくるとだいぶ幻覚の強度が高いっていうのはわかってるんですけどね?ラウルのそういう仕草見たの1度だけだし。でも耳を覆ってぎゅっと目を瞑って小さく首を横に振るあの回のラウルにクリスティーヌの音楽は確かに届いていたと思いたい。彼女だけがファントムに愛への理解を与えられた*8んだから彼女の歌からラウルに音楽への理解が与えられてもいいじゃない……。
でもその仮定だと別れの手紙の意味が「彼女が歌いファントムとの賭けに負けたから手を離す」ではなく「自分では導けないとわかってしまったから手を離す」ってことになるんですよね……。
でもって「自分が持ちえなかったものをクリスティーヌに与えられたことで、自分の与えられるものでは彼女を幸せにすることができないと分かってしまった」から「クリスティーヌの明るい未来を願って自ら彼女の手を離す」ってオペラ座ファントムそのものなんですよね……。

解釈に正解はないというのが持論ではあるんですがそれはそれとして、「彼女から与えられたものによって(かつての恋敵と同じく)自分では彼女を幸せにできないとわかってしまったから」最愛の人の手を離す、構図として美しくかつ心を強く揺さぶると思うんですよ……。

*1:原作だとラウルは少年期に天才的なリュート弾きだったクリスティーヌパパにバイオリンを習っている。

*2:音楽もそうらしいんですが、私はLND公演終わってからオペラ座見たのでいまいちわかってない。

*3:ほのぼのストーリーと見せかけて異界に接続したりカミとの契約が出てきたりするあの作品たち

*4:これも結婚前だろうから厳密には不貞ではないし、時系列がラウルが助けに来る前だったら瑕疵にすらならない

*5:初登場のオリキャラだから視聴者に反感を持たれるわけにはいかない

*6:原作のマダムはファントムのためなら本当に何でもしそうって言うのがまたタチが悪い(賛美の表現)と思う

*7:怖気づいたり意地を張ったりで中盤まで意思が一貫してない。でも人間ってそんなもんじゃん?

*8:10年前におまえは何を得たのかと毎回言いたくなるんだけどそれを言ったらおしまいなので……

ポケモン剣盾主人公とライバルについてのメモ。

別所で連投したのの私的まとめです。なお私の進行度は某トーナメントでコータスが攻略できなくて止まっています。


プレイした人の感情移入やキャラ付けを除いた剣盾主人公はどういう子なんだろうかって考察を見かけてつられて考えてたんだけど、主人公に(特に序盤の)ホップは持ってなくてかつダンテと共通している要素があるとするなら、手段じゃなくて目的としてポケモンバトルを見られる子なんじゃないだろうか。なんとなくなんですが、ホップはポケモンバトルを「アニキみたい」の一要素として見ている印象を受ける。

ホップよりポケモンを手にするのは後(ダンテにもらうまで自分のポケモンを手にしてない)、ダンテにコーチしてもらうまでポケモンを捕獲しない、このあたり見るに主人公は物怖じする子なのかなーって気もする。興味を持っても新しいものへ手を出すハードルが高くて、ホップが手を引かれて初めの一歩を踏み出すような。

ホップも未知との遭遇では主人公を庇うように動くしさ。ダンテの出迎えも森でのことも、ホップは基本的に「先に行ってる」んだよね。ホップ自身の好奇心が警戒心を上回る性格を表しているんだと思うけども、主人公から見ると未知の危険(とぶつかる不安)を取り除いてくれている人にもなるんじゃないだろうか。

トーナメント前のインタビュアーおっぱらいを見る感じ、主人公が自分より明らかに強くなってても対人ではホップが主人公を守ってくれるんですよ。ホップの知ってる主人公は、ああいう無遠慮で下衆な手合いを追い払うのが(少なくても)苦手な子なんじゃないかな。


ところでホップくん、ボールの投げ方といい口癖といいポケモンバトルが憧れのチャンピオンへの同一化って感じなのに手持ちや技の使い方に彼の内面や性質、葛藤までがそのまま表れてるの本当に残酷だよなって思う。どんなに研究して真似しても、この世界ではポケモンバトルにそのままの自身が表れてしまう。

アニキみたいになりたくてダンテのポーズを観察したりポケモンやジムリーダーの知識を深めたりしているホップくんは分析が得意(≒サポート役や研究者向き)で、ホップくんの影響でポケモンバトルに踏み出した(ようにも見える)主人公がバトルの中からポケモンを学びバトルを純粋に楽しむチャンピオンとしての素質を持ってるのなかなか残酷な構成だよね(好きです)

タージマハルの衛兵(3回目)感想

noteから持ってきました。日時は当時に合わせています。
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これとかと同じテンションで語っています。
以下、すべては個人の感想もしくは幻覚であることをご承知おきください。

オイディプスの父殺し、あるいはフマーユーンの選択
創作物に社会概念や物語の元型を見ると確証バイアスかかる(殊、自分はかけやすい)ので基本的には避けてるんですが。
ずっと腑に落ちてなかったんですよ、何故フマーユーンはバーブルの手を切ったのか(そのまま放置して牢屋を出ていくのに。)でもって成河さんがバーブルはフマーユーンの憧れって言ったらしい件をアフトクレポで見てから*1act3のフマーユーンに「ぼくのかっこいいバーブルでいてよ!」って副音声(幻聴)が聞こえてしょうがなくてですね。
オイディプスの父殺しじゃん!!!!!
父殺しのオイディプス。エディプスコンプレックス(フロイト氏の学説、個人的に着眼点は好きですが解釈は彼自身のコンプレックスが出てるなあと思っています(歴史的な貢献はすごいとも思う。)) のが名前の通りがよろしいでしょうか。エディプスコンプレックスの話がしたいわけではないのでオイディプスでもゼウスの父殺しでもいいんですけど。ギリシア神話父殺し多いな。
フマーユーンがバーブルに憧れを持ってたなら、そのバーブルの手を切る行為はある種の父殺しだったんじゃないかなって。そしてフマーユーンは、それをしたことで本当の"父殺し"をできなくなった。実現可能性の高い低いではなくて、フマの理想像だったバーブルを、"つよくてかっこいいぼくのヒーロー"をあんな形で否定してしまったら、彼はもう理想とすべき姿を"皇帝のような『秩序を守る者』"か"皇帝に忠実な衛兵(と書いて「ただのコマ」と読む)"しか選べなくなるんでないかと思うんですよ。友人が泣いていたら放っておけない彼の優しさを、他者を思いやり己の信念に忠実な在り方を"弱い"と非難して、"生きていけない"と切り捨てたのはフマ自身なんだから。
いくらなんでもバイアスかかりすぎかなとも思うんだけど、そういえば父子の関係を疑似的になぞる会話あったなあって。

「初代皇帝バーブル」「俺と同じ名前の」「お前と同じ名前の!初代皇帝バーブルの息子フマーユーン」「お前と同じ名前の!」「俺と同じ名前のフマーユーンの息子…」

フマーユーンが敬愛( )するムガル帝国皇帝のご先祖様と同じ名前のバーブルとその息子と同じ名前のフマーユーン。だからで父殺しの概念と結びつけるのはいささか飛躍が過ぎるにしても、何らかの示唆であるのは間違いないと思う。そういう意味を持たせたくないならそういう意味にならない名前にするだろうから。あの目玉の親子もフマの真似してるほうが子供みたいだし。
まあいずれにしろ、フマーユーンは父だか国だか秩序だか、そういう自分を助けてはくれない何かのために自分の心を守ってくれる存在と二人でいることを諦めてしまったんだろうね。
ところであの目玉がなにか結局よくわかってないんだけど(本編には欠片も出てこなかったし)あれは何なの?マスコット?攻めたデザインだね?アローンの好きだというアンスリウムの花が、小花が集まって1つの塊(中央の雌しべっぽい部分)になってるとこまで含めて皮肉が効いてて面白いと思う。ラナンキュラスアンスリウムどっちも毒花なとことか。

*1:又聞きの状態であれですが。新国立の演目はこっちも収録されると聞いたので見てみたい

タージマハルの衛兵(2回目)感想

1回目はこっち。

note.com

 

今回けっこう前の席だからというのもあるのかいくつかだいぶ印象が違った。後ろのほうだと音が空気を含んでいるというか、少しふわっとした質感で届くよね。嫌いじゃないけど印象は異なるから、どっちが見せたい絵なんだろうと考えたりはする。


とりあえず特に衝撃大きかったの2つ先にいいすか。

 

〇最後の場面、フマーユーンの白昼夢。前見たときあれはバーブルが話した計画の後半かと思ったんですよ。皇帝を殺したかはともかくとして、バーブルと2人でジャングルの中、白檀も使った筏の上で過ごす空想。違いますね?あれ「俺たちの秘密基地」の思い出だね!?フマーユーンは最後まで発明なんかできなかったんだな!?
ハーレム警備も秘密基地の思い出もフマーユーンが語る事実はあんなに鮮やかで、フマは「発明」の、つまり空想で誰かを楽しませる才能はないけどその代わり、事実を語って誰かをわくわくさせる才能はあったんじゃないかなあって。バーブルは空想でフマーユーンは現実で、誰かを救う才能があったんじゃないかな、って。

〇act2、あの「ひどい仕事」の後、バーブルがゼロから「発明」したものは何もないんだなって……。雲の紅茶や透明な家は手を切り落としながら考えたものじゃん。シートベルトやとんでもない悪夢はエアロプラットの、持ち運び式抜け穴の二重袋はフマの発明のアレンジで。4万本の手を切り落として、最後まで悲鳴を上げなかったウスタッド・イサの手を切り落として、美しいものを愛する彼の手は「石みたいに」固まって使い物にならなくなった。
バーブルが話す皇帝暗殺と「計画の後半」はフマーユーンの心をぜんぜん動かさない。彼の空想はいつだってフマをわくわくさせていた(「ひっどい」光景を掃除するときでさえ)のにバーブルが見る現実はフマーユーンに響かない。フマーユーンみたいに事実を鮮やかに伝えて想像させる力をバーブルはもっていない。
あの仕事でフマーユーンの目は見えなくなってバーブルの手は使えなくなった。でも二人が協力して、お互いを助ければ目も手もまた使えるようになったんだよね。そんな未来もあるはずだったんじゃないか。あのときだってフマーユーンはバーブルを助けて自分も楽になる術を、バーブルの足枷を外す鍵を持っていた。バーブルの言葉はもう彼を動かさなかったけれど。

 

こっからは雑多ですはい。
・フマとバーブルの手や足がすごく赤っぽくて(特に足)、なんだろうと思ったんだけどact2で血のりの色が落ちてないんだと気がつくなどした。血の色が染み込んで落ちない、っていうとわりとこわいやつ。
バーブル、なかなか紐を結べなくて独り言いいながら格闘してた(ちらちらそっちを気にしてるフマーユーン)
・「黙ってろ!」って言われたから鳥の声がして話しかけたくなるのを口押さえて我慢するバーブルえらくてかわいい。「ムネアカ!!!ムネアカナントカカントーカ!!!そういう名前!」って答えちゃうフマーユーンもかわいい。

・フマーユーンの規則の話を聞いてる(聞いてる?)バーブルの精気のない目、ライトの加減もあって少しオリーブ色の浮いたうす茶色に見えて乾いたふかふかな地面みたいな色をしてるなって思った。
・act2以降、バーブルの目が塗りつぶされたみたいに暗く黒が強くなってて、黒目の縁に鮮烈な赤がのってるのがぞっとした(賛美)

・マッサージをしてるフマーユーン、バーブルの顔を見て話してるようでずーっとちょっとずれてるとこを見てるんだね。腕を伸ばしてあたりを探ってるときも目は開いてて感情も見て取れるのに何も映ってない(視線の先に焦点の合うものがない)感じがするのすっげえなって思う。
・パニックしてるフマーユーンに対するバーブルの兄ちゃんな接し方がわりと好き、フマが上手じゃないのかバーブルが慣れてるのか、バーブルは感情的に衝突したら一歩引いてやる振る舞いが多い気がする。

・たまたまかもしれないけどさ、フマーユーン、血のべっとり染み込んだ雑巾を絞るとき目を瞑ってぱっと顔をそむけるね…。バーブルと並んで絞ったときもその後のときも、そんな大きな動きじゃなく、でも目線を外す。血が滴り落ちる手を見られない。
このずっと後、act4で「もう血なんか見たくない」みたいなことを言ったバーブルにフマーユーンが「そんな弱い〜」って責めるよな調子で返すんですよね。フマーユーン、自分が弱いから(そういやact1で言ってる)、弱いのを見せないで生きようとしてきたから弱さを肯定するのができないのかなって思った。いま。

・ところでさ、2回目の見張りのときの鳥だけ声が違わない?ムネアカナントカカントーか(ムネアカタヒバリ?)のギャーッ!って声じゃなくて、カモメかウミネコみたいなみゃーみゃーした声な気が。

・「やっぱりお前何っにもわかってない!」から世界の仕組みを説明するフマーユーン、目が濡れてたんですよね。何がフマーユーンにとって涙を溜めるほどのことだったんだろう。バーブルが夢見てたみんなが幸せな世界なんてないと突きつけること?

・やっぱりバーブル、途中から「皇帝を殺す!美は絶対生き残る!!」って言う。

バーブル、育ちは結構大変なのかな。「俺が育ったところに比べれば宮殿だよ」みたいなこと言ってたね。…バーブル、「世界のはずれ」にいた側の人間なのか……

・気のせいかもしれないんですがact4、バーブルが「“ひとりで”逃げるから!」って言ったときにフマーユーンの様子が少し変わった気がしたんですよ。気のせいかもだけどでもフマーユーン、前の場面でバーブルを押さえ込みながら「(3日我慢すれば)お前と俺、また俺たち二人でいられる!」って言ってるんですよ……。フマーユーン、「二人で」いたかったのかな。

◯ところでフマーユーンがバーブルの足枷を外したのは何故なんでしょうね。
バーブルを逃すつもりなら手を切る前に外せばよかった。皇帝の言葉に従う(手を切れば生かしてやる)なら焼き鏝を持って来る必要があった。けれど彼が独房に引っ張り込んだのは、手を切る道具だけだった。
あのときバーブルが「一緒に逃げよう」って言っていたら、フマーユーンは頷いたのだろうか。まあバーブルは思わなかっただろうけど(幻覚です。)フマーユーンはバーイーを「裏切った」し。「後ろめたさで号泣する」フマを見て「許す」と言ってくれたけど、その後でもう一度、バーブルはフマーユーンが裏切ったことを知る。しかも今度はバーブルを救うためでもなく、なんなら必要ですらなかった。皇帝に嘘をつく後ろめたさにフマーユーンが耐えられれば、バーブルの罪をごまかすかわりにフマーユーンがひとつ罪を背負えばどうとでもなったんですよ。バーブルが侮辱したのがアッラーか皇帝かなんて、本当のことは2人にしかわからないんだから。
・ねえそういえばフマーユーン、バーブルの手に剣を当ててからバーブルの顔を見た? そもそもその前に投げられたバーブルの声(「そんなことしたらお前おかしくなる!」)、あのときバーブルはフマの目を見据えていたけど、フマーユーンはバーブルを見てた?
バーブル、剣を打ちつけられてる時は叫んでいたのに手を切り落とされてからは一度も悲鳴をあげない。ウスタッド・イサみたいに。(もちろん役者さんにそうする必要があるんだけど)切られた傷口を隠してうずくまるのがフマーユーンへの優しさにも見えて。さっき言いそびれたけどバーブルが「ひとりで逃げるから」って言った理由、前に提案したときフマがジャングルで暮らすのを嫌がったからでもあるんじゃないかなって(幻覚)act2の「おエライ人、(フマをちらっと見て)皇帝!」とかact3の「月みたいに綺麗な(タージマハル)」とか、バーブルはフマーユーンがこだわったところはちゃんと覚えてて譲ってくれるんだよね。だからきっと、バーブルがフマを一緒に逃げようなんて誘うことはない。あの晩、フマーユーンは嫌がったから。

・夜の警備でフマーユーン、ちっちゃい声で「バーブル…?」って言った……

・act5の白昼夢がフマーユーンの空想でなくいつかの思い出だとしてさ、フマーユーンがact2で「鳥!美しい」って言ったとき、彼が思い浮かべたのはあの時に見た空飛ぶ鳥の大群だったりしない……? フマーユーンが思い出した美しいものたちは"バーブルと二人で見た"ものばかりだったりしない…?
・すげえ、すげえって興奮してあたりを見回してたフマーユーンが、呆けて口を開けたまま目から高揚が消えて、あいまいな動きで表情が無に戻って、また日常に戻る。

・act5のフマーユーンの口上、皇帝の名前変わってましたね……。フマーユーンが止めなくても偉大なる皇帝は君臨し続けやしなかったし、バーブルが計画を実行しなくても美は生き残ったし、皇帝が変わったらハーレム警備兵なんか僻地に飛ばされる気もするし、フマーユーンのしたものの結果はただ1つ、バーイーを失ったってことだけなのかもしれない。

 

3回目(とちゅうでつかれた)もある。

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