つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

タージマハルの衛兵(3回目)感想

noteから持ってきました。日時は当時に合わせています。
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これとかと同じテンションで語っています。
以下、すべては個人の感想もしくは幻覚であることをご承知おきください。

オイディプスの父殺し、あるいはフマーユーンの選択
創作物に社会概念や物語の元型を見ると確証バイアスかかる(殊、自分はかけやすい)ので基本的には避けてるんですが。
ずっと腑に落ちてなかったんですよ、何故フマーユーンはバーブルの手を切ったのか(そのまま放置して牢屋を出ていくのに。)でもって成河さんがバーブルはフマーユーンの憧れって言ったらしい件をアフトクレポで見てから*1act3のフマーユーンに「ぼくのかっこいいバーブルでいてよ!」って副音声(幻聴)が聞こえてしょうがなくてですね。
オイディプスの父殺しじゃん!!!!!
父殺しのオイディプス。エディプスコンプレックス(フロイト氏の学説、個人的に着眼点は好きですが解釈は彼自身のコンプレックスが出てるなあと思っています(歴史的な貢献はすごいとも思う。)) のが名前の通りがよろしいでしょうか。エディプスコンプレックスの話がしたいわけではないのでオイディプスでもゼウスの父殺しでもいいんですけど。ギリシア神話父殺し多いな。
フマーユーンがバーブルに憧れを持ってたなら、そのバーブルの手を切る行為はある種の父殺しだったんじゃないかなって。そしてフマーユーンは、それをしたことで本当の"父殺し"をできなくなった。実現可能性の高い低いではなくて、フマの理想像だったバーブルを、"つよくてかっこいいぼくのヒーロー"をあんな形で否定してしまったら、彼はもう理想とすべき姿を"皇帝のような『秩序を守る者』"か"皇帝に忠実な衛兵(と書いて「ただのコマ」と読む)"しか選べなくなるんでないかと思うんですよ。友人が泣いていたら放っておけない彼の優しさを、他者を思いやり己の信念に忠実な在り方を"弱い"と非難して、"生きていけない"と切り捨てたのはフマ自身なんだから。
いくらなんでもバイアスかかりすぎかなとも思うんだけど、そういえば父子の関係を疑似的になぞる会話あったなあって。

「初代皇帝バーブル」「俺と同じ名前の」「お前と同じ名前の!初代皇帝バーブルの息子フマーユーン」「お前と同じ名前の!」「俺と同じ名前のフマーユーンの息子…」

フマーユーンが敬愛( )するムガル帝国皇帝のご先祖様と同じ名前のバーブルとその息子と同じ名前のフマーユーン。だからで父殺しの概念と結びつけるのはいささか飛躍が過ぎるにしても、何らかの示唆であるのは間違いないと思う。そういう意味を持たせたくないならそういう意味にならない名前にするだろうから。あの目玉の親子もフマの真似してるほうが子供みたいだし。
まあいずれにしろ、フマーユーンは父だか国だか秩序だか、そういう自分を助けてはくれない何かのために自分の心を守ってくれる存在と二人でいることを諦めてしまったんだろうね。
ところであの目玉がなにか結局よくわかってないんだけど(本編には欠片も出てこなかったし)あれは何なの?マスコット?攻めたデザインだね?アローンの好きだというアンスリウムの花が、小花が集まって1つの塊(中央の雌しべっぽい部分)になってるとこまで含めて皮肉が効いてて面白いと思う。ラナンキュラスアンスリウムどっちも毒花なとことか。

*1:又聞きの状態であれですが。新国立の演目はこっちも収録されると聞いたので見てみたい