感想言いたいけど場所がないって人をちらほら見るので、mixi2にそれ用談話室がありますよと言いおきますね。
あとあのこれは別所でも言ったんだけど、「カタシロ」原案は確かによく練りこまれたTRPGシナリオなんですけど、舞台や映画や配信のカタシロを観てTRPGってこういうもんなんだなと思い込むのは勘弁してね。TRPGはPCを動かすのが20%、同時並行で行う相談と提案と譲り合いが80%です。
観劇前の与太
私の認識している「カタシロ」というシナリオと木村達成氏の話をします。どうせログ出しのときにこの話すると思うし……。
「カタシロ」というシナリオは、PL(今回は演者)が主体と主観を近づけ臨むことを要求された状況で、ほんの一枚かぶる虚構にどんな客体を選ぶかが1番おもしろいところだと思っていて。
KPという他者を意識せざるを得ないなかでの「ありのまま」といいますか。「どういう自分を見られたいか」の意識が入らざるを得ないところが、ソロジャーナルではなく1人PLシナリオだからこその体験で面白さだと思うんですよね。
クローズドセッションでもセッション配信でも舞台公演でも、物語構築*1が目的だという大前提は覆らない。プレイヤーの選択やその理由には必ず「物語の登場人物として」の色が入る。(※このことと、自身の選択/思考として自然であることは必ずしも矛盾しない。)
私はこういう与太が好きなので延々話してしまうんですが、「本当の自分」なんてひとつじゃないじゃないですか。ヒトは肉体と社会性をもつ愚かな存在なので、置かれている状況や周囲の視線、更に言えば自身のコンディション(寒いとかお腹減ってるとか。)で見えるものも考えることも簡単に影響される。
幾多ある「他者の視点があるときの自分」からその人が取り出した、最もヒロイックだと感じる一面。それを好きに眺められるのが、このシナリオを(自身が主人公として参加するだけでなく)他人に遊ばせたり、それを傍観したりしたがる理由のひとつではないかと思う。
公演も始まってないのに記事が終わりそうな勢いだな。始まってません(16:00現在)
木村達成氏のこと、気遣いを向ける意識の範囲が広い方だなと思っていて。自分から見えてるもの以外の視点に意識を回せる方、と言ったほうがいいのかな。
ミュージカル俳優で登場してまずペンラ扱いのルールをお話してくれた*2の後にも先にもこの人だけだったので、そういう細やかな気遣いの面がかなり印象に残っているんだと思います。
木村さんの出演作品をエリザとJtR、スリスタぐらいしか観てなかったので、そのときの公演では柿澤さんにシンパシーを感じる(みたいなことを言ってたんですよ)らしいことに意外さを覚え、終演時にはああなんかわかるな……。となった記憶。温度感と、見せると決めるラインにおける類似性が高いんだなというか……。
公演後感想
ログもといレポは目次から飛んでください。そっちはそっちで8000字ぐらいあります。
ディズムさん(実体)は初見なので(そして私はヒトの情動演出を完全に目の色に頼っているので)具体的なことはなんともなんですが、進行役としてはさすが取り回しがうめーな……と思いました。熟練のGMが持つあの安心感。
好奇心での野暮を言うんですけど、舞台役者が出る回も多いことだし、アイメイクだけしてみてもらってほしいな、なんて思ったり思わなかったり。目元の輪郭と細かな動きが見えやすくなるとね、観客側から拾える情動推移の情報量がぐんと増えるのでね。
ミコちゃんについては初見も初見だから声劇うめえなくらいしか言えることがないんだけど、声劇うめえな……と思いました。声色をきゅるきゅるさせて抑揚の付け方も幼児を連想させるものなんだけど、聞き取れなかったり聞き取りにくかったりする言葉が一個もないの。すばらしいわね。
木村さんについては、途中からどう演出するのがいいかを選択した……シノビガミ*3で言う「信念」を選び取ったなって印象を受けました。
序盤中盤はソロライブで拝見した人物像と温度が近く、DAY3の半ばあたりかな、そこらへんから(人物の)意思決定の方向性が定まって主人公として演じ出したというか。医者との関係性を浮き出させたりシナリオの設定を引き出そうとしたりするアプローチからマコトを演出することがキモだと舵を切ったような。
彼が出てるアフトクやコンサートはほぼ行ったことないんだけど、彼のオタク(ミュージカル業界はアイドル商法なので……)は後半に行くにつれ「木村達成そのもの」に近づいていったって感想が多かったみたいですね。自分を演出してみせている姿が“らしく”見える人なんだろうか。知らんけど(これは本当に知らんやつ*4です)
それはそれとして主人公ロールものすごく堂に入っていたので、いつかニコ生あたりで「獣は踊る」PC1をやってほしいですね。PC2に加藤和樹氏PC3にMay‘nさん連れてきてさ。本業役者なだけあって、ひとたびキャラクターの軸を見据えてからの色鮮やかさが素晴らしかった。
アフタートークでは、マコトの言葉や決断であって木村達成ではないというのを幾度も念押ししていた印象。それはそう。VTuberと違って生身の名前と身体を使ってるので、演者からそのぐらい発信してくれたほうがこっちも安心できる。
こういう系のPLとPCはタッチのたっちゃんとかっちゃんぐらいに別物だよね*5とRP重視型トークゲームに慣れてるねずみは思うわけなのだけど、普段はよく仕舞われた素顔を束の間覗き見たという錯覚がしたいんだってヒューマンの言い分もまあまあわかりはする。その錯覚(嫌ってない*6です)は購買動機に強く結びつく充足感を与えると思う。
個人的にタイマン思考実験系シナリオ*7の面白さは、この人物像ならこう生き死なせるのが(作品として)美しい、というPLの物語論が垣間見えるところだと思っています。個人的にはね。
ところでこれはカタシロや特定の誰かへの意見感想ではなく一般論としてなんだけど、極限状況での二者択一や視野狭窄にされたときの言動を「本性」とか「素の○○」とかのように感じてしまうの、エンタメとして言ってるなら全然アリだと思うんですが本心からそう思ってたらなかなかに危うい思想ですよというのは、TL眺めててちょっとだけ思いました。弾圧されている者を迫害する良い口実になるじゃん?その思想はね……。
VTuberみたいに見た目と概念に一枚の虚構を被せた*8存在ならガワのほうに収束してくので安全性は幾ばくか高いけれども。
育ちの良さを窺わせるおっとりさが愛されるという世知辛話もそうだけれども、虐げられ搾取されている(いた)者ほど言動がカワイクナイものですからね。大事にするやり方もされるやり方も知らないか、忘れてしまっているから。アユムちゃんがあんなに無垢でよいこなのはオハナシの存在だからだよ。
ログです。
開演前にあった(気がした音)
雨の中、自動車が行き来する音。和楽器が2種類、3種類?(琴、竹笛。鼓っぽいのもある?)のシンセ。短いフレーズ(とててととた、みたいな音)を繰り返している。
たまに混じる音
クラクション(複数種類)、ブレーキ、サイレン音(ピーポーピーポー……)、拡声器で演説?してるような男性の声、踏切か何かを通過する電車の音、幼児?赤子の泣く声(一瞬)
開演2分前、雷、クラクション(連続)、雨足が強くなる、雷、都会の環境音が消えて強い雨音のみ。打ち付けるような雨音の中、だんだんと頻度を増す雷、合間に掠れたバイクの音?一際大きな雷鳴が轟き、完全に暗転。開幕
舞台美術たち
舞台下手側のベッド(歯科医院のベッドに似ている)から少し離れたところに置いてあるバット、その中にある種々の工具たち。演者はベッドにくっついた拘束具(布とマジックテープ製)で両手首を繋がれている。
舞台の下手〜真ん中あたりにかけてコンクリの塊と一緒に置いてある子ども用の道具たち。下手から黄色い傘、黄緑の椅子(背もたれつき)、黄色の長靴。
中央奥にはビジネス用机。下手側には写真立てが2つ。1つは母と子(1〜2歳くらい?)がアップになったツーショット、もう1つは父母と両手を繋いだ女の子の家族写真。服装や構図からするに、入学式に撮ったやつじゃないかな。その奥に紙製のクリスマスツリーっぽい置物。飾りは一切なし。
その横にはモニターと簡易出力機。血圧計の結果が出るみたいな、幅広ロールの感熱紙が出るやつ。モニターに映ってるのはカタシロお馴染み似非心電図と「97」「98」。
舞台の上手1/3にはクロススクリーン?パーテーション?があり、その向こうに子ども用の学習机。机の本棚には小学館の図鑑が一通り、ハリポタ1巻、海底なんとか〜という赤い本。天板にはマインクラフトの頭ブロックみたいな黄色い頭部、ピンクのフラミンゴのぬいぐるみ。脇(客席側)に置かれた赤っぽいランドセルは蓋が空いていて、教科書やノートが出ている状態。1番上にある教科書が「理科」だったのは3学年以上である示唆(2学年までは理社セットで「生活科」なのだ)なのか、そこまで詳しい人が制作側にいなかったのかは不明。机の横に、星型の紙を繋いだモール飾りみたいのが引っ掛けられている。*9
机の横にキャンプ場で使うような椅子があり、でっかいクマのぬいぐるみが座らされている。頭になぜかサンタ帽を乗っけている。ほんとになぜ。
DAY1(囚人のジレンマ)
木村さん、はじめの呼びかけでは目覚めるそぶりを見せず、まっすぐ仰向けの姿勢だったのを顔だけ客席側に倒すだけに止めていて、なるほど需要がそこにあると思っていらっしゃる……と思うなどしました。あながち間違ってはなかろうと思う(TRPGシナリオは遊んだ人の手と口コミで広がってくけどミュージカル業界の売り方は基本アイドル商法なので)
目を開けてしばらくは何を言われても「は?」「え、何これ」「アンタ誰」「何だよこれ!」しか返さず、拘束揺らしてガタガタ暴れていて(腰から下はちっとも動かないので腕と上半身だけであの暴れ様を見せている。腹筋つよ)新鮮な気持ちになりました。二十歳前後の地元民かな。
俺らTRPGプレイヤーは探索者の目が覚めたら真っ白な部屋にいたり果ての見えない灰色の場所にいたり鍵の錆びついた牢に繋がれていたりするシチュエーションにすっかり慣れてしまっているけど、確かに普通はわけわからんし、拘束した相手に素直に自己開示する気になれないこともあるよな……。
木村さん、名前を聞かれて「マコト」と答える。PC名をつけるように指示が出ているのか、劇の題目なのだからで咄嗟に本名と違うものを名乗ったのかは知らないけれども。他の回のレポやログを見るに前者なのかな。
囚人のジレンマ説明、チョークの持ち方*10と板書の仕方*11が教員用の参考書を手本にしたようなそれでディズムさんの努力と意気を感じました。「ジ」の書き方なんかまさにだったよ……。
余計なお世話なんですけど、開演前にでも黒板にリードになる点を打っておくとバランス取りやすくなりますぜと思いました。でも別に授業ではないので、あの板書も味だよね。
医者が「(君が黙秘して自分が)自白した場合、〜」と口にしたときにやや怪訝そうながらも素直めに聞いていたマコトの目にぎっと不信が浮かんで、そこからは姿勢も表情も斜に構えたままだった
それまでは半分くらい首が傾きながらも正対していたのが、この言葉の後は腰を外(客席)側へ捻って腹の正面を医者に向けない姿勢になってるの。不信感なんだよなそれはな……。
医者の名前、「ナカトミユウリ」らしいです。2回聞き直してたので間違いないかと。
マコト、幼児〜小児の口調と声音で喋るアユムと話してるときは少し声が高くなり、一人称も「僕」になるの笑っちゃった かわいい 子どもとして接しながら子ども扱いしない
VTuberは声劇レベルが様々なのでどんな演者が来るかな〜〜〜と思っていたんですが、ミコさんうまいっすね?アユムは声色と語彙と抑揚だけで庇護されるべき(とPLに感じさせる)幼い子どもであるのを示さなければならず、視覚情報が多いこの形式ではなかなか難しい役回りなんじゃないかと思うんだけど。うまいよね、6〜7歳の子どもを連想させるような舌ったらずな抑揚(丸くしてるだけで1音ずつの発声はしっかりしてるので聞き取るには困らない)とふにゃりと伸びる語尾、ときどき挟まるひらいた述語の一語文。「パパぁ?」の幼児感が大変良かった。
木村さん(マコト)「(隣の椅子)座ってもいい?」
ミコさん(アユム)「いいんじゃない?」
とかね。ちっさい子ども、言いそうー!と思わせてくれたら勝ちだよ。
木村さん(マコト)「名前なんていうの」「聞いたけど忘れた(独り言」
アユム「パパの?」
マコト「そう」
アユム「ユウリだよ」
DAY2(テセウスの船)
テセウスの船の問答で木村さんが正解(次の展開に繋げるためにディズムさんが言わせたいだろう考え)を探ってるなーって答え方をしていて、マコトという人物が出す答えを引き出したいシナリオと若干のアンジャッシュ感が漂っていた。
ディズムさんが「この問題に正解はない」を言葉として渡していたら、彼はどんなルートを通って回答にたどり着いたんだろうなー、というのも知りたくなりましたね。
2日目はクマぬいと向かい合う位置の椅子に座った木村さん、かなり背中を丸めてるなー、その割に首筋から胸にかけてがすっと真上に伸びてるんだよなーという印象で。ふと思い立って全体を見てみたら、クマぬいと目の高さが同じになるよう座ってるんですよね。見上げるでも見下ろすでもなくまっすぐ相手の目を見やる、そうやって話をするの善い人類だなーという質感があり、よかったです。あれたぶん、アユムの声や話しぶりが小さい子どもだからそう接していたんではなく、この方が他人と話すときによくやる仕草なんだろうな、と思いました。JtRもかなりちっちゃいグロリアと同じ目線の高さになるよう膝を落として相対してたし。
アフトクのときも(DAY2ほどではないものの同様の背中や腰を屈める座り方をしていたんですが、立ち上がるタイミングで腰の裏を摩ったり軽く捩ったりしてたのでまあまあ疲れる体勢なんだと思われ、おにーさんあなたいい人ですねさては。
DAY3(臓器くじ+邂逅)
臓器くじのやり取り
木村さん(マコト)が「赤い人の意思は」を問うてから間髪入れずにディズムさん(医者)が身体ごと客席側に顔を向け、抑揚をおさえた早口で「……(お客に向かって)皆様どうぞお座りください、ご協力ありがとうございます」と言うのめちゃくちゃ“好”だったでしょ。その速度と無返答が何より雄弁な“答え”なんだよ 大興奮しちゃった この間合いと空気の締め方、さすがオンセで回して数十回の温度感ですよ、どうすればその場にいる人間の背筋が冷えるかよくご承知でいらっしゃる。
アユム(実体)邂逅後、再びオーロラの約束をしたマコトがアユム(本体)を見上げている柔らかく温もりを感じさせる表情と、その直後に声を掛けた医者に向ける鋭い敵意の眼差しの落差に大喜びしました。
『(他の患者にかまけるよりまず)娘を治してやらないのか』『アユムのそばにいてやれよ』『寂しがってた』等等。
ここまでの昼会話でマコトがチリつかせていた不信と苛立ちが、一目で“元の生活に戻れない”と突きつけるアユムの姿を見ての遣る瀬なさ・無力さを核にして結実、敵意に転嫁したのを見る心地で胸躍りましたね。
叶う日が来ないだろう約束を吐いてやれる優しい大人な彼は、その敵愾心を勢いそのまま言葉でぶつけるほど幼くはないところまで最高だなって。
PLやったときの私はここで医者に敵愾心ZEROだったので別に共感はしないんですけど、医者との会話でアユムの話題が出るたびに責めるような「なんでだよ」(名医なんだろ、父親なんだろ?)を向けていたマコトの感情の向き先としてはものすごく納得感のある手触りだった。
アユム(実体)のスイッチの切り方が“ヒトの形を模したほうの手のひらに触れ続ける”なのディズムさん、ディズムおまえー!!!になりました
マコトに向けるより僅かに高く柔らかい声で「おやすみ」の挨拶を落とし、緑から鮮青、淡い水色へと容器の色が完全に変わるまで“我が子”の手に優しく触れる。あなたが眠るまで側にいるよ、安心しておやすみという親の愛。心温まりますね(『アユム』の姿から目を逸らしながら)
ここで思い出してみましょう。アユムは目が見えずどこへも行けず、恐らく肢体の感覚もない。うごけないんだぁ、みたいなこと言っていたし。無事(無事?)だった脳に聴覚情報だけを接続している容態です。
装置のスイッチオフ操作をこう設計したにしろ、アユムのスリープ*12に必要ないけど意識が落ちる瞬間を1人で迎えさせたくなかったにしろ。「おやすみ」を言ったパパが意識の完全に落ちるまで手を繋いでくれていることなんて知らないし感じられないし気付けないんですよアユムは。パパのエゴでしかないんですよ。
生きている我が子にしていたことを、届かないと分かっていながら無機質な形代にもし続ける悲しき親の愛(未練)なんだよなあそれはなあ
なんならアユム(実体)の培養槽の下にぶら下がってる人形だってなんの意味もないんですよ。アユムの意識にセンサーが接続しているわけでもない、文字通りただのお人形。我が子を、唯一残った家族を、体のないままにしておくことに耐えられなかった親のエゴ。左腕があるはずのところにむき出しの鉄でできたロボットアームがくっついているところに、医者の残りSAN値の低さを思いました。
アユムにヒトの生を取り戻させるかもしれないマコトの身体というカタシロ。アユムの意識と生活になんの貢献もできない、ヒトの形を想起させるだけの不格好なカタシロ。
どっちもエゴの塊で、でも確かに愛なんだよね。それが倫理も摂理も踏み越えて狂い果てたものだとしても。
クマぬいではないアユム(実体)があると思ってなかったっぽい(そりゃそう)木村さん、あの人形を見てややテンパってたのか「息子が」言っていて、写真(ヒトの部分は強くぼけていて、顔つきを窺うことはできない)に引っ張られているんだろなあと思いました。ママとアユムのツーショット、恐らく乳幼児期だからなんだけど顎にかからないくらいの短めヘアーが男の子っぽい髪型に見えるので。
最後の問い、マコトが選んだのが臓器くじの受け答えでならこう答えるかなと思った側だったので個人的にはなるほどなーという感。
臓器くじで木村さんが「(自分が赤い人だったら、」と口にしてしばらく考え、くしゃっと誤魔化し笑いして「やっぱなし」したところから、なんとなくプレイングの視点が変わったなーと思った。思考実験の回答は後半展開で生きてくるメタファーなのだろうとアタリがついたんだろうなって質感といいますか。
主人公として格好がつく、そしてこれまでの「マコト」のムーブと矛盾しない回答を思い巡らしたのかなって感じがね、あったので。
アユムにその日は来ないと悟りながら、再び叶わない約束をした。少女の心を守るため優しい嘘を吐いたマコトが、少女の人生を救える鍵を握らされて。そこでNOを言ったら主人公じゃあないじゃないですか。故に、元の体の扱いへの回答に納得感をおぼえたのかなと(私はね。)
決断までが思ってたよりすんなりというか、独白なしだったのはちょっと意外だったかな。まあそっちはクライマックスフェイズにはPCの心情独白を入れるもんだ(盛り上がるので)(PCの動機開陳を食うためにセッションやってるところもあるし)の流れが身に馴染んでるオタクの発想かもしれませんが。
シンプル即断で返ってきた「ーーどうぞ(手のひらで“元の体を示す”」にディズムさんがなんとか膨らませようとしてるのを眺めつつ、有料配信(配信ではない)は大変だなあと思うなどしましたね。
ところで。そんなことはなかったらごめんけど、もしかしたら木村さん“否を答えれば元の体に(安全に)戻してもらえる”って認識共有がないまま回答したんじゃないかなーと感じた。なんかねえ、自分の生きた体でなくなってしまったものがアユムを救うなら「どうぞ?(好きに使って)」のニュアンスだったんだよね。
ミュージカルは歴史モノは多い反面で近未来舞台はあまりないから、SF要素があるよ(元設定はSFではなく、超常的存在のせいおかげなんだけど)程度の前情報は渡してあげたほうが状況把握もしやすいのかもなーと思うなどした。
“目が覚めたらクローズドシチュ”は現実世界を飛び越えた独自ルールに支配されている合図、CoCうちよそ系*13や二次創作オタク以外には通じにくい符牒なんだなという所感。
これは個人の見解なんですけど(人の数だけカタシロ観はあるよ)、私は「カタシロ」のリアリティラインはかなり低く設定されていると思っていて。昼問答と夜交流の2つの会話(という身近な行為)を繰り返すことで、少しずつ開示されていく異界のルールを受け入れやすくさせるというか。
PL(演者)は日常的な行為を通して異様な状況に順応し、自我や生死を考える思考“実験”に慣れきったところで、「あなた」と「あの子」の命の選択だと突きつけられる。3日間の「お話」は、異常な世界の主人公として考え選択するための手引きになっている。手引きにも、かもしれないけれども(オタクはこういう思考実験をキャラクターにぶつけるの大好きなので……)
今回は世界設定に没入していく過程に悉く横槍入れられてのクライマックスフェイズ(ではない)で空気を作らなきゃいけなかったので、演者も進行も大変だったろうなーと思った。TRPGでもマダミスでも観覧者は基本的にシナリオに協力姿勢だから、現実から物語にリアリティラインをずらそうとするたびに*14ガヤ笑いや私語*15が飛んでくるセッションで最後だけはシリアス死守する胆力さすがすっげえな……になったよ。
ド直球に言い換えるなら、物語という虚構を観に来ておいて、制作側から出された虚構に逐一介入して茶番扱いしたがる客、あれ何? 滑稽扱いするのは個々人の感性だから面白がるのもクスクス笑いも別にぜんぜんあるとは思うんだけど、そのオキモチって上演真っ最中にでけえ声でアピールする必要ある?
ストプレだと男性客に多くミュージカルだと女性客に多いんだけど、シリアスな題材や状況のなかで一息つかせる滑稽さが出てきたとき鼻で笑ったりでけえ声で笑いガヤ入れてシリアスな空気や周りの没入を壊したがるの本当にヨクナイ風習だと思う。まあ客席堂々録音撮影おっぱじめる客は公演中にも大抵こうだから、”どうして”の部分はなんとなくお察しはしてます。
アフトク
木村さん「(子ども用の長靴や傘を目で示しながら)これ何だったんですか」
ディズムさん「アユムが“生きていた”頃の〜」
ディズムさん!?!?
カタシロシナリオにおいて医者の主観は“アユムはまだ生きている”だと私は思っていたんですが、ディズムさん的にはカタシロのその子はもう死んでいるなんですか!?医者、SANの大幅低下で永続狂気してるだけなんですか……!?
3つの思考実験の回答、と断片的なログ
DAY1「自白」
「……5年(で済むから)」「(医者も)自白だと思った」
低い声、下から睨めつけるような目つき、最低限しかする気のない発話。不信感を全面に出している印象。
医者「君は3日は長いと言うのに5年は気にしない」
10年よりマシ、というようなことを答えていた記憶
「名前は」
「ナカムラユウリ」
「あんたの?」
「そう。」
「共犯者?」(自分目当ての客へのファンサ)
「そう思ってもいい(どっちでもいいよのニュアンス)」
DAY2「別」
説明を受けてから「もう一回」と言っていた。アフトクでも「難しい」仰ってたので、もしかすると腑に落ちていない。イデア論とかクオリアとかが手持ちの知識カードにないと飲み込みにくい概念かもしれないなあと思いました。思春期に飲茶さんのHPに日参したり哲学論や思考実験を嬉々として読み漁ったりしてたのはオタクだけなのかもしれない。
DAY3「(赤いくじを引いた人の)意思による」
日和ったな(ほめてる)
日和ったわけではないんだけど、……いやでも反感を買う相手が最も少ない回答って意味では日和りでは(ほめてる)(物語の登場人物としてそのズルさは美味しさだよなと思っています)
くじを引いてから選べる条件をつけたら臓器くじの賛否表明に重さがなくなる*16のよね。
最後の決断
「どうぞ。」
手で“元の体”を示してちょいと腰を折って、上目遣いに医者の目を捉えて。
まああんなに格好つけたら“ヒーロー”を選ぶよねという質感があった。個人的には。
*1:その要素の優先度は様々ですが、TRPGセッションという遊びにおいて、参加者たちと協力したお話づくりを楽しむ要素をゼロにすることは想定されていない。と思う。
*2:胸の前で縦持ち、振るときも縦。肩より上に出さない、だったかな。拍手のとき(手持ちしてると横と後ろの目を灼く)は下ろしてねーまでお話してたのか、ファンの姿勢がめちゃくちゃ良かったから自主的にやってたのかまでは覚えてない。
*3:冒険企画局が刊行している「サイコロ・フィクション」シリーズのひとつ。すっかり課金性カードゲームになりましたが、一時期はシナリオ・キャラメイクともに自由度の高さで評判だった。
*4:JtRで田代さんに絡まれかけた(加藤さんがするっと助け船を出した)姿とソロライブで柿澤さんとゆるっとダウナーしてた姿くらいしか見たことない
*5:思考に用いた知識と視点は木村さんの引き出しから取り出されたものだけど、出力されたものはフィルターが異なり目的が固定されたキャラクターの目線で取捨選択と発展させた表現なわけで。
*6:ほんとに嫌いじゃないですよ。感情なんて公私の“私”の部分が切り売りされてて、それを数百〜数千円で買って娯楽消費しているのよりプロの技術と根性で錯覚を売ってくれてるほうがよっぽど精神衛生によい
*7:これ系のシナリオ、CoCうちよそ系にも有名同人どころにも複数あります。PCに生命倫理を問い究極の二択を迫るのは人気シチュエーションだからね……。
*8:VTuber、設定という一枚の虚構もコミで「その人そのもの」と扱うことで連帯感が発生している。と思う
*9:公演中にミコさんが「お母さんは、(事故に遭って)ーーお星様になったってパパ言ってた」発言してモチーフがメタファーになる瞬間を体験した
*10:伸ばした人差し指が真上に来るように持ち、掌で支えながら人差し指のみでコントロールする
*11:黒板に正対せず、体をできるだけ(速度が欲しいときでも半分は)相手へ向ける
*12:SEの重さがシャットダウンなんだけど、そしてDAY1DAY2の「おやすみ」前後の描写もスリープでなくシャットダウンか再起動なように思えるんだけど、あえてスリープと呼びましょうや
*13:厳密に言うなら「カタシロ」は全くうちよそ系ではないのだが、TRPGともトラディショナルなCoC6版とも違う遊び方をしているカスタマーが多いのがこの界隈なんですね。特徴は、シナリオの……というよりセッションの、かな、その焦点が出来事ではなく持ち込んだPC(プレイヤーキャラクター)に当てられる、それをシナリオ目的にしていること。
*14:シリアスな空気が壊れるたび小さく苦笑して、現実世界の日本ならこういう滑稽さがあるよね的なメタ視点の言葉を投げる、このやり取りを後半になるにつれて双方がするようになっててトークゲーム慣れしてるほうのねずみはこんな地獄空気の公演(有料公開型オフラインセッションを「公演」と呼ぶ界隈がある)あるんだと思いました
*15:いたんだよ公演中に木村さんが喋るたびに復唱独り言してるなぜTV前でなく劇場にいようと思った?マンが。というかここ1年のミュージカルやミュージカル俳優イベントこういう客いる率すげー多くない?
*16:実際のところは「死にゆく人たちを選ばない」と同義なのだが、一見ではそうと見えない。ある日突然「死ぬことになりました。嫌ならいいです」と言われてうんと答える人間がどれくらいいるかというと、というね。「あなたが死ななければ病気の何人かが死にます。死にますか?」まで話して選ばせるなら、不幸にもアタリくじを引いた者に決断の重さまで押しつけているのとおんなじなのだ。