つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

オリバー!観てきました

10/9M回です。すごいWキャストだから(その表現もどうなの)日付書いといたほうが良いかなー思って。1か月前じゃんとか言わないで書いたのはほとんどその日なんだ

個人の所感で感想であり、ありとあらゆる個人団体宗教思想とは無関係です。あなたの観て感じたものがあなたの真実なんですよう。

 

スクルージのときも同じこと言ったんですが、ファミリーミュージカルでもっともちいさい者をみなが慈しんでいるのを見ると、いい舞台だな、いい座組だなって思うんですよね……主観なんですけど……。
カテコで一番ちっちゃい坊やの立ち位置を青い上着の子役さんが後ろからさりげなくなおしてあげてそのまま横に並んでるのを見かけ、素敵なお兄さんだな……と思いました。
このお兄ちゃん、みんなで手を繋いで一礼するときも両隣のボーイズが無理しないくらいの高さに自分の腕を持っていってあげててこう、よさがあった。大人の顔色を窺うでもなく、ボーイズの様子を見るのでもなく、まっすぐ客席を向いたまま当たり前みたいにそうしてるのがすごいよお兄ちゃん。
ファミリーミュージカルにしかそういう期待しないんですけど、ちいさきものが慈しまれているのがカテコで伝わるの、よきだよね……みたいな感傷をもっているのでついこういうところを見てしまう。青いジャケットのお兄ちゃんと臙脂色の上着のお兄ちゃんがちいさきものをさりげなく気にかけていた回だった。
ところでなんだけどオリバー!主役?も少年だからなのかなんなのか、子役さんたちちっちゃい子もお話の最中はしっかりしててすごいですね。一番ちっちゃい子役さんまで役としてしっかり演技しててびっくりしちゃった。


武田真治さんフェイギン
「パレード」観たとき*1も思ったけど、悪人にも善人にもなり切れない、人間らしい弱さのある人物がめちゃくちゃ映えるんですねこの方!?
どっちかというと道化役のポジションだと思うしコミカルな喋り方や動きも多いのに、フェイギンめちゃくちゃ等身大の人間なんだよな……すごいよねあれ……。弱くてきたない面もあるしちっちゃい子らを使って色々してるし、でも一人ではロンドンを生き延びられない子どもらに家と食事と布団を与えて育ててくれたのは彼だったし、ビルとナンシーの今にも血を見そうな衝突を止められるのはフェイギンだけなんだよ……。あの後に足音荒く立ち去るビルに「ナンシーの面倒見てやってな」って声かけられるのも「あのビル・サイクス」にそれが響いたり届いたりすると思ってくれるのもフェイギン以外いないよ……。わたしはオリバーの腕掴んで戻ってきたビルに「出てけ」じゃなくて「逃げろ」っていうフェイギンが好きだし、「いつものように」うまく散り散りになった子どもらを「なかま」と振り返るフェイギンが好きだよ……。

フェイギン個人が好きかと言われると別に好きじゃないし(けして嫌いではない)どっちかというと憎めないが(わたしの)印象度としては正しい言葉だと思うんだけど、連れて来られた仲間をちっこいからや女だからで選別せず屋根の下に置いてやるところも自前のちょちょいや撥ねた上前の宝石でままごと遊びしてうっとりしてるところもオリバーの安否が知れたら保身に走るところも彼に育てられたちびっこがどん尻を走るフェイギンを気にして振り返るところも全部ひっくるめて好きだよ……。
己が拗らせかけてる意識はありこういう見方しちゃうからファミリーミュージカル観るのに向いてない自覚はある。

ところでこれは似てると思ったわけではないし似せてるともあんま思わないんですが、なんか武田さんのフェイギン見てて市村正親(敬称略)ファミリーの系譜*2だなって感じた。似てるかとか寄せてるかとか言われればいや別に……武田真治(敬称略)だと思う……(寄せようとしてたらごめんなさい)なんですが、なんだろう……フェイギンというエンターテイメントに観た人に伝えたい心みたいのが入ってて、でも受け手のわたしたちにそれを見つけて持って帰ることを強いてはいない感じというか……。メッセージの熱量が確かにあるのに押し付けがましくない、そういうところが、なんか。
やましいとこ一つもない善良な羊の民より弱さずるさや卑怯さのある、それでも優しさやちいさな慈悲、善性も持っている人間。人類への希望を思い出させてくれるような、パンドラの箱の底に残った希望のような(パンドラの箱の本来の意味*3でない使われ方のほうで。)*4
いや全部受け手の感想、個人のみた幻覚なんですけど。なんで注釈の中のが文字量多いんだこのパラグラフ。


原慎太郎さんビル・サイクス
めちゃくちゃ子供じゃん!?(賛美の表現です) 図体が大きくなっただけの子供、力が強く技が巧みになっただけ、心の土台の育っていない。強くなった力でわめいて脅して、獲物を渡して対価を求めて、他に人との繋がり方を知らない子供。一方的な恐怖でもなく一方的な威圧でもなく、双方向のやり取りをするのはフェイギンとナンシーだけで。それだってフェイギンとナンシーに甘えている、気持ちが繋がり続けるためのコストを向こうに持ってもらっている。

1回の"仕事"でちびっ子が束になっても敵わない成果を上げて、それなのにフェイギンのところに帰ってきて対価をよこせっていうのが子供だなって思う。オリバーを殺さずに引きずって、フェイギンのところに戻ってきてしまうのも。彼の力が(スリの腕前も暴力も)あれば一人で立って生きられるはずなのに、行動の結果や未来の選択をフェイギンに預けて、どうすればいいって問うんだよ。まあビルはそんな殊勝な言い方してないけど。ひとりじゃ何も決められない子供で、本当の独りぼっちは嫌なさみしがり。さみしがりなのはたぶんフェイギンもおんなじで。
んまあ客観的にもたぶん主観的にもフェイギンわりと残酷な選択させるやつだけど(ナンシーの春売りとか)、ビルにとっての養い親はフェイギンなんだなあと思う。腫れ物のようにこわごわ扱いながらもビルのそれを突き返さないで受け止めてやるフェイギンも、やっぱり親子の親だなあと思う。本当に縁を切りたいなら、おまえが自分で金に換えればいいって差し戻せもするのに。

全部受け手の幻覚であり個人の感想であり拗らせかけてる意識はあります。うっかり連続で取ってたら間違いなくもっと拗らせていた。
あっでもビルサイクスは裁かれるべきだったと思っているしナンシーをkillしたことに同情の余地はないと思ってるよ。彼には他になにもできなかったろうと思うけれど。


突然ですがヘキの話をします(前置き)
ビルサイクスもフェイギンもなんだけど、世界に愛されなかったことをお前は罪と責めるのか、みたいなところにおそらくわたしの感傷スイッチがあり、このタイプの大人になれなかった、なるために必要なものを誰にももらえなかったいきものにワタクシ非常によわくてですね。それはそれとしてやってることは歴然と悪事で裁かれても仕様がないんだけど*5、「彼がそうした」ことに情状酌量の余地はないけど、「彼がそういう人間になるしかなかった」ことまで彼を責めるのはあんまりじゃないですかみたいなこう、感傷をですね……。メタマクでも偽義経でもラブネバでもスクルージでもおんなじこと言ってるからなんかもうそういう性なんだよなわたしが。(あっもっかい言っておくけど大好きなんですよこういう演目!こういう話!ここも含めて!)

ええとね。(オリバー!もオリバーも好きですよ念のため繰り返すけど)
ビルの為したこと、窃盗恐喝暴力殺人は紛うことなく悪事でもちろん罰されるべきなんだけど、それは"ビルが行った行為"に対しての責任であって"(ナンシーの言を借りるなら)「まとも」なことだけして生きられる機会を誰もビルに与えてくれなかったこと"はビルに責任はないじゃん? っていう。
フェイギンが与えてやれる生きる術が「ちょちょい」しかなかったのはビルの責ではない、ロンドンの道端で飢えているビルにフェイギン以外の誰も手を伸べなかったのだって当然そうだ。
空腹と屈辱に耐えて救貧院で暮らすべきだった? 里親が見つかるのを待ちながら?
確かにそれは"正しい"行為かもしれない、でもそうしなかったのを罪というなら、お代わりを要求して院を追い出され葬儀屋で暴れて逃げ出したオリバーだって同罪だよ。(オリバーのこと、嫌いじゃないよ。)
罪を犯して得た糧は拒むべきというなら、ジャック坊やのリンゴを食べてフェイギンたちのホームで眠ったのはオリバーの罪なのか?(ほんとに嫌いじゃないよ)
オリバーがお金と地位のあるおじいちゃんに拾われたみたいに“まとも”じゃないことで生きる前に助けの手がなかったのは、ビルやフェイギンやちびっこギャングたちのせいなのか? 自分だけ助かって他のなかまに手を伸べなかったオリバーの行為は罪なのか? 救えるかもしれない仲間より自分の幸せを優先した彼は悪人か?
そんなことを言っても誰も幸せにならない、ただ「そうしなければ生きられなかった者」が死ぬだけで。弱いものから。
えっ話戻すの?ここから?(むりじゃんの顔)
あれなんだよな、私の好みが「世界に愛されて幸せになった者」より「世界に愛されなかったがゆえ少ない持ちものさえ失った者」だからファミリーミュージカル向いてないんだよな(楽しんではいる)(でも作った人らに望まれた見方をしていないんだろうなという気はする)


濱田めぐみさんナンシー
私には1幕のナンシーがめっちゃ可愛かったという話しかできない。フェイギンの寝床で子どもたちと楽しそうにしてる濱めぐさんがめちゃめちゃ楽しそうだったのであっ楽しそうだなと思った。お話はお話で楽しかった(対比とじごくを掘り出すのが楽しいオタクなので)んですけど、濱田さんが楽しそうにきらきらしてるのでとりあえずプライスレスだなと思って。
ナンシーは子どもらと楽しそうに過ごしてオリバーにもやさしくしてやって、歌やら何やらでひととき楽しい夢の世界を見せてやって、でも「まともな」生活はもうできない、ドレス着て花嫁になるのはできないってふいと覗くのが切ないなーと思う。*6フェイギンの「仲間」たちの中で、やってることに対して"手を染めたら戻れない"の意識があるの(それを表に出すのを躊躇わないの)彼女くらいじゃないかな。*7「ちょちょい」をする、持つ者から(一見)奪うことで糧を得る子どもらやビルと違って、ナンシーは身体を売って更に奪われることで糧を得る(得させられる)からなんかね。オリバーはまともなところに戻れる、返してやって、あたしたちと同じにしなくてもいいじゃない。あれを、もう戻れないちびっこたちの前でナンシーはどんな気持ちで言ったんだろな。

2幕、ビルへの愛情?恋心? お、おお……と思ってみていた。マタハリから思ってたんだけどやっぱ私にはわかんないや、恋をして馬鹿になるの心理。*8 なんかこうすごい大事で替えがないのは伝わるんだけどナンシーはビルのどこがそんなに!?というかあれは恋なの? ナンシーの生活と同じ、花嫁さんを諦めてちびっこギャングたちを慈しむ、"他に選び取れるものがない"の延長だったりしない? ナンシーなあ……あの最期を迎えてもでも、ビルを恨んだりは最期までしなかったんじゃないかなみたいなのが切なさだよなって思うんだよな……。いやあの私の祈りもだいぶ入っている所感なんですが。


もっかいヘキの話していい? しますね。
オリバーが幸せ?……になったのかは知らんが、満たされた生活を獲得したことについてはよかったねって思うんだけど、ちびっこチルドレンたちは!? 彼らはロンドンで生きていけるの!? ってつい考えちゃうんですよね……。ちびっこチルドレン、オリバーのことだって仲間と思ってたじゃん。救貧院チルドレンはお代わりを求めた子供の名前を隠しもせず謳い上げたけど、売られるオリバーを物陰から暗い愉悦の笑みで見送っていたけど、ちびっこギャング団は窮地に陥ったオリバーを「あいつを見つけなきゃ」って探し回ってくれる。姿を見られたら捕まるかもしれないのに、いちばんのちびっこだって街じゅう駆け回ってくれるじゃん……。わたしはちびっこたちのあの一言で涙腺がだめになったクチです。
でもあれは救貧院チルドレンの根性がわるいんじゃなくて、彼らの現実には他に娯楽も気晴らしもないし苦境に陥った同類を憐れむ心の豊かさも育たないってだけだと思うんだよね……。フェイギンのなかまらがもっていた死にそうな子供に声を掛ける情や仲間たちの面倒を見るって結束、弱い者どうしで面倒を見て見られてをする、仲間意識や連帯感さえ育つ余裕がない場所。心が豊かというのは誰かに愛されてきた心に余裕があるというのと同義だよ。だから人間ができて他者への心配りが長けていることを『育ちがいい』と呼ぶ。
2幕でサーカスに見とれてベンチから立ち上がったオリバーの本を取り上げた子ども、私はあれを見たときああ盗られるんだなと思ったんですよ。やるべきことの最中によそ見をしたから仕事に失敗するんだなって。子ども、にっこり笑ってオリバーに渡すじゃん。ハンカチや小物を「ちょちょい」しなきゃ生きていけない子供がいる一方で、数冊の本をちょろまかすなんてしなくてもサーカスを見て笑って暮らしていける子供がいる。オリバーはある一方から別の一方に移って満たされた家族と生活を手に入れるわけだけど、それは一方がなくなることではないのよね。見えなくなるだけ。もう『関係ない』から見なくなるだけ。幸福な世界ってそうでないところを見ないことで成り立つものだから、摂理っちゃ摂理なんですけども。
何歳でも移ろうと思えば自力で移れるのメッセージがラストのフェイギンなんだろうなとは思っているけど、無力な持たざる者が生きるためには持つ者からの施しがいるのも事実で、あのちびっこギャングたちは冬を越せたのだろうかとふと思うんだよな。
いやあの楽しかったんですよほんとに。期間中にまた行くし(だから急いで上げたわけだし)

*1:裁判の途中で"おかしさ"に気づいてしまってからの変化、人間の弱さとおろかさとそれでも底にある綺麗なものがいっぱいに詰まっててとても好きだった。1幕ラスト、自分だけでもと声をかけようとした奥方をレオに庇われて、己が過去にしたことの報いに何も言えなくなっちゃうのすごくよくなかったですか……私あそこだいすきなんですよね……

*2:これはおそらく完全にスクルージアフタートークの印象なんですが、市村正親(敬称略)武田真治(敬称略)田代万里生(敬称略)に一種のファミリー感をおぼえている。英語のっていうかイタリアのっていうか日本にもあるよねっていうか

*3:悪意も厄災も完全に諦めてしまえれば痛みも小さいのに、なまじっか希望があるがゆえに人類は諦めきれず深い絶望を味わう

*4:これもすげえ個人的な印象なんですが、市村さんのそういうのは質量そのものはぐっと重く切り込み方も深いもの(黒曜石みたいな。)をコミカルを差し込んで食べやすく見せてる(味の好みはある)って感じなんだけど、武田さんのそれは触れれば柔らかくてて抱きかかえるとずっしりくるけどじんわり温かいいのちの重さって感じがする。ネコチャン。

*5:スリルミ周りからこのあたりちゃんと言い置くことにした。

*6:現実をひと時わすれてしまう楽しいもの、1幕ではナンシーとのささやかな"劇"で2幕があの豪華なサーカスなのはちゃめちゃに胸が痛くなるんだけどそれはそれとしてナンシーと子供らはかわいいよ

*7:ビルも分かってはいるんだろうけど彼は最期まで目を逸らしてたじゃん……? 見ないように目を瞑って、フェイギンに答えをせびる(受け手の幻覚です)

*8:濱めぐさんが演ってるのを見てなおわからないならおれにこの情動を理解する感受性はないなみたいな諦めをした。