つまるところ。

観劇や演奏会の感想を置いて行く場所。だって青い鳥には推しがいるから。もっと雑多なログもある。 https://utayomichu.hatenablog.com/

エリザベート、すごいですね?

観てきました。なんかすごいね?
完全に語彙力を失ってますがまあ戻る気がしないのでとりあえずばーっと。

6/9の感想だったんですが16日、ゾフィーと少年ルドルフ以外キャスト同じだったのであわせて感想こっちに書いちゃおうと思う。 

 


井上さんトート。
序章の登場シーン、あまりの神々しさにうっかり信仰しそうになってしまった。あれはご降臨だった。暖かく慈悲をもった救いをくれそうな存在に錯覚した。間違いなくそういう存在ではない。
絶対に共感しないだろうと思ってたルキーニの狂信に「わかるかもしれない」と感じる日が来るとは思ってもみなかったですね。

そんな井上トート閣下、ヒトの情緒に似たものが育っていくように見えたのがすごく興味深かった。
1幕あたりはヒトの情緒を理解してないで動いてるっぽいんですよ。例えばフランツに最後通告を突きつけた後、嘆くシシィに寄ってきて「死にたいのか」と尋ねる場面。あれ、シシィが自由になりたそうだったから寄ってきただけに見える。彼女が何に執心してどんな葛藤を抱いてるか理解してないし気にもしてない。
何だろうなあ、泣きながら道を歩いてたら顔なじみの野良猫が寄ってきたぐらいの軽さに見えるんですよね。 シシィの内面に対して「どーした人間、撫でるか」以上の理解をしていないように見える。人の情はないんだけど、冷たいからというより淡い印象だった。そういう強い執着や嘆きをまだ自分が持ってないから、シシィの感じているものもわかんないだな、という感じ。
あと、己の思う「人間の死」とシシィにとってのそれは重さが違うってこともあんまり理解できてなさそう。だいたいの生きてる人間にとって「死んだら終わり」なんですよ閣下。「自由になる、幸福だ」って思う人間あんまりいないんですよ閣下、ご存知でしたか。

その閣下が2幕ではなんだかずいぶんと人間らしいものを見せている。(好意の表現です。)2幕の閣下、シシィが死にたい理由にまで拘るようになってるんですよ。息子を喪った悲しみから逃れるためじゃ嫌だ、己への愛をもって選べだなんて、まあなんとも人間の感情をご理解なさって。シシィ以外に関心を見せなかった*1のに、「悪夢」でフランツに己の勝利を見せつけたりさ。好きな人の(少なくとも一時期は)大切な存在に敗北を突きつけるだなんて、まるで人間みたいじゃないですか。

16日に観たトート閣下、同じシーン同じ人物を見ているのに2階から観たら子供の傲慢に見えたのすごく面白かった!!!!情緒が育っていない子供じゃん。神々しささえあるヒトではないモノに見えたのは見上げていたからなのか。まあどちらにしろヒトの情緒は育っていない。自他の境界というものをあんまり理解していませんね閣下。ヒトの仔のシシィは貴方と同じ死生観を持っているわけではないんですよ。ことあるごとにシシィによってきて行こうよ行こうよっていうのやっぱり大きな猫みたいだった。PantheraじゃなくてFelisのほう。*2

 


愛希さんエリザベート
野生の鹿や馬みたいな少女。色鮮やかで溌溂として、檻の中に閉じ込めては生かしておけない生き物。外に出ようと足を折るまで暴れて、そこから血が通わずに苦しんで死んでいくしかない、そんな生き物。
このシシィ、フランツにネックレスを見せられたときに怪訝な、薄い嫌気すら見える表情をするんですよ。「もったいない」と言いながらちっとも価値を見出していない。着けてもらっての第一声が「とても重い」ですからねこの人。フランツの愛情表現を彼女は重くて息苦しいものと感じる、この2人はこの先ずっとそうだったねそういえばね……。彼女はネックレスの輝きにも重さにも喜びではなく息苦しさしか感じない。金銭的な(あるいは社会的な)価値はわかっているけどほしいとも身に着けたいとも思わない、だからこその「もったいない」なのかもしれない。でもフランツの妻になるっていうのはその首輪をつけ続けることなんだよシシィ。エリザベート皇后がネックレスを付けるのは条件と引き換えに「義務」を果たしているときだけで、彼女はあの装飾品が本当に嫌いなんだと思う。
「私が躍る時」で凛としてトートを寄せ付けない姿も好きです。硬質というまでではないかもだけど、柔らかくはない拒絶をするね。あしらうんじゃなくて撥ね退けるような拒絶。閣下に手を引っ張られて姿勢を崩しても笑みは揺らがず冷静なまま、彼が頬を寄せる直前にさっと手を引っ込める。私が優位を取っている、あなたの自由にはさせないという強い意志を感じた。束縛を嫌い自由を愛し闘う気高い野生の獣。
放浪を始めてからはまた違う印象を受けたんだけど、うまく言葉にできない。閉じ込めたら死んでしまうというより、自由を奪われるなら死を選びそうな、闘って守る気力は最早なく、消極的な抵抗をしそうというのかしら。

 


成河さんルキーニ。
ひとつのものしか見えてない人物がこんなにも似合うのなんなんでしょうね。好きです。*3
序章のトート閣下が現れた瞬間からの熱量がおっそろしい。視線の熱さで目玉焼きが焼けるんじゃないか。ぎらぎらした目の表面が滑らかに光っているのがめちゃくちゃ不気味だった(賛美です。)ヒトが何かに固執する際に持ち得るおおよそ全ての感情が籠っている。気味が悪い(賛美です。)
閣下のご降臨に恍惚としているルキーニが「ただひとつの過ちは~」(16日に確認したら少し先の「(皇后への)愛」のとこだった。)で表情を一転させて世界が壊れるような絶望をしているのを見て思わずぞっとした(賛美です。)これはやべえやつだ(賛美の表現です。)トート閣下だけが価値基準で全てなんですね、わかるわかるわかんないけどみたいな。まともな人間は、というか大概の信者でもそこまで突き抜けはしないんだぞ、大好きです。
物語のあちこちで登場するルキーニは物語の人間たちをだいたい小馬鹿にしたような目で見ていて、その目が印象に残っている。セミにたかるアリをしゃがみ込んで見ている子供みたいな、好奇に溢れた温かみのない目をしているんですよ。己も含めて人間を一段下の存在として見ているんだなって思う。
序章は全開のやっべえやつ(賛美です)に見えたんですが全体的には落ち着いて……いや、別に落ち着いてるわけじゃないんですが、何て言うんだろうあれ……。'16年円盤の印象が某テーマパークにいる着ぐるみキャラクターみたい*4だったんですよ、そのイメージを持ったまま行ったからかすごく落ち着いて見える。着ぐるみマスコットというよりはガイドさんみたいだった。ルキーニに共感はできないんだけど、彼についていけばちゃんと物語に追い付ける(気持ちになれる)。
どこを見ればいいかわからなくなったらルキーニ見るといいと思うよ、はぐれても物語の淵まで手を引いてくれるから。

ただこのルキーニ、ふとすると精神が外界に1ミリも向いてなさそうな虚無で存在していてあれがめちゃくちゃ怖い(好きです。)魅せ方でも生来のものでもあるんだろうと邪推してるんですけど成河さんの眼球基本的に光量多いじゃないですか、きらきらしてるときでなくても色が明るく見える、あれの彩度が唐突に落ちるんですよ。楽しそうでもなく馬鹿にしてるでもなく興味なさそうですらなく、黙ーって凝視している。めちゃくちゃ怖い(賛美の表現です。)興味なさそうなとき*5もきらきらしなくはなるんですが生体らしい質感の光はちゃんとあるじゃん、あれすらない。ひいって慄いてるうちに舞台の状況が少し動いて一瞬意識を取られ、また視線を戻すといつもの侮蔑の上に敷いたにやにや笑いをしているんですよ。

あ、あとどこに感謝すればいいかわからないのでここに入れますね、ルキーニの新曲ありがとう! ヒュー!!さらっとえぐめの歌詞ぶちこんでくれたのもあってテンションぶち上がりました。

 


田代さんフランツ。
推しです。田代さんもなんですがエリザベートという作品のフランツがそもそも推し。こういう登場人物がすごい好きなんですよ。個人としての自分と役割としての自分がじょうずに区別できないほど結びついてしまっていて、そのことに自覚もなさそうなにんげん。あるいは役割のほうを優先すべきであると、それを疑うこともできないような。王という機構。幸せになってほしい。この辺り、たぶんそのうち語りだすと思う。

若きフランツ皇帝、抑圧されることに慣れ切っていてもはや意識に上らないのがお人形っぽさあると思う。好きです。悲痛に顔を歪めながら却下の決を下して判を押したのに、直後の合唱でゾフィーと笑顔で顔を見合わせるのやばくない?(賛美) 扇の一差しで意思を完全に封じられておいて反感も何も持たない、持てないのやばくない? お見合いのために会議を放って出ていくとき、話し合う彼等に背を向ける一瞬だけ表情が苦痛に歪むのが、それでも完璧な所作で出ていく姿が好き。自分で考えることはできるまま心を殺すことを知っている、皇帝教育として完璧なんだけど生殺しとしても完璧すぎていっそ何も疑問を持てなくなるくらいまでしてやってほしい(好意の表現です。)

最後通告への返答で声がぐっと老け込むの可哀想くない?あそこがすごく好きなんですよ。直前の場面はまだけっこうに瑞々しい雰囲気の声なのにさ。フランツがどれだけ悩み苦しんだのか、彼にとってどれほど大きな決断だったのかが窺えるようで痛ましい。ぼろぼろ泣いているフランツに向けられたシシィの返答が個人ではなく皇帝に向けるような硬い口調なのすごい可哀想。フランツが個人として選択してシシィに向き合おうとするほどシシィは皇帝として接するようになるんだよ。皇后として側にいるのが彼女の務めだから。

フランツ、歳を重ねるごとに皇帝としての微笑みばかり美しくなっていくのが苦しい(好きです。)あの柔らかに整った笑顔が民のため国のためのもので、おそらく彼は「皇帝として」必要ならどんな時でもあの微笑みを浮かべるだろうことが大変にしんどい(賛美の表現です。)
状況ゆえかもしれませんが、反するようにシシィに見せる微笑みがどんどんぎこちなくなっていくんですよ。シシィはフランツが誰よりも心を伝えたい相手だろうに、唯一「個人として」の自分を見せられる人だったのに、それすら年々できなくなっていくみたいで。大好きです。
田代さんが演じる(ことの多い)ネガティブな感情を人前で表に出さないように躾けられている育ちの良い人間はとても魅力的なんです、紳士的で、所作は完璧で隙がないのにどこか親しみやすそうで。そんでもって、そういう人間が取り繕う余裕もなく苦しんでいる時の姿がとんでもなく美しいんですよこの方……。クラックが入った水晶、壊れやすいけど美しいよね。

 

京本さんルドルフ。
歌もダンスも安定してるのすごいね。1回目は1階席で観たんですが、「闇が広がる」のはじめ、低音のところでいきなり音が厚くなってびっくりした。高めの音域が得意なのかと勝手に思っていたんですがもしかして低音のほうがお得意でいらっしゃる。ダンスがめちゃくちゃ力強くてこのルドルフ死に操られてなさそうと思っていたところ、儚い壊れそうという感想に溢れていてそうなの!?となりながら表情を抜いたらなるほど納得だった。自己をじょうずに育てられなかった人間の顔をしている(好意の表現です。)このルドルフ、王座にものすごく執着っていうのかな、王座に就くことに強い希望を見出した顔をするんですよ。その座がオーストリイでもハンガリーでも気にしてない(同じような反応をする)ところがすごく危ないなあと思った。自我が不安定そうというか。王になって成したいことがあるんじゃなくて、皇帝になることそのものが望みなんだなって。叛逆者でも革命家でもいいんだけど彼等と手を組むときもそんな感じでなかった、目的を同じくする人と団結するっていうよりも、誰かに必要とされたいように見えた。
京本ルドルフ、最後の瞬間に薄く薄く笑みを刷いていったの反則だと思うんですよ(賛美の表現です。)世界を見るのを拒むように光を跳ね返す目のままに、淡く感情の色が灯った次の瞬間頭が弾け飛んだ。シシィの言うように、最期に「自由を手に入れ」ていった。あれは救いだったと思う。ほしいものを自覚しないまま誰かのお人形だったルドルフが、最後の数瞬だけは愛を与えられたのかもしれないって救い。ひっくり返せばトート閣下以外の誰も彼を見てはくれなかった、唯一彼を見てくれたその閣下でさえ多くのうちの1つ(序章と悪夢はそういうことだと思っている)としてしか扱っていなかったのに、ってことなんだけど。彼は本当にただ「ひとりにしないで」ほしかったんだろうなって。

*1:そのシシィに対してでさえ死の選択を期待するものの感情の向きは気にしてなさそうだった

*2:前者は爪がしまえないから足音がして"吼える"ための骨がある

*3:ご本人に気配りの人みたいな印象を持っているので余計そう感じるんだと思う。

*4:「やっべえこのルキーニすっごい動く(楽しい)」

*5:マダムヴォルフのコレクションで女性をエスコートしているときとか。男どもが女体に盛り上がる姿を見てるときのがテンション高そうにしてる